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2017.12.12 更新:1/1
ルウ、ルウ、と歌いながら上機嫌に果物を食べていた少女は、気付いたら机に突っ伏し、そのまま寝てしまった。
腹を満たしたら眠くなったのだろう。その行動は、人間の子どもと何ら変わらない。グレンの顔に、つい笑みが浮かぶ。
同業者の女性たちが、おもむろに少女を抱き起こし、果汁が飛び散りべたべたになった身体を綺麗に拭う。その後、少女はひとまずギルドの中庭に佇む樹木の根元へ寝かせられた。人間が使うベッドより自然の側の方が良いだろうというのが、樹木の主である精霊の言葉だ。
移動させるその間、少女は目覚める事はなく、身動ぎの一つもしなかった。気が張って疲れていたのか。昨晩のあのボロボロな状態を思えば、当然かもしれない。
そして、少女を中庭に寝かせた後――少女を連れてきたグレンを中心にし、居合わせた冒険者やギルド職員などが肩を寄せ集まった。
普段は喧騒が満ちて賑やかなギルド内部に、微かな緊張を帯びた空気が流れる。その原因が分かっているから、グレンは椅子へ腰掛けると同時に、頭を下げた。
「すみません。色々と、考えなしでした」
額をぶつける勢いで、平謝りする。
その途端、周囲からは苦笑いと溜め息がどっと溢れた。静けさに包まれた建物の空気が、微かに緩んだ。
「まったく、本当だぜ。お前って奴は、毎回変なところで慌ててやらかすけどよ」
「今回のは一番驚かされたな」
冒険者たちは顔を見合わせ「それな」と冗談交じりに笑った。
豊かな自然に囲まれている環境のためか、この町のギルドと、そこを拠点とする冒険者たちは、わりと穏やかな気質のものが多い。
そういう雰囲気の場所であった事を、改めてグレンは感謝する。他所であったら、非難が轟々と飛び交っていただろう。実際、文句の言えない事をしたのだから。
「本当、悪かったよ」
「連れてこられたのは、もう仕方ありません。さ、あの子が眠ってくれているうちに、経緯などを話して下さいますね?」
本と羊皮紙を携えたセリーナが、目の前に腰掛けた。グレンは大きく頷き、ちらりと中庭へ視線を向けた。
木漏れ日の下で身体を丸める小さな少女は、あどけない面持ちで眠っている。その顔だけ見れば、可愛らしい少女だと思うのだが、彼女は人間ではない。
十歳程度のその小柄な少女は、全てを灰色で包んでいた。首筋を覆う程度に伸びた柔らかい頭髪も、本来なら耳がある場所に伸びている数枚の羽根も、細く頼りない鳥の両足も、両腕から伸びた小さな翼も――彼女が持つ何もかもは、灰色で彩られていた。
しかし、地味でくすんだ色彩に反し、透き通るように色白な肌と幼いながらに整ったかんばせは、非常に目を引く可愛らしさを宿していて。
魔性の種族ゆえの、持って生まれた人ならざる美しさか。
鳥の翼と下半身を持つ少女は、空から飛来し地上へ襲いかかる鳥の魔物――ハーピーの雛だった。
ハーピー。
地域によっては、ハーピィ、ハルピュイア等と呼ばれる、鳥の魔物だ。
美女の頭と上半身を持ち、羽毛に覆われた下半身は鳥のもの。そして、両腕の代わりに翼が生えた姿をし、女性しかいない魔物でも知られている。
羽根の色に統一性はなく、鮮やかな赤色から深い鴉色まで、様々な姿が確認されている。非常に美しい外見をしているが、その実、気性は荒く攻撃的。そこそこの知恵もあり、美しさに騙されるとあっという間に負ける典型であった。
単体の強さの等級としては、中の下といったところ。しかし、彼女たちは単独ではなく複数で行動し、また空からの強襲を得意としている。場所と状況によっては、上位種並みの苦戦を強いられるので、初心者や中堅の冒険者が注意すべき魔物の一つだと言われてきた。
(ちなみに、似たような存在で、海に生息するセイレーンなどがいる。彼女たちは歌声によって惑わすが、ハーピーはそういった特殊な技は持たず、主に物理技が得意)
……が、お腹いっぱいになり中庭で眠る灰色のハーピーは、とても害になる存在には見えない。そこらで遊ぶ子どもの行動と、ほぼ同じなのだ。ハーピーと戦った事がある者ほど、その困惑は大きかった。
(いや、俺も驚いてるし)
冒険者を生業としてからそれなりの経験をグレンも積んできたが、こんな風に驚かされる日がくるとは思っていなかった。
魔物という存在自体が、そもそも未だ解明されていない部分が多いのだが……。
「特にハーピーという魔物は、生息域などの関係で生態解明の進んでいない魔物ですから」
セリーナは、鈍器になりそうなほど分厚い魔物図鑑を開いた。ハーピーの項目を眺めているが、記されている事は冒険者たちも知っている範疇でしかなかったのだろう、表情はそれほどかんばしくない。
「それでグレンさん、一体、何処であのハーピーを?」
「町の外にある平原だ。北の方の……ほら、あのでかい森がある辺り。少し近いところで、倒れてたんだ」
全身が薄汚れた傷だらけの状態で、群生した月光花"セルネリア"――明るい月夜にのみ蕾を咲かせる美しい白花――の上で蹲っていた。森を抜けてきた風だったとグレンは認識しているが、それを聞いたセリーナは不思議そうに首を傾げている。
「北の森林ですか……あそこは、確かに魔物たちが多く暮らす場所ですが、ハーピーが生息しているだなんて聞いた事はありません。そもそも、ハーピーをこの一帯で見かけるなんて無かった事ですし」
ハーピーの生息地は、主に切り立った崖の上、険しい峡谷、山岳の頂上付近であるとされている。おいそれと人間や他の魔物が入り込めない場所に巣を作るのではないかとされ、だからこそ未だ謎の多い魔物でもあった。
涼しげな形をしたセリーナの瞳に、困惑が浮かぶ。すると、緑の精霊のダーナが宙を泳ぎ、セリーナの側へ近づいた。
「私もハーピーの種族にはそんなに明るくないけれど、あの子、森の向こうから来たんじゃないかしら」
「森の向こう……というと、あの大きな山脈か?」
平原の北に深く広がった森林。その向こうには、辛うじてだがうっすらと山脈が見える。
まさかあんなに遠い場所からやって来たのかと、グレンは瞠目する。
「いや、有り得るんじゃねえか。ここいらで見ねえなら、どっか余所から流れてきたって考える方が自然だ」
「ああ。それに、ずいぶん傷ついて、お腹も空かせていた。親を亡くしたか、何か理由があって仲間から見捨てられたか……」
周囲の冒険者たちは神妙に頷いている。それを受けながら、セリーナは羽根ペンを紙面に走らせた。
「正確には分からないので、ひとまずはそれとしておきましょう。それで、グレンさん」
「なんだ」
「あの子はこれから、どうするのですか」
セリーナの瞳が、樹木の根元で丸くなる灰色の少女を見つめる。
自然と、グレンは背筋を伸ばした。
「俺は……手当てをしたかっただけだから」
魔物とはいえ、ボロボロになっていた幼い子どもをそのまま見捨てる事は出来なかった。それだけだ。あんなに小さな子どもを捕らえ、どうこうしたいわけではない。
「まったく、そんなだからお前は中級から上にいかねえんだよ。甘いよなあ、お前は」
「実力だけは上級なのになあ、本当に残念だよ」
「それがグレンの悪いところだな。良いところでもあるけど」
「孤児院の子どもたちを思い出すんだよー! 悪かったな馬鹿野郎ー!」
ちくしょう、どうせ俺は、万年中級だよ!
いいじゃんか、そういう冒険者が一人くらい居たって!
机に突っ伏すと、周囲から笑い声がこぼれる。目の前のセリーナも、冷ややかに見られがちな表情を緩め、クスクスと微笑んでいた。
「グレンさんを窘めるつもりで聞いたわけではないですよ。ただ、あの子は酷く翼を痛めているので、治るまでしばらく時間が必要でしょう? どうなさるのかと。魔物との契約なども、視野に入れていますか?」
「いや、契約はしねえよ」
グレンは即座に、首を横へ振った。
魔物との契約――すなわち、主従関係を結ぶ事。
確かに、魔物を人間の側に置くためにはもっとも最適な手段であるが……その代わり、一度結んだ契約は破棄する事が出来ず、主が没するまで生涯適用される。
つまりその間、魔物は人間に縛られるという事だ。
傷の手当てのために手を出したのだから、傷が癒え元気に飛べるようになれば、自然へ帰す。グレンは、初めからそう考えていた。
(向こうも、人間の町に戸惑ってるみたいだし。俺の事、蹴ってくるしな)
ダーナやセリーナ……というか、女性たちに対しては比較的気を緩めている。ハーピーが女だけの種族だからだろうか。グレンなど蹴られた上に威嚇までされている。むしろそれしか受けていない。
食べ物には飛びつくが……懐かれる事は、きっとない。自然へ帰す方が良いに決まっている。あの灰色の雛にとっても。
「だから、傷が治るまでは、俺が面倒を見る。魔物だけど、小さい子どもの扱いには昔っから慣れてるしな」
どんと胸を叩いたが、周囲から「お前だけじゃ無理!」と返されてしまった。特に、女性陣からの反発が凄まじい。まるで変質者を見るような目つきをしている。
「あんな可愛い女の子を、アンタだけに任せてられるか」
「大体、何処で面倒見るのよ。アンタの下宿先? 男子と同じ扱いなんかしたら、私らがぶっ飛ばすわよ」
「あんなに可愛いんだもの。お風呂に入れて、綺麗にして、おめかしさせたい」
……いや、最後の言葉が、本心に違いない。
ハーピーの雛を可愛がりたいという心が透けて見えたが、なんにせよ女性陣が協力してくれるというのはとても心強い事だ。
「……まあ、手を出しちまったのは仕方ない。傷が治るまで面倒見てやんな」
「ハーピーの雛なんて、まあ、珍しいしな」
男性陣も、渋々といった口調ではあったが、ハーピーの雛を受け入れてくれるようだった。しかし、グレンは分かっている。いかにも仕方なさそうに装っているが、実は結構、乗り気なのだという事を。
「あら、嬉しいわ。あの子の事、とっても気になってたのよね」
「……古くから力を貸してくれるダーナさんが許すのならば、ギルドに拒む理由はないという上の言葉ですし、まあ、こうなったら私も追い出したりしませんよ」
緑の精霊であるダーナは寛容であったが、セリーナが満更ではない面持ちを浮かべた事には驚いてしまう。
「セリーナ、さっきまでけっこう否定的だったじゃないか。なんでだ」
思わずグレンが尋ねると、セリーナは細い肩をぎくりと揺らし「い、いえ、別に。ただ、上の決定ですので」と、いかにも手引き書にありそうな台詞を口早に放った。
しかし、その隣で、ダーナはおっとりとした微笑みを深め。
「この子、ハーピーの雛が可愛いのよ。さっき背中に隠れられて、こう、キュッときたらしいわよ」
「ち、ちが、違います! わ、わ、私はただギルドの職員として……」
「それに可愛いものが大好きなんでしょう? ぬいぐるみ屋さんとかよく行ってるそうじゃない。一人っ子で、妹が出来たみたいな気分になったのよね」
「ヒッ! ダーナさん、何故それをここで……!」
常に冷静沈着、何にも動じず、凜とした真面目なギルド職員。
そう思っていたセリーナの印象が、少しだけ、柔らかく緩んだ。グレンだけでなく、他の冒険者たちもそうに違いない。少なくとも顔を真っ赤にし慌てふためく様子は、年相応の娘そのものだ。
グレンは彼らに、深く感謝を抱いた。
雛鳥とはいえ、契約をしない、野生の魔物だ。他の場所であったらもっと揉める案件なのに、こうも朗らかに受け入れてくれるとは。
「助かる。本当」
グレンは椅子から立ち上がり、額をテーブルに押しつけ礼をした。
◆◇◆
「そういえば、名前はどうするのかしら」
「名前、ですか?」
「だって、あの子とか、その子とか、ハーピーの雛とか、つまらないわ。そんな呼び方」
ダーナとセリーナの会話を背面に聞きながら、グレンは樹木の側にしゃがみ込む。柔らかい木漏れ日を受ける、灰色の翼を持つ少女を、じっと見下ろした。
(そういえば、こいつ、月光花の上に倒れてたな)
日中は誰の目にも留まらず雑草の中に紛れているが、明るい月夜になると夜空に向かって花弁を開かせ、一際の存在を放つ花。月光を浴び、純白の花弁を淡く輝かせる事で知られている。
花の名前は、確かセルネリアだった。なら、その一部を抜き取って……。
「リアってどうだ」
「リア、ですか……。ええ、可愛らしい、素敵な名前ですね」
頷いたセリーナの後ろで、他の冒険者たちも「悪くはないな」「お前が考えたにしちゃロマンチックな名前だな」と笑っている。
――すると、眠っていた灰色の少女が身動ぎ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
長い睫毛で縁取られた、大きな瞳。ぼんやりとグレンを見上げるその瞳も灰色に染まっていたが、木漏れ日の下にあるためか、銀色に輝いていた。
「これからはお前のこと、リアって呼ぶからな」
「ルウ……?」
翼を持つ少女は、ふわふわの灰色の髪を揺らし、小首を傾げる。
空からの強襲を得意とする、翼を持つ魔物――ハーピー。魅惑的な美貌に反し、獰猛な本性を持つという妖鳥の雛は、幼いながら既にその姿と顔立ちに魔物という生き物の本質を宿している。
人間と魔物。いつの時代からか定かでないが、二つの生き物は同じ大地の上で生きてきた。手を取り合い協力する事もあるが、多くは激しい闘争を繰り広げる宿敵同士だ。
そして、ハーピーという魔物は間違いなく、後者の存在。
どれほど美しい鳥だろうと、血肉を啜る、捕食者の地位にいる生き物だ。
一抹の不安がないといえば、嘘になる。
しかし、人間がそう思うように、このハーピーもそう思っているに違いない。人間は信用出来るのか、それとも否か、と。
「翼が治るまでだ。それまでは、俺がちゃんと面倒を見るからな!」
傷が治るまでのその間、信用に足る存在であると、この少女に知ってもらいたい。
怪訝な表情をする灰色の少女――リアに両腕を伸ばし、その華奢な身体を高く持ち上げる。町の子どもたちへするように、高い高いとリアを上下に揺らした。
しかし次の瞬間、グレンの顔面には、鳥の足が容赦なくめり込んだ。