おとぎ話の始まり(6)
2019.03.16 更新:1/1
「――あのね、みんなに紹介するね! 私のお母様と、お姉様と、妹たちだよ!」
真紅の羽根のお母様に、鳶色の羽根の一の姉様。金色の羽根の三の妹に、薄桃色の羽根の四の妹。
皆、美しい色彩を持つ、自慢の家族だ。
さあ! 彼女たちの美しさに、度肝を抜かされると良い!
どやあっと胸を張り、誇らしさを笑みに乗せる。
……だが、グレンたちは何故か視線を泳がせ、自慢の家族を見ようとはしない。
「もうッみんなも見たがってたじゃない! 何でそんなそっぽ向くの!」
「いや、うん、見つかってよかったんだけど……」
「その……なあ……」
異様に歯切れの悪い声が返され、ああそうか、と私はようやく思い至った。
自分たちの周りを、たくさんのハーピーが囲んでいるからか。
全てのハーピーが警戒を露わにし、剣呑な面持ちで睨み付けている。三羽の姉妹も、例外ではない。悠然としているのは、群れの女王であるお母様くらいだ。
「ふむ……何か、用があって来たのだろうな。良いだろう、場所を移そう」
他の魔物が襲ってくる事のない、女王の縄張りへ移動する事になった。お母様が真紅の翼を羽ばたかせると、他のハーピーたちも従い、空へと一斉に飛び立つ。
『二の姉さまも早く!』
『お早く!』
姉妹たちが、ぐいぐいと私を急かす。少し躊躇い、グレンへと振り返ると、彼は笑って頷いた。
「ちゃんと着いていくから、こっちは心配すんな。久しぶりに会った家族と、話したい事もあるだろ?」
「……うん!」
三羽の姉妹に囲まれながら、私も空へと羽ばたいた。
◆◇◆
「――さて、俺達も行こか」
嬉しそうに飛び立ったリアを見上げながら、グレン達もその後ろに続いた。
上空を飛ぶハーピーの群れは、山の麓に広がっているこの森の、深部へと向かっている。
彼女達の狩り場――すなわち縄張りの奥地、という事だろう。
普通の冒険者ならば、避けて通るべき領域だ。魔物と戦う事を本業としていようと、人間は弱い。策も無く群れの中へ踏み入れるのは、自殺行為でしかない。
だというのに、それがまさか――。
「野生のハーピーから縄張りに迎え入れられるとは、思わなかったな……」
「しかも、あんな風に流暢に喋れる個体なんて、初めて見たわ……」
一行に加わっている冒険者らは、皆、困惑とも警戒ともつかない表情をしている。自分もその内の一人なんだろうな、とグレンは思った。
あれがリアの家族、か。
リアを助けてからことごとく魔物に対する心象が崩れたとはいえ、無防備に警戒を解く事は出来なかった。
「ハーピーと言ったら、中の下くらいの強さって言われているけど……あの一際目立つ真っ赤なハーピーは、ちょっと雰囲気が違うわね」
「群れを統べる女王ってやつだろ。初めて見たけど……翼もでかいし、他のと比べて一味違うな」
……そう。群れの先頭を進む、あの真っ赤なハーピー。
リアが自らの母親だといった、この群れの女王。
中の下だなんて、とんでもない。中の上くらいはあろう迫力だ。美しい容貌も相まって、なおさらそう感じる。
「あとは……なんだ……その……」
「ああ……」
「目のやり場に、めちゃくそ困るな……」
「分かる……それな……」
肉を喰らい、人間の雄をかどわかす、半人半鳥の魔物――ハーピー。
雌しか存在しないというその魔物は、どの個体も、類い稀な美貌を誇るという。
リアがそうだったように、野生で生きる彼女たちに衣服の概念はない。上空にいるハーピーは全て、美しい造形を宿す上半身を、惜しみなく晒している。
例え魔物だとしても、嫌でも目に入る美しい裸体。男性陣は、もう何処を見ていれば良いのか、分からなかった。女性冒険者からは冷ややかな視線を浴びせられているが……正直、眼福である。男であるがゆえの浅ましい性は、さすがにあの無邪気なリアへは誰も言えない。もちろん、グレンも。
「――ん? なんだ、セリーナ。あんまり元気がないな」
俯き加減で歩むセリーナの様子に、グレンは気付いた。
「あ、いえ、そんな事は。その、ただ……」
「ただ?」
普段はきりっとしているセリーナの青い瞳が、弱々しく空を仰いだ。眩しそうに細めた眼差しの先には、鳶色、金色、桃色の羽根を持つ三羽のハーピーに囲まれてはしゃぐ、真っ白なリアの姿があった。
「リアさん、とても嬉しそうだなって」
「そりゃあ、家族だもんな。何か月ぶりかの再会で、嬉しくもなるだろ」
「ええ。だから、なんです」
セリーナから、思わぬ言葉が返された。
「たぶんきっと、怖いんです。リアさんが、このまま……群れに残るなんて言ったら、どうしようって」
グレンの足が、僅かに立ち止まる。
「……すみません、独り言です。私が考える事ではないですね」
口元に浮かんだ笑みには、常にはない気弱さが窺える。それを励ます事も、あるいは否定する事も、今のグレンには出来なかった。
「……行きましょう、見失わないように」
「……ああ、そうだな」
どうにか頷いたけれど、グレンの声には狼狽がはっきりと滲んでいた。
リアは、あの町で暮らす事を決めた。同胞達のもとへは二度と戻れないと、受け入れた上で。
けれど、家族と再会したら――やはり群れに戻りたいと、言い出す可能性は大いにあるのだ。
とうの昔に親を失い、親戚からも疎まれ、“家族”がどういうものなのか知らないグレンとは違い、リアは群れを離れた今でも家族を想い続けている。
彼女の心変わりを止める術も、資格も――グレンには、無い。
契約という枷を掛けず、リアの自由を守ると決めたのだから。だから、リアがどのような選択をしたとしても、そこに異は唱えない。
――そう、自らで決意していたにも関わらず。
突如過ぎった可能性に、どうしようもなく不安で苛まれた。
◆◇◆
辿り着いた場所は、山の麓に位置する、水場だった。
僅かな曇りもない、透き通った川。その先には、高い岩場から流れ落ち、清々しい音を立てる滝が見えた。陽の光が注ぎ、水飛沫と水面がきらきらと輝いて、とても綺麗な場所だった。
「リア、覚えてるか」
グレンの静かな問いかけに、私は首を振る。昔はほとんど巣の中で過ごし、群れを離れた時は森の様子を気に掛ける間もなく他の魔物に追い回された。風景を見ている余裕が全くなかったのだと、私はしみじみ思った。
「お前が灰色の頃は、大樹のもとから離れた事はあまり無かったしな」
お母様は微笑むと、川縁に転がった大きな岩の上へと降り立ち、厳かな仕草で翼を折り畳んだ。
「この場所は、私の縄張りの中でも、特に注意して守り抜いている場所だ。他の魔物も、ここには近寄るまい」
その言葉の通りに、辺り一帯に他の魔物の気配は無かった。
今この場に居るのは、私やグレンたち、そしてお母様たちだけだろう。
「本来ならば、縄張りに冒険者などという大敵を招くことはしない。が、二の娘に免じ、今回限りは許そう。お前達も攻撃はするな、良いな」
お母様がそう告げると、他のハーピーたちは女王の意向に従い、数歩後ろへ下がって控える。三羽の姉妹も、不満そうではあったが、お母様の側に腰を下ろした。
「――これで問題あるまい。さて、二の娘に関わる事だとは思うが、何の用で此処へやって来たのかな」
「あー、その、その前に一つ」
グレンがそっと手を持ち上げると、ハーピーたちは一斉に牙を剥いた。セリーナや他の冒険者は僅かに肩を強張らせたが、お母様は仲間を眼差しで制する。そうして、グレンへ視線を移し、先を促した。
「申し訳ないんだが、上に何か、着てくれないか」
「……着る?」
お母様の赤い瞳が、訝しげに歪んだ。
グレンの目は、泳ぎに泳いでいる。それは彼だけでなく、他の男性冒険者も同じだった。
私はその時、ようやく思い出した。人間は洋服を着て生活する事を掟にしているのだと。
まったく気にも留めていなかったが、お母様や姉妹たちは、皆――何一つ隠さず、美しい上半身を晒していた。
私も昔は彼女たちのように過ごしていた身なので、特に違和感を感じてはいなかったのだが、グレンたちはそうではないらしい。
前も裸、後ろも裸。左も裸なら、右も裸で、非常に困っているようだった。
「上に着ろ? 必要ない、これが我々の生きていく姿だ」
「そうなんだけど、いや、でも……」
まあ、当然というか、お母様たちは一様に怪訝な面持ちを浮かべている。人間の暮らしに慣れていない頃の、私と同じ反応だった。
隠さなければならないような羞恥心や罪悪感は、全く無いのだ。だってこれが、私たちの“当たり前な事”なのだから。
とはいえ話が進みそうにないので、私はお母様へ話しかける。
「あのね、お母様。人間は、お洋服というのを上に着ないと駄目な掟があるの」
「ふむ? そうなのか、二の娘」
「色々お話したいんだけど、みんなにはまず、身体を隠して欲しいの」
「まあ、良いだろう……話が進まぬしな。それで、どう隠せばいい?」
お母様たちは心底理解出来ないといった風に首を傾げていたが、渋々と了承してくれた。
私はぱっと振り返り、セリーナたちを見た。彼女たちは顔を見合わせて相談をすると、鞄を下ろしてその中身を探り出した。
「布などを巻いて、胸元だけでも隠していただきましょうか。さ、男性陣からも、ハンカチなりタオルなりありましたら出して下さいね」
手頃な布などを各人から持ち寄ったが、どうしても数が足りなかったため、お母様と姉妹たちがその場に残り、他のハーピーは住み処へと戻っていった。
お母様は悠然と構え、何も言わずに布を巻かれているけれど、姉妹たちはぶすっと不機嫌そうであった。人間の暮らしを知らない彼女たちにとって、上半身を布で隠すという行為は、意味不明なものに違いない。私も最初はそうだったから、その気持ちはよく分かる。
『変なの。恥ずかしいことなんてないのに』
『人間は妙な生き物だな』
『むう~楽じゃない~』
いやあ、分かるよ~その気持ち。本当、人間って変な生き物だよね。
落ち着きなく身動ぎを繰り返す三羽の姉妹に、私はうんうんと頷き同調する。
すると、作業を終えたセリーナが、重く肩を落として項垂れた。その細い背には、深い悲哀が圧し掛かっている。
「全部、負けた……全部……」
譫言のように呟くセリーナをよく見ると、自らの胸に手のひらを重ねていた。
そういえば、お母様のお胸に布を巻いていたのは、セリーナだったか。
きっとお胸の立派さに、驚いてしまったのだろう。おっきくて、ふわふわで温かいのは、私もよく知っている。
胸を隠す作業が終わり、今一度、グレンたちはお母様と姉妹たちに向き直った。
「いやしかし、ハーピーってのは、本当に美人ばかりだな……」
「ようやくまともに見れるけど、なんか、あれだな……」
「キラキラして、目が潰れそうね……」
小声で交わされる冒険者の会話に、私は誇らしくなって胸を張る。
ふふん、そうでしょ。お母様や姉妹たちは、みんなとっても綺麗なんだから。羽根の色だって美しい、自慢の家族だ。
「――さて、今度こそ話が出来るだろうか。我らが大敵の人間達よ」
緩んでいた空気が、一瞬の内に引き締まる。
緊張を帯びた気配に、私の背中も、ぴんっと伸びた。
「その、ハーピーの女王」
グレンが、おずおずと手を挙げる。
「こうして話せるのは嬉しいんだが……良かったのか」
「何がだ」
「群れの仲間を、下がらせて。いや、ありがたい事ではあるんだけど」
すると、お母様は真っ赤な双眸を細め、ニイイッと微笑んだ。
美しく、妖艶で、そして人ならざる者の底知れぬ狂気の滲む、それはそれは凄艶な微笑みだった。
「私と私の娘達だけでも、問題あるまい。天敵の冒険者と言えど、翼を持たず地を這う人間など、この距離ならば私達だけでも容易く引き裂いて殺せるわ」
お母様の足指は太く、その先端の爪も鋭利で、とても立派だ。その二本の足で、自分よりも大きな獲物を住み処へと運んで来ていた事は、私の記憶にしっかりと残っている。
グレンやセリーナたちを捕まえ、空へと放り投げる事くらい、お母様にとってはあまりにも容易い事だろう。
人間とは異なる、魔物の本性。私自身が魔物であるから、よく知っている。久しぶりに見たお母様のそのお姿を誇らしく思う反面、人間と暮らす事を選んだ私としては、ちょっとだけ不安に駆られた。
「この人たちはね、大丈夫よ。お母様」
「二の娘」
「この人たちは、優しいよ。とっても、優しい。天敵の私に、酷い事はしなかった」
ぼろぼろだった灰色の私を、慎重に住み処へ連れ帰り、食べ物を出してくれて、怪我を治そうとしてくれた。
冒険者は天敵で、悪い事を企む人間もいるけれど――全てが悪者ではないと、私がよく知っている。
「ここにいる人間は、お母様たちに嫌な事はしないよ。絶対に」
じっと見つめる私を、お母様の真紅の瞳も真っ直ぐと見つめている。やがて、その赤い唇から小さな溜め息をこぼすと、微笑みを浮かべた。
「……分かっている。手出しはしないよ、二の娘」
「ルウ! ありがとう!」
「随分と、この人間達に心を許しているのだな。群れを離れてから、何があったのだ」
お母様に尋ねられ、私はふふっと笑う。
「今日はね、それを伝えに来たの! お母様と一の姉様、三の妹と四の妹にも、聞いて欲しいの!」
私ね、今は、人間の町で暮らしているの――!
山の天辺に聳える大樹の巣で共に過ごした大切な家族へと、これまで私が経験してきた事を伝える。
住処を離れた後、森を抜け出した先の草原で、冒険者に助けられた事。
冒険者がたくさん出入りするギルドという場所で暮らしながら、人間の町の中を見て、人間の事をたくさん学んでいった事。
とても大きな害獣が現れ、みんなでそれを食い止めて危険を乗り越えた事。
その時、あれほど抜けなかった灰色の羽根が、私だけの純白の羽根に変わった事――。
太陽が傾き、夕暮れを迎えるまで、私はずうっと話し続けた。




