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2017.12.30 更新:3/3
そこが魔物を解体し、また人の手に渡す場所だと悟った瞬間、行き交う人間などの身なりにもようやく目が留まった。
通り過ぎてゆく人々の多くは、武装していた。防具を着け、武器を持ち、様々な魔物の匂いを放っている。
どうして、気付かなかったのだろう。ギルドに出入りしている彼らと、同じ装いをしているのに。
弱くて脆いとされる人間たちの中には、“冒険者”と呼ばれる存在が居る。彼らは魔物と戦う術を身に着け、時には自らよりも遙かに巨大な魔物さえ討ち取ってしまうという。
そして、倒した魔物の爪や牙などを加工し、武器や鎧に変え、さらなる魔物との戦いに挑む――。
女王であり、群れ一番の知識を持つ母が、そう教えてくれた。
つまり此処は、冒険者たちが扱う武器や防具に関わる場所であり――彼らに負けた魔物たちが最後に辿り着く場所なのだろう。
知識としては、学んでいた。学んでいたけれど、現実で目の当たりにすると、その衝撃は言葉で表しようがないほど大きかった。
私たち魔物も、人間を襲う。生きるためだ、私のいた群れもそうだったし、他の魔物もそう。だからこれは、おあいこなのだ。どちらが悪く、どちらが正しいかなど、そういう話ではない。
分かっている。
分かっては、いるが――。
ふらつく足を後ろへ下げ、その場から走り去る。道行く人間たちの足下を潜り、時折顔や身体を打ち付けながら、無我夢中で駆け回った。何処に向かっているのか、そもそも進んでいるのか、それすらもう分からない。
感情に追い立てられるままに動き、建物と建物の間の細い路地へ入ったところで、足がもつれ転倒する。微かな痛みを感じながら上半身を起こし、這うように隅へ移動した。
腰を下ろし、立てた膝に顔を埋める。込み上げてくるものは、恐怖か、それとも心細さか。あるいは、無知であった自分の恥ずかしさか。折り畳んだ翼を動かし、みっともなく滲むまなじりをごしごしと拭う。
――その時、ジャリ、と砂を踏みしめる音が聞こえた。
ハッとなって翼を退けると、三人の人間が私を取り囲むように佇んでいた。
「さっき表の通りを走り回っていたのは、こいつか」
「ああ、ハーピーの雛らしい。この町のギルドに居るっていう、噂のやつだろ」
蹲る私の真上から見下ろす彼らの眼差しは、先ほどとは全く違い、悪意に満ちていた。巣を離れてから何度も感じた、私を狙う魔物たちを思い出した。
「ハーピーって、ランクとしては中の下程度だろ。素材の売値としてはそこそこだろうが、この外見なら――貰い手は山ほど集まりそうだな」
「保護してるっていう、此処のギルドの連中はどうする?」
「ハッ一人っきりにする方が悪い。大体、この町の連中やギルドは、間の抜けた雰囲気だしな」
下卑た笑みを放ち、人間たちは大きくごつごつした手を伸ばしてきた。
それを翼で叩いて逃れようとしたが、肩や服を掴む力は乱暴で、私は無理やり立たされた。
怖い、触らないで、気持ちが悪い。
あいつは違った。あいつの手は、こんなに気持ち悪くなかった。
激しく鳴いて抵抗したが、人間たちは意にも介さず笑っている。
だが、その内の一人が、何かに気付いたように眉を動かした。
「あん? こいつ、首に何かつけてるな。こりゃあ、もしかして……」
首に着けられた輪っかへ、太い指が近付く。
しかし、その指先は、掠める事なく勢いよく遠ざかった。
「――奮発して買った魔道具だ、クソ野郎ども」
その瞬間、目の前に居た人間が宙に浮き、後ろへ投げ飛ばされた。
間を置かず、今度は左右に並ぶ人間たちが押し退けられ、私の身体に纏わり付いた大きな手のひらは剥がれる。
そして、目の間に、大きな背中が割って入った。小さな私はその背中に隠れるような形となったが、今度は、怖くなかった。
覚えのある声と匂いがしたのだ。
「てめえ、いきなり何すんだ」
「そりゃあこっちの台詞だ。あんた方、こんな小さな子どもに何をしようとしてた」
聞いた事がない、低い声だった。激しい威嚇をする、獣の唸り声のよう。
「……余所から来た同業者だな。こんな小さな子どもに、しかもギルドで保護してる子に手を出すなんて、評判を落とすと思わないか」
「チッうるせえよ、この!」
投げ飛ばされた人間が、苛立ちを露わにし腕を振り上げる。握られた拳が、私を庇う人間の顔へ向かったけれど、彼は至極冷静にそれを手のひらで受け止めた。
「……そうかい、いいぞ、やれよ。次は俺も一発やり返すから。すぐに手を上げるような奴は、昔から嫌いなんだ」
ざわり、と人間の雰囲気が変わる。後ろに居る私まで、その冷たさが伝わるほどの。
正面に居る男たちは、微かな動揺を浮かべしばらく声を唸らせたが、舌打ちを残し足早に去って行った。
彼らの姿が完全に人込みへ消えると、張り詰めていた空気がようやく緩んだ。
背を向けている人間は、やがて広い肩を軽く下げ、小さく呼気をこぼす。そして、ゆっくりとした動作で私に向き直ると、地面に膝をついた。
肩が震え、視線が泳ぐ。何を言われるのか、何をされるのか、ぎゅっと肩を竦めて身構えたが――。
「リア、大丈夫か」
想像に反して、優しい声が掛けられた。
弾けたように顔を起こすと、私の目線より少し下で、人間は笑みを浮かべていた。先ほどと何一つ変わらない、ごつごつした表情だった。
人間は、怒らなかった。怒って、いなかった。
それを理解した瞬間、安堵や恐怖といった様々な感情が一斉に湧き起こり、通じる事のない声で何度も目の前の人間を罵倒した。ほぼ八つ当たりの、みっともない幼稚な癇癪だ。しかし、人間はそれでも怒らず、困ったように笑いながら「そんな風に動かしたらまた羽が痛むぞ」と私の翼を気遣う始末だった。
「ごめんな。側に居てやるって言ったのに。悪かった、リアはなんにも悪くない」
ごめんな、と謝罪され、余計に私の感情はささくれ立つ。
怒ればいいだろ。
私は魔物で、ここは人間の住処だ。
ここでは、私という魔物も、きっとお前たちの武器だとか防具だとかになるんだろ。
私だけじゃない。一のお姉様も、三の妹も、四の妹も、女王であるお母様も。名も知らない、たくさんの魔物たちも。
何が助けるだ。羽根をむしって、分けたらいいじゃないか。それがお前たち“人間”なんだろ。
ビャアビャアと鳴き、人間を激しく責める。そうして喚く私の方が、ずっと見苦しくて情けないのに。
私の声が収まるまで、人間は黙って耳を傾けていた。
「……そこの通り、見ちまったか?」
言葉は通じていないはずなのに、人間はそう呟いた。
そこの通りというのは、あの魔物の頭部を掲げた店が並ぶ風景の事を指しているのだろう。
ドキリと肩を揺らす私を見て、そうか、と人間は僅かに頭を振った。
「確かに俺は……人間は、魔物を倒す。倒して、その身体を、剣や防具に変える。人間だけの力じゃ、魔物に立ち向かうのは無理だからな。でも、お前からしたら、残酷な行いには変わらない」
私は、小さく息を吸い込んだ。しかし、人間は、大きな手のひらを肩に乗せると、力強く瞳を合わせた。
「でもだからって、俺はお前をそこに連れて行こうなんて、考えてない。俺だけじゃない、セリーナもダーナも、ギルドに居る皆も同じだ」
肩を掴む指は力強く、背く事は出来ない。しかし、恐怖は感じなかった。本当にそう思っているのだと、彼の目から深く感じ取った。
「お前の羽が治って、この町じゃなくてお前の居場所に戻るまで。俺はお前の事を守る。嘘じゃない、絶対に誓う」
――それでも、もしも、信用出来なくなったら。
人間は、私の片足をそっと持ち上げ。
「俺の首を掻き切って、逃げてくれていい。お前は雛だけど、それくらいの力、本当はあるんだろ」
ためらいなく、指の先の爪を、自身の首筋に押し当てた。
私は無言のまま、人間を見つめる。目の前の男をこんな風にじっと見たのは、町に連れて来られてから幾日が経過しているのに、これが初めてだった。
明るい茶色の、短い髪。真っ直ぐと見つめる瞳も、髪と同じ、明るい茶色。お母様や姉妹たちとは全然違う、ごつごつした顔つきと身体つきは、私たちの種族には居ない雄のもの。だけど、浮かべた笑みは……仕草は違えど、優しかった。
人間は、私の足をゆっくりと地面へ下ろすと、今度は私の服と身体から土埃を払い始める。
「せっかく綺麗にしてもらったのに、汚れたな。まあ俺のせいなんだけど……やべえ、これ絶対、セリーナたちから半殺し確定だ」
土の汚れを一通り払い、人間は立ち上がる。そして、立ち尽くす私の前に、手のひらを差し出した。
「さ、帰ろう。セリーナとダーナが待ってる。リィゴの実を食べような」
私はその手のひらと、人間の顔を見比べる。
人間は、魔物の天敵。
油断してはならない、危険な種族。
でも、この人間がそうじゃない事は――私だって、理解していた。
足を動かし、タカタカと駆け寄る。伸ばされた手のひらを通り過ぎ、人間の――グレンの腰へ頭突きと共にしがみついた。
グレンの身体が、一瞬跳ねるように揺れたけれど、やがて灰色の頭に手のひらが軽く乗せられる。
あの人間たちから掴まれた時は、あんなに気持ちが悪かったのに。
この人間に触れられるのは、不思議なほど――ほっと、心が安らいだ。
ファンタジーでおなじみの、魔物の身体から作られる武器や防具のお店。
魔物を助けようとしておきながら、一方で魔物を商品として扱おうとする、二つの矛盾する行動。
この小説で書きたかったシーンのうちの一つでした。
ちょっと苦い雰囲気になってしまいましたが、ここは絶対に避けて通ったら駄目だと思います。