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2018.08.04 更新:1/2


たいへんお待たせいたしました! 続きになります。

この辺りから、少しのシリアスと、戦闘描写が入ってきますので、よろしくお願いします。


冒険者と魔物が揃ってしまったら、結局、戦いは避けられませんよね。

 数日に一度、具合を診てくれる医者の先生が、この日ギルドへやって来た。グレンたちが見守る中、先生は一通り私の様子を見ると、にっこりと微笑んだ。


「うん、悪いところはなし。薬も必要ないだろう」

「じゃあ、リアは、もう」

「ああ、無事に治った。悪いところは、もう何処にもない」


 先生の言葉を聞き、グレンやセリーナたちは表情を明るくし、ほっと息を吐き出した。周囲に集まっていた冒険者たちも、一斉に歓声を上げ、同じように喜んでくれていた。


「いやあ、良かったな!」

「ああ、最初はあんなに傷だらけだったし、どうなる事かと思ったけどよ。治って良かったよ」


 治った。そっかあ、治っちゃったんだ、私……。

 あの焼けるような痛みが消え去った、灰色の小さな翼を見下ろし、私は眉を下げる。


「だが、しばらく翼を使っていなかったから、鈍っているかもしれない。飛ぶ練習をしながら、様子を見てくれ。ああ、治ったからといって、無理はさせないようにな」

「はい、ありがとうございます」


 グレンはすかさず私の前にしゃがみ、視線を合わせニカッと笑う。


「良かったな、リア。治ったってよ」

「ルウ……」

「飛ぶ練習、これからしていこうな。大丈夫、すぐ飛べるようになるさ」


 嬉しそうに頷くグレンと、安堵したように胸に手を置くセリーナ。宙に浮くダーナも微笑んでいて、心の底から私の事を案じ、そして傷の完治を喜んでいるのだと分かる。


 私だって嬉しい。嬉しい、はずなのに――。


 私ばかりが、賑やかな空気の中からぽつんと取り残されているようだった。





「――よし、先生からお許しも出た事だし。早速、町の外で練習するか」


 グレンはそう言うと、出掛ける支度をしに一度ギルドを離れた。呼び止めようと翼を伸ばし掛けたが、結局、何も言えずに下ろすしかなかった。

 だって、喜んでくれてるんだもの。私の傷が、治った事。

 ああ、どうしてだろう。あれほど望んだ町の外なのに、何故だか鬱々とした気持ちばかりが込み上げてくる。


『あれ、雛鳥が落ち込んでる』

『雛鳥、今日は静かだな。どうした』


 人の傍らで暮らす魔物たちが、主人である冒険者を伴い、ギルドへ現れた。顔見知りの先輩たちのもとに、私はとぼとぼと近付く。彼らは不思議そうにしながらも、ホールの隅へ移動し、私の話を聞く体勢になった。


『あのね、先生が、もう大丈夫だって。空を飛んでも良いって』

『良かったじゃないか。雛鳥』

『うん、嬉しいの。でも……』

『何だ、不満でもあるのか』


 不満。不満にも近いが、この感情は、きっと……。

 しばらく考え込み、言葉を探した後、私はそうっと顔を上げ彼らを見つめる。


『おじさんたちは、どうして“契約”っていう魔法を受け入れたの?』


 魔物と人間は、本来、相容れぬ種族同士。魔物は人間を恐れ、人間は魔物を恐れ、そうやって長い間続いてきた。その関係が変わる日など、万が一にも、決して訪れないはずだ。

 ……しかし、その関係を、都合良く歪めるすべを、人間は持っているという。


 ――契約。


 野で生きる魔物を隷属させ、契約獣として人間に縛り付ける、身勝手極まりない魔法。そして、その魔法を使った人間に、意思とは裏腹に魔物は服従を余儀なくされ、時に生命の在り方まで決められてしまうという。


 ここに来たばかりの私であれば、怒り心頭になっていただろうが、今は違う。ただ純粋に、疑問に思う。かつて野で生き、人間を敵視していたであろう彼らは、何故それを受け入れ、こうして追従するのか。魔物たちの最たる敵であろう、冒険者へ。


 私の唐突な問いかけに、人の世界に慣れ親しんだ先輩たちは少しの間、口を閉ざす。人に従っていても、魔物の本性までは消えない獣の瞳に、じっと見つめる私の姿が映る。


『別に、大した理由はない。何となく面白そうだったからだ』

『嫌では、なかったの?』

『これといって』


 狼の魔物は、感慨深さも何もなく、あっけらかんと言い放った。


『俺の場合は、まあ最初こそ強引に契約で繋がれちまったが、今となっては悪くないと思ってるぞ。飯は美味いし、面白いもんばかりだしな』


 狼の背で寛ぐ猛禽の魔物も同じで、おおむね同意している。

 意外にも皆、差し迫った理由はなく、流れのまま契約獣になったようだ。声音や面持ちに、嫌悪の類いはなく、現状に不満はないように感じる。私は微かな安堵を抱いたが……そのうちの一匹が、不意に、険しい声で告げた。


『――だが、中には意思とは関係なく隷属を強いられ、その恨みを捨てられず憎み続ける奴もいる』

『ああ……例え自分が死のうとも、術者を道連れにして一矢報いた奴の話なんて、けっこうあるくらいだしな』


 恨みを捨てられず、憎み続ける。

 どきりと心臓が跳ねたが、その結末も、当然のものだろう。私たちは、ぞんざいに扱われて何も思わない道具ではないのだ。

 そして、魔物にとって人間とは、やはりすべからく天敵なのである――。


『……灰色の雛、どうして突然、契約魔法の事を知りたがる?』

『あ、その……私……』

『いや、無理に言わなくて良い。お前は、ここの連中と仲良くやっているしな。思うところはあるのだろう』


 ――だがな。

 契約を交わした魔物たちは、その瞳に僅かな厳しさを浮かべた。


『人間の……それも冒険者の側にいるという事は、他の魔物と戦う場面を見るという事だ。もしくは、お前自身が戦う事になる。同族の鳥たちとも、だ。見たくない、戦いたくないなんてわがままは通用しない。ここに居る連中は、本来、そういう奴らなんだ』


 魔物を倒し、その身体から武器や防具を生み出し、また魔物を倒す――冒険者とは、そういうもの。


『私……』

『雛鳥、何にせよお前が決めようとしている事は、一生を左右する。急がず、ゆっくり考えたら良い』

『そうそう、迷ってるうちに答えを決めちまうのは、止しといた方が良いぜ。オトナからの助言だ』


 そう告げる彼らの身体には、契約魔法を受け入れた証なのだろう、不思議な紋様が浮かび上がっている。それを、私の身体にも欲しいと、思ったわけではない。ないが、心の何処かで、羨むような感情も……少なからず存在していた。


 私は、どうしたいのだろう。


 最初は、ただ早くここから離れたかった。天敵の住処なんて冗談じゃない、さっさと離れて遠くへ行かなければ。そう思っていたはずなのに、今はそれを、躊躇している。いつか来る“約束”の日を、どうしようもなく怯えている。


 天敵である魔物が、人間の側に居るには、契約に縛られなければならない。だとしたら、私は……――。


「リア! 準備出来たぞ、町の外に行ってみよう」


 ギルドへ戻ってきたグレンの出で立ちは、ここしばらく見ていた衣類だけの軽装ではなかった。胸当てや籠手などの防具一式を身に着け、腰には銀色の長剣を差している。

 その姿は、彼と初めて出会った時と同じもので――つまりあれが、冒険者としての装いなのだろう。


「よくよく注意して下さいね、グレンさん」

「大丈夫だってセリーナ。ちゃんと着替えたし、何かあっても対応出来る」

「そうなんですけど、微妙に心配なんですよね。微妙に」

「俺ってそんなに信用ねえの?!」


 他の冒険者たちから笑い声が響いたが、グレンは気にした様子もなく、私の肩を軽く叩いた。


「さ、行こう。町の外に出るのは久しぶりだな」


 楽しそうにグレンは言うけれど、私の足は酷く重たくて、ギルドを出るその一歩が億劫だった。


 ねえ、グレン。もしも私が、天敵の住処に居たいって言ったら、天敵の貴方はどうするのかな。

 やっぱり困るよね。この町から早く追い出したいよね。だって私は魔物だもん。

 でも、私は。

 私は……――。


 伝える言葉も、伝える方法も見つからなくて、私は口を噤んでグレンの後に続くしかなかった。



◆◇◆



「寂しそうな表情ね、セリーナ」


 傍らから聞こえた囁きに、セリーナはどきりと肩を揺らす。いつの間にか傍らにはダーナが佇んでおり、彼女は柔らかい微笑を浮かべセリーナを見つめていた。きっと、セリーナの胸中を見透かしているのだろう。溢れるばかりの美貌と、緑玉に似た美しい瞳には、温かな慈しみが湛えられている。

 命を守り、育んできた、慈愛と豊穣を司る緑の精霊。彼女の前で、下手な強がりなど意味を成さない。セリーナは、小さく肩を落とした。


「……そう、ですね。私は、寂しいんだと思います」

「リアちゃんのお世話をして、髪やお洋服をいつも綺麗に整えていたのは、セリーナだものね」

「はい」


 毎日、ふわふわの灰色の髪を梳いて、その日着る服を選んで、四苦八苦する彼女に着付けてあげてきた。他の女性冒険者やギルド職員も彼女の世話をしていたが、愛想のない自分にも無邪気に懐いてくれて、それが本当に嬉しかった。


 ハーピーという魔物の幼体だからと、冷酷に遠ざけようとしたのは、他ならぬセリーナであったのに。


 いつの間にか、人間とは違うあの歌うような鳴き声や、掟に縛られない突拍子の無さが、毎日の業務を明るく彩ってくれた。あの天真爛漫な無邪気な性格に、セリーナの心はすっかり解されてしまった。

 彼女の怪我が治るまでの間だけと、あらかじめ約束していたのに――。


「年の離れた妹だと、思っていました」


 魔物たちを間引くため、冒険者を各地へ送り、倒した魔物の血肉に値段を付けている、ギルド職員の一人でありながら。

 空からの強襲を得意とし、家畜や人間を襲う獰猛なハーピーの雛鳥の事を、身内のように。


 胸の内を吐露するセリーナを、ダーナはけして嘲ったりせず、肯定するように頷き耳を傾けてくれた。


「約束を、すっかり忘れてしまってたんです。馬鹿ですね、自分で言ったくせして」

「セリーナ」

「でも、これが……リアさんのためなんですよね」


 出来るものならば、約束の日など来なければ良いと願っている。

 けれど――自分の事以上に、私は、あの可愛い灰色のハーピーを大切に想っているのだ。


「上手に、飛べると良いな」


 あの灰色の小さな翼で空に飛び立つ風景を、セリーナは想像し、小さく笑った。



◆◇◆



 グレンに連れられ、外に繋がっている門のところにまでやって来た。

 町を守るように築かれた高い塀と、人々が出入りする門の佇まいを見るのは、最初にやって来たあの日以来である。と言っても、あの時はグレンの外套に包まれていたため、隙間から覗き見る程度であったか。


「リア、こっちだ」

「ルウ」


 門の傍らに佇んでいる人間のもとへと向かう、グレンの後ろに私も続く。


「よ、門番のおじさん」

「お、グレンか。今日は……なんだ、可愛い連れがいるんだな」

「ああ、怪我も治ったし、飛ぶ練習を今日からやり始めるんだ」

「そうか。良かったな、ハーピーのお嬢ちゃん」


 ニカッと笑う男性に、私は曖昧な鳴き声を返す。


「ただなあ……今日は変な空気らしいから、気を付けていけよ」

「変な空気?」

「ああ、今朝から出入りする冒険者や町の連中が、そう言ってるんだ」


 門番の男性曰く、外に出掛けた冒険者や住民が違和感を感じるとこぼしているらしい。普段から長閑な環境であるが、不自然に静まり返っているような気がする。近隣に生息する魔物たちの動向もいつもと違うような気がする、と。この町の近郊に広がる、緑の高位精霊であるダーナが守護する森には、その違和感はないらしい。


「一応、ギルドと町長のところに話をしに、さっき使いを出した。話はすぐに広まると思うが、お前も気を付けろ。何か見つけたら教えてくれ」

「ああ、分かった」


 グレンは頷くと、門番の男性に軽く手を上げて離れた。


「流れの魔物が来たか、それとも、まさか賊か何かかな……」


 心なしか、先ほどよりもグレンの面持ちが緊張を帯びているように見える。大丈夫なのかと声を掛けると、彼はハッとなって表情を変えた。


「ん、ああ、悪いな。大丈夫だ」

「ルウ……?」

「ギルドに話がいったのなら、すぐに調査に出るだろうけど……何かあったら困るしな。今日はちょっとだけにしておこうな。ほら、リア」


 グレンは、私の背を押す。門を通り抜け、高く築かれた塀の向こうへと進むと――久しく見ていなかった草原と、青空が、何にも遮られずに私の前に広がった。


 ザアア、と音を立てて過ぎ去る風と、それに運ばれてやって来る緑の匂い。人間の町の中では感じなかった、慣れ親しんだ風景。私は少しの間、じっと立ち尽くし、全身で感じた。


「リア」


 小さく笑うグレンに促され、私はそろりそろりと進み出る。整えられた道を少し進み、緑色で覆われた大地へと足を踏み入れる。ああ、そうだ、この感触だ。綺麗に整えられてはいない、少し歩きづらくて、ごつごつした踏み心地。ずいぶんこの感覚から離れていたらしい。自然と、私は歩く速度を上げた。


「楽しいか、リア」

「ル!」

「そうか、そりゃ良かった。町の中よりも、こっちの方が良いよな」


 寂しそうに笑うグレンに、私は慌てて駆け寄る。どっちが良くてどっちが悪いとかないよ、どっちも私は好きだよ。彼にそう一生懸命に伝えてみたが、やはりこの鳴き声では理解してもらえなかった。


「ルウ、ゥゥ、ウリュアー!」


 どうにか喋れないものかと声を絞り出してみたが、潰れた変な鳴き声にしかならなかった。おまけに、グレンにはブハッと盛大に笑われた。

 最近は人間たちの言葉にたくさん囲まれていたから、お母様から教わらなかった単語も覚えた。彼らの口の動きや声にも慣れたから、いけるんじゃないかと思ったんだけど……灰色のままでは無理らしい。グレンの腹部に頭突きを繰り出しながら、落胆した。


「ほら、せっかくこんだけ広いんだ。自由に飛んでみろよ。町の中じゃ出来なかったしな」


 グレンは腹部を擦りながら、私に飛ぶよう促してくる。しかし、翼を揺らすばかりで飛ぼうとしない私を見て、彼は不思議そうに首を捻る。


「あれ、リア、どうした。自由に飛んで良いんだぞ。あそこじゃあずっと窮屈だったろ?」

「ルウ……」

「うーん……? おかしいなあ、怪我は治ってるはずなんだけど」


 実はまだ何処か調子悪いのか、なんて言いながらグレンは私の翼を摘まんで見つめる。もちろん、痛みなんて何処にもない。


「しばらく動かさなかったから、やっぱり鈍ってるのかな」

「ルウ、ル」

「大丈夫、落ち込むなよ。練習すれば、またすぐに飛べるようになるさ」


 励ますように、グレンは笑う。けれど、私が飛ぼうとしないのは、そんな事が理由ではない。

 せめて、グレンの口から聞けたら良いのに。人間の住処に居てはならないと。あるいは、許されるのなら……ここに居ても、良いのだと……。

 それすら、伝える術がなく、私はただ立ち尽くしていた。







「早く、町に急げ……!」







 ――不意に、風の音の中に混じった、誰かの声。

 顔を起こし、周辺を見渡す。なだらかな丘と草原が続いているだけの、長閑な風景しか見えなかった。けれど、今、確かに。


「どうした、リア?」

「ル、ル!」


 グレンの耳には聞こえなかったのだろうか。彼は不思議そうにし、私を見下ろすばかりだ。





「町に、早く伝えるんだ……!」


「分かってるけど、そうする隙もねえだろ……!」





 ――ほら、また!

 風の音色の中、確かに聞こえる、誰かの叫び声。私は身を翻し、草原の上を駆け出した。


「リア?! おい、何処に行く気だ!」


 こっち、グレン! 早く!

 何度も呼び掛ける私に、彼も只ならぬものを嗅ぎ取ってくれたらしい。表情を引き締め走り出すと、私の後ろへと続いた。


 グレンを導きながら、微かな音を探す。町から離れ、青々と茂る草原ひた走り、やがてその小さな声は徐々に大きく、はっきりとしたものに変わっていった。その頃には、グレンの耳にも聞こえていただろう。静けさを引き裂き、激しく争うその音が――。


「リア、待て!」


 グレンに呼び止められ、私は足を止める。肩を上下させながら振り返ると、彼もまた息を整えていたが、前を見つめるその瞳は険しかった。


 私とグレンが辿り着いた時、少し先で、数人の冒険者が何かと戦っていた。

 それは……言葉にしがたいものであった。

 姿形から察するに、四つ足の獣。人間よりも少し大きな、恐らくは獣の魔物だろう。しかし、黒い。ただただ、黒い。晴れやかな青空と豊かな草原にはあまりにも不釣り合いな、滴るような不気味な漆黒でその身を包んでいる。


 たなびいた黒い靄の向こうに見えた魔物の眼は、一欠片の理性もないほどに血走っていた。気が()れたように牙を剥き、爪を振りかざす姿は、明らかに尋常ではない。

 あれが同じ魔物であるというのなら、かつてあれほど狂った魔物を見た事はあっただろうか。


 なんて、恐ろしい。魔物もそうだが……あの身体を染めている、滴るほどの漆黒が、たまらく恐ろしかった。


 あの黒色に近付いてはならない、触れてはならないと、私のような半端物でも直感した。

 あれは――けしてあってはならない存在だ。


「……リア、絶対に近付くな。良いな」


 唸るように、グレンが呟く。そして次の瞬間、彼は勢いよく駆け出し、黒い魔物と争う冒険者たちのもとへ向かった。


「おい、あんたら! 加勢するから、ここで絶対に倒すぞ!」

「ッお前は……いや、助かる!」


 黒い魔物の瞳に、グレンが入り込む。新たな獲物が現れたからか、()れた咆哮を上げ、グレンにもその狂気を剥き出した。

 黒い魔物は前足を振り上げ、グレンの頭上めがけて太い爪を振り下ろす。冒険者たちがそれを弾き止めた隙を、グレンは掻い潜り、銀色の長剣を抜き払った。

 魔物の躯体を包む漆黒の靄が、鮮血の飛沫と共に草原へ飛散する。

 怒号とも悲鳴ともつかない、つんざくばかりの甲高い獣の咆哮が、辺り一面に響き渡った。私は思わず、身体を竦め、翼で耳を押さえる。


「足を押さえろ! 止めを刺せ!」


 力を振り絞るように、冒険者たちは各々で携えた得物を構え、魔物の身体を刺し貫いた。

 グレンもまた長剣を強く握り締めると、その切っ先を迷わずに押し込む。いくつもの刃に穿たれた魔物は、ようやくその狂おしい咆哮を消し、崩れ落ちて沈黙した。


『アァ……ウァア……アア』


 けれど、耳を塞いでも聞こえた同胞の声は、最期まで、狂ったままであった。




 黒い魔物の心臓が、完全に止まった事を確認すると、冒険者たちはどうっと地面へ倒れ込んだ。よほど長い間を戦っていたのだろう、大量の汗が伝う顔からは激戦の疲労がありありと読み取れた。

 遠くで窺っていた私もようやく彼らのもとに近付き、仰向けに倒れてしまった冒険者たちを覗き込む。大丈夫かと声を掛けながら、魔物の亡骸の前にしゃがむグレンの背中に向かう。


「ルウ……?」

「ッああ、リア、あんまりこっちには来ない方が良い。お前に何か影響があったら大変だ」


 グレンは手のひらを突き出した。ごつごつしたその手は、真新しい鮮血で濡れており、私は一瞬怯んでしまった。


「なあ、こいつは一体」


 グレンは倒れ込む冒険者に問いかける。彼らは疲れ果てた様子を隠さなかったが、上体を起こすと、乱れた息遣いのまま話し始めた。


「町の北にある森で、採取依頼をしてたんだが、突然そいつが飛び出してきてな」

「最初から、さっきみたいに狂った状態だった……。おかしいだろ、その魔物の種族は、ここまで強くはないはずだ」

「ああ、そうだな。普通なら……」


 グレンは亡骸を観察しながら、重々しい息を吐き出した。顔は見えなかったが、険しく歪んだ面持ちをしているに違いない。


「黒い、汚れた魔力だ。こいつは、たぶん、それに飲み込まれた個体だ」

「黒い魔力……という事は、そいつは、そうなのか」

「ああ。こいつは――“害獣”だ」


 害獣――澱んでしまい変わり果てた毒の魔力から生み出される、あるいは飲み込まれ自我を失った、魔物。


 そして、それが、ここに存在しているという事は。


「急いで戻って、ギルドに報告しないと。何処かで、毒の魔力が発生している」


 ――害獣たちが、町に押し寄せるぞ。




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