ヒマリ
わたしのなまえは、ぜな。
ふぇありすと……? のくにの、おひめさま? ではないけど、そういうの
だんなさまのしんだいと、いっしょだったけど、
きづいたら、しらないばしょにきてました
まる
「……よし!」
砂だらけの手を腰に当てながらふすん、と荒い鼻息を一つ吹いた。大人が担いでしまえそうな小さな体にはしんどいぐらいの大きな文字を地面に描き出して、その会心の出来栄えに達成感を覚える少女。
こうしていれば誰かが見つけてくれる。彼女はそう確信していた。
「まよったときは、メアリーがこうしろっていったもんね!」
変な所に胆力のある彼女だが、やっていることは的確である。迷子の子供がふらふらしない、大人が来るのをじっと待つ。賢明である。
ただ、できればこんな辺鄙な地に来るまでに、それに気づいて欲しかった。そう思う人物がちらほらいるのだが、このおてんばには知らぬ存ぜぬである。
それから周りを見渡してみるが、残念ながら知っている建物などはどこにもない。砂漠なのか荒野なのかわからない、無味乾燥している事だけ明白なこの地に、子供でもわかるような希望はない。
他力本願な子供であるゼナには、単独でこの荒野を脱出する力はない。
「うーん……どっしよっかなぁー?」
迷える子羊は、そんな可愛げのあるうわごとを呟きながら、自分がさっき言ったことすらも忘れてふらふらと歩きだした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「オートマタって、どんなところ?」
唐突に切り出したヒマリに、先導するカルマが振り向いた。
「そうですな……一言で言うなら、「気味の悪い所」でございますな」
「気味の悪い? ……お化け屋敷とか?」
「まぁ、言うなればそうやも知れませんな」
カルマは頷いて、肯定した。
「何せ、隣接しているスペアニアの我らでもオートマタの全容は把握できておりませぬ故」
平然と言うカルマだったが、慎重で警戒心の強いハートが、それを聞き流すはずはなかった。
「なんで隣接してるのに把握してないのよ」
スペアニアへの道のりはカルマに先導させているが、どうあってもオートマタだけは通らねばならない。これを回避するにはギア・マテリアを通らなければならないが、ヒマリ一行にはギア・マテリアへの伝手がない。
ギア・マテリアはスペードキングダムとハートアイランドの国境に隣接しており、ハートは少なからずギア・マテリアの事を知っている。それは“できるなら関わらない方が良い”ということ。ギア・マテリアには、ハートアイランドはもといダイヤシティですら見かけない、戦争のための兵器がごまんと溢れている。万が一因縁をつけられて揉めようものなら、現状で相手にするには一番厄介なのである。
だが、これでは目に見えている危険を避けて、目に見えない危険へ踏み込んでいるのと同じだ。まだ見えている分、ギア・マテリアの方が良く思えてくる。
「これじゃあ何のために案内してもらっているのかわからないわ。」
やれやれ、と手を掲げて首を小さく横に振るハートを、久々に女王様っぽいことしているなと、漏れ出しそうな笑いをぐっと堪えるヒマリ。
たぶん、笑ったら凄い面倒臭い感じで怒るんだろうなぁと、二人の話を聞いていた。
「そうは言われますがハート様、クロム様に会うため、我々は既にギア・マテリアの領内を犯していたのですぞ? ただでさえ彼らは昨今の食糧難に気が立っているというのに、この上外部の、それもスペードキングダム外からの刺客ともなれば一触即発ですぞ」
憂い顔のハートを諭すつもりのカルマだったが、その言葉にハートの機嫌はますます悪くなる。
「……ちょっと、どうしてデュアルの腹心であるクロムに会うために、私達がギア・マテリア領内を侵犯してるのよ? あの辺りはデュアルの支配下じゃないの?」
スペードキングダムは、言わずもがなハートやダイヤの騎士達と同じ、或いはそれ以上の力を持つデュアルの元に統治されていた。デュアルの行方はわからないが、それで領土の境界線に変化が起こるほど、クロムに能力がないとは思えない。
だが、カルマの反応は淡白だった。
「簡単な話であります。取られたのですよ。ギア・マテリアに」
その呆気なさに、この中では特にデュアルの強さを知るハートは、絶句してしまう。
「そんなはずないわ! いくらギア・マテリアとやらが優秀な武器を持っていても、あの無茶苦茶なデュアルが遅れを取るとは思えない!」
「しかし事実であります。デュアル様が姿を眩ましたあの日から、皆様がお力を奪われたあの日から、スペードキングダムは瞬く間に分裂し瓦解した。ジョーカー様によって築かれた同盟も消え、それに追随するように補給線も絶たれた。我々スペアニアはまだいい方であります。国交を持っていなかったギア・マテリアは、奪う事でしか生き残る道を得られなかった」
小さく首を振るカルマの、まるで表情が変わらないのが酷く虚しい。ヒマリは知っている。あれは大人が諦める時にする事だ。 歴史の授業で戦争の悲惨さは学んだ。だが、今まさにその戦争の中に身を置いているのだ。
「ギア・マテリアの攻勢はそれはもう凄かった。爆発する剣、空を飛ぶ鉄の塊、地に落ちて破裂する球、まさしく総力戦でありました。しかし各地の贈り物持ちの前には及ばず、最も力を失っていたデュアル様の直轄領の、クロム様の贈り物が及ばぬ範囲のみ、支配権を獲得したのです」
「それに加えて……スペードキングダムの痩せた土地では、作物は育たない」
ハートの重くのしかかるような言葉に、カルマは深く頷いた。
「追い討ちをかけるようですが、ギア・マテリアには作物の栽培技術が殆ど無かった。痩せた土地でも育つと言われるイモですら、くず鉄と砂が混じって固まったあの土地では育たなかった。しかし各国にギア・マテリアを支援する余裕などあるはずもなく……」
「そんな……それじゃあギア・マテリアの人達が可哀想だよ……」
「しかし、できないものはできないのであります。少ない食料を分け与えて、みんな仲良く飢えて死ねと?」
その尋ね方は卑怯であったが、核心を突いていた。カルマの言う事は冷たいかもしれないが正論だ。ただ平和を願うだけのヒマリに、返せる言葉などありはしない。
「ヒマリ殿はまだ幼い。しかし生きるというのはそれほどに難しい事なのだと、知っておいて欲しいのでありますよ」
カルマは決して、血も涙も無い訳では無い。だが同情だけではどうにもならない事はある。反逆者を前に、命を賭して国を守り続けたハート。何度も裏切られながら剣を振るい続けてきたクイーン。彼女たちの血の滲むような努力を目の当たりにしてきたヒマリに、彼らを非難する事などできるはずもない。
だからこそ、どうにかしたいという思いはより強くなる。
「……ギア・マテリアの人達にも、そのうちに会えるんだよね?」
あらゆる不満を飲み込み、腹の奥に押し留めたヒマリがカルマに言う。
カルマは、ヒマリに重々しく首を振った。
「いや、会わなければなりません。ヒマリ殿の理想を行くには、彼らは必要不可欠であります」
足を止めたカルマは、ヒマリに向かって立ち塞がる。それは平和を願うだけのヒマリにとって、ただ平和を願うだけの子供なヒマリにとって、あまりにも大きな壁。
「ヒマリ殿、あなたはハートアイランドやダイヤシティで多くの苦労をされた事でしょう。しかしこのスペードキングダムは、それらと比較にならないほどの困難を抱えております。あなたはこの国の、いや、我々の未来を背負って歩く覚悟がおありですか?」
気さくな雰囲気などではない。一国の右腕として活躍してきた者の冷酷な一面、その影にこの苦しい時代から抜け出したい、苦しむ者たちを救いたいという信念が、まだ幼い体と心のヒマリを見つめる。
「ちょっと! いくらなんでも背負わせ過ぎよ! 確かにこの子は私達の希望。だけどまだ12にも満たない子供よ!?」
ここまで親代わりのような態度で連れ添ってきたハートにとって、ヒマリはあくまでも従者、目的のための主導者ではない。ヒマリの年齢を考えれば当然だろう。
だがカルマは違う。その理由はとても明快だ。
「では、ハート様がデュアル様に代わって、この国々を纏めてくださるのですか?」
「なっ……や、やってやろうじゃない!! 私は一国の女王よ! 一つ二つ国が増えたところでどうってことはないわ!!」
一瞬たじろいだが、それでも女王としてやってきたプライドがある。ハートは威勢よくカルマの喧嘩文句を買った。
しかしカルマは、緩やかに首を横に振った。
「いいえ、無理ですな。ハートアイランドにはハート様しか、我々を御せる者がいない。その歌が届かない場所に、あなたの栄光などありはしない。栄光無き国は、脆くも崩れていく」
「ぐっ……」
ハートに言い返せる言葉があるはずもない。自分も栄光を失い、反逆者の隆盛を許し、自らを窮地に追いやってしまった過去がある。この旅は、そもそもその現状を変えるためのものだ。
「それはダイヤシティも、フォレストクラブも同じ。この国々を統べられるのはデュアル様しかおりません。ですがデュアル様以外にただ一人、過去にこの国々を統べた方が居る」
「それって……ジョーカーさん?」
ヒマリが言うと、カルマは小さく頷いた。
「彼は人望で国々を纏められました。そして、あの時と現在は酷似している。もしヒマリ殿がジョーカー様だと言うなら……私は、一部の望みに賭けるつもりにございます」
カルマは、腰元に携えた刀の柄を強く握る。
「カルマさん!?」
シフォンが気を感じ取り、構える。しかしその刹那の間に刀は抜かれ、銀色に輝く剣先が、ヒマリの眉間を厳つく照らす。
「ヒマリ殿、もう一度問います。あなたは平和を願い、そのために戦う覚悟はおありですか? 平和のために戦い死にゆく者たちの屍を、踏み越えていく勇気がございますか?」
そこに気さくな青年だったカルマはいない。殺気と闘気が溢れた、剣士としてのカルマが突きつける一太刀は、瞬きをする間にヒマリの首を刎ねるだろう。
「カルマ!? あんた!!」
「カルマさん! 刀を降ろしてください!」
「刀を降ろせばヒマリ殿の首は飛びますぞ!! それでよろしいか!?」
突然の乱心に一同の緊張が高まる。カルマの言葉に、ハートもシフォンも、最悪の光景を脳裏に浮かべていた。
ヒマリは、ただ考えていた。カルマの言った言葉の意味を。なぜカルマが自分に、そんなことを言ったのか。
ただそうなればいいと思っている人は沢山いる。だけど、自分の思う世界にしたい人たちが、ぶつかり合って戦争になっている。なら、自分がそこに加わるのは、新しい戦いを生むだけではないか。
それがカルマの言っている事なら、あの日ハートがスノウに託した思いも、クイーンとトゥエルブが合わせた背中も、全部犠牲にして踏み越えていかなければならないなら……。
目の前に迫る死の恐怖が、軽くなった気がした。
「……ダメだよ。そんなの」
ヒマリは、カルマの剣先を掴んで、自分の喉元に寄せた。
その瞳が見つめるのは、殺気の籠るカルマの黒い瞳。
「私は誰も殺させない。誰も死なせない。そのために、ここにハートやシフォン、リリィちゃんもそうだし、ハートアイランドのみんな、ダイヤシティの人たち、イザベラキャンプのみんなも……そして、カルマさんも居る」
幾度もの戦いを潜り抜けてきた真剣の輝きにも動じず、ヒマリはカルマに歩み寄り、その刀身の腹を撫でた。
「私は誰の屍も踏まない。みんなと手を繋いで、平和な世界へ歩いていく」
それは夢物語かもしれない。カルマの問いの答えにはなっていないかもしれない。
それでも、誰かの死体を踏み越えていく勇気などヒマリには無い。だから、誰も死なせない。それ以上の答えが見つからなかった。
(マンガの主人公なら、きっとそう言うよね)
自分はそんなに格好いいものでは無い。でも、そうなりたいとは思う。
みんなが、それを望んでくれるなら。
カルマは刀の腹に当てられた手を、じっと見つめていた。その手が震えているからというのもある。だがそれ以上に、そう信じて疑わないヒマリの真っ直ぐな眼差しを、見つめられなかった。
「それが、ヒマリ殿の答えでありますか……」
カルマは失望するかのように呟いた。
その感覚は刹那の内にシフォンとハートに伝わった。背中に言われようのない違和感を感じ、それぞれがギフトの準備に入った。
だがそれを待つ間もなくー。
ヒュン、と空気が切り裂かれた。
「――ッ!!?」
ガシャアアアアアアアアアアアアアアアアン!!
金属の瓦礫がけたたましい物音を立てて、真っ二つに切り裂かれていた。その背後には犬型の機巧が数十匹、ヒマリ達を目指して駆けている。
カルマの刀が鞘の中でパチンと音を立てると、びっくりして腰を抜かしたヒマリをシフォンが腕を引っ張り上げ、臨戦態勢のカルマとハートが背中合わせになる。
「どうやら、囲まれてしまったようにございますなぁ。感極まって、うっかり無駄話をしてしまいました」
まだ距離はあるが、既に四方八方から迫るそれに、ヒマリは動揺を隠せない。
「なっ、なになに!? あのロボットみたいなワンコたちは!?」
「オートマタの住人です! 私達を敵と認識したのかも!」
「えっ!? あれがこの国の人たち!?」
それはあまりに異様だった。今までコスプレしているようだったが、ちゃんとした人間ばかりを見てきたヒマリにとって、もはや人間でもない姿の者を住人と呼ぶことには違和感がある。
犬型だけではない。丸い頭にドラム缶のような体の機械、三本足の車輪で素早く走るピラミッド、くず鉄を掻き集めたような体をしたもの、多種多様な機械の生き物が、こちらを目がけて向かってくる。
【ツカマエロ! ツカマエロ!】
【ニガスナ! ニガスナ!】
【ヒヒヒ……マドエマドエ!!】
ノイズの混じった不気味な声の者から子供のような甲高い声の者まで、しかしどれもがただ事で終わりそうもない雰囲気を持っている。
「はっはっは! 自分はグレイシア様のようにはできませんなぁ」
「馬鹿言ってんじゃないわよ! あんな胆が冷えることはもうやめなさいな!!」
快活に笑い飛ばすカルマを怒鳴り散らすハート。背の高さが頭二つ分あるせいか、ハートのきつい肘打ちはカルマの尻に吸い込まれてしまう。
「悪党はこれで卒業します故、ご勘弁を。それはそれとしてハート様、一つお伺いしたいのでございますが、よろしいですかな?」
「……喉に差支えが無い事にして頂戴」
刀を抜き直して構えるカルマに、ハートは言いたいことを全部腹のうちに閉じ込めて、今考えられる精一杯の皮肉を込めた。
カルマは、微笑みながら言う。
「……もしジョーカー様なら、同じことを申し上げましたか?」
「……あんた、さっきの百倍は働いてもらうから」
「さすが女王様、手厳しいでありますな」
辛辣なハートの返しに溜め息を吐きながら、ハートの奏でる戦慄にその刃を乗せていく。