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2018.10.23 更新:1/2


お待たせしました、続きを更新します。

ようやくこのシーンが書けて作者も嬉しいです。

 その“奇跡”を目の当たりにした冒険者たちは、後に、こう語った。

 美しい銀色の月を背にし、輝くような月光を浴び、両翼を広げた彼女は――おとぎ話にしか存在しない、女神の使いのようであった、と。



◆◇◆



 ――ドクン、と心臓が大きく高鳴る。


 何か奇妙な感覚が胸に宿り、あれ、と思い自分の身体を見下ろした、その瞬間だ。身体中が、燃えるような熱さに包まれた。


(な、なに、急に……?!)


 胸の奥から溢れる熱が、苦しいくらいに全身を巡る。もつれる翼を必死に動かして空中に留まるが、それでも、止まる気配は全く無い。

 一体、どうしてしまったのだろう。私の身体は。

 顔を顰め、恐る恐ると身体を見下ろす。その時になってようやく、全身が淡く光っている事に気付いた。そして、見開いた視界に飛び込んだのは――羽ばたくたびに落ちる、灰色の羽根だった。


 生まれてからずっと、抜ける事のけしてなかった、雛の羽根が。

 ふわふわと、抜け始めていたのだ。



 ああ、まさか、そんな。

 私にも“この日”が、やって来るなんて――。



 熱が駆け巡る小さな身体から、灰色の羽根を振るい落とす。

 幼い羽根を脱ぎ捨ててゆく体躯は、やがてしなやかに伸び、小鳥みたいに頼りない両腕の翼は、力強い大翼へ。小さな尾羽は、長く豪奢に広がる。

 そして、雛を示していた灰色の髪と、灰色の幼い羽根は――闇夜を照らすような目映い純白の輝きを、新たに放った。



 全身を包んでいた熱と光が、静かに薄れてゆく。静寂を取り戻した夜空に浮かぶ私は、これまでと全く違う姿になっていた。大きな翼も、立派な尾羽も、爪が伸びた両足も、全てが成長している。灰色の時なんかと、比べられないくらいに。

 ……いいや、生まれ変わったのだ。お母様や姉妹たちのように大人になって、しかし彼女たちとは違う、私だけの色彩に染まって。


 夜の世界に輝く、透き通った美しい純白――これが、私だけの“色”!


 嬉しくて、誇らしくて、でもいざ夢が叶うと上手く言葉が出ない。信じられない思いで、自分の身体をクルクルと見下ろす。


「まさか……魔物の進化……?」

「うそ……あれが、リアちゃん……?」

「綺麗……」


 気付けば、地上の戦いは、静まり返っていた。草原にいる冒険者たちは皆、空を仰ぎ、茫然と私を見上げている。その中には、もちろん、グレンの姿もあった。


「リア、お前……」


 驚くあまり、ちょっぴり間抜けな表情をしている。それが可笑しくて、つい笑ってしまう。

 グレンだって、言ってたじゃない。私が大人になったら、どうな風になるのかって。すごいよ、こんなに綺麗な色になった!

 大きな翼を羽ばたかせ、くるりと空中で一回転する。長く伸びた純白の髪と尾羽が、自分のものとは思えないくらい優雅に翻り、夜風を泳いだ。



 ――オォォオオォォオォオオオ……!!



 おぞましく響き渡った害獣の咆哮が、緩んだ空気を現実に引き戻す。

 そうだ、今は浮かれている場合じゃない。

 私も意識を戻し、黒く染まった大樹へと眼差しを向ける。先ほどまでと違い、大樹の姿をした害獣は、私の事を見つめていた。それまで眼中になく、歯牙にもかけなかったというのに、今は明らかに私の存在を注視していた。

 目の前でいきなり成長したからか、それとも、別の理由か。

 大きくなっても、さすがに一人であれに勝てるとは思えないが――これなら、時間稼ぎだって、もっと簡単に出来るはず!


 胸一杯に空気を吸い込み、甲高い威嚇の鳴き声を返す。ハーピー流の宣戦を告げれば、老いた大樹は完全に私を標的に選んだ。


 真っ直ぐと聳える大樹の太い幹が、不自然にぶるぶると震え始める。夜空へ広がる枝葉が一斉に揺れ、ザワザワと激しい音を立てる。やがて、分厚い茂みからは、無数の木の葉が振るい落とされ――。


「リア、逃げろ!!」


 グレンが危険を叫ぶと同時に、空中を舞い落ちる木の葉の全てが、私に向かって鋭く飛んできた。


 両腕の翼を羽ばたかせ、さらに高く舞い上がる。その後ろからはなおも無数の木の葉が迫ってくる。まるで一枚一枚が意思を持ったような動きだ。木の葉というより、鳥や昆虫の大群のよう。


 灰色の小さな羽根だったら、振り切る事は叶わなかっただろう。住処を離れてから当て所なくさまよい、他の魔物たちに襲われては追い立てられたあの時のように、逃げ回る一方だった。

 だけど、今までとは違う。お母様や仲間たちみたいに、速く、高く飛べる。もっと自由に風を掴んで、もっと遠くに行ける。大地の果てにだって羽ばたける、そんな自信が今はあった。


 ――これが、お母様やお姉様、妹たちが持っていたもの!


 執拗に追いかける木の葉の大群は、徐々に遠く離れ、やがて力を失いハラハラと落ちていった。攻撃が緩んだのを感じ取り、すかさず空中で反転し、狂える大樹のもとへ急降下する。

 再び木の葉を振るい落とそうとする仕草が見えて、どうにか阻まなければと思い、全身を使って両翼を力強く振り抜く。どうしてそうしたのか私もよく分からないけれど、白い大翼が巻き起こした風は、刃のように鋭く唸り、黒く澱んだ空気を吹き飛ばす。そして、真っ直ぐと老いた大樹へ向かい――ザン、と冴えた音色を立て、分厚く広がる茂みの一角を削ぎ落とした。


 嘲笑うように上げていた咆哮が、これまでとは違う、甲高い痛烈な悲鳴に変わった。


「なぁにィィィィ! もしかして、魔術かあれ?!」

「物理攻撃しか持たないハーピーが、魔術だと?!」


 地上がどよめきで揺れていたが、この場で一番驚いているのは……何を隠そう私である。


 翼に力がむずむずと巡って、こう、ぶつけるみたいにしたら……まさか、こんな事が出来てしまうなんて。


 大樹の害獣も、突然の攻撃に驚いたのか、はたまた激怒したのか、大地に巡らす太い根を激しく上下させた。その様子は、これまでと明らかに違う。もしかして、効いている、のだろうか。


(……そういえば、何だか、周りの空気がとっても綺麗)


 夥しい黒色を纏った害獣の周囲には、黒い靄が分厚く棚引いていたのだが、心なしか澄んだ空気に変わっている。地上の冒険者たちも感じているようで、ちらほらとそんな声が聞こえてくる。

 もしかして、さっきの風? でも、どうやったのか私もよく分からないし……。

 どうするべきかと、害獣の周囲を飛びながら考えていると、地上からグレンの声が聞こえた。


「リア! 魔物と違って、害獣は“核”を壊さない限りどんなに攻撃しても死ぬ事はない! そいつにも何処かにあるはずだ! 何か見えないか?!」


 かく……核? 核って……もしかして、あれ?


 激しく揺れる分厚い茂みの中に、不気味な真紅の輝きが漏れている。素早く大樹に近付き、地上の冒険者たちに万が一がないよう、下から夜空に向かって羽ばたく。再び放った鋭い風は、少し大振り気味だったものの、枝葉を吹き飛ばす事に成功した。

 そうして、月明かりの下に露わになったのは、歪な丸い形をした赤黒い宝石だった。

 果実のように枝にぶら下がっているそれは、人の腕に抱えられるかどうかといった小岩ほどの大きさを有している。不気味な輝きを暗闇の中で放つ様から、いかにもそれらしい存在感をひしひしと感じた。


「害獣の核! あれを壊せば……!」

「でも、あんな高い位置……! 弓も魔術も、ここからじゃ上手く狙えないわよ!」


 じゃあ、私の風で、どうにかなるかな。そう思って試しにやってみたけれど、やはり使い慣れない真新しい力では太刀打ち出来ないらしい。赤黒い宝石は、まったく微動だにせずぶら下がったままだ。

 ならばいっそ足で、と思ったところで、煩わしそうに大樹が茂みを振り回す。激しくぶん回す勢いで木の葉が落ち、再び私を狙ってくるものだから、慌てて距離を取った。


(お母様やお姉様たちは、どうやって戦ってたっけ。戦いごっこに負けてばっかりいないで、もうちょっと頑張れば良かった!)


 これでは本当に、何にも出来ない。どうしたら――。




「お待ちどォォォ! 無事かァァァ!!」


 その時、後方に、荷物を詰め込んだ荷車がいくつも到着した。運び手たちが着る制服と、荷車に掛けた旗の印は……毎日見てきた、冒険者ギルドのものだった。きっと戦いを支援する道具をありったけ積み、危険を顧みず運んでくれたのだろう。

 彼らのもとへと急ぐ冒険者と共に、私も真上に移動して飛び回る。案の定だが、驚きの声がそこからも多数上がった。


「あれ?! 白いハーピー?! 何だあれ!」

「リアちゃんよ、大きくなっちゃったの!」

「まじで?! え、今?! どうしてそうなったんだ?!」

「説明は後でするから、早く寄越せ! 対害獣の道具、持ってきたんだろう?!」


 冒険者の一人がそう叫ぶと、ギルドの職員たちはハッと意識を戻した。


「そ、そうだったな……。おらよ、ギルドから魔道具の大盤振る舞いだ!」

「大樹型の害獣って聞いたから、植物系の魔物が嫌う氷の魔術を付与をする道具をありったけ持ってきた。炎が使えないなら凍らせろってな」

「実はめちゃくちゃ貴重で強力なやつなんだけど、ここで使わないでいつ使うんだって話だ! 持ってけ野郎共!」


 氷の魔術を付与する……私にはさっぱり分からないけど、きっと、すごいものなのだろう。冒険者たちの表情は見るからに明るくなり、貴重な魔道具とやらを勇んで受け取っている。傍目では、ちょっと豪華な小瓶にしか見えないのだが……。しかし、金属質の栓を取り除き、小瓶の中身を得物へと振りかけた瞬間だ。刀身や弓矢が、それまでにない冷たい霜を纏い、強烈な冷気を放った。


 諦めの境地にあった冒険者たちの顔に、見る見る戦意が溢れてゆく。凍てついた輝きを放つ武器を掲げ、敵に立ち向かう気勢が再び宿り――害獣との戦いは、ここからようやく真に始まるのだと、私も奮い立った。



 魔道具を使った冒険者たちは、最前線へと戻っていく。その中にはグレンもいて、私はすぐさま彼のもとへ降下し、隣に並んだ。

 何て声を掛けようか迷っていると……グレンから大きな、それはもう大きな溜め息が、吐き出された。


「まったく、逃げろっつったのに、言う事を聞かないで残っちまうわ、いきなり進化しちまうわ。これじゃあ俺の立つ瀬が無いじゃないか」

「ル、ルウ……」


 お、怒ってる……? 怖々としながら、グレンの表情を窺う。彼はしばらく広い肩を落としていたけれど、やがて小さくかぶりを振り、口元を緩めてみせた。


「……とにかく、話は後にしよう。リア、俺が言うのもなんだけど、力を貸してくれないか」

「――ルウ!!」


 もちろん! そのために、私はここに来たんだから!


 迷わずに返事をすれば、グレンは力強く頷いた。そして、すぐに浮かべた笑みを引き締めると、癇癪を起こしたように暴れ狂う大樹の害獣へ視線を移す。


「さて、あいつの核が見えたところで俄然やる気も出てきたわけだが……問題はどうやってあれを壊すかだな」


 あの遙か天辺にぶら下がる、赤黒い大きな宝石。害獣を動かす要であれば、そう簡単には落とせないだろう。見るからに枝と強固に接着しているし、現に私の風では駄目だった。生半可な力では、きっと引き剥がす事すら困難だ。


 どうするの、グレン?


「……まずは、あのビタビタ動き回ってる根っこをどうにかしないと。あれじゃあ攻撃のしようがない」


 長剣を強く握り締めたグレンを、私はハッとなって見つめた。


 もしかして、攻撃が届くなら、どうにかなるの?

 だったら、私に任せて! ちゃんとあそこに“届く”ようにしてあげる!


 グレンの隣から、頭上へと移動する。不思議そうにする彼の両肩に、大きくなった足を乗せ、隙間無くがっしりと掴んだ。


「……ん?! リア、何して」

「ルッ!」


 大丈夫、安心して。今の私の翼は、大きくて立派だから――グレン一人だったら、きっと平気!


 離さないようしっかりと力を込め、翼を大きく羽ばたかせる。

 草原を駆けていたグレンの足は、ふわりと地面から浮き、私と一緒に夜空へと高く舞い上がった。


 グレンの全体重が両足に掛かったけれど、耐えられないほどではない。彼一人くらいなら、何とかなりそうだ。

 大人になるとはなんと素晴らしい事なのかと密かに感動したが、両肩を掴まれて宙にぶら下がるグレンからは激しい狼狽の声が上がった。


「ちょ、おま、えェェェ?! まさか、空から俺を投げるつもりじゃ……!」

「ルウッ!」

「いや、うんて、何言ってんの?! 俺、死ぬけど!」


 大丈夫だよ、絶対に落とさないし、落ちたってまた掴んであげるから!

 核のところにまで、ちゃんと届けるよ!


 わあわあと騒ぐグレンを連れ、害獣の周囲を周り、高く高く飛び上がる。

 地上にいる冒険者たちの目にも、私たちの姿が映ったようで、彼らはグレンを見上げて歓声を上げ始めた。


「なんか! グレンが! 空飛んでる!」

「ブッハァ! 超おもしれぇぇ!!」

「よっしゃー! 勝機が見えてきたぜー!」


「俺の! 未来は! 見ないんだけどーーーー!!」


 もう、逸る気持ちは分かったから、暴れないでよ。それよりもグレン、あれを見て。

 手足をばたつかせるグレンを、ぶらんっと揺さぶり、身体の向きを害獣へと直す。


 先ほど私が風で吹き飛ばした茂みから、あろう事か新たな枝葉が伸びているのだ。これではせっかく露わになった赤黒い核が、木の葉の中へと埋もれてしまう。


 核を壊さなければ死ぬ事はない――グレンの言葉の意味が、私にも分かった。


「核がある限り、害獣ってのはああやって回復し続けるんだ。なんとか遅らせるだけでもしないと――」


「だったら任せとけ、お前はそのまま上に向かえ!」


 その時、地上にいる冒険者たちが、一斉に動き出した。

 暴れ狂う太い根に駆け寄り、霜を纏う凍てついた剣を振り上げ切りつけていく。刀剣ではなく杖などを持つ者は、聞き慣れない魔術の言葉を口ずさみ、大地に突き立てていく。すると、切りつけられた場所からは徐々に氷が広がり、抉られた緑の大地は杖を起点にし冷たい銀色で凍り付いていった。


 徐々に広がりを見せる冷気は、暴れ狂う大樹の害獣を、ゆっくりと、確実に白く蝕んでいく。草原の上を這いずり回る幾つもの太い根は、鈍く軋む音を立て、大地を叩き割っていたあの勢いを失くしている。明らかに、その挙動は鈍重になっていた。


 貴重かつ強力なもの。ギルド職員が豪語していた通りの光景が、眼下に広がる。

 人間の道具って、そんな事も出来るのね。魔物(わたし)たちと正面切って戦おうとするだけの事はある。


「――リアちゃん、避けてね!」

「残り少ない矢の大盤振る舞いだ!」


 弓を掲げ持った冒険者たちが、夜空に向かって矢をつがえる。狙い澄ましたその一矢は、一斉に害獣へ放たれた。


 白く凍てついた軌跡を描く矢尻は、害獣に直接の致命を与える事はない。けれど、聳え立つ太い幹や、空を覆うように伸ばす枝葉を掠めると、そこからも冷たい銀色が広がっていく。

 全ての矢を出し尽くした頃には、その巨躯の半分以上が凍り付き、そぎ落とされた茂みはもはや再生出来なくなっていた。


 僅かな身動ぎすらままならなくなっても、大樹の害獣は、なおも全身を軋ませて動こうとする。そのたびに、凍った木の葉が抜け落ち、空中で粉々に砕けていった。

 白く凍てついたその姿は、月明りの下で銀色に輝き、とても綺麗で――少し、可哀想にも思えた。

 だけど、これは、戦いだから。住処と仲間を守るための、譲れない戦いだから。手を止めては、ならないのだ。


(今なら、ちょっとだけ分かるの)


 人も魔物も、たぶん害獣も――少しでも長く世界にいるために、必死なだけなのだ。


「グレン、早くやれ!」

「リアちゃん!」


 冒険者たちが、地上から叫ぶ。幾度となく呼びかける彼らの声は、私と、グレンの背を押した。


「ええい、もうどうにでもなれ! リア、俺を核のところに連れていけ!」

「ルウ!」


 言われるまでもなく!


 白い翼を羽ばたかせ、高く飛び上がる。害獣の真上を取ると、赤黒い核に向けて降下し、しっかりと狙いを定め――グレンの両肩を、そこで離した。


 速度を上げて落ちながら、グレンは剣の柄を強く握り締め、真っ直ぐと切っ先を下に向ける。


「どぉっせええええええい!!」


 凍り付いた枝葉を砕いていく鋭利なその剣は、僅かな狂いも無く、赤黒く巨大な宝石へと切っ先を突き立てた。



 ――バキリ、と辺りに響き渡る、鈍い音色。



 害獣の巨躯が大きく揺れたかと思うと、途端に、その動きを止めた。

 凍り付きながらも抵抗し続けていた身体が、微かに戦慄き、狂おしい咆哮が呻き声へと変わる。


 私はそっと幹に近付き、そこに浮かんでいる苦悶に満ちた赤い瞳を見つめた。


 黒く淀んでしまった魔力から産み落とされた害獣は、言うなればきっと、世界の歪みだ。これを倒し、歪みを正せば、この辺りに滞ってしまった魔力は正しく流れるのだろう。私の目の前にいる、この大樹の姿をした害獣も、きっと。

 そうして、また、世界を流れるのだ。


(今度は、別の形で、会おうね)


 ささくれた木の幹へ、祈るように額を重ねる。


 狂乱していた赤い瞳が、ゆっくりと、閉じていく。その仕草が、穏やかなものに見えたのは、私の気のせいだろうか――。



「――もういっちょおおおおおお!!」



 突き立てた剣へと、グレンはさらに体重を乗せる。亀裂の走った赤黒い核の、その奥へと、剣が押し込まれる。

 小岩ほどもある大きな核は、ついに音を立てて真っ二つに砕かれ――黒い大樹は、瞬く間に塵となって崩れ去った。


 巨大な大樹の姿を作り上げた淀んだ魔力は、その形を失い、夜風に乗って星空へと飛散していく。けれど、月明りに照らされたそれは、黒い靄ではなく白い輝きを放っていて、最後は光の粒となって溶けて消えた。

 大気を震わせ、大地を叩き割った凶暴な振る舞いが、一時の夢であったみたいに。

 美しく静謐な最期を、私はしっかりと見届けた。


 こんなに、綺麗なんだもの。きっともう、悪い魔力もなくなって、大丈夫……――。




「うおおおおあああああリアーーーーー!!」




 突如、響き渡ったグレンの悲鳴に、私はハッと意識を戻す。

 害獣の核を砕くという大役を果たしたグレンが、今まさに、真っ逆さまに落下していたのだ。


 ごめん、忘れてた!


 慌ててグレンのもとに飛び、空中でもがく彼の片足をしっかりと掴まえる。

 頭の位置が上下逆になったまま草原へ下り、地面が近づいたところでぽいっと放り投げる。グレンは背中から着地を決めた。


「ぶべッ! 雑ッ!」

「ルゥウー」

「いつつ……ま、まったく、空飛んだり、落下したり……こんな経験、今までで初めてだ……ッ」


 グレンは両腕を広げ、どうっと仰向けに倒れ込んだ。激しく胸を上下させ、何度も呼吸に喘ぐ彼は、疲れ果てて動けないようだったが……その顔は、晴れ晴れと輝いていた。


 ゆっくりと草原に降り立ち、翼を畳んでグレンの傍らに腰を下ろす。覗き込んだ私を見上げる彼の瞳は、眩しそうに細められ、しかし優しい笑みを湛えていた。


「……綺麗になったなあ、リア。初めて会った時に見た、月光花みたいだ」


 月夜にだけ花を咲かせるという、白い花弁が特徴の、月光花セルネリア。日中では雑草と間違えられるくらい凡庸な姿をし、草むらにひっそりと紛れているが、ひとたび月に向かって咲けば清廉な存在感を放つ、美しく幻想的な花だという。


 以前、グレンは冗談ぽく、将来はセルネリアみたいになるぞ、なんて言っていたが……。


「まさか、本当にセルネリアみたくなるなんてなあ……驚いた」


 しみじみと呟いたけれど、驚いているのは私の方でもある。灰色の羽根が抜けて、しかもこんなに眩しい純白になるなんて、思ってもいなかった。


 私も、綺麗な羽根色になれただろうか。お母様やお姉様、妹たちみたいに、綺麗な鳥になれただろうか。もし叶ったのなら――。


「ふふ、うれしい」


 その瞬間、グレンの両目が大きく見開かれ、勢いよく上半身を起こした。


「リア、お前、言葉……!」

「ル? ことば? …………あッ?!」


 言われてから、ハッと気付く。あれほど上手く喋れなかった言葉が、今はスラスラと唇から溢れていた。

 そういえば群れで暮らしていた時、お母様はよく言っていた。灰色の雛の間は難しいが、大人になったら人の言葉も話せるようになる、と。

 本当に、その通りになった。今までは散々だったが、これでようやく、意思疎通が図れる!


「わあ、すごい! グレン! えと、あのね、えっと!」


 勢い込んで、彼に詰め寄ったものの……いざ何か告げようとすると胸が一杯になってしまい、色んな言葉が浮かんでは消えていくばかりだ。


「えっと、えっと――あ、ありがとう!」


 悩んだ末にようやく出てきたのは、そんな言葉だった。

 伝えたい事は、もっとたくさんあったはずなのに、その一言しか思いつかなかった。


 それでも、目の前のグレンには、ありったけの思いは通じただろう。彼はくしゃりと笑い、私の頭に手のひらを乗せると、いつになく強く撫でてくれた。


「――こっちこそ、ありがとな」


 そうやって笑う仕草も、普段以上に優しくて、胸の奥が温かく満たされた。


 その時になって、私にもようやく、灰色の羽根が抜け雛から大人になれた喜びが込み上げてきた。家族の誰とも異なる、私だけの純白の羽根色。諦めていた積年の夢が本当に叶ったのだと、どうしようもなく感情が溢れてくる。戦いが終わったという事も相まって、居ても立ってもいられず、嬉しさのあまりグレンに飛びついた。


「これこれ、進化して大きくなったってのに……中身は小さい時のまんまだなあ」


 困ったように笑いながら、グレンは軽々と私を受け止める。頭をぽんぽんと軽く撫でてから、そっと身体を離した――次の瞬間、優しく微笑んでいたグレンの顔が、ぎょっと大きく歪んだ。


「って……! おい、リア! おま、服はどうした?!」

「ル? ふく?」


 服……はて、そういえば。


 改めて身体を見下ろすと――着ていたはずの人間の洋服は、何処にも見当たらなかった。

 今、視界に映るのは、白い羽毛に包まれる鳥の下半身と、灰色の頃よりもふっくらと成長した白い胸元であった。


「身体がでかくなったから破けたのか……! なんてこった!!」


 せっかく戦いが終わったというのに、何故かグレンは頭を抱え、慌てふためき出した。

 そんなに慌てなくたって、何も問題はないのに。人間の町に来るまでは、ずっとこの格好だったんだもの。恥ずかしくなんてないし、むしろ懐かしいとさえ思っているくらいだ。



「うおおおおおおグレンーーーーー!!」

「リアぢゃあああああん!!」



 そうこうしている内に、冒険者と支援にやって来たギルド職員らが、遠くから猛烈な勢いで私とグレンのところに駆け寄ってくるのが見えた。つい先ほどまで、害獣との激戦に身を投じていたとは思えない、凄まじい速さである。


「ギャー! リア、服だ! 服を着ろ!」

「ルウ? だいじょうぶ!」

「いや何一つ大丈夫じゃないから! ええと、ああもう、マントでいっか! これ被ってろ!」


 グレンはそう言うと、自らが羽織っていた外套を慌ただしく取り外し、私の頭にすっぽりと被せてきた。

 せっかくお姉様や妹たちみたいに大きくなったのに、どうして隠さなければならないのか。恥じるものなんて、何処にもないのに。


「ルーッ! いやー! くさいー!」

「くさ……臭くなんかねえし! 俺が傷つくだろ! いいから被れーー!」


 戦いの幕を下ろした月夜の草原に、グレンの全力の叫び声が響き渡った。




という事で、リアの羽根色は、白でした。

何色にしても似合うとは思うのですが、初期の頃から絶対にこの色だと決めていました。


感想欄にて色の予想をして下さった方々、ありがとうございました。

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