おとぎ話の始まり(5)
2019.03.15 更新:1/1
「――リア、止まれ!!」
制止するグレンの声が、一際大きく響いた。
無我夢中で飛んでいた私も、ようやくハッと意識を戻し、空中で立ち止まった。
辺りを見渡し、自分自身でも驚いてしまう。あの小さな村はとっくに見えず、緑の匂いが強く香る森へと飛び込んでいたらしい。ドッドッと激しく鳴る心臓の音を聞きながら、ようやく視線を下げた。
後ろから追いかけてくるグレンたちは、肩を上下させ、私を仰ぎ見ていた。
「リア、おま、ちょっと、お、下りてこい……ッ」
ゼーハー、ゼーハー、と息を乱しながら、グレンが言った。素直に上空から下り、地面をしっかりと踏みしめると、途端にグレンが大股で歩み寄ってくる。
彼の面持ちは、険しかった。
私は肩を竦め、しゅんっと項垂れる。
「ゼエ、ゼエ……ッ俺らが、言いたい事は、分かるな」
「ルウ、ごめんなさい……」
「お前がいきなり飛んで行って、こっちはびっくりしたぞ。しかも“凶鳥の狩り場”に真っ直ぐ一人で。何があるか、分からねえんだからな」
グレンの後ろに、セリーナと他の冒険者たちのうんうんと頷く姿が見える。
うう、ごめんなさい。考えなしでした。
グレンは大きく息を吐き出すと、次から気を付けるように、と私の頭をぽんっと撫でた。
「で、どうした、急に」
「……」
「俺達は仲間だろ?」
覗き込んだグレンへ、小さく、呟いた。
「……お母様」
「ん?」
「さっき行ってた、真っ赤なハーピー。お母様と、同じなの」
学者という人間の亡骸に喰らいついていた、女の顔を持った鳥。
山へと飛んでいったその鳥の羽根は、鮮やかな真紅の色をしていた――。
もしかしたら、それは別の同胞の羽根かもしれない。お母様であるという、確証はない。けれど、胸の中を色んな感情がグルグルと巡っている。
群れを統べる、偉大な女王。二番目に生まれた娘として、いつだって尊敬している、大好きなお母様。
そんなヒトが、人里という天敵の縄張りの近くで人間を食べ、“凶鳥”なんて呼ばれている。
そう思ったら、途方も無く不安になった。
私の心は、たぶんもう、人間たちに――グレンたちに寄り添っているのだろう。
「――リア」
グレンの手のひらが、俯く私の肩を包んだ。
「まだ、リアの母さんとは限らないだろ」
「ルウ、そうだけど……」
「仮に、その村の人達が言う凶鳥が、リアの母さんだったとしてもだ。俺らは別に、リアやリアの母さんを悪く言ったりしない。それに、今回の目的は、凶鳥を討伐する事じゃないだろ?」
……そうだ。私が、町を離れて冒険しているのは、お母様や姉妹たちの居場所を調べるため。みんなに、灰色の羽根が抜けて一人前になった事を、伝えるためだ。
「大丈夫。俺達はリアの味方だ」
真っ直ぐと見つめるグレンと、その後ろのセリーナや冒険者たちに、私もようやく強張りが解けた。
「……うん、ありがとう」
グレンはニカッと歯を覗かせ、もう一度、私の頭をわしわしと撫でた。
「――でだ、これからどうする」
「そうね、そのハーピーを探すべきだと思うけど……まずはいったん、村へ戻らない?」
「そうだな、それがいい。準備を整え、歩きっぱなしの身体を休めて、またここへ来よう」
うう、ごめんね。考えなしで。
項垂れる私の背を、セリーナがよしよしと撫でた。
「森に入って、まだそんなに奥へは来ていないはずだ。一度、外に向かおう」
グレンたちはすぐに踵を返し、小さな村へと向かうべく歩き始めた。
私もその後ろに続こうとしたけれど――風の音が微かに変わったのを聞き、足を止めた。
「リアさん?」
「ん? どうした、リア」
振り返るグレンたちへ視線を向けず、空を仰ぐ。
「――来るよ」
「え?」
「――何か、来るよ」
木々の茂みが、ザアア、と葉音を奏でる。静寂に満ちた森を見下ろす、晴れ渡った青空には、何の影もない。
けれど、確かに、風が変わった。風の音に、違う音色が加わったのだ。
「何処からだ、獣の魔物か」
「ううん、違うよ――空から、来るよ」
導かれるように、再び空へ翼を羽ばたかせる。
耳を澄ませ、音色が聞こえる方角へと身体を向ける。じっと見つめる先には、豊かに生い茂るたくさんの樹木が佇んでいる。その向こうには、あの山岳が雲を抱き、悠然と構えていた。
何かが、そこからやって来る。
小さな、とても小さな影。一つではなく、いくつもある。けれど不思議と恐ろしさなど全く感じず、段々と大きくなっていく影に胸が高鳴った。
吹き付ける風に混じるその音は――羽音だ。
やがて、風に乗って、歌が聞こえた。人間の言葉ではない。私たちのさえずりだ。
「ピュイィィィィ……――」
群れを離れてから使う事の無かった、懐かしい呼びかけの歌を紡ぐ。
僅かな静寂の後、同じ歌が返ってきた。
胸がぎゅっと掴まれるような、懐かしい、声だった。
ああ、これは、やっぱり――!
近付いてくる影の輪郭が何のか、はっきりと理解する。
風を切って空を進む、大きな翼だった。
そして、私のもとへ真っ直ぐと近付く、先頭で羽ばたく翼は……――。
『二の姉様ァァァアアアアーーーー!!』
――花が咲いたように可憐な、柔らかい薄桃色の羽根だった。
仲間を置き去りにし、凄まじい速度で一番手に突撃してくる翼の持ち主は、懐かしい……ただただ懐かしい、可愛い四の妹であった。
久しぶりに見た四番目の姉妹の姿に、私の表情も自然と緩んだ。
「四の妹! ひさしぶ……んぶウッ!!」
「ピャァアアアアアア!!」
四の妹は、仲間を置き去りにする速度のまま、正面から私へ突っ込んできた。
錐揉みをするように激しく空中で回転し、後方へと吹き飛ばされる。真後ろにあった樹木の茂みへと、二人揃って突っ込んだ。
「リアーーーッ?!」
グレンの叫び声が響いたが、それを上回る数の羽音と鳴き声が、地上に居た彼らを覆った。
四の妹の後ろにいた仲間が、追いついたのだろう。
「くそが、強襲か……!!」
「全員、戦闘開始!!」
かつての群れの同胞である、美しいハーピーたちが、甲高い威嚇の鳴き声を響かせる。
瞬く間に緊迫した空気が広がっていく中、その一方の私はというと――四の妹の無邪気な抱擁を受けていた。
『二の姉様、すごいすごい! とっても綺麗!』
『私の事、ちゃんと分かるの?』
『分かるよ! だって二の姉様の匂いと、歌声がしたもの!』
灰色の雛から一人前になっても、その声域の癖などは変わらない。立派な大人になった姉妹たちを私が一度たりとも間違えなかったように、彼女たちも、同じだった。
――いや、そうじゃない。
『灰色じゃなくなったのね! すごいよ、二の姉様!』
私の事を、まだ覚えていてくれたのか。
薄桃色の四の妹は、記憶の通りに、相変わらず花がぱっと咲いたように可愛らしい。頬を赤らめ、上機嫌に私の胸元に額を押し当てている。
『真っ白な羽根も素敵~~~』
『えへへ、そうなの。私も灰色を……じゃなくて。四の妹、どうしここに居るの?』
『縄張りの見回り。今日は、私の役目なの!』
えっへんと、実に誇らしそうに四の妹は言った。
そっか。女王の四番目の娘として、お母様のお手伝いをしているんだ。
群れで共に過ごしていた頃、四の妹は一人前になっても甘えん坊だった。二の姉様、二の姉様と、いつも私にくっついてきた。そんな彼女も、今では女王の娘としての役目を果たすべく、仲間を引き連れ立派にやっているようだ。
四の妹が、ここに居るという事は――“凶鳥の狩り場”というのは群れの縄張りであり、“凶鳥の住み処”というのは生まれ育った故郷であるという事だ。
あの山の天辺に、大きな巣を築いた、あの立派な大樹があるはず。
(そっかあ。ここが、私が生まれた場所だったんだあ)
灰色の私は、あの山に築かれた巣を離れた時、無我夢中になりながらきっとこの森を越えたのだろう。行き先を見失い、ぐるぐると迷って北の森へと入り込み、草原へと辿り着き――グレンに、見つけてもらった。
そう思うと、感慨深いものがあった。
――あ、いやいや、和んじゃってる場合じゃない!
ようやく現状に意識を戻すと、私はすぐさま四の妹へ視線を戻した。
『四の妹! あのね、私が今日ここにきたのは』
『――二の姉様、なんだか、人間くさい』
上機嫌だった四の妹の声に、怪訝な気配が滲んだ。
『あ、えっとね、私、今は人間のところで暮らしていて……――』
『人間?! どうして人間のところになんて!』
可愛らしい顔立ちが、一瞬のうちに、怒りで歪んだ。
二の姉様、二の姉様、と甘えてきた可愛い妹。そんな彼女の、突然の変貌に、声が詰まってしまった。
『まさか……人間に捕まったのね?!』
四の妹は、美しい桃色の羽毛を膨らませ、大きな瞳をギッと怒らせる。
勢いよく振り返り、地上にいるグレンたちへ視線を定めると、激怒する鳴き声を激しく響かせた。
『あの人間たちね……! 絶対に許さない、引き千切ってやる!』
『違うよ、四の妹! あの人間たちは――』
『安心して、二の姉様。お姉様が群れから離れても、私たちの姉妹よ。お母様だって、許してくれる』
『あのね、四の妹。私はそのお母様に用事があって……――!』
一生懸命に声を掛けたが、だいぶ感情が昂ぶっているらしく、まったく届いていない。
いつもふわふわとして可愛かったお前のそんな姿、二の姉様は初めて見たかもしれないよ……。
四の妹は他のハーピーへ視線をやると、一の姉様と三の妹、そしてお母様を呼んでくるよう指示を出した。私が止める隙もなく、一羽のハーピーが身を翻し、飛び去ってしまった。
『違うよ、四の妹! あの人間たちは、みんな良い人間だよ!』
『どうして?! 人間は私たちの天敵! お母様にもそう教わったじゃない!』
そうなんだけど、そうじゃないんだよ。
人間にも良い人間と悪い人間が居て、ここに居る彼らは“良い人間”なんだよ。
何度も必死に説いたけれど、四の妹は困惑を露わにし、理解できないといった風に私を見つめている。
……ああ、そうだ。私は、人間の住み処に踏み入れ、人間たちの姿をこの目で見て学んだ。お母様の教えには無かった、人間の姿を知ったのだ。
けれど、四の妹や、かつての群れの仲間は、違う。
彼女たちは、人間――それも、天敵の代名詞である冒険者という認識が、揺るぎないのだ。
巣の中で守られ、何にも知らなかった灰色だった私と。
一足早く巣の外に出て、自然界での暮らしを身をもって知っていった姉妹たちとでは。
考え方に、きっと、違いがあるのだ。
「ええい、くそ! こいつら、倒した方が良いんじゃねえか……?!」
「駄目です! リアさんの家族の可能性があるのなら、ここで諍いを起こすと二度とリアさんが会えない!」
「話は分かるけどな、セリーナ! このまま防衛ってのも……!」
かつての仲間たちが、足指の爪をかざし、グレンたちを襲っている。
私は四の妹を押し退けると、彼らのもとへ急いで飛んだ。
『二の姉様、待って!』
『違うんだよ、四の妹! この人たちは、私の大切な人たち! 敵じゃないの!』
『で、でも、人間は……』
その時、新たな翼の羽音が、遠くから聞こえてきた。群れの増援だ。
その集団の先頭にあったのは――鳶色の翼と、金色の翼。
一の姉様と、三の妹だった。
懐かしさに浮かんだ喜びは、彼女たちの殺気立った表情によって消える。このままでは、本格的に争いが始まり、双方が傷ついてしまうだろう。
そんな事、これっぽっちも望んではいない。
違う。こうじゃない。
こんな風になりたくて、冒険に出たわけではない。
私が思い描いていた風景は――けして、こんなものではない。
『~~~~~ッ!! 止めてってばァ!!』
グレンたちと、同胞たちの間へ割って入り、膨れ上がる感情を止める事なく爆発させる。
ゴウ、と唸り声を上げるほどの激しい突風が吹き荒び、両者は等しく風に弾かれ後退した。
突然の暴風を浴びせられ、その場にいた全員が目を丸くする。衝突する寸前の空気は、その気勢が失われ、舞い戻った静寂によって覆われた。すかさず私はかつての同胞たちへ視線をやり、どうか攻撃しないよう懇願する。
『驚かせたし、紛らわしいかもしれないけど、争いに来たんじゃないの! お願い、止めて!』
ハーピーたちは、顔を見合わせ、動揺を浮かべる。
彼女たちを押し退け前に進み出たのは、援軍としてやって来た一の姉様と三の妹だ。
『……二の妹?』
『……二の姉様?』
凜々しい鳶色の羽根と、目映い金色の羽根。懐かしい姉妹たちのもとへ、私はふわりと近付いた。
『一の姉様、三の妹、久しぶり。群れを抜けたのに、いきなりごめんなさい』
『――灰色の羽根が、抜けたのか!』
『すごいわ、二の姉様!』
二羽の姉妹は、わっと歓喜の声を上げ、私に飛びついてきた。
『仲間から戦いに呼ばれた時は、何事かと思った』
『一体、どういう事なの?』
『うあああん! 二の姉様、おごらないで~~~!』
そのうち四の妹もぴいぴいと泣きながら加わったため、私は彼女たちの中心でもみくちゃにされる。
ああ、懐かしいなあ、この賑やかな感じ。いつもこんな風に、羽根を寄せ合っていたっけ。
「えーと……リア、そのハーピー達は……」
恐る恐るといった風に、グレンたちが声を掛けてくる。すっかり場の空気が変わってしまい、彼らの面持ちは戸惑いで色濃く染まっていた。
「あのね、私の姉妹! 一の姉様と、三の妹と、四の妹!」
「は? 姉妹?」
「ええっと、という事は、つまり」
「私の家族!」
グレンたちへ告げた――その瞬間であった。
上空から、大きな羽ばたきの音が舞い降りた。
私のものとも、姉妹のものとも異なる、重く厳かな翼の音色。群れにいるどのハーピーよりも大きく、そして力強いその翼は――群れを率いる王者しか、持つ事はない。
ドキリと心臓が飛び跳ねるのを感じながら、顎を跳ね上げ、空を仰ぐ。
澄み渡る青空を焦がすような、見事なほど鮮烈な真紅の色が、視界を染め上げた。
「――ほう。縄張り近くを荒らす者が現れたと聞いたが、これはまた、珍しい組み合わせでやって来たものだ」
艶やかで、それでいて勇ましく厳かな、女王の美声。
張り詰めた空気に、その声は凜と響いた。
仰ぎ見るグレンたちから、驚きが走ったのを感じる。美しいほどの流暢な言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。
けれど、私は彼らへ視線をやる事など出来ず、他のハーピーと同様、すぐさま身体を伏せ額ずいた。
「と、突然、縄張りを騒がせてしまって、ごめんなさい。えっと、私は、私は……」
言葉が、上手く回らない。どんな風に話そうか、どう伝えようか、考えていたはずなのに。
懐かしいそのお声と、お姿に、全て吹き飛んでしまった。
地面に額を押しつけたまま動けないでいると、視界の片隅に、真っ赤な羽根が映り込んだ。
「――羽根の色が変わろうと、私がお前を間違うはずがあるまい」
たおやかに微笑みながら、女王が私の正面へ腰を下ろしていた。
「さあ、顔をお上げ。私に、よおく見せておくれ」
「あ……」
「またお前に会えるとは、思わなかったよ」
豪奢な美しさをその身に纏う、真紅の女王。
この世界で、一番尊敬し、一番憧れている――お母様。
もう二度と、見る事など叶わないと思っていたその姿に、じわりと熱いものが胸の奥から溢れてきた。
「お、かあ、さま」
「ああ――大きくなったな、二の娘。綺麗な、とても綺麗な羽根だ」
私はたまらず、お母様の柔らかい大きな胸へしがみつく。額を寄せ、雛鳥のようにみっともなく鳴き続ける。
そんな私を、お母様はけして振り払わなかった。大きな赤い翼で包み、落ち着くまで何度も、私の背を撫でてくれた。




