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2017.12.10 更新:1/1

 そこは、初めて見るものばかりがせめぎ合う、未知の世界だった。


 毛色や恰好の違う人間。見かけた事もない動物や魔物。それらが行き交う道は、柔らかい土ではなく平で岩場のような硬さがあり、時折、蹄を持った四つ足の獣が大きな四角い何かをゴトゴトと引いて走ってゆく。

 嗅いだ事のないたくさんの匂いが風に漂い、様々な音色が絶えず耳を打ち付ける。驚くだとか、恐ろしいだとか、そういった感情を通り過ぎて――私は呆然とするしかなかった。


 女王である美しい母は、何度も言って聞かせてくれた。人間は脆く弱いが、知恵が回り手先が器用で、私たち魔物が考えもしない道具を作っては住処を築き、敵と戦う。けして油断してはならない生き物だと、何度も言っていた。

 その時はどういう意味なのかよく分からず、知識として覚えるだけだった。だが今なら、母が何度も言い聞かせたその理由を理解できた。


 辿り着いた“町”と呼ばれる人間たちの住処は、私が理解出来るものなんてほとんどない――未知の世界であった。


 食べ物に釣られて若い人間の雄に着いてきたが、とんでもない選択をしてしまったのではないかと、今さらながら不安が押し寄せる。

 何度も身動ぎをすると、人間の雄は「動いたら駄目だ」と嗜め、私の身体を抱え直す。


「一応、見られないようにしとかないとな。契約だとかはしてないんだし」

「ルゥゥ……」

「大丈夫だぞ。すぐに手当てして、美味いもんいっぱい食わせてやるからな」


 人間は笑い、私に被せた布を整えると、歩き始めてしまった。

 なんでも私の姿は、あまり人目についてはならないらしい。それに、胸部も同じように布で隠されてしまった。人間の習性だろうか、よく分からないがとても邪魔だ。


 心配しているのは、傷や空腹ではないのだが……。

 訴えてみたものの、綺麗な声だなと返されるばかりで、ちっとも伝わっていない。


 不安に駆られるまま運ばれる事しばし、不意に人間の足が止まった。


「ほら、到着したぞ。ここが、この町の冒険者ギルドだ」


 被せられた布の隙間から視線を上げる。

 ぎるど、というものが何なのかは分からないが、冒険者という言葉は知っている。母が、何度も言い聞かせた言葉の一つだ。

 弱く脆い人間たちの中でも、戦う技術を身に着け、魔物と対抗する存在。ハーピーなんかよりもずっと強く大きな魔物も倒すとさえ言われているとか。

 目の前にある大きな大きな“ぎるど”というものは、冒険者たちが集まる場所なのだろう。今もその中へ踏み入れ、あるいは出てくる人間たちが見える。この人間の雄も含むが、ほとんどが武装しているようだ。確かに、ゴブリンたちとは全く違う。

 本当に、そんな中に入って大丈夫だろうか。

 私の不安を他所に、人間は“ぎるど”へ進んでしまった。




 町と呼ばれる場所を歩いていた時にも思ったが、内部も賑やかな空気で満ちていた。

 ごつごつとした雰囲気の人間たちが、あちらこちらを歩き回り、あるいは片隅で笑い合ったりなどして寛いでいる。彼らが、冒険者なるものだろう。

 こうして眺めてみると、人間の雌も意外と多い。色鮮やかで美しい、母や姉妹たちとは全く違うが。

 それに、種族は異なるが、なんと同じ魔物まで居る。一体どういう事なのかと、疑問は尽きない。

 また、広々とした空間は見た事のない装飾などで飾られているが、慣れ親しんだ緑の香りが微かに感じ取れた。


 布に包まれる私を抱え、人間は進んでゆく。擦れ違う人間たちからは不思議そうな視線が向けられ、布越しにそれをひしひしと感じた。


『おや、鳥だ。鳥の雛だ』

『随分と久しぶりに見たぞ』

『鳥の雛が、何故ここに』


 時折聞こえてくる声は、魔物たちのものだ。布の隙間から窺うと、住処で暮らしていた頃には見かけなかった魔物たちが、じっと見つめている。敵意はなかったが、居心地は悪かった。


「よ、グレン! お疲れ」


 目の前を遮るように、別の人間の雄が急にやって来た。


「ああ、そっちも。無事に任務は終わったんだな、良かった」

「ついさっきな。……それよりもお前、何を抱えてるんだ?」

「昨日の夜、見つけてさ。酷い怪我してたんだ、診て貰えないかと思って」


 ふうん、と声を漏らしながら、人間が覗き込む。布の隙間から見えた顔に、思わず「ルッ!」と鳴いて威嚇した。


「……え?! おい、今の声って」

「お前、ここで鳴いたら駄目だろ」

「グレンさん、今の声は」


 叱られた上に、もっと人間たちが集まってしまった。

 私、悪くない。嫌だったから、ほんのちょっと、ウッと言っただけ。


「一体、何を持ち帰ってこられたのですか」


 今度は、人間の雌が声を掛けてきた。色白の肌色で、肩口で切り揃えられた金色の髪がきらきらと輝いている。他の人間たちとは違い、ごつごつとした装いではないけれど、年若い外見であるのに凛とした気迫が滲んでいる。

 髪の色は、金色の翼を持つ三の妹と似ているが……それよりも、鳶色の翼を持つ一の姉様がふと脳裏に過ぎった。凛々しい面持ちと雰囲気が、一の姉様のようだ。


「その、酷い怪我をしてたんだ。見捨ててもおけなくて。治療してやって欲しい」

「それで、一体何を」


 人間の雄はたじろぎながら、私に被せた布をそっと捲くった。

 賑やかな空気が一瞬静まり返り、そして不穏なざわつきが走った。


「まさか、ハーピーじゃ」

「何でハーピーがここに」


 緊張を帯び、張り詰めてゆく空気は、私でも理解出来た。

 これは、敵意だ。

 住処を離れ、見知らぬ世界をあてどなくさまよっていた間、何度も向けられた。縄張りを侵した異分子を排除しようとする、魔物たちの当たり前の敵意。それを、ここでも再び感じ取った。


「何故ハーピーがここに。いえ、それより、契約はきちんとされているのでしょうか」

「いや、それは……」

「まさか……野生の状態のハーピーを連れて来たのですか」


 咎める声が、畳みかけるように続いた。


「グレンさん、契約を交わしていない魔物の治癒は、残念ながら認められません」

「そんな、頼むよ。酷い怪我なんだ、俺の下手な応急処置だけじゃ可哀相だ。それに、腹を空かせてる」

「ますます了承しかねます。血肉を好むハーピーが、人間を攫っていったという事例も数多くあります。せめて契約を」

「そんな時間もないだろ。なあ、野生の魔物の治療も、前にやってたじゃないか」

「あれは、その時運ばれた魔物が、温厚で危害を加えない種族であったからです」


 繰り返される押し問答が、頭上で飛び交う。

 何の会話をしているかなんて分からない。だが、私がここに居てはならない事と――非常に危険な状況だという事は、本能で察知した。


 逃げなければ。


 痛む翼を激しくばたつかせ、人間の腕から抜け出す。木の枝が括りつけられていた事をすっかり忘れていたから、上手く飛べず、足元へ落下してしまった。


「あ、おい! 怪我してんだから、無理に動いたら」


 心配そうな声が聞こえたが、伸ばされた腕から這うように遠ざかる。だけど、周囲には人間たちが行く手を阻むように数多く集まり、私を見下ろしていた。魔物の血の匂いを微かに放つ、人間たちが。


 ――ここで一番弱いのは、私だ。


 恐怖が募り、ぞっと心臓が戦慄く。どうにか離れようと、這いつくばりながら逃げ惑い、たくさんの物に身体をぶつける。

 結局、逃げ場は何処にもなくて、一番隅に身を寄せ縮こまった。


「そっち行ったぞ、外に出すな!」

「やめてくれ、追い詰めないでやってくれよ! 連れてきた俺が悪かったから!」


 人ごみを掻き分けやって来た人間が、私を背中で庇う。それでも、ざわついた空気は収まらない。生まれたばかりの雛のように震え、どうしたら良いのか分からず、ただただ小さく蹲った。


 その時。


「――騒々しいわねえ、一体何をしているのかしら」


 たおやかな女性の声が、喧噪の中に凜と響き渡った。

 輪になって集まった人間たちが、一斉に同じ方向を向く。


「喧嘩は他所でやってちょうだいと、普段から言っているはずよ。何事?」

「悪い、俺のせいなんだ。すぐに出て行くから」


 張り詰めた空気が僅かに緩んだところで、人間が私を抱き上げようと腕を伸ばす。


「……あら? ちょっとお待ちになって。その子、見せてくれるかしら」


 目の前に居た、人間の大きな身体が遠ざかる。周囲に集まったたくさんの人間たちが改めて視界に入り、恐ろしくて身を竦めたが、誰かが私の目の前にしゃがんで彼らを隠してくれた。

 恐る恐る、顔を上げると――そこには、膝をつく美しい女性がいた。

 柔らかい波を刻む豊かな茶色の髪と、温かみのある白い肌。濃緑色の衣装に身を包んだそのひとは、たおやかに微笑んで視線を合わせてきた。

 ふわりと香る、緑の匂い。遠く離れた住処の、立派な大樹のよう――。


「まあ、大変。怪我をしているのね」


 私を見つめる瞳は、美しい緑色を宿していた。

 母である女王とは異なるが、とても優しい、温かい微笑みだった。


 すぐに分かった。このひとは、人間ではない。かといって、魔物でもない。

 このひとは――精霊だ。それも、そんじょそこらに居ない、とてつもなく高位の。


「ダーナさん、それは野生のハーピーだ。危ない」


 見惚れていたところに響いた人間たちの声が、現実に引き戻す。彼らは厳しい面持ちで私を見つめていた。


「グレンの奴が、勝手に連れて来たんだ。治療してくれだなんて」

「契約はしていないから駄目だって、セリーナちゃんが何度も言ったんだけど」


 その瞬間、目の前にあるたおやかな美貌が、不愉快そうに歪んだ。


「つまり貴方たちは、傷だらけの小さな子を放置し、騒ぎ、あげく追い回したというわけね」

「い、いや、それは……」

「野生のハーピーだし……」

「――お黙りなさい」


 よく通る美声が、厳しい一喝を放った。瞬く間に、しんと空気が張り詰める。


「まったく、冒険者であるなら、もっと大きく構えなさい。それに、よくご覧なさいな。この子はまだ子どものハーピーよ、傷付けるだけの牙も爪も持っていない」


 人間たちの眼差しが再び集まったが、先ほどのように敵意はなかった。


「灰色の柔らかい羽根に、幼い面持ち。まだ小さな子どもね。警戒するのは仕方ないとして、もっと対応というものがあるんじゃないかしら」


 美しい精霊に窘められ、人間たちはばつが悪そうに声を濁した。その様子を一瞥してから、美しい精霊は私へ向き直った。


「怖かったわね、ごめんなさい」


 彼女の白い手が、私の頬に触れる。その瞬間、身体が温かい光に包まれ、擦り傷などが全て消え去った。翼はまだ痛んだままだが、それでも、身体がとても楽になった。


「ルッ!」


 嬉しくてお礼を言うと、女性は上品に微笑んで、私の灰色の頭を撫でた。お母様みたいに、とても優しい仕草だった。


「ほら、これで平気ね。翼がちょっと気になるんだけど、これは私が治すよりも先生に診てもらった方が良いわね」

「ありがとう、ダーナさん。良かったなあ、お前!」


 私を連れてきた人間の雄が、ゴツゴツとした笑顔を頭上で浮かべた。

 その側にいる、金髪の人間の雌は、複雑そうな面持ちをしていた。


「何故、怪我を治すのですか。それに、子どもとは……」

「セリーナちゃん、まだまだ勉強不足ね。まあ、仕方ないかしら。ハーピーの子どもが巣の外に出て、人里にやって来るなんて事は滅多にないから」


 精霊は柔らかく微笑むと、そっと両腕を私へ伸ばした。それに包まれ、大きな胸に抱かれると、緑の香りと優しい温もりが彼女から伝わってきた。


「傷だらけになって、たくさん、頑張ったのね。もう大丈夫よ」


 その言葉に、私の中にあった緊張の糸が、ふつりと千切れた。

 見開いた両目に、痛いほどの熱が込み上げ、涙となってこぼれ落ちてゆく。


 私は、きっと、そう言ってもらいたかったのだ。

 住処を離れ、知らない魔物に追われ、知らない土地へやって来て、そして未知の世界でたくさんの人間に囲まれて。

 怖くないと、大丈夫だと、言って欲しかったのだ――。


 気付けば私は、精霊の胸にしがみついて、泣きじゃくっていた。

 心の中に溜まっていた不安や恐怖の全てを、吐き出すように。



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