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灰色のハーピー  作者: 白銀トオル
番外編
32/33

おとぎ話の始まり(9)

2019.03.25 更新:1/2


お待たせしました、続きになります。

今回の更新で、番外編【おとぎ話の始まり】は終わりになります。

 瞼を押し上げた時、薄らと白んだ空と水辺の風景が広がった。

 まだ夜が明けきらない、明朝のようだ。

 両隣へ顔を向けると、スヤスヤと眠る姉様や妹たちがいて、彼女たちの色とりどりな羽根に埋没し気持ちよさそうに眠るセリーナがいる。


 自然と頬が緩んだけれど――これも、今日までだ。

 ふわふわして、ぬくぬくして、でもずっとこの心地好さの中にはいられない。

 もう一度、お別れをしなければならないのだ。


 そう考えたら、何だか急に目が冴えてしまった。セリーナたちを起こさないよう、慎重に折り重なった羽の下から抜け出し、目元を擦りながら辺りを窺う。

 他の冒険者も、まだ眠っている。グレンは……少し遠くで、外套に包まって目を閉じていた。一晩、見張りの番をしていた冒険者は、ウトウトと目を細め、頭を上下に揺らしている。


 まだ薄暗いし……声は掛けない方が良いよね。


 音をこぼさないよう欠伸をした、その時――何処からか、歌声が聞こえた。

 すぐ側を流れる水の音に掻き消されてしまいそうな、そよ風よりも柔らかく、儚い歌声。

 聞き覚えのあるその調べに、私は物音を立てないよう野営地を離れ、静かに空へ飛び立った。





 夜明けを待つ故郷の森は、空と同じ仄青い美しい色に染まっていた。薄く漂う霧を片隅に見ながら、歌声を辿ってゆけば、その先には果たしてあの人がいた。


「――お母様」


 夜明けを待つように、樹木の天辺にとまるその姿は。

 女王の威風ではなく、母の温かさでもなく、なんだろう……哀愁を帯びていて。

 それは初めて見る、お母様の横顔だった。


 お母様は私に気付くと、視線を下げ微笑んだ。そこにはもう、私のよく知るお母様の顔だけがあった。


「ああ、二の娘か。起きたのか」

「うん。お母様のお歌が聞こえてきて。あの、側に行っても良い?」


 窺いながら尋ねると、お母様は言葉の代わりに、片側の翼を広げた。私はぱっと表情を明るく咲かせ、すぐさま飛び上がり、お母様に寄り添う。

 広げられた大きな翼が、ゆっくりと閉じる。赤い翼に包まれると、群れで暮らしていた記憶が蘇る。こうして翼に守られ、お母様の匂いと温もりに包まれて、過ごしていた。

 不思議と、恋しさはない。ただ、懐かしいと、そんな風に感じた。


「――あんなに小さくて、可愛い灰色の雛だったのにな」


 お母様は笑みをこぼしながら、ぽつりと呟いた。


「いつの間にか、こんなに大きくなるなんてな。言葉も、とても上手になったな」

「えへへ……私ね、ずっと、お母様みたいになりたかったの」


 群れを率いる女王であり、群れ一番の強者。

 強くて、かっこよくて、それでいて煌びやかな美しさがあって――灰色の羽根だった頃も、純白の羽根へ変わった今も、お母様は憧れだった。


 ずうっと、お母様みたいになろうと、思っていたのだ。


「私、お母様みたいに、なれたかな?」

「ふふ……ああ。私と違う、お前の姉妹達とも違う、お前だけが持つ綺麗な羽根になったよ」


 お母様の言葉に、胸の中が温かく、くすぐったく満たされる。


「きっと、お前がそうなりたいと願ったのだ。とても、立派だよ」

「うん、ありがとう。……あのね、お母様。私、聞きたい事があったの」


 ここにやって来てから、ずっと、聞きたかった事だ。


「この森の外の、人間の村に行ったの。そこではね、お母様は“凶鳥”って呼ばれてるって、知った」

「……そうか」

「でもね、私、お母様がそんな風にするなんて、思えないの」


 ――真紅の羽根を持つハーピーが、農村の住人から慕われた学者を、村の近くで喰らった。


 人間の住み処の近くで、この女王が、そんな無防備な事はしないはずだ。


「お母様、村の人間なんて、食べてないんでしょ。私、何があったのか、知りたいの」


 私の知る事のない、お母様の昔の記憶。

 そこにはきっと、人間の暮らしや文化に詳しかった事、私たち雛によくよく人間の恐ろしさを説いた事、それでも何処か恐怖ではなく一定の理解を示していた事の理由が、あるはずだ。


 お母様は、しばらくの間、何も言わなかった。それでも、真っ直ぐと見つめ続ける私に根負けしたように、やがて小さく呼気をこぼした。


「……お前は賢いね、二の娘。まるで、あの学者のようだ」


 呟かれた声は、懐かしさに溢れた、穏やかな音色を含んでいた。


「――お前が言うように、私はあの麓の村を襲った事はない。あの場所から人間を攫い、食べた事もないよ」


 ああ、やっぱり。

 腑に落ちると同時に、不思議に思う。ならばどうして“凶鳥”などと呼ばれるのか。


 どうして、と問うと、お母様は小さく笑った。


「それは、私が“魔物”であったからだろうな」


 例え、人を襲わずとも。

 例え、言葉を覚えようとも。

 魔物は、所詮、魔物なのだ。


 お母様の声は、怒りもなく、諦めもなく、淡々としていた。


「――昔の話になるがね。ずっと前に、人間が住み処の近くに迷い込んだ事があったんだよ。今は山の頂上付近だが、昔はもっと森に近い所にあってね」


 それはまるで、寝物語を語るような声色だった。





 今でこそ大きな群れの女王だが、当時はまだ未熟な、未完成な女王だった。

 その頃、群れはまだ小さく、各地を転々としながら仲間を増やし、群れの規模を大きくしている最中だった。

 自らを産んだ母が女王だったように、その雛であった自身もやがて女王になる存在。

 生まれながらに空を飛べるのと同じように、それはごく当たり前に持つ本能であった。女王として立派になろう、と。


 そして、住み処の近くに人間が迷い込んだ時、群れを率いる者として当然排除しようとした。

 だが、その人間は、自らの命の危機よりも、目の前のハーピーに強い興味を持つ、おかしな人間だった。何を言っているのか分からなくとも、襲い掛かろうとした魔物に対し笑みを向けたのだから、奇っ怪な人間だと思うのが当然だろう。

 敵意ではなく好奇心を向けられた時、虚を突かれてしまい、八つ裂きにする絶好の機会を見失ってしまった。

 結局、面倒になり追い返したのだけれど、それが良くなかったのか。人間は、その後、またも現れた。相も変わらず、笑いながら。


 何度も、追い払った。翼を打ち付け、足蹴にして、何度も何度も追い払った。それなのに、生傷だらけになりながらも、人間は懲りずにやって来る。一体何がそいつをそこまで駆り立てているというのか。ここまでくると、もう呆れしか思い浮かばない。


 相変わらず何を言っているのか分からなかったし、身振り手振りの動作も意味不明だった。けれど、意思疎通を図ろうとしている事は……何十回と追い返す内に、さすがに理解出来た。


 この人間は、馬鹿じゃあないのか。


 嘲笑いながらも、足繁く通う人間を八つ裂きにする事は出来ず、奇っ怪な行動に何年も付き合ってしまった。


 望んだわけではないが、その間に人間の言葉を理解するだけでなく話せるようにもなり、互いの感情なども伝える事が可能になった。

 その頃になってようやく、その人間の目的が分かった。学者志望だというその男は、天敵である魔物の生態を調べ、その関係に別の可能性が無いか探しに来たのだという。

 馬鹿正直に、夢見がちな到底叶うはずもない願望を、天敵であるはずの私に!

 ここまで来るといっそ滑稽の極みであったが、それを確かに、面白く感じていたのだ。



 ――ならば試そうか。本当に、新しい可能性とやらが見つかるのかどうか。



 やがて、その学者とまぐわい、その腹に命を宿した。

 出会ってから何度目かになる、穏やかな春の日であった。



 その後も、学者は変わらず、むしろ以前に増して積極的に森へ通い、秘密裏に会いに来た。

 しかし、終わりは、呆気なく訪れた。

 学者は、命を落とした。

 不慮の事故に遭ってしまい、そのまま、亡くなってしまったのだ。


 捨て置くにも忍びなく、学者の遺体を村の近くにまで運んだが、その姿を見られた際に勘違いされ、以降は“凶鳥”として恐れられるようになった。


 学者が命を落とした後、様々な人間が住み処にしている森へとやって来た。村人だけではない、魔物を殺す事を生業とする冒険者などもその中にいた。

 このままでは危ない、もっと遠い場所へ移らなければ――。

 そうして住み処を、山岳の頂上付近にまで移し、大きくなった群れと、腹の中の命を守った。


 四つの卵を産み、四羽の雛が生まれたのは――それからしばらく経ってからであった。





「――そうなんだ」


 私の口からようやくこぼれたのは、そんな言葉だった。


「私の知らないところで、お母様にも、たくさんの事があったんだね」


 人間と、長い間、交流して。

 でも、その人間から、追われるようになって。


 大変だった、なんて言葉では、きっと表せない。表しては、いけないだろう。そんな風に穏やかな微笑みを浮かべるようになるまで――どれくらい、お母様はたくさんの感情と向き合ってきたのだろう。


「……ふふ、色々あったのは、お前もだろう。私の知らぬところで、たくさんの事を経験した。灰色の頃より、ずっと良い表情をしている」

「そう、かな。でも、お母様がたくさん教えてくれたから、そのおかげだよ」

「いいや――未来を切り開いたのは、二の娘自身の力だ」


 私を包む赤い翼が、力を増した。


「とても立派だよ。私は……そうはなれなかったからね」


 長い睫毛が、影を落とす。微かな憂いの浮かぶ横顔を、私はじっと見つめた。


「お母様も……変わりたかった?」


 今の自分ではなく、もっと別の自分に。

 私が、灰色の羽根ではなく、大人の羽根を求めたように。グレンやセリーナたちのために大きくなりたいと願った、あの時の私のように。


 その瞬間、お母様の凛とした赤い瞳が、ハッと見開いた。「そう、なのかもな」ぎこちなく笑みを乗せた唇から、戸惑うような声が落ちた。


「変わりたかった、のかもしれない。だが、今となっては、もはや知る由もない事。振り返っても、仕方のない事だ。私は群れの女王、守るべきは人間との過去ではなく、仲間達の未来なのだ」

「うん……」

「私はね、ここで群れと暮らす事に、一切の不満はない。女王として生まれ、群れと共に生き、新たな女王となるべく旅立つ娘達を見送り――そして、最期は一羽で死ぬ」


 私の母がそうだったように、私も同じ道を歩むのだ。

 お母様の声に、疑いも、不満も無かった。


「――けれど、それは私の生き方。お前は、もう違う。私の辿った道でも、私が示せる道ではなく、お前が願う道を突き進め」


 弾かれたように、顔を上げる。

 私を見つめるお母様のかんばせには、優艶とした微笑みが浮かんでいる。眩しいくらいに力強く、堂々とした潔さに溢れるその美貌に、私は見惚れた。


「私のもとではなく、あの冒険者のもとで、お前はきっと多くのものを見つけたのだろう。これからも迷わず、私の知らない事を知り、大きく立派におなり。二の娘、私はお前がとても誇らしいよ」


 胸の奥から込み上げてくる感情を、ぐっと堪える。それでも、まなじりはどうしようもなく熱く染まり、夜明け前の風景が滲んでしまう。


「……う、ん。ありがとう、お母様」


 ぎゅっと身を寄せた私を、お母様の翼が優しく撫でていった。

 やがて、水平線の彼方が、白く輝く。

 仄青い世界に差し込んだ朝陽が、夜明けを告げているのだ。


(お別れは、もう少し――)


 灰色の羽根は、もう捨てた。大人の証になった純白の羽根になって、身体もぐっと大きくなった。もう守られるだけの雛なんかじゃない。

 ――でも、でも。

 今だけ、もう少しだけ、あったかい翼に包まれていても、良いよね――。




「そういえば、二の娘。あの冒険者……何といったか。茶色の髪と瞳をした、若い男の」

「グレン?」

「ああ、そうだ、たぶんその男だ。そいつが言っていたが、二の娘ではなくリアと呼ばれているらしいな」


 草原の町に連れて来られてから、すっかり私に定着した呼び名。

 昼間は雑草と変わらない凡庸な佇まいをしているが、月夜になると純白の清楚な花弁を咲かせるという、月光花セルネリアから取った名前だ。


「うん! 人間はそれぞれ名前っていうものを付けて、呼び合うの。グレンたちの仲間になれて、嬉しい!」

「嬉しい、か。そうか、“嬉しい”か」


 お母様は楽しそうに微笑んでいたが、不意に、その整ったかんばせへ静けさを浮かべた。


「……なあ、二の娘。人間と共に暮らすお前なら、分かるだろうか」

「なあに?」

「……例えば、それまでの暮らしを捨て、自分の在るべき場所を離れ、別のものへ変わってしまうのも厭わなくなる――そんな想いを、何と呼ぶのか」


 私は、少しの間、考え込む。それから、真っ直ぐとお母様を見つめ、笑いながら答えた。


「きっと“好き”じゃないかなあ」

「好き……」

「私は、グレンが好き。セリーナも好き。ダーナも好きで、ギルドのみんなも、町の人も好き! みんな、とっても大切!」


 お母様は微かに瞳を見開かせると、そうか、と小さく囁いた。何度も、噛み締めるように、頷きながら。


「とても大切で、とても好きだった。そうか、私は、あの頃ずうっと、そう想っていたのか……」

「お母様?」

「ありがとう、二の娘」


 お母様は、両腕の翼で、私を抱きしめる。大きな翼に頭ごと包まれ、お母様の顔が見えなくなってしまった。


「あの時、置き去りにするしかなかった想いの正体を、ようやく、ようやく知った。ありがとう……――」


 安堵に満ちた微笑みと、涙をこぼさないよう堪える儚さが、矛盾しているけれどお母様の囁く声から漂っていた。

 私は何も言わず、お母様の大きな翼に包まれ、静かに瞼を下ろす。

 その感情はお母様だけのもので、私はきっと触れてはいけないのだ。




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