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2017.12.09 更新:2/2

 私たちハーピーは、鳴き声で仲間と会話をする。

 しかし、母である女王は、鳴き声だけでなく“言葉”という不思議な音色を扱う事が出来た。


「良いか、可愛い娘たち。これは地上に存在する人間たちが使うものでな、これをお前たちに教えようと思う」


 どうしてと全員で尋ねると、美しい母は必要になるからだと厳格に説いた。


「人間たちは、我々、魔物と同等の繁殖力を持っていて、地上のいたるところに大きな巣を作って暮らしている。彼らは基本的に弱いのだが、知恵が回り様々な物を作り出している。そしてその中には、我々を殺す力を持つ人間も大勢居てな」


 その人間たちは、魔物を殺すと食べるだけでなく、爪や牙、毛皮を剥ぎ取り、それらを武器や防具に変えるという。

 この山脈の下にも居る、小鬼(ゴブリン)たちもよく似た事をするが、それとは比べ物にならないほどに殺傷力に富み、その他にも様々な道具を用いるのでとても危険だという。


 何の脅威も無さそうに見えても、その実、我々を殺す力を持つ個体も数多く存在している。ゆめゆめ油断してはならないよ。

 まだ人間に出会った事のない私たちでは、そう語る母の言葉をあまり理解出来なかったが、それでも注意すべき存在として認識はした。


「だからこそ、彼らの言葉を覚えるのだ。そうすれば無用な争いも時には避けられるし、群れの仲間を守れる。けして損はないぞ。それに、私たちが雛を産むには、彼らの精を貰うのが一番手っ取り早い」


 私たちの見目は、人間の雄たちに好かれるようだからな――そう言った母は、女王に相応しい艶やかな微笑みを浮かべていて、娘である私たちまでドキリとしたものだ。


「ともかく、覚えておけば、いずれ役に立つ。今はまだ喋れないが、大人になれば使えるようになるからな。しっかり覚えるのだぞ、可愛い娘たち」


 はあい! と元気よく返事をした私たちは、こうして“人間の言葉”なるものを母から学んだ。


 あの時は、役に立つ事はあるのかと不思議でならなかったが――まさか本当に、そんな日が訪れるとは思っていなかった。

 しかも、こんなに早く。



◆◇◆



 ――パチパチ、と爆ぜる音が聞こえた。

 暗闇の深くに沈んでいた意識が浮上し、うっすらと瞼が持ち上がる。

 目の前には、ぼんやりとした赤い炎が揺れていた。


(……私、まだ、食べられてない?)


 意識が覚醒し、はっきりと瞳を開く。

 横たわっていた身体を勢いよく起こしたが、上手く力が入らず、べしゃりと早々に倒れ込んでしまった。

 じくじくと痛む両腕の翼を見下ろせば、片側の翼に木の枝が括りつけてあった。しかも、鼻を突き抜ける不快な匂いまで漂っている。

 何だろうこれ、どうなっているのだろう。

 混乱し、ばたばたと灰色の翼を羽ばたかせる。痛いのも構わず、括りつけられた棒切れを振り払おうと躍起になっていると。


「――ああ、駄目だろ。せっかく手当てをしたのに」


 傍らにやって来たものを見上げ、全身がびくりと竦み上がった。

 人間だ。人間の、若い雄だ。

 爪や牙を持たず見た目は脆弱だが、油断してはならない生き物――お母様が話していたものが、目の前に居た。

 初めて目の当たりにしたが、思っていたよりも随分と大きい。大人になっていない灰色の私では、まず太刀打ち出来ないだろう。住処の外にいた魔物たちより弱そうに見えるのに、酷く緊張して、心臓がドッドッと激しく波打つ。

 弱りきった身体に鞭を打ち、逃げようとするが、人間はさらに近付いてきた。


「翼が折れてるかもしれないんだ。無理に動いたら悪化するだろ」

「ル、ルゥゥ……?」


 びくびくと下げていた顔を、そっと向ける。

 人間は、困ったように笑っていた。姉妹たちとは違いだいぶごつごつとしているが、確かにそれは笑みである。


「通じてないだろうけど……とにかく動くな、な?」


 そう言って人間は、私の傍らに座った。

 何だ、何をする気だ。

 威嚇し睨んだが、人間に効いた様子はなく。


「翼以外のところも色々と傷だらけなんだ。見せてくれ」


 何故か、傷の心配をしていた。いくら小さいとはいえ、ハーピーという魔物の私の傷を。

 ……この人間は、何を考えているのだろう。

 全く理解できず、訝しげに睨むしかなかった。



 私の身体の具合を診ながら、人間は勝手に喋った。

 用事があってたまたまこの場所にやって来たという目の前の人間は、此処で野宿をしようと準備をし過ごしていたらしい。そこに、何かの鳴き声が遠くから聞こえ、さては夜行性の魔物かと様子を探りに向かったところ――(ハーピー)を見つけたのだという。


「そういう生業をしているとはいえ、さすがにぼろぼろに傷付いた魔物には剣なんて下ろせないしな……。それに、何か小さいし」


 ……この人間、失礼。

 羽根が抜け替わる時期になっても何故か全く変わらない中途半端な存在だと認めているが、それを人間に言われるのはとても腹が立つ。

 足の怪我がなければ、蹴り飛ばしてやったのに。

 母や姉妹たちのように戦えなくとも、引っかき傷ぐらいはきっと付けられるだろう。

 激しく身動ぎする事で不満を表現したが、暴れるなと窘められてしまった。私は悪くないのに、と唇を尖らせる。


「それにしても……ハーピーは何回か見た事があるけど、灰色のハーピーは初めて見たなあ」


 それはそうだ、灰色は雛の色なのだから。

 雛は住処の外へ出る事はまずないので、初めて見て当然だろう。


「翼も小さいし、身体も小さいけど、ハーピーっていう魔物だけあって美少女だな。こりゃ危険だわ、確かに」

「……ルゥ?」

「鳴き声も綺麗だし、灰色も可愛いもんだ」


 思わず、首を傾げる。

 灰色の雛鳥に、綺麗も可愛いもないだろう。そういうのは、母や姉妹たちに向けるべき言葉だ。

 人間の感覚は、私たちとだいぶ違うらしい。




「――よし、とりあえず急場しのぎだけど、手当て終わり」


 人間は満足そうだったが、私は複雑な気分のままだった。

 翼には枝を括りつけられるし、べたべた触られるし、おまけに鼻を突き抜ける変な匂いのする液体をかけられた。

 なんか、納得できない……汚された気分……。


「あんまり動くなよ。明日になれば、少しは良くなってるだろうから」

「ルゥウ……」


 そう言われても、気になるものは気になる。

 もぞもぞと身動ぎをしてひっくり返る私を、人間は笑って見ていた。


「あー、でも……目のやり場に困るというか……居たたまれない気分になるな」

「ルゥ?」

「なあお前、上の方を隠してくれないか」


 人間は布を広げて持ってきたが、自由が利く方の翼で叩き落としてやった。

 灰色の羽根は、恥ずかしいものじゃないんだから! これから変わる……かどうか分からないけど、隠すほど僻んでないんだから!

 威嚇したところ人間は布を下げたが、顔を覆ってぶつぶつと何かを呟く。


「だってこれ、パッと見て十歳とか十一歳とか、その辺だろ……誰かに見られたら終わるな俺」


 人間は大きな溜め息をこぼしていたが、顔を上げるとこちらを見て、仕方なさそうに口元を緩める。


「……まあ、ハーピーに服の概念なんかねえか。また明日どうにかしよう」


 人間は周りに散らばっていた物を集めて片付けると、懐から何かを取り出す。小石のような、小さな何かだ。しかしそれを見た瞬間、私の身体はぞわぞわと震える。得体の知れない恐怖を、それに感じた。

 人間はそれを手のひらに乗せ、歩きながらぱらぱらと落とし、自分たちを囲む。きらきらとして綺麗なのだけれど、近付いてはならないと本能的に思う。きっと、魔物を近寄らせないための道具か何かだ。


 ……という事は、これは、閉じ込められてしまった事になるのだろうか。


 ぱんぱん、と両手を叩き、人間は火の側に戻ってくる。緊張し身体を縮めたが、人間は腰を下ろしただけで不審な動きは見せなかった。


「疲れてるんだろ、何もしないから寝ろよ。俺も、もうしばらくしたら休むし」

「ルゥウ……」


 訝しげに睨んでみたが、実際、人間の言う通りだった。ろくに休息も食事も取れず移動し続け、体力はもう限界だ。闇夜に浮かぶ炎の温もりと、静かに爆ぜる音色が心地好くて、眠気がどんどん押し寄せる。

 最後の力を振り絞って人間から距離を取り、炎を挟んだ向こう側へ横たわる。灰色の身体を小さく丸めれば、それ以上はもう動けず、瞼が重く閉じていった。



 ――人間は、油断ならない生き物だよ



 何度も何度も、母からそう教わった。人間の側で動けなくなってしまうなんて、愚かな事だとは思うが……この若い雄の人間は、本当に自分を傷つける気がないのだろうか。

 眠っていると思い込み、近付いてきた人間は、私の身体に布を掛けてきたのだ。

 この人間も、どうかしている。何を考えそうしたのか、私には理解出来なかった。



◆◇◆



 ――あれから本当に眠ってしまい、気付いたら夜明けを迎えていた。

 月明かりが注ぎ青く輝いた草原は、朝陽を受け鮮やかな緑色に染まっている。これまでは見下ろしてきた太陽が、同じ目線の高さにあるというのも不思議だった。


 私が物珍しさに白く明ける世界を眺めている、その少し後に、人間も目覚めた。今思えばさっさと逃げていれば良かったのだが、住処しか知らない私は、目覚めた瞬間に飛び込んだ風景にすっかり目を奪われていた。

 今までは逃げる事で精一杯だったから、辺りを窺う余裕も無かった。ここが全く知らない土地なのだと、改めて理解した。



 人間は、あの鼻を突き抜ける匂いのする何かをまたも私に振りかけると、食事の支度をすると言いその場を離れた。

 お前の分も獲ってきてやると、ごつごつした笑みを向けられ、ついついお腹が鳴ってしまう。人間相手に恥ずかしいが、それはそれ、これはこれ。まともな食事が出来ると、期待してしまった。


 ――しかし、その期待は、すぐに裏切られる。

 私の目の前には、大嫌いな血の滴る生肉がドンッと置かれた。




「ビャァァァアアア!!」

「あれえ? おかしいな、ハーピーって生肉が特に好きだって聞いたんだけど」

「ビャァァァアアアアアアン!!」

「分かった分かった、引っ込めるから! そんな叫ぶなって! 耳がいてえ!」


 生肉は嫌! 生肉だけは嫌ー!!


 バサバサと灰色の翼を動かすと、人間はようやくそれを遠ざけてくれたが、おかしいなと何度も首を捻っている。

 不本意だが、今回は人間が正しい。仲間たちは皆、生肉を美味しそうに食べていたが、私は生肉嫌いの半端者。幼い頃のように気絶はしないけれど、こればかりは今もまったく受け付けられないでいる。


「ルゥゥ……」

「子どものうちは食わないのか。魔物の生態なんてさっぱりだが……さて、どうするかなあ」


 人間は声を唸らせながら、何かあったかな、と傍らにあった袋を開けて漁り始める。

 その時、ふわりと甘い香りが漂った。

 ぴくりと肩を揺らし、人間のつるりとした手に這い寄る。


「ルッ! ルゥルゥー」

「うお?! な、何だ、どうした」


 身を強張らせる人間を無視し、鼻先を袋に突っ込む。他にも様々な匂いがしたが、今とても気になるのは、この甘い香りだ。何だろう、とっても美味しそう。


「……もしかして、これが気になるのか」


 人間は小さな包みを引っ張り出すと、手のひらに取り出した。ころころと現れたのは、しわだらけの実。瑞々しさはまったくなかったが、鼻をくすぐる甘い香りは確かに果物だった。

 私が食べられそうなものだ!

 しかし人間の手の中にあるので、食べたくても食べられない。どうしようか視線をさ迷わせていると、人間は手のひらを差し出してきた。


「ほら、食ってみろよ。食いたいんだろ?」

「ルゥウウ……」


 しばらく人間と干乾びた果物を見比べていたが、空っぽのお腹が訴える空腹には勝てず。

 原っぱの上に座り込み、恐る恐る、慎重に足を伸ばす。そして、小さいが立派に尖った爪をプスプスと果肉に刺し、素早く取り上げた。心持ち人間から離れ、慌てて口に入れる。


 ……?! お、おいしい!


 今まで食べてきた果物のように、果汁が滴る瑞々しさはなかったが、甘みがぎゅっと濃くて口の中一杯に香りが広がった。不思議な弾力も面白く、噛むほどに味が染み出てくる。

 初めて口にした人間の食べ物は、予想もせずとてもおいしかった。驚くあまり、灰色の羽毛がぶわっと膨らんでしまう。

 もう少し実が大きくても良かったけれど、文句は言わずにむぎゅむぎゅと噛む。


「器用なもんだな。腕が使えない代わりに足がよく動く。お前、肉よりも果物が好きなハーピーなのか、変わってるな」

「ルゥルゥウー」

「あー悪いな、それでもう手持ちはないんだ」


 空っぽの包みと手のひらを振られる。

 空腹はそれなりに満たされたが、やっぱりまだ物足りない。口の中に残る甘みが恋しくて、情けない鳴き声がこぼれてしまう。


「この辺りに自生してるかもしれないけど、町に戻らなきゃならねえし……かといって、ぼろぼろのお前を放っておくのもな」


 人間はしばらくの間、何かを考え込み呻いていたが、唐突に手のひらで膝を叩き、大きく頷いた。


「手を出したのは、俺だしな。よし、まだ子どものハーピーなら、連れてっても問題ないだろ」

「ル?」

「怪我も治して、腹一杯食わせてやる。ちょっと待ってろ、片付けたらすぐに出発だ」


 ……しゅっぱつ?

 首を傾げる私を他所に、雄の人間はごつごつした笑みを浮かべていた。



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