07
2017.12.30 更新:2/3
「……最後にこれを着けて……はい、完成です」
「あら! リアちゃん、一段と可愛くなったわね!」
セリーナとダーナ、そして冒険者の女性たちに取り囲まれされるがままだった私は、ようやく彼女たちから解放された。
どっと疲れているのは私だけで、女性たちはとても満足そうに微笑み、両手を叩いている。
ギルドの外へ出掛けるこの日、意気込んだのは私ではなく、他の女性たちであった。
灰色の髪を丁寧に梳き、ワンピースと呼ばれる白い服を被せ、そんなにする必要あるかというくらいに熱の籠もった準備をしてくれた。
彼女たちの勢いに押され、途中から鳴きもしなくなった私を、男性たちは何処か諦めたような遠い眼差しで見つめていた。
本来、私たちハーピーに、服というものを身に着ける習慣はないので、胸から腿にかけて布で覆われる感覚はまったく馴染みがない。ヒラヒラして、不思議な気分にしかならないが、腕や足の動きを妨げる事はないようなので大人しくする。
「さすが、美女揃いで名高いハーピー……子どもなのに、とんでもない美少女っぷりね」
「変質者をホイホイ捕まえそうだね……グレン、あんたしっかり見てるんだよ」
「任せろ!」
人間は強く頷いたが、女性たちからは隠せない不安が滲んでいた。
「本当かね……微妙に信頼できないんだよね」
「そうそう、微妙にね」
「微妙、微妙、言うなよ! 大丈夫だって。それに、いざって時の“伝達”の魔道具があるわけだしな」
人間は、自らの太い手首にはめた腕輪と、私のチョーカーを示した。
「気を付けて下さいね」
「分かってる。さあて、リア、行くぞ」
人間はギルドの扉を開き、私を呼んだ。少し距離を保ちつつ、彼の後ろへ近付く。
『……気を付けろよ、雛鳥』
『……余計な場所には、行かない方がいい』
不意に言葉を掛けたのは、人間たちではない。
冒険者の手伝いをしている、魔物たちであった。
心配してくれているのだと思い、私は頷いたが――その言葉は、同じ魔物であるからこその“忠告”であったのだと、私は気付くはずもなかった。
◆◇◆
ギルドの外へ一歩踏み出しただけで、世界が変わったようだった。
人間や魔物など、種族の区別なく行き交う人波。そこかしこから感じられる、様々な音と匂い。目の前に整然と並ぶ、自然の力ではなく、人の手によって作られた道や建物――。
この場所に初めて連れて来られた時に思った事を、私は今一度、改めて感じた。
(心臓がドキドキして、落ち着かない)
周囲を見渡していると、不意に、人間の大きな手が私の肩を掴んだ。
「危ないぞ、ちょっと下がりな」
そう告げた少し後、私の目の前を、馬の魔物が通り過ぎていった。荷物を載せた四角い箱が、ガラガラと大きな音を立て、その後ろについて行く。
『おっと、鳥のお嬢ちゃん。気を付けてくれよ』
去り際、馬の魔物がいななきながら低い声で言った。ごめんなさいと謝りながら、その大きな後ろ姿を見送る。
「あれは荷馬車っていうんだ。ああいうのも通るから、気を付けないとな」
「ルウ……」
先頭に居た馬の魔物も大きいのに、その後ろに続いた四角い箱はもっと大きかった。
もしもぶつかったら、灰色の小さい私なんてひとたまりもない。
別に、怖くなんかない。怖くなんかないのだ。しかし……慣れるまでは、こいつの隣に並んでいよう。
不本意ではあるが、仕方なく、人間の側へ歩み寄る。私よりもずっと大きな人間は、頭上で小さく笑うと「さあこっちだ」と歩き始めた。
少し歩くと、目の前の風景が、雰囲気を変えた。
行き交う人間たちは多いのだが、道の左右に、食べ物を並べたり、何らかの道具だろう不思議な物品を並べている建物が並び始める。道行く人間たちは、おもむろに眺めたり、手に取ってみたりとしている。
「色んな店があるだろ、町の目抜き通りだからな」
「ルウ?」
「あー店っつーのは、食べ物や服とか雑貨とか、色んなのを売ってる場所の事だ。ほら、例えばそこの店」
人間が近付いていったのは、緑の匂いをもの凄く放つ建物だった。入り口には様々な種類の草花が置かれ、覗き見た建物の内部も同じように埋め尽くされている。
「ここは薬草とか、見て楽しむ花を売ってる。まあ、俺も花なんて全然詳しくないけどな……あ、でも、あれ。あれは知ってるぞ」
「ルゥ?」
「月光花の花輪だ。夜にしか咲かねえのに、魔法とか使って留めてんのかな」
人間が指を差した方向に、視線を移す。小さな白い花弁を咲かせる花の輪っかが、柱に掛けられていた。
「綺麗だろ。お前を見つけた時、あの花の上で倒れてたんだ。だから、花の名前のセルネリアから一部抜き取って、リア」
花の名前。花にまで名前を付けているのか、人間は。
しかも、こんなに綺麗な白い花から、私の呼び名をなんて。
(私は、灰色の羽根が抜けない、出来損ない。雛じゃないのに雛のままの、中途半端な存在なのに)
不釣り合いな白い輝きに、痛みが無い方の翼を伸ばす。すると、人間は慌てた風に声を漏らし、私を抱えた。
「リア、これは売り物だ。むしったりするなよ」
これ見よがしに置いてるのに、触ったらいけないものか。新しい奇妙な掟と遭遇し、私は溜め息をつく。
ふと、脇を持ち上げられている事を思い出し、人間を蹴りつけ慌ててその手から抜け出した。
「いってえ! おま、本当、俺に対してだけ酷いな……ん? どうした」
「ルッル! ルー!」
果物がいっぱい並ぶ建物を見つけ、私は脇目も振らずに駆け寄った。
だが、飛びつこうとした直前で、私の身体は静かに押さえられる。
「はいそこまで。勝手に持って行こうとするなよ」
「ルッ?!」
「さっき話しただろ。これは売り物だ。勝手に持って行ったら泥棒になる」
こ、こんなにいっぱいあるのに?!
ショックを受け固まっていると、目の前に人間の女性がやって来た。
「いらっしゃい。気になるものでもあったかい? お嬢ちゃん」
視線を合わせてきたその女性は、ふっくらとした身体付きをしており、朗らかな明るい笑みを浮かべていた。セリーナやこの人間の雄よりも、ずっと年上の女性のようだ。
「悪い、おばさん。店先で騒いで」
「なんだいグレンかい。構わないよ、賑やかでなんぼさ」
顔見知りであったらしく、私を間に挟み、二人は笑い合った。
「可愛い連れじゃないか。魔物の子どもかい?」
「ああ、ハーピーの雛だ。今、ギルドで保護中なんだ」
「へえ。って事は、その子が噂の、ギルドにやって来たっていう魔物の子どもなんだね」
「知ってるのか」
人間が驚いたように目を丸くすると、女性は快活に笑い飛ばす。
「商人の情報網を舐めちゃいけないよ。あんたが毎日、果物を買ってく相手でもあるんだろ?」
「はは……まあ」
「今日も、何か買っていくかい?」
「そうだな……せっかくだし、午後のおやつにでも。リア、どれが食べたい?」
え、いいの? 私がパッと見上げると、人間は「好きなのを選びな」と頷いた。
このたくさんの果物の中から、好きなものを。
どれも美味しそうで目移りするが、迷った末に、真っ赤な丸い果物を灰色の翼で示す。今まで食べた中で、一番好きな味はこれだった。
「リィゴの実か、よっぽど好きなんだな。おばさん、これを二つ頼むよ」
女性は頷くと、紙袋を取り出し、その中に真ん丸の果物を入れてゆく。人間はそれを受け取ると、今度は女性へ何かを差し出した。
「これは銅貨っていうお金で、人間はこれを出して店で買うんだ」
「ルウウ」
つまり、そのお金というものと交換するのか。皆で平等に分け合うのではないらしい。
「いつもたくさん買っていってくれるしね。一つおまけしといたよ」
「ありがとう。リア、おばさんがおまけしてくれて、たくさん貰えたぞ。良かったな」
「ルゥルゥ!」
ありがとう、と礼をすると、女性は満面の笑みを浮かべた。セリーナやダーナ、そしてお母様とは違うけれど、温かい仕草だった。
「あらまあ、可愛いじゃないか。またおいで、可愛い灰色のお嬢ちゃん」
女性に見送られ、私と人間は再び人が行き交う道へ戻った。
好きな果物がもらえるなんて思わなかったから、とても気分が良い。楽しい時に仲間たちで奏でた歌を、自然と口ずさんだ。
「そんなに好きなんだな、それ。しっかし、綺麗な花より美味い食い物か……けっこう食い意地が張ってんだな」
吹き出すように笑った人間の足は、軽く蹴っておいた。
一通り散策した後、人間たちの憩いの場だという広場に辿り着いた。
ギルドの中庭にもある、大きな噴水の傍らに腰を下ろし、ほっと息を吐き出す。
「ちょっと歩きすぎたな、少し休憩しよう」
人間は少し距離を作り、私の隣に座った。
「どうだった、人間の町は。初めて見るものばかりだろうけど、そんなに悪くないだろ?」
人間の問いかけに、私は何も返さなかった。しかし、その反応に気を悪くした様子もなく、人間は楽しそうに笑っている。
その時、何か見つけたようで、不意に腰を上げた。
「飲み物の屋台が来てるな。何か買ってくるから、少しだけ待っててな」
すぐに帰るから座ってるんだぞ、と言い聞かせるように告げ、人間は屋台にまで歩いていった。
私は、口を閉ざしたまま、視線を下げる。
言っても良いのか、分からなかった。人間の町も面白いね、なんて、魔物である私が口にしても良いのか、分からなかった。
重く圧し掛かるものを払うように、空を仰ぎ見る。高く、遠い空を飛ぶ鳥の影が、青色を背にして浮かんでいた。
住処を離れ、小さな翼を痛め、いよいよ食べられるしか価値のない、灰色の雛。
何故、此処に居るのだろう。
私は、此処に居ても、良いのだろうか――。
急に、心細さが押し寄せる。仲間と離れる事は、旅立つ時に自身で受け入れているたのだ。今さらそれを言うのは、甘えである。そう、思うのに――お母様とお姉様、妹たちの姿が、どうしても脳裏に過ぎった。
やがて、羨望に似た思いでじっと見つめていた鳥が、頭上から遠ざかっていった。
その影を追いかけようと、噴水の縁から立ち上がり駆け出していたのは、本当に無意識の内の事で。
座って待ってろよ――鳥の姿を見失うと共に我に返り、言葉を思い出した時には、もう遅かった。
上ばかり見て進んでいた私は、まったく知らない風景の中に立っていた事に、はたと気付いた。
左右に並ぶ建物の形や色合いなどは、先ほど歩いた通りと似ているような気がするが……何故だろう、何かおかしい。人間たちが暮らす、町という巣の中である事には変わらないのに、何故だか無性に胸騒ぎがした。
灰色の羽毛を撫でる乾いた空気は、ひりつくような緊張を帯び。
土埃のざらつきと共に、嫌な匂いが、鼻腔を掠める。
とても、嫌な予感がした。
自らの身体を抱きしめるように、小さな灰色の翼を胸の前でぎゅっと合わせる。進む事も退く事も出来ず、その場で硬直していると――大きな影が、頭上に覆い被さった。
あの人間かと思い、面を上げる。しかしそこにあったのは、見覚えのない男たちの顔だった。
「おい、お嬢ちゃん。大丈夫か。こんなところに一人でどうしたんだい」
「何処か具合でも悪い……ん? あれ、この子、腕が翼に」
びく、と大きく肩が震える。
凍り付いていた足が、弾けたように地面を蹴る。飛び退くように彼らと距離を取り、慌てて走り出した。
いくつもの低い声が掛けられたが、立ち止まり振り返る勇気などあるわけがない。
(早く、早く、あの人間のところに……!)
どうにかこの場を離れようと懸命に駆けたが、魔物の私には簡単な事ではなかった。逃げようとすればするほど、望んでいないのにさらに深くへと踏み込んでしまう。そもそもハーピーの足は、大地を走る為ではなく、枝や獲物を掴む為にある。こんな足で、長い時間を走れるわけがなかった。あっという間に息は上がり、もつれた両足がついに動く事を止める。
――その時、すぐ真横にあった建物へ、視線が動く。
見なければいいのに、すぐに戻せばいいのに、動いてしまった。
そして、建物の入り口に、誇らしげに“掲げられたもの”へ、視線が定まってしまった。
――努々、油断してはならないよ
――余計な場所には、行かない方がいい
私は、ようやく理解した。
偉大な女王である母が、ギルドに居た魔物が、私へ告げた言葉の、本当の意味を。
入り口に掲げられていたもの。それは、立派な頭部だった。
湾曲した大きな角が生え、光を反射させる鱗がびっしりと覆う、厳めしく勇壮な大トカゲの頭部。
胴体を無くしてもなお、その双眸は虚空を睨み付けている。未だそこに、命があるようだった。
茫然とし辺りを見渡せば、鋭い爪や立派な角、毛皮などを整然と並べる建物が他にもあった。
彼らが何と呼ばれる一族かは知らない。だが、暮らす土地や種は違えども、彼らは同胞。私と同じ、魔物たちだ。
愕然とすると同時に、此処が“どのような場所”なのか、正しく悟った。
此処は、私たち――魔物の身体を削り、切り分け、加工する場所だ。