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2017.12.11 更新:1/1
ひとしきり泣いて、心の澱を全て出し尽くした後。
私は、美しい精霊に導かれ、ギルドの中庭へと移動した。たくさんの人間の匂いでひしめき合った場所とは違い、そこには柔らかい芝生が広がり、陽の光が注いでいた。その中央には、豊かな葉を茂らせた立派な樹木が佇んでいる。見てくれは、何の変哲もない樹木だが、そこからは精霊と同じ不思議な清らかさを感じる。
ギルドに踏み入れた時に感じた清々しい緑の香りは、この樹木から漂っていたようだ。
「ここはね、普段、私が過ごしているところなの」
ギルドにやってくる人間たちの憩いの場ではあるけど、汚したり荒らしたりする行為は禁じていると、精霊は言った。
「さて、落ち着いたところで、改めて自己紹介をしましょうか」
樹木の根元に腰を下ろしたところで、彼女はそう切り出した。
緩やかな波を刻む、背中を覆うほどに長い茶色の髪を持ち、たおやかな肢体を深緑色の衣装で包んだ精霊は、ダーナと名乗った。
慈愛と豊穣を司る、緑の精霊らしい。
人間と共生関係を築き、ギルドというこの場所で過ごしているそうだ。
自然界の力を受け、変質、あるいは進化をした魔物とは違い、精霊は自然界そのものが意思を持って形になった存在だと、お母様は言っていた。だから、精霊たちの暮らしや価値観は、魔物にも人間にも理解しがたい一面もあるそうだが……このダーナという精霊は、かなり珍しい考えを持った精霊らしい。人間に進んで、その力と恩恵を授けているという事なのだから。
「手助けはするけど、従っているわけではないの。だから、嫌な事ははっきりと物申すし、利害の一致があれば力を貸す。そうやって、私はここで過ごしているの。けっこう面白いのよ、人間の暮らしを見るのは」
たおやかな外見の通りに、この精霊は懐が大きく、寛容な気質らしい。
そう言えば、彼女は魔物である私にも、とても優しく接してくれる。
不思議な精霊だと感じたが、嫌いではない。むしろ、好ましく思う。
「さ、次は、貴女を連れてきたこの人間ね」
精霊がちらりと視線を流すと、側にいた人間の雄が、少しだけ距離を詰める。
私をこんなところにまで連れてきた張本人だ。
「グレンっていうんだ。泣かせて、悪かったな。そういうつもりじゃなかったんだけど……」
言いながら、人間は精霊を見つめる。
「なあ、これ、本当に伝わってるのか?」
「まあ、失礼ね。この子の様子を見れば、喋れなくても言葉は理解しているってすぐに分かるわ。とっても賢い子じゃない」
「ルルッ!」
当然だ。私のお母様は、群れを統べる、偉大な女王。二番目の娘として、言葉をたくさん教わったのだ。
誇らしくなって胸を張ったが、グレンと呼ばれる人間は、なんとも言えない面持ちを浮かべている。私が言葉を理解していると、あまり信じていないのだろう。むかついたから、自由な足を動かし、ゲシゲシと蹴りつけてやった。
「いって! 何で俺だけ蹴るんだよ、俺の扱いが酷くないか?!」
「うふふ、もしかしたら、敵のように思ってるのかもしれないわね。訳が分からないうちにここへ連れて来られたんだから」
「まじかよ……ボロボロだったから捨て置けなかっただけだってのに……」
人間は、がっくしと肩を落とし落胆する。少しだけ、胸がスッとした。ふんっと鼻を鳴らす私に、精霊は楽しそうに微笑む。
「……あ、あの、ダーナさん、グレンさん」
中庭の隅から、おずおずと人間の雌が近付いてくる。綺麗に切り揃えた金色の髪を持つその人間は、先ほど押し問答を繰り返した相手だ。
「ギルド長などにも、確認を取ってきました。古くから力を貸してくれる精霊が認めた魔物ならば、ひとまず間違いは無い。なので、治療も受け入れる、との事です」
不意に、金色の人間と視線がぶつかる。しかし、彼女は気まずそうに眉を下げ、視線を外し俯いてしまった。
「あの子は、ここで働いている女の子よ。セリーナちゃんって言うの。少し怖く見えるかもしれないけれど、真面目で勉強家な良い子よ」
私の耳元で、精霊が教えてくれた。
「あ、あの、グレンさん、すみませんでした。勉強不足で、その、失礼なことを……」
「いや、俺も色々急ぎすぎて手順を間違えたし、別に良いって。でも、それはこいつに言ってやってくれないか」
「あ、そ、そうですね」
意を決したように、彼女はおずおずと私の前に佇み、視線を合わせてくる。そして、ゆっくりと、背中を折り曲げた。
「すみませんでした、ハーピーさん」
「ルルッ!」
彼女は謝ってくれたが、私は怒ってなんていない。先ほどはみっともなく泣いてしまったが、そもそも、ここは人間たちの住処だ。人間が、人間の住む場所を守ろうとするのは、当然の行動だろう。
それに……彼女を見ていると、懐かしい気分になる。
凜として勇ましかった一の姉様を思い出すのだ。
近くで見てみたい気分になり、よろめきながら立ち上がると、彼女の正面へ歩み寄る。見上げた瞳の色は、鮮やかな空の色を宿していた。
彼女はひどく驚き、困惑を露わにしたけれど、やがてぎこちなく口元に笑みを乗せた。
やっぱり、一の姉様みたいな仕草。
私は嬉しくなって、ニコニコと笑った。
すると、その瞬間、こちらを窺っていた人間たちが、一斉に駆け寄ってきた。突然詰め寄られた事に驚き、慌ててセリーナの背中に隠れる。
「さっきはごめんね、もう怖がらせたりしないよ」
「ほら、武器も、あっちに置いてきたんだ。これなら、怖くないだろう?」
人間たちは一様に、身振り手振りで敵意はないと訴えてくる。不安感が全て消えたわけではないが……傷付けようとする意思は確かに見えなかったので、私は背中からそっと覗いた。
「きゃあ、可愛い! セリーナちゃんの背中に貼り付いてる!」
「ちょっと、セリーナったら緊張してるの? 顔が険しいわよ!」
「さすが、美女揃いと言われるハーピーね。子どもだけど、すんごい美少女だわ」
一斉に喋られ、会話のほとんどが理解出来なかったけれど、その賑やかさが少しだけ群れを思い出した。
仲間たちも、こんな風に笑い声を響かせていたっけ。
強張っていた心が、少しだけ緩んだ。
「なあ、俺の事、忘れてないか?! 俺、連れてきたの、俺、なんだけど……! なあ!」
遠くで聞こえる低い声については、聞こえない事にした。
◆◇◆
その後、人間たちは私の翼の具合を診た。
翼の色んなところを触られ、鼻を突き抜ける臭いのする何かをかけられ、やっぱり私は複雑な気分にしかならなかった。
「こら、構っちゃ駄目よ。貴女のためなんだから」
「ルウ……」
緑の精霊に窘められぐっと我慢したが、気になるものは気になる。
この変な臭いのするものが、私のためになるなんて、変な話だ。
「先生、こいつの翼は大丈夫なんですか」
「ええ、骨は折れていないので、酷使した事による炎症でしょうな。ただ、腫れが酷い。滋養のあるものをしっかり食べ、身体を癒やす事が重要です。ハーピーの雛は私も初めて見ましたが……翼は出来るだけ、使わせない方が良いでしょう」
その人間は“せんせい”と呼ばれていた。具合の悪い魔物を治す事が得意な、人間らしい。
そしてこれから定期的に“せんせい”に会い、翼を診てもらうのだと、私の意思とは無関係に決定した。
傷の手当てなんて頼んでいないのに、どうしてこの人間たちは、そんな風に構おうとするのだろう。私には、その行動の意味が、まったく分からなかった。
"せんせい"が居なくなると、今度は“いす”というものに乗せられた。何をされるのかと思っていると――目の前に、なんとたくさんの果物が並べられた。
色とりどりの鮮やかな実はどれも初めて見るものばかりであったが、様々な甘い香りを漂わせ、瑞々しく輝いている。
すごく、美味しそう。
目を見開いて、釘付けになってしまう。
「店から色々と買い集めてきた。どれでも好きなのを食いな。腹、減ってんだろ?」
私を連れてきた人間は、ニカッと笑った。
人間の住処に連れてこられたせいで気が動転し、すっかり忘れていたが……そういえば、これまでほとんど飲まず食わずであった。
それを思い出した途端、空っぽのお腹がギュルギュルと鳴り響き、空腹を訴える。毒が入っているかもしれない、なんて疑う余裕もなく、私は果物にかぶりついた。
「! ルッル! ルゥゥウウ!」
お、おいしい! 食べた事のない味だけど、どれもおいしい!
果物の汁で身体中がベタベタになるのも構わず、夢中になって食べ進める。なにせ久しぶりの食事なのだ。嬉しくて、美味しくて、翼と尾羽がばたばたと跳ねてしまう。
「あはは、すごい勢い。よっぽどお腹がすいてたのね」
「でも果物が好きだなんて、聞いた事ねえよ。ハーピーは生肉が好きなんじゃなかったのか?」
「さあ、俺は学者じゃないから分からないけど……食ってくれて良かったよ」
うまいか、と人間が笑いながら尋ねてくる。
魔物の私を心配し、怪我を治そうとし、食べ物まで持ってくる。その人間の雄の行動は、さっぱり意図が掴めず、何を求めているのかも分からない。
分からないけれど、私は「ルウ」と小さく答え、果物をかじった。