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2018.10.23 更新:2/2

 古い大樹の姿を宿した強力な害獣は、討伐された。


 それに伴い、北の森の大部分を侵した淀んだ魔力溜まりは、災害級に匹敵する害獣を産み落とした事でその毒素のほとんどを費やし、ごく僅かな残滓ざんしのみとなったらしい。


 あとはそれを浄化するだけなので、事態はほぼ沈静化されたと判断し、余力のある者を監視に残して他は帰還する事となった。


 この戦いに参じた冒険者たちのほとんどは負傷し、怪我のため歩けなくなってしまった人も少なくなかったが――命を落とした人は、誰も居ないという。

 災害級の魔物に匹敵する力と対峙しながら、誰一人欠けずに帰還出来る事を、最高の勝利であると全ての人が喜んだ。

 もちろん、私も。


「さあ。リア、帰ろう」

「ルウ!」


 グレンや、みんなが無事で――本当に良かった。


 かくして、冒険者とギルド職員は、激戦を繰り広げた草原を後にし、町へと帰還した。

 月明かりの美しい藍色の夜空は、気付けばいつの間にか、仄蒼く明らんでいた。





 解体した天幕や設備、怪我をし動けない冒険者たちなどを乗せたいくつもの荷車が、ガロガロと音を立てて進む。その周囲を守るような形で、余力のある者は隊列を組み町を目指す。

 普通ならば疲れ果てて口もきけなくなるところだが、勝利した余韻はなおも熱く滾っているようで、至るところで賑やかな声が上がっていた。


「やべえ、災害級ばりの害獣を討伐したとか……やべえ! すげえ! 走り出したい!」

「俺は寝たい……早く休みたい……あったかいふかふかのベッドに入りたい……」

「右に同じ……あーでも今寝たらあの人面樹(トレント)型の害獣が夢に出てくるだろうなあ……」

「あんまり気を緩めすぎるなよ。周りには注意しろー」

「ふふ、気持ちは分かるけどね。でも……みんな無事で、良かったね」


 ぽつりとこぼれ落ちた呟きに、賑やかな空気がふっと静けさを帯びる。

 そうだな、本当に。生き延びた幸運を噛みしめて、彼らは深く頷き合った。


「援軍なんかそんな早くには来ないし、正直、覚悟はしてたんだけど……」

「運が味方についた。こんな奇跡、早々起きないな」

「そうね、それに……まさか、魔物の“進化”に立ち会えるなんて」


 移動する冒険者たちが、空を仰ぎ見る。その眼差しは、隊列の真上を飛ぶ私に向かっていた。

 灰色の羽根を脱ぎ捨て、身体が大きく成長すると同時に、純白の羽根に生え変わったのだ。視線を集めてしまうのも仕方ないが……そんな風にしみじみと見られると、少し恥ずかしい。


「魔物の進化って、実際に見れる事はめったにないんだろ? 学者たちが羨む場面に遭遇したわけだ」

「ギルドの魔物調査の奴ら、発狂するな」

「大きくなったら、すっかり一人前のハーピーね!」


 すると、それを聞いたグレンは分かりやすく鼻を高くし、表情を溢れんばかりに輝かせた。


「ふふん、そうだろそうだろ、美人だろリアは。まじで月光花(セルネリア)みたいになったんだからな!」

「何でお前が得意げなんだよ」

「お母さんか!」

「まったく男どもは……リアちゃん、おいで~」


 地上へ下り立ち、私を呼んだ女性冒険者の側へ近付く。隣に並んで目線の高さが一緒だなんて、不思議な気分だ。これまでは首を目一杯起こさなければ彼らの顔は見えなかったし、下手したら顔どころか顎か鼻の穴しか確認出来ないなんて事もよくあった。

 ああでも、背丈や身体つきは、まだ私の方が少し小柄だろうか。


「ううむ……ぐうの音も出ない美人顔ね。ぱっと見て、十五歳か十六歳くらいかしら」

「灰色のふわふわな羽毛も可愛かったけど、真っ白な羽根も綺麗。髪の毛までこんなに伸びちゃって……お尻が隠れちゃってる。やだ、睫毛まで白くてバッサバサ!」

「ルウッ! くすぐったい~」

「ハーピーすごいわあ……本当……」


 えへへ、本当? お母様やお姉様、妹たちみたいに、私も綺麗になれたのかなあ。


「言葉まで話せるようになっちゃったし、ギルドのみんなもびっくりするわね」

「そうそう、セリーナなんか、絶対にびっくりするでしょ! どういう反応するのか楽しみ!」



 ――セリーナ。



 その名前を聞いた瞬間、浮かれていた気分はあっという間に遠く引いた。

 そういえば私、ここに来るため、外に出る事は絶対に許さないと涙を流したセリーナを強引に振り切ってきたんだった……。

 今頃、彼女はどのような表情をし、ギルドに居るのだろうか……。


「……無理やり飛び出してきました、て顔だな。リア」

「う……グレン……」


 どうしよう、と縋るような思いで見上げれば、彼はふっと静かな微笑を浮かべ……力なく首を横に振った。


「――存分に、怒られてこい。俺にはセリーナを宥めるのは不可能だ」


 途端に、町へと続く帰路が、私だけ重苦しく億劫なものになった。




 仄蒼い空の広がる夜明け前でありながら、町の正門には大勢の住民たちが集まっていた。

 大気を震わすくらいに歓声を上げ、両手を叩き、害獣と戦い抜いた勇士たちを温かく迎え入れる。町中に重く垂れ込んでいた空気は何処にもなく、身体の芯にまで伝わるような熱狂が覆っていた。

 害獣討伐の旨は、既に町にも伝わっていて、きっと待っていてくれたのだろう。

 冒険者たちは皆、誇らしげに胸を張り、腕を挙げたりなどして歓声に応えている。労われ、感謝され、中には感極まって瞳を潤ませる人もいた。


 住民たちの温かい声を一身に受けながら、やがて隊列は冒険者ギルドへと辿り着く。

 建物の前には、今か今かと待ち構えていたギルド関係者たちが勢揃いしていた。


「よくやってくれた! 本当によくやってくれた!」

「うおおおお無事でよがっだああああ!!」


 冒険者たちを出迎える彼らの熱狂ぶりは、住民たちのそれ以上だった。

 負傷した冒険者たちも等しく労われ、既に準備を整えていた医者のもとへと賑やかに担ぎ込まれていく。

 そんな状態なものだから、帰還した冒険者たちは、喜びより笑いの方が勝ってしまったらしい。まなじりに浮かんだ歓喜の涙は、別のものに変わってしまっている。それでも、手を取り合い、肩を組むその姿の、なんと晴れやかな事か。


 ……さて、そんな中で私はと言うと、おっかなびっくりとグレンの背に隠れていた。大きくなってしまったせいで、翼も尾羽も飛び出し、全然隠れられていないが。


「リア、こそこそしてないで行って来い」

「ル、で、でも……」

「怒られるのには変わらないんだから、早く顔を見せてやりな。みんな心配してるだろうからさ」


 グレンの手が、私の背をぐいっと押し出す。

 ま、待って、まだ心の準備が……!

 抵抗してみたものの、呆気なく冒険者ギルドの前に突き出されてしまった。

 その瞬間、冒険者とギルド職員らの視線が、一斉に私へ集中する。歓喜に沸いていた空気が不気味に静まり返った、その数秒後――わっと、歓声が爆発した。


「リアちゃん!」

「話は聞いてたけど、本当に大きくなったんだな!」

「ピャァアアーーー?!」


 一瞬の内に、駆け寄ってきたギルド職員らに取り囲まれる。その圧力に、思わず悲鳴が出てしまった。


「すごいな、灰色から真っ白になったのか」

「魔物の進化っていう貴重な場面を見逃すとか……くそ、俺も行けば良かった!」

「いっぱい頑張ったって聞いたよ。まったく無茶して、心配したんだから」


 一斉に声を掛けられ、目が回る。誰を見れば良いか分からず、キョロキョロと忙しなく見渡していた――その時だ。



「――おかえりなさい、リアさん」



 歓喜の熱を帯びる空気が、凍り付いた。


 けして大きな声ではないのに、その冷たい音色は熱狂を凍てつかせるように響き、しんとした沈黙をもたらした。

 私だけでなく、周囲の人々も硬直している。


「ル、ル……」


 怖々としながら、ギルドの入り口に視線を向ける。


 果たしてそこには、セリーナが佇んでいた。

 細い両腕を胸の前で組み、肩幅に足を開き、それはもう恐ろしいほど堂々と。


 肩口で真っ直ぐ切り揃えた金髪と、凛とした青い瞳は、かつてない迫力を放っている。ギルドに初めてやって来た時でも、こんな風にはなっていなかった。

 考えるまでもなくド怒り状態のセリーナに見つめられ、身体がぶるぶると震え出す。すると、周囲にいた冒険者たちが割って入るような形で私の前に立ち、宥めるようにセリーナへ語りかけた。しかし、その横顔が強張っているのは、気のせいではないのだろう。


「そ、そのな、セリーナ、害獣を討伐するのに、すごく頑張ってくれたんだ」

「そう、灰色の小さい姿から、こんなに綺麗に成長して」

「今回の幸運は、リアちゃんのおかげでもあ……」

「――少し、黙って頂けますか」


 擁護しようとした冒険者たちを、まったく見向きもせず冷ややかな声で制する、その気迫ときたら。


 間に入った彼らは、踵を合わせて直立不動の姿勢を取ると、「はい!!」と敬礼し風の速さで後退した。あっという間に私はひとりぼっちで取り残され、セリーナの冷ややかな眼差しが一身に浴びせられる。


「……害獣を実際に見て、どう思いましたか」


 張り詰めた沈黙を先に破ったのはセリーナだったが……その声音は聞いた事がないくらいに冷たく、肩がびくりと飛び跳ねてしまう。


「危ないと、感じたでしょう。私がどうしてあんなに止めたのか、分かりますよね」

「ル、ウ……」

「意地悪で言ったわけではないのに、それなのに飛び出していって……こうして無事だから良かったですが、リアさんもどうなっていたか分からなかったんです。帰ってくるまで、私がどれくらい心配していたと思いますか」


 絞り出される苦しげな呟きに、ぐうの音も出なかった。

 その言葉だけで、彼女がどれほど案じてくれていたのか伝わってくる。シュウウウン、と肩を落とし、小さく縮こまるしか出来なかった。


「……もう絶対、心配させるような事は、しないで下さい。良いですね」


 言い聞かせるように強く告げる彼女の瞳に、私は何も言い返さずに頷く。


「――ですが」


 セリーナは小さく溜め息をこぼし、張り詰めた空気をふっと緩めた。


「害獣の討伐に頑張ってくれたのも事実。おかげで、戦っていた冒険者たちは皆、無事に帰還しました。人間と共に戦ってくれて……ありがとうございます」


 恐る恐る顔を上げると、目の前にはセリーナの微笑みがあった。

 胸の前で組んでいた両腕がゆっくりと広げられ、手のひらが私へと向けられる。その意味はすぐに分かり、セリーナへ駆け寄ると、その腕の中に飛び込んだ。


「大きくなったんですね、驚きました。とても綺麗ですよ」

「ルッ! ありがとう!」


 微笑んでいたセリーナの青い瞳が、大きく見開かれた。凛とした彼女の声にも、珍しく困惑が浮かび、普段はなかなか見せない動揺が現れる。


「リ、リアさん、声……しゃ、喋って……!」

「そうだよ、大きくなって、話せるようになったの! あのねセリーナ、いっぱい、ありがとう!」


 白い翼を広げ、セリーナの身体を抱きしめる。しばらくの間、セリーナは驚くあまり硬直していたが、恐る恐ると私の背中に両手を回し、小さく笑った。



「――ふふ、すっかり大人ね。リアちゃん、真っ白な羽根も素敵よ」

「ルッ! ダーナ!」


 人だかりを超え、緑色の衣装に身を包んだダーナが傍らに舞い降りる。彼女はたおやかな美貌に微笑みを乗せると、私の身体をそっと抱き寄せ、温かく包み込んだ。


「私の加護が、無事にリアちゃんの力になったみたいね。奇跡が起きてくれて良かったわ」

「もう……ダーナさんがチョーカーを着けた時、本当に驚いたんですから。どうなるのかと気が気じゃなくて」

「やだ、もう十分怒られたんだから、許してちょうだいな」


 苦笑をこぼしたダーナの瞳が、ふと静かに、私を見下ろした。美しい緑色の瞳には、悠久の時を生きた高位精霊らしい品格が宿っているように感じた。


「魔物の世界ではなく、天敵である人間の世界で、灰色の雛から純白の成鳥になるなんてね。これも、見えぬ意思の導きかしら。リアちゃん、この町に来てくれて、私が愛する場所を守ってくれて――ありがとう」


 美しいかんばせが、ゆっくりと近付く。ダーナの口付けが、私の額に優しく下りた。


 すると、冒険者やギルド職員たちから喝采が上がり、空気が再び熱狂で震えた。しかも、いつの間にやら町の住民たちまでも集まったらしく、ギルドの建物の前は見た事がないほどに大勢の人々で溢れ返っていた。


「ありがとう、ハーピーちゃん!」

「よッ! 女神の使い!」


 人だかりからはそんな言葉が聞こえてきて、どんな風に反応していいのか分からない。オロオロと困惑していると、にんまり顔のグレンが私の隣にやって来て……。


「よっしゃ、リア! みんなに顔を見せてやんな!」

「ル?! ……ピャア!」


 その場にしゃがみ込んだかと思ったら、グレンは私の白い羽毛に包まれた両足を抱え、そのまま持ち上げてしまった。軽々と肩に担がれ、ぐっと高くなった視界に、周囲に集まる人々の姿が飛び込む。

 高く持ち上げられた私を見て、歓声はなおいっそう高まり辺りに響き渡る。こんな風にされるのは初めてだから、どうしたら良いのか全く分からないが――嫌な気分は、しなかった。


 私はもう、役立たずの雛ではない。

 女王や姉妹たちのように、群れと住処を守れる立派な大人になれたんだ。


 伝わってくる熱狂と歓声から、それを改めて実感し。この場所に立ち、人間たちに受け入れられている事を、私はこの上なく誇らしく思った。




「ところでリアさん、この外套はどうしたんですか? まさか、怪我を」

「あ、いや、それは」


 グレンが声を掛ける前に、セリーナの細い手が羽織っている外套を掴む。そして、その下の状況を確認すると――静かに下ろし、そっと小さな溜め息をこぼした。


「……まずは、今のリアさんにちょうどいい、お洋服を見繕わないといけませんね」

「私、このままでもだいじょうぶ!」

「いえ、何一つ大丈夫じゃありませんよ」


 何でセリーナまで、グレンとおんなじ事言うの?! 私、本当に何にも着なくて平気なのに!




 やがて、白く明らむ蒼い空に、目映い朝陽が差し込んだ。

 歓声が絶えず鳴り響く町に、ようやく穏やかな日々が戻ってきた事を告げるような――とても眩しい、美しい夜明けだった。



◆◇◆



 一夜を戦い抜き、討伐に尽力した冒険者たちは皆、それぞれ休息に入った。

 気が抜けたら私もどっと疲れてしまって、ギルドの中庭にあるダーナの大樹の上で横になり瞼を下ろして――気付いたら、太陽は高く昇りきっていた。



 目覚めた時、真っ先に感じたのは、賑やかに弾む空気だった。

 ギルドの中はいつになく人の声が行き交い、それだけでなく町全体までもがざわついているような、浮き足立つ空気がそこかしこから感じられる。


 ちょっと眠っている間に、また何か事件でもあったのかな。


 大樹から下り、中庭からホールへと移動する。テーブル席で欠伸をこぼしながらくつろぐグレンの姿を見つけ、彼のもとに駆け寄って何があったのかと尋ねてみると。


「俺もさっき来たばかりなんだけど、どうやら町中がお祭りみたくなってるらしいぞ」


 災害級の魔物に匹敵する害獣を退けた、その勝利を喜び、町の人々が至るところでお祭り騒ぎを起こしているのだという。何か事件があったわけではないらしい。


「おまつりって、なに?」

「うーんと、嬉しい事とか何か大きな出来事があった時に、みんなで過ごすっつうのかな。色んな人達が集まって、楽しく盛り上がるんだよ」

「ルウ……群れのみんなで大きな敵を倒した後、それを骨までわいわい食べ尽くすかんじ?」

「きゅ、急に血生臭くなったな……。まあ、お祝いするっていう点では、そんな感じなのか……? 商店通りなんかは、特に賑やかになってると思うぞ」


 商店通り……色んな物を売るお店が、たくさん連なる場所だったか。


「リィゴのおばさんも?」

「そうそう、果物屋のおばちゃんも。後で行ってみような」

「ルッ!」


 ちなみに、冒険者ギルドはというと、害獣討伐における後片付けやら各所への報告書作成やらで、仕事の真っ只中にあるらしい。「こんなお祭り騒ぎの時に仕事なんかしてられっか! 意地でも全部終わらす!」と叫ぶ死んだ顔の職員たちが、ギルドの至るところでペンを走らせている。そこだけ別の類いの熱狂が渦巻き、恐怖を感じずにいられないが、彼らの奮闘によりそれも間もなく終わるらしい。


「これが片付いたら、私も一緒に行けますからね。もうちょっとだけ、待っていて下さいね」

「ルウ、でも、セリーナもお休みしないと」

「いいえ絶対に行きます。グレンさんだけでは心配なので、絶対に行きますとも」


 身体に鞭を打ってでも! と意気込むセリーナの青い瞳には、炎が見えた。俺だけじゃ心配って酷くないかと呟いたグレンの声は、たぶんきっとセリーナには聞こえていない。


 そ、そっか……一緒にお外に出られるのは嬉しいから、良いんだけど……。


「――まあ、でもその前に、リアにはちょおーっと仕事があるんだけどな」


 ……しごと? 私に?


 首を傾げて見上げたグレンとセリーナは、揃って苦笑いを浮かべていた。






「すごいぞ、完全に雛から成鳥になっている!」

「やはり灰色の羽毛は雛特有のものだな。この羽根には、成鳥の特徴が現れている」

「冒険者の話では、一気に成長――いや進化を遂げたらしい。何の要因があったんだろうな」

「あー待て待て、まだスケッチが終わらん! こんなのでは書き足りんぞォ! インクと紙の追加だァ!!」

「無駄遣いすんなっつってんだろうが変人どもがァァァァ!!!!」



 ――なんという、混沌。


 現在、ギルドのホールは、外の喧騒とはまた違う騒がしさでごった返していた。

 主に、魔物の習性や生態を観察するギルドの調査員たちの、狂喜によって。



 灰色の小さな雛だったはずの私が、ギルドを飛び出し戻ってきたら、突然大きく成長してしまったがために、夜明け前から調査員たちがスケッチしたいと騒いでいたらしいのだ。

 昨晩から寝ずに活動していたはずなのに、その精力は一体何処からきているのだろう……。人間とは本当に不思議な生き物だ。(いやあいつらがおかしいだけだから、と他のギルド職員は嘆いていた)


 そもそも、ハーピーと呼ばれている私たちの種族は、主に切り立った崖や険しい峡谷、雲に囲まれる山頂などに巣を作る関係上、あまり多くは知られていない謎多き魔物という枠に入っているらしい。そのため、人間たちが唯一知っているのは、類稀な美貌を誇る女性しか存在しない、半人半鳥の美しい魔物という事だけだとか。(美貌がどうとかは分からないが、人間の持つ美醜感覚なのだろう)


 そして、ハーピーの雛とその成長は――これまで一度も観測された事はないらしい。


 だから、初めて遭遇するハーピーの成長と羽根色の変化に、とても興奮しているのだと思われるが……正直、ものすごく怖い。血走った両目を爛々と輝かせる調査員たちは、凄まじい速さでガリガリと羽根ペンを走らせ、何枚も何枚も紙を消費している。

 手と口の挙動がまったく一致しないその異様な圧力は、もはや狂気の領域。下手したらあの大樹の害獣よりも恐ろしく見える。

 グレンたち冒険者もそう思っているようで、表情は揃って真っ青だ。グレンなんかは「匠の狂気……」と引きつった呟きをこぼしている。

 そしてそれに囲まれている私は、もっと蒼い顔をしているのだろう。


「ルウ……」

「大丈夫ですよ。リアさん。もうちょっとの我慢ですから」


 唸り声をあげる私の頭を、セリーナの手のひらがよしよしと撫でる。ちょっとだけ不器用な、けれど優しい仕草が、ほっと安心する。じゃれつくように寄りかかれば、セリーナは小さく笑って抱き留めてくれた。

 大きくなっても、やっぱりセリーナの側は落ち着く……。


「美しい……」

「神々しい……」


 ただ、両目を手のひらで覆い天井を仰ぐ野次馬がぽつぽつと現れたのだが……あれは何なのだろう。




 結局、羽根ペンを走らせるガリガリ音が消えたのは、それから十数分も経った後だった。

 疲れ果てて項垂れる私とは正反対に、狂喜していた魔物調査員たちは実に晴れやかな顔つきだ。満ち足りたように額を拭っている。やっぱり人間はおかしい。


「お疲れ、リア。ほら、リィゴの実だ。耐え切ったご褒美だぞ」

「ルッ! くだもの!」


 グレンから差し出された赤い果物を、足の爪でぷすりと刺し、口に運ぶ。お気に入りの瑞々しい甘さが広がり、それだけで疲れが消し飛んだ。


「リィゴの実が好きなのは変わらないな。肉はどうだ、食えそうか?」

「いやッ!!」

「ぶふッすげえ嫌そうな顔。見た目は美人になっても、中身は灰色のままなんだな……ちょっと安心した」


 呟かれた低い声には、安堵が含まれていた。そんなに、今の私の姿は、灰色の時と変わったのだろうか。

 すると、セリーナが「見てみますか?」と微笑み、ホールの片隅にあった壁掛けの鏡を取り外した。それを私の前に運ぶと、磨かれた鏡面を掲げ持った。


 そこに映し出されたのは――目映いほどの純白の羽根で身を包んだ、翼を持つ娘であった。

 その娘こそが“今の私”なのだと、少しの間、本当に分からなかった。


 私たちの特徴でもある両腕の翼は、大きく立派に広がって。後ろに生えた尾羽は、引きずるくらい長く伸びて。あの小さかった身体は、セリーナとほぼ変わらないすらりとした背丈になって。ふわふわの灰色の髪まで、お尻を隠してしまえるくらいに豊かに伸び、きらきらした純白に染まっている。茫然としながら近付いた鏡の中、じいっと見つめる瞳も、それを縁取る睫毛も、透き通った白を宿していた。


 全体的に、白く眩しい。けれど、太陽のような鮮烈な明るさではなく、夜に浮かぶ月のような儚い明るさ。そんな印象を抱かせる白い鳥が、鏡の中にいた。


 当たり前だけど、顔つきもこれまでと違う。ふっくらとした幼さが抜けて、輪郭はすっと伸びている。その顔立ちは、まるで――。


「お母様に似てる……」

「お母様?」

「うん、とってもきれいな赤い髪と羽根を持つひと。たくさんの仲間を統べる、偉大な女王。私のお母様だよ」


 そう告げると、グレンやセリーナたちは驚いたように顔を見合わせた。


「女王……ハーピーの群れの女王か。存在してるとは聞くけど、見た事はないな。リアのお母さんはすごいんだな」

「ルッ! そうだよ、お母様はすごいの。人間の文化を知っていて、言葉も知ってるの。いっぱい教えてくれた」


 あの頃は、覚えておけばいずれ役に立つというお母様の言葉に従っていただけだったが、教わっていて良かったとつくづく思う。おかげで私は、人間たちと仲良くなれて、グレンやセリーナとお話だって出来るのだから。


「なるほどなー道理で」

「そんなハーピーもいるのか。世の中、知らない事があるもんだな」

「リアちゃんが既にこんなでしょ? だったら、その女王も、相当の美人ね!」

「そうだよ! みんな綺麗なの。お母様も、お姉様も、妹たちも、みんな綺麗な羽根を持ってるの!」


 嬉しくなって家族の事を話していると、鏡を置いたセリーナが神妙に頷いた。


「女王の雛、ですか。なるほど、それも成長の分岐を決めた一つなのでしょうか」

「分岐?」

「ええ。リアさんが、あの小さな姿から、こんなに大きく成長したのは、特殊な条件下における進化だと言ってまず間違いないでしょうから」


 魔物の成長と、突然変異の進化。

 それは、人間たちにとって、未だ謎の多い神秘の分野であるという。


「ハーピーは個体によって様々な鳥の姿をし、様々な羽根の色を持つと言います。ですが、リアさんのこの姿は……調べる限り、何にも当てはまらなくて」

「当てはまらない?」

「はい」


 頷くセリーナの背後で、魔物調査員たちが強く頷いている。

 狂喜して絵を描く傍らで、そんな事も調べていたのか……。


「その代わり、似ているものとして、精霊の影響を強く受けて変質した“霊鳥”の種族が上がりました」

「れいちょう??」


 曰く霊鳥とは、絵でしか残っていないくらい、とても希少な鳥らしい。何らかの要因があり精霊の側に長くいて、その力の影響を受けた鳥が、ごく稀に至る種族なのだとか。

 そのため、その存在は魔物ではなく精霊にとても近く、神聖なものらしい。


「――そうね、私の力を分け与えたし、どんな形でリアちゃんに馴染んでも不思議じゃないわ」


 たおやかな声が、ホールに響き渡る。

 見上げれば、私たちの上でゆったりと浮遊するダーナの姿が飛び込んだ。


「ダーナさんの力を?」

「昨日、リアちゃんがグレンを追いかけてギルドを飛び出した時にね。少しだけ」



 ――灰色の雛に、我が導きを。慈愛と豊穣の加護が、あらん事を。



 害獣と戦うグレンのもとに向かおうとしたあの時、やはり何かしらの力を私に分け与えてくれたらしい。


「良いのか、精霊の力を魔物に」

「禁じられているわけじゃないわ。他の精霊は、めったにしないでしょうけど。あの時、そうするべきだと思ったの」


 私の勘も馬鹿にならないわね、とダーナは楽しそうに口元を緩めた。


「……精霊の力を貰ったのなら、納得です。実は、つい先ほど、回復した魔術師やギルド職員が北の森に向かって、残っている魔力溜まりを浄化しに行ったんです。僅かだけあった魔力溜まりは無事に消失させましたが……ただ、飛散した毒の魔力も、綺麗に無くなっていたらしいんです」


 通常、害獣の核を壊した後、その濃密な毒の魔力は飛散し周辺に留まるという。災害級に匹敵する巨大な害獣の核ともなれば、その残滓もまた相応に強力なものになるらしいが……一夜明けた草原には、爽やかな風が吹いていた。

 危惧していた毒の魔力の気配は、何処にも無かったのだという。


 セリーナの言葉に、何か思い当たる節があったのか、冒険者たちはおもむろに顔を見合わせた。


「そういえば、綺麗に消えたよな。あの人面樹(トレント)型の害獣」

「そういや、そうだな……。真っ黒な魔力が、綺麗に白く輝いてて」

「リア、何かしたのか?」


 グレンに尋ねられたものの、特別、何かした記憶はない。戦いの最中で、冷静に分析している暇も余裕もなかった。

 けれど、そういえば……。


「別のすがたで会おうねって、言ったの。お祈りするみたいに、こうやって」


 大樹の幹に身体を寄せ、額を重ね、月夜に散る美しい最期を見届けた。今度は淀んだ魔力ではなく、世界を正しく巡る魔力になるように、と。


「まさか……浄化でしょうか。ハーピーが、風だけでなく、浄化の力まで扱うなんて。本当に、不思議な事ばかりです」

「め、迷惑だった? 悪いこと……?」


 恐る恐るとセリーナを窺うと、彼女は首を振り、凜とした笑みを頬に浮かべた。


「いいえ、とても立派です。誇らしい事ですよ」

「ふふ、そうよ。とっても不思議で、だけど、とっても素敵な事なの。それにね、“風”は世界の全てを巡るのよ」

「せかい……?」


 そう、と頷いたダーナは、詠うように優しく告げた。


 世界の果てを行き来し、自由の象徴でもある風は、時に荒れ狂う暴風にもなる。水も、土も、生き物も、暴風の前には無力で、全て塵となって吹き飛ばされてしまう。けれど、一方で、風は草花の命を紡ぐ種を運ぶ翼でもある。

 あるべきように、あるべき場所へ、向かうようにと。

 そうして、風に運ばれた種は、新たに根付いた大地で逞しく生き、また命を紡いでゆく――。


「慈愛と豊穣の、緑の加護。きっと、命を運ぶ“清らかな風”という形になったのね。でも、良いの。リアちゃんは、ちょっとだけ特別なハーピーに成長した……それだけ」

「……そうだな」


 グレンのごつごつした顔に、優しげな笑みが浮かんだ。


「リアも、そうだもんな」

「うん」


 お母様、お姉様、妹たち、たくさんの仲間。みんな、それぞれ自分だけの羽根の色と、自分だけの姿を持っている。灰色の羽根を脱ぎ捨てる時、そうなりたいと身体が願ったのだ。

 私も、きっとそう。

 あの月夜に私は、夢を見て、憧憬に焦がれるのを止めた。その代わり、強く願った。家族のように、仲間と住処を守れる力が欲しいと。


「嬉しい気持ちで、胸がいっぱい。それだけで、良いの」


 大人に至った理由も、少しだけ特別な力が備わったのも、ほんの些細な事だ。

 灰色の羽根を捨て、新しい私になって、大切な場所と人々を守れた――その幸福だけで、私には十分なのだ。



◆◇◆



 ――お前は、ここに居てはならないのかもしれないな


 ――私を超える、立派な大人におなり



 旅立ちの日、女王であるお母様は、そう言って私を住処から送り出した。追い出したのではない、送り出したのだ。立派な大人になれと、温かい激励までしてくれて。


 あのひとは、もしかしてこれを見越していたのだろうか。ハーピーの住処ではなく、人間の住処でなければ、私の灰色の羽根は脱ぐ事が出来ないと知っていたのだろうか。


 尊敬するお母様が、そこまで知っていたかどうか分からない。私を送り出した本当の理由が何なのか、実際のところ、分からないままだ。


 けれど――そのおかげで私はグレンたちと出会い、この場所にやって来て、私だけの羽根を手に入れた。

 だからきっと、お母様に向けるべきは、疑問ではなく、感謝なのだ。



「リアー! 準備出来たし、店巡りに行くぞー!」

「今日は私も一緒にお出かけしますからね。町の皆さんにも、お披露目しなくては」

「それは良いんだけどさ……リアに着せたあの服、ちょっと気合い入り過ぎじゃないか? ドレスみたくなってるけど……何処であんなの買ってきたんだよ、セリーナ」

「い、い、良いじゃないですか! 似合うんですから! さあ、リアさん、行きますよ」



 グレンとセリーナに呼ばれ、ギルドの建物の屋根から立ち上がる。純白の翼を大きく広げ、ふわりと飛び立ち、朗らかに笑う二人のもとへ真っ直ぐ向かった。



 ――お母様、大好きなお母様。

 やっと私、貴女に恥じない……女王の娘になれたよ。




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