おとぎ話の始まり(4)
2019.03.14 更新:1/1
「――グルルゥァァァアアア!!」
獰猛な咆哮が、静寂に覆われていた森の空気を荒々しく震わせた。
艶のない暗い褐色の毛皮に覆われた躯体は、どっしりとした重量感がある。太い後ろ足で立ち上がり、二本の両腕を広げれば、その存在感はよりいっそう増した。
グレンたちの背丈を軽々と越える巨躯で行く手を阻んだその魔物は、両腕をぶん回し、凶悪な太い爪で襲いかかってくる。激しい呼気を吐き出しながら、無差別に、辺りの木々を抉り叩き割った。
「さすが、北の森名物の熊さん! 相変わらずでっけえな!」
「感心してる場合か! 防げ!」
凶暴な面持ちで吼え猛る熊の魔物は、高く掲げた太い爪を、力任せに振り下ろす。暴威に満ちた攻撃を防ぎ、かわしながら、グレンたちはその距離を保った。
熊の魔物は、目の前で動くグレンたちにのみ、執拗に迫っている。
自らの背後と、頭上は、全く気にも留めていないようだ。
熊の魔物にしっかりと狙いを付け、空中で身を翻す。両腕の翼を閉じ、一気に上空から急降下した。
風を切り、目の前に迫る木々の間を潜り抜け、無防備な獣の背後を捉える。両脚の足指を広げ、その背を渾身の力で蹴り飛ばす。
「グルァアッ?!」
予期せぬところからの強襲を受け、熊の魔物は体勢を崩す。ぐらり、と聳え立つ巨躯が揺れ、意識が私へと向かう。
その瞬間を、グレンたちは見逃さなかった。
手にした武器を構え、素早く反撃へと転じた。獰猛な咆哮が、痛烈な叫びへと変わる。二本足で立ち塞がり、猛然と襲い掛かってきた巨躯は、やがて地面へ崩れ落ちる。
「――これで、最後ォ!」
グレンの剣が、高く振り上げられる。下ろされた全力の一撃は、魔物の首を切り裂いた。
戦いが終わり、辺りに何事も無かったような静けさが戻る頃、私も空中から地上へと降り立った。
襲いかかってきた大きな熊の魔物は、無事に倒せたようだ。苦手な血肉の臭いがするので、あまり近付けないけれど、グレンたちの様子からして怪我を負った人は居ない。
「ああ、リア、お疲れ。よくやったな」
「グレン、大丈夫? セリーナも、平気?」
「ええ、大丈夫ですよ」
良かった、と安堵すると、グレンの手のひらが私の頭をわしわしと撫でた。
「空からの強襲も、だいぶ上手くなってきたな。かっこよかったぞ」
「本当? 上手に出来た?」
「おう、出来てたぞ」
満面の笑みで褒められ、私の胸にも誇らしさが宿る。お母様や姉妹たちの真似ではあるが、みんなの手助けになれるくらいには、無事に形になったようだ。
北の森を抜ける、とは言うが、実際は北の森の一角を抜ける道程らしく、深部へ向かっているわけではない。しかし順調に進んではいるものの、たくさんの人間が通る街道から離れると、魔物との遭遇も頻繁になる。初日と二日目は穏やかだったが、日を重ねるごとに魔物との戦いが避けられなくなってきた。そうすると、グレンたちが武器を持ち、立ち向かわなくてはならないが……。
斥候役だけでは駄目だ。私自身も、もっと戦いに参加しないと。
血や生肉を苦手とする一面が祟り、勇猛果敢に敵を切り倒すような事は出来ない。しかし、翼が持つ機動力を生かした上空からの強襲や不意打ちの撹乱などは出来るはずだと、練習を始めたのだ。
初めは見ていられないくらいに不格好で、直線上に立っているものに激突したり、たまたまその先にいたグレンを何度も吹き飛ばしていたけれど(どうしていつも俺なんだ、とグレンは吹っ飛びながら叫んでいた。本当に申し訳ない)ようやく形になってきた。
お母様や姉妹たちが戦っている時の真似なので、みんなにはまだ到底及ばないし、血肉の苦手な私ではあの勇ましく美しい境地には至れない。それでも、こうした不意打ちを得意にして、風と浄化の魔法も上手に使えれば――みんなとは違う、別の大人になれるはずだ。
「私、頑張る!」
両腕の翼を広げて意気込みを新たにすれば、グレンたちは笑って応援してくれた。
◆◇◆
――そして、北の森を歩き始めて、四日目の事。
ついに薄暗く不気味な森を抜け、件の大河が目の前に広がった。
「よっしゃー! 抜けたー!」
「ピャァアアア!」
両腕を上げる冒険者に混じり、私も両翼を広げて喜びを表す。普段は冷静なセリーナも、表情をぱあっと明るくさせ、嬉しそうに微笑んでいた。
「こういう瞬間が良いよな、長旅ってのは」
グレンに覗き込まれ、セリーナはハッとなって咳払いをし、面持ちを繕った。
セリーナ、嬉しいならもっと、わあって喜んで良いのに。
そういうところは、少し素直じゃなくて、不器用な人だと思う。それにどれだけ表情を澄ませてみても、森を抜けた事が嬉しいのだろう本心は全く隠せていない。不器用で、可愛い人だ。
「ようやく、中間地点だな。えーと、今は……この辺だな」
懐から取り出した地図を広げ、進むべき方角などを確認し始めた。
「もうしばらく歩く事になるけど、噂の発端になった農村が近くにある。まずはそこに行こう」
「そうね。休憩と、補給も兼ねて。でも、ちょっとここいらで休みましょう」
腰を下ろし休憩を取るグレンたちの傍らで、私はじっと見上げていた。
目の前を流れる、とても大きな川幅の大河。その向こうには、ぐっと距離の近づいた、目指す場所である山岳が聳えている。
豊かな自然に満ちた、雄大な景観――しかしその山と麓には、“凶鳥”と呼ばれる魔物が現れるのだという。
凶鳥という名はさておき、そこに鳥の魔物がいるというなら、どのような姿をしているのだろうか。
胸に過ぎった不安など気にも留めないように、川岸に吹く風は優しく私の髪を揺らしていった。
大回りするのは大変なため、一人ずつ肩を掴み対岸へと運んだ後、噂の発端となった農村を目指した。大河からそう遠く離れていないところに構えているようで、すぐにその村を見つけた。
一口に人間の住み処と言っても、その暮らしぶりは場所によりだいぶ異なるらしい。草原の町は、建物がたくさん並び、店が立ち並ぶ通りも舗装され、毎日たくさんの人が賑やかに行き来していた。けれどこの村は、喧騒とは無縁な、長閑でゆったりとした空気が流れており、歩いている人の数も多くはない。平らにならされただけの地面の上に、小さな家々と畑が並んでいる。
あの大きな大河によって守られているとはいえ、北の森が近くにあり、しかも反対側には“凶鳥の狩り場”と呼ばれている場所がある。二つの危険に挟まれているようなものなのだが、鬼気迫る緊張感は僅かとも無く、ほっとする温かみで溢れていた。
「この辺りには来ないんだけど……長閑で優しい村だな」
「凶鳥の狩り場に近いのに、平和そのものね」
グレンたちも不思議そうに疑問をこぼしたが、一先ず立ち寄ってみる事にし、農村の入り口へと向かった。
柵の傍らには、こっくりこっくりと頭を上下に揺らす老人が座っている。門番の役、だろうか。いや、農作業の後の休憩を取っているだけかもしれない。
「……ん、んん? こりゃあ驚いた、冒険者のご一行かい?」
しゃがれた声が、のんびりと驚きを表した。
「こんにちは、じいさん。ちょっとした用事があって来たんだ。この村の人達に、少し話が聞きたくて」
「へえ、珍しいなあ。こんな何も無い村に話だなんて。好きに入っておくれよ」
老人はよっこいしょと腰を持ち上げると、村の中に招いてくれた。グレンたちはその後ろへ続き、村へ入ろうとしたけれど――老人の目が私を映した瞬間、しわだらけの優しかった顔をぎょっと大きく歪めた。
「ちょっと待っておくれ、お前さん達」
「え、はい、何でしょう」
老人は、両目を大きく開きながら、グレンたちを押し退け、私の真正面へと近付いてくる。何かを疑うような感情を嗅ぎ取り、私は肩を強張らせて視線をさまよわせた。
「お前さん達、この子は……山にいる鳥でねえか?!」
老人の、木の枝のように細くしわがれた身体から、信じられないといった風の声が放たれた。その思わぬ大音声に、私はたまらず全身を竦ませ、慌ててセリーナの背に隠れた。
「いや、じいさん、こいつは――」
「あの恐ろしい鳥を、村ん中に入れるわけにゃいかねえ。悪いが帰っとくれ!」
先ほどまであったのんびりとした物腰は、すっかり無くなってしまっている。しわだらけの顔に見えるのは、ありありとした拒絶のみだ。
その剣幕に、私は何も言えず、セリーナの背中にしがみつくしかなかった。
これは、きっと、そう――“怖い”のだ。初めて冒険者と出会った時の、恐怖ではない。自分の存在を真っ向から否定され、近付く事を厭われた、恐怖。
――私が、魔物だから。
「リアさん、あっちに」
「ルウ……セリーナ、あの、ごめんなさ……」
「いいえ、リアさんは悪くない。絶対に、悪い事なんて何もない」
セリーナに肩を抱かれ、村から離れる。ちらりと振り返ると、グレンたち冒険者が、がなり立てる老人をどうにか宥めようとしていた。冒険者ギルドで暮らしている魔物だと説明してくれているが、老人は聞く耳を持たない。そのうち騒ぎを聞きつけた村の住人たちが集まりだし、一体何事かと不安そうな面持ちを見せた。
順調だった初めての冒険は、ここに来て、その勢いを折られてしまった。
他ならぬ、私のせいで。
結局、人の中で暮らす魔物だとは苦闘の末に理解してもらえたものの、私が村の中に入る事は認められなかった。
友好を伝える事も許してもらえない、酷い嫌われようだった。
村の中へ入るのは冒険者たちのみとなり、私は村の外で、セリーナとグレンと共に待つ。
「まったく、とんだ歓迎だな」
「本当に。いきなり大きな声を出されて、びっくりしました」
「あの、ごめんなさい。私……」
意気消沈して項垂れる私へ、グレンの手が伸びる。大きな手のひらが、いつものようにわしわしと頭を撫でた。
「リアは悪くねえぞ、絶対。落ち込まなくて良いからな」
「ルウ……」
「初めて訪れた場所ですから、予期せぬ事もあります。私達は、リアさんが優しいハーピーだと知っているんですから」
両隣に座る二人から、穏やかに慰められる。込み上げてくるものを覚え、ぎゅっと唇を結んで絶える。
……落ち込んでも仕方がない。魔物と人間は昔からそういう関係で、理解し合うには時間が掛かるのだ。今回はこうなってしまったけれど、次はもっと上手くやろう。
折り畳んだ翼で、両頬をぺちぺちと叩き、気分を新たに変える。
「それにしても、ギルドの純白のハーピーと言っても、あまり通じませんでしたね。リアさんの事は、けっこう色んなところに広まったと思っていたのですが……この村には届いていなかったようです」
災害級に匹敵する害獣を討伐した、冒険者たちと、一羽のハーピー。
あの戦いの後、様々なところでそう語られ、現に草原の町を訪れる人々が一時期は膨大な数になった。しばらくの間は、大変な騒ぎとなっていたが――。
「ああ。それかもしくは、鳥の魔物にまつわる話は、この村では触れてはならないものなのかもしれないな」
囁くようにこぼれたグレンの呟きは、私の中で不思議と繰り返された。
「とすると、あの反応からして、山にいる鳥ってのは――ん?」
不意に、グレンが顔を跳ね上げる。釣られて私も顔を起こし、彼の視線を追った。
村を囲む木の柵の向こうから、小さな子どもたちが私たちを覗き見ていた。
「村の子達でしょうか」
「たぶんな。よっす!」
グレンはいつもの調子で笑うと、気さくに片手を上げる。子どもたちは驚いたように飛び跳ね、柵の影に引っ込んだが、そろりそろりと再び顔を出した。そして、子ども同士で顔を見合わせると、意を決したように話しかけてきた。
「兄ちゃんたち、村の中にいる冒険者の仲間だろ?」
「ああ、そうだよ」
「その……隣にいる、真っ白な奴……ハーピーなんだよな!」
グレンは一度、私へ視線を移した。私が頷くと、彼は子どもたちへ明るく告げた。
「ああそうだ。でも、こいつは危険じゃないぞ、なんたって冒険者とギルドのお墨付きだからな!」
子どもたちは背を向け、何やら内緒の話し合いを始めたが……やがて勢いよく立ち上がると、柵を乗り越え、私たちのところにまで駆け寄ってきた。先ほどの剣幕もあって、怖がられるだろうかと少し緊張したけれど、どうやら杞憂だったらしい。私の前にやって来た子どもたちは、恐怖ではなく輝くような好奇心を放っていた。
「すっげえ! 俺、ハーピーなんて、初めて見た!」
「こんなに近くで見た事ないや! すごい!」
「わあ、きれい……絵本で見た、天使さまみたい!」
興奮したように、私を見つめる子どもたち。無邪気な視線に囲まれ、思わず笑みがこぼれる。
「ルウ、ありがとう」
「わああ! 喋った!」
「すっげええええええ!」
身振り手振りで驚きと興奮を表し、はしゃぎ回るその様子は、町の孤児院の子どもと何ら変わらなかった。元気で、無邪気で、あどけない明るさに溢れている。そのうち、一人の子どもが腕を伸ばし、羽毛に覆われた私の太腿をふわふわと触り始めた。
「すっげえ、ふかふかだ。俺んちのベッドより柔らかい!」
「まっしろで、すごくきれい。ふわふわだぁ」
「あ、僕も! 僕も!」
大はしゃぎしながら、髪や翼、羽毛で覆われた太腿、硬い脚などに、小さな手をぺたぺたと重ねてゆく。すっかり警戒心も無くなったようで、翼の下に潜り込んだりして遊び始めた。
「まっしろできれい!」
「ハーピーは喋るんだな、すげえ!」
「こいつがちょっと特別なんだけどな。なあ、君らはこいつの事、怖くないのか?」
グレンが尋ねると、子どもたちは揃って首を振った。
「じいちゃんやばあちゃんたちは嫌がってるけど、俺らは別に平気」
「冒険者と一緒って事は、契約獣とかなんでしょ? ほら、とっても綺麗な首輪してるし」
契約の証拠でしょ、僕知ってるよ! 少年は得意げに言った。残念ながらこれは契約の魔法の首輪ではなく、色んな魔法を組み込んだ特別製のチョーカーなのだが、都合が良いから勘違いさせたままにしておく。
「遠くの町に野菜売りにいってる、隣んちから聞いたよ。すっごく大きな戦いがあって、そこでハーピーが活躍したって」
「僕も聞いたよ。すごく大きな害獣と、冒険者とハーピーが戦ったんでしょ?」
その言葉を聞き、セリーナの青い瞳がきらりと輝いた。
「そうですよ。魔力溜まりから産み落とされた巨大な害獣が、草原の町へやって来たんです。その害獣の核を砕いたのは、このハーピーと、そこにいる冒険者なんですよ」
「すっげー!」
「すごーい!」
たちまち上がる歓声に、セリーナは誇らしそうに胸を張った。
「この村は大丈夫だったのか? けっこう近いだろ、森と」
「おっきい川が流れてるから。魔物は嫌がって渡ってはこないって、お父さんたちは言ってるよ」
「俺、そのハーピー見たかったんだ! めっちゃ美人!」
子どもたちの様子から察するに、どうやら鳥の魔物を忌避しているのは、老齢の村人のようだ。目の前ではしゃぐ子たちには、私に対する抵抗感は見当たらない。
「俺らは別に平気なんだけど、じいちゃんたちは鳥の魔物を嫌がるんだ。あの山の下にある森も、鳥の狩り場だからってあんまり行こうとしないし」
「でも、おじいちゃんたちが言う鳥が、村に来たことは一度もないよ。森の奥では羽根が落ちてるって、お父さんたち言ってるけど」
「そうなのか……何でおじいちゃん達が嫌がるのか、分かるか」
その問いかけに、子どもたちはほんの少し、顔を見合わせた。
「えっとね、学者せんせーがその鳥に襲われて、死んだからなんだって」
「学者先生?」
「ここに来てた、男の先生! ずっと前から来てたんだよ、研究だとか調査とかで」
「わたしたちに、おべんきょうを教えてくれたりもしたんだよ」
「ふうん……?」
満足した子どもたちが村の中へ戻ると、その入れ代わりで、冒険者が戻ってきた。
「色々、聞いてきたぞ。あまり、楽しい話じゃないが」
彼らの視線が、私へと集まる。気にせずに続けるよう促すと、彼らは頷き、ゆっくりと語り始めた。
「二、三年くらい前らしいんだが、この村の近くで、男が亡くなったらしい」
その人物は、この地域周辺の調査や研究と称してはたびたび訪れていた、学者だったそうだ。亡くなる直前まで足繁く通うほど熱心な学者で、村にも頻繁に顔を出していた。長い付き合いだったのだろう。
「足繁く通ってか……北の森を抜けて?」
「いや、村人だけが知ってる抜け道のようなものがあって、そこはわりと安全なんだと。まあ、普通に森を突っ切るよりも時間は掛かるらしいが」
そしてある日の朝方、村の外れで魔物に襲われている学者を発見した。畑仕事に出ていた村人たちが慌てて石礫を投げつけると、魔物はすぐに離れたが、既にその学者は亡くなっている状態だったという。
調査と称して頻繁に出歩いていたから、その日も朝方に出かけ、運悪く襲われたのだろうと、村人は言ったそうだ。
もしかしたら、またあの魔物がやって来て、村を襲うかもしれない。住人達はここから最も近い町へ大急ぎで駆け込み、その旨を伝え、魔物の討伐依頼を出したという。
「それが、ギルドに出されたっていう、鳥の討伐か」
「ああ。結局その後、そいつの被害は起きなかったらしいけどな」
学者の亡骸を貪った魔物が姿を見せたのはその一度きりで、今日に至るまで村へやって来ていない。
しかしその一度きりの恐怖を、特に老齢の村人は恐れるようになった。恐ろしい鳥が居ついたと、あの鳥がいつの日か再び人間を貪りにやって来る、と。
そうして村では、その魔物に関する事が、特に忌避されるようになったらしい。
「で、その魔物とやらが――ハーピーなのか」
「ああ。だからリアちゃんにも、あんな態度をしたんだろうな」
「亡くなった学者とやら、よっぽど好かれていたんだな」
「抜け道を教えたくらいだ。少なくとも、歓迎されていたんだろう」
会話が途絶え、静けさが訪れた。ふわりと過ぎる風には、微かな緊張が含まれていた。
「――これはもう、疑いの余地が無いな」
村の背後に見える、雲に抱かれた大きな山脈。その何処かに、ハーピーの巣がある。
「つうか、その学者を襲ったのがハーピーって、何で分かるんだ?」
「ああ、それなんだけど、学者を見つけた村人がその姿をはっきりと目視しているのよ」
「女の顔を持った鳥が、亡骸に喰らいついていたそうよ。山に飛んでいったそいつは、鮮やかな真紅の色をした羽根をしていたらしいわ」
――……今、何て言った。
真紅の、羽根?
真紅?
真紅と、言ったのか?
「リアさん?」
「リアちゃん、どうしたの?」
不意に急き立てられ、立ち上がると同時に、翼を広げる。乱暴に風を巻き起こし、空へと飛び立った。
「あ、リア! 待て、何処に行くんだ!」
制止するグレンの声も、今は、聞こえなかった。
――無益な争いも時には避けられる
――覚えておけば、いずれ役に立つ
貴女はそう言って、私に、私たちに、人間の言葉を教えてくれた。あの時は言われるがままに覚えていたけれど、今は教えてもらえて良かったと感謝している。落ちこぼれだった私の居場所を繋いでくれた、かけがえのない宝物だ。
そして、それを授けてくれた貴女を、群れを離れた今でも、心から尊敬している。
「お母様……!!」
群れを統べる、偉大な女王。真紅の羽根を持つ、美しいお母様。
――貴女が、凶鳥なんて、呼ばれるはずがない。




