はらへりの乱
この世界において食事と言うのは、特にここスペードキングダム領内においては、戦争の火種になるほどの貴重で重要な機会である。
そもそも食料の安定供給自体が上手く運んでおらず、一人の英雄が国同士を纏め上げるまでは、唯一フォレストクラブだけが食料の安定生産に成功していた。緑豊かな土地は、それだけで恵みをもたらす。
鉄と油にまみれた埃っぽい軍需地帯には、それがまた夢の向こうに見えるように。
そんな貴重な機会を存分に貪るかのように、汁で膨らませたもち米に果実の滴を垂らしただけの椀を、渦潮に飲まれる水のようにずるずると、猛烈な音を立てて吸い上げては積み重ねていく。
底なしの食欲をもつ彼女の喰らいっぷりを、無精ひげを生やし長い髪を後ろでまとめた髷を垂らす武者の格好の男は、冷や汗を浮かべながら眺めていた。
「……まったく、本当によく食うなぁ」
髪はボサボサだが顔立ちは良い、厚手のボロ切れを身に纏った少女の無垢な瞳と上下に動く頬を見つめながら、呆れ気味に呟いた。
「んもうも! もんぁみうぉいひいおはっはいあいあえ!」
「飲み込んでから喋れ!リスじゃあるまいし……あ”ぁーー……」
ご馳走してくれ、などと言われりゃ普通は門前払い。しかし連れの機巧三体は、どう見たってギア・マテリア製。おまけに意思疎通はできるわ猛スピードで木に突っ込んでなぎ倒すわ、そのくせ無傷だわでとんでもない殺戮兵器の臭い。これに血の匂いが混ざっていれば即刻切り捨てていたが、嗅ぎ慣れた古い油の匂いしかしてこないとなれば、とんだ拾い物の可能性がある。
とはいえ、自分の部下より半回りは年下であろう少女が、まさか自分の一週間分の飯を小一時間で平らげるとは思うまい。
「これで何にも知らなかったらぶん殴るからなぁ?こちとら遠征がてらの偵察だぞ。何も無きゃ帰るだけの散歩で兵糧食いつくしたなんて言ったら、ラルナになに言われるかわかったもんじゃねぇ……」
慣れているとはいえ、空腹に自分の飯を目の前でかきこまれる様は堪えるものがある。大義の一つでもなければ割に合わない。
さっきも言ったが、英雄の失踪で慢性的な食糧難状態のスペードキングダムにおいて、食事の時間は貴重な機会なのである。それを一週間分もくれてやるのだから、それに見合った分ぐらいは何か欲しい。
安いモミの木で簡素に作った机に体だけ寝そべってうなだれていると、上下に揺れていた少女のほっぺたがしぼみ、喉がごくりと鳴った。
「んっ……はぁーーっ!! おいしー!! こんなにちゃんとしたご飯は久しぶり! 本当にありがとうね、おじさん!」
「はいはいそりゃどーも。そんじゃ聞かせてくれるか? ……まずは嬢ちゃんがどこから来て、何者なのかってところから」
待ちくたびれた侍、シンゼンは、急かすように彼女に問いかけた。
しかし彼女は、腹を満たしてやったというのにしかめ面だ。
「うーん……」
「……なんでだんまりなんだ。まさか足りないってんじゃねぇだろうな?」
これだけ食ってまだ食えるというなら、流石のシンゼンも血の気が引いてしまう。
しかし少女は、そんな身の毛もよだつような問いには大きく首を振った。
「とんでもない! 正直ここまでよくしてもらえるなんて思ってもなかったから!!」
「……そいじゃ、なんかマズい事でもあるのか?」
シンゼンは、少しだけ目の色を変えた。
彼女がギア・マテリアから来ているのは間違いない。だが、それならなぜ獣人族の森方面からやってきたのかがわからない。軍とはぐれたのか、いや、それにしては物々しい面構え達だ。
「まずい事と言うか……ん? どうしたのライオネル?」
ボサボサ髪の少女、確かリオネスと言ったか。それが腕を組んで悩みこけていると、後ろの犬型の機巧、確かライオネルと叫んでいたか。それが肩をつついて、何やら内緒話を始めた。
(ねぇまずいよリオネス。あの人どう見てもどこかの国の偉い人だよ。ここがどこかだけ聞いて、早くお別れした方が良いよ)
(だって! こんなにご飯を食べさせてくれる人が悪い人なわけないじゃない!! 大丈夫よライオネル! 私に任せておきなさいって!)
(そう言っていつも良いように言いくるめられて、厄介ごとばかり引き受けるじゃないか)
(んなぁっ!? あ、あれはジジィどもがどうしてもって言うから!!)
(リオネス、君は気づいていないようだけど、君一人がその気になればこの国を一人で征服することだってできるんだ。いくら美味しいご飯が惜しいからって、食い意地張り過ぎると酷い目に遭うよ?)
(ぐ……ぐぬぬぬぬ)
リオネスの迷い気味な様子が、更に固く引き締まった。あの犬、見かけによらず頭が切れるらしい。
なるほど、あの嬢ちゃんのストッパーはあの犬で、他はそうでもない付き人か。シンゼンは頭の中で、大体の話の目途を付けると、突然切り出した。
「そうか、それなら仕方ない。今は持ち合わせしかないからこの程度のもてなししかできないが、帰ればもっと良い物を用意するつもりだったが……」
「え!? もっと良い物!!?」
リオネスは甘美な響きに立ち上がり、その瞳を輝かせる。
危険な賭けだが、シンゼンは更なる揺さぶりをかけるために餌をちらつかせる。
「あぁなにせ、ちょっとした祝い事と重なるもんだからなぁ。久々に肉でもだそうかと思っていた所だったが、あぁ残念だ。それも運だ」
「行く!! 行きます!! だからお肉食べさせて!!」
リオネスは何も考えず、ぶら下げられた餌に喰いついた。
(あぁ釣れた釣れた。さぁここからは俺の腕次第だな。)
口元に浮かべたのは微笑か苦笑か。出費は大きい、しかしそれほどの価値があるとみて釣り針を仕込んだ。こういう交渉事は部下のラルナの方が得意だが、それはまたそれとしておこう。
「おぉそうか。せっかくの肉が無駄にならずに済んで何よりだ。……で? 嬢ちゃんは一体何者なんだ? そちらのカラクリを含めて」
下手くそな演技はライオネルの溜め息で見破られていると悟り、しかし隣の暴走少女は気にしていないのをいい事に話を進める。
「改めまして、私はリオネス! こう見えて凄腕の技師なの!」
貧相な胸を張ってふんぞり返り、鼻息荒くふんすと吹いた。
確かに、こう見えてだな。とシンゼンは思った。
「このライオネルや、後ろにいるかかしっぽい奴のウェルコスは私が作ったの! バームラックは……なんか昔から居る。じーじが死んだときぐらいから動き出したんだけど、なんにも言わないのよね、コイツ」
「………………」
後ろに控えていた残りの一体、恐らく木こりだろうと思われるバームラックは、無言のまま目を伏せていた。
まぁまぁひどい言い草だったと思うが、特に気にしている様子もない。
(ちと、不気味だな……)
何を考えているのかわからないタイプが、シンゼンには一番やりづらい。
「まぁまぁ旦那、そんなに怖い顔しなさんな。バームラックはこう見えて、自分より二回り大きい大岩を片腕で放り投げる怪力ですぜ?」
「ほう、そりゃあ凄い。あと、お前さんの流暢なおしゃべりも」
「へへっ、褒めても何も出ませんよ?」
「いや、皮肉のつもりだったんだが……まぁいいか」
無言で睨み合う二人に割って入ったのは、リオネスがかかしみたいと言った姿のウェルコス。これもボロボロだが大きな魔女帽を被り、それで顔を覆い隠すようにして照れている。話し口からして、軽い性格のようだ。
かかしと言っても、シンゼンの腰元ぐらいしか背の無い小柄な奴だ。この機巧たちの中で見比べれば、大したことのないように見える。
「あっ、今ウェルコスのこと大したこと無いって思ったでしょ!」
「……何も言わねぇでおくわ」
「ところがどっこい!! こう見えてもウェルコスは、私が作った中で「最強の失敗作」なんだから!!」
「人の話聞いてるかぁ? あと、失敗作ってなんだよ」
「そうですぜ姐さん、本当の事でも言っていい事と悪いことがありますぜ」
「いや、否定しろお前は。お前が肯定したら一番ダメだろ」
気の良い話し方をするが、どうも悪ノリが過ぎる。話が深まれば深まるほど、相手のペースに乗せられてしまいそうだ。しかし弱い犬ほどよく吠えると言う。この流暢な喋りは尚更、ウェルコスを弱く見せる。
それでも彼女は、彼を「最強の失敗作」と言う。聞き慣れない比喩に、シンゼンは心中もどかしい。
「んで、なんで「最強の失敗作」なんだ?」
「へ? あぁ、それは見てもらった方が早いかも」
「ほう、ご自慢の機巧を見せてもらえるのか。こりゃ楽しみだ」
ギア・マテリア製の兵器は国内に閉じ込められることが殆どで、外に出る機会は非常に貴重。そのどれもがとんでもなく優秀なため、それを巡って小競り合いが起きることだってある。
シンゼンの率いるフェアリスト・ライブラリにも、随分昔にギアマテリアとの戦場で奪った球体の爆弾があるが、そいつに陣形ごと吹き飛ばされて味方を大混乱にされた苦い過去がある。自分たちが苦しめられたことのある武器なら、尚更魅力的に見える。
その兵器を作る担い手の一人と、こうして話ができて機巧も紹介してもらえるとなれば、それだけで一週間分の食事を我慢した甲斐があった。
(ここまでくれば、出せるところまで欲は出すがな)
胸中に様々な思惑はあるものの、立ち上がってウェルコスの傍に赴いたリオネスに、好奇心を隠し切れず指でリズムを取ってしまう。
「ついでだから、普段は使えないセーフティかかってる機能も見せちゃうね。ほい!」
リオネスがウェルコスの背中をいじくると、調子のいい掛け声とともに、ウェルコスの全身からギラギラと鋭い刃が無数に展開された。
じゃきっ、じゃきっ、と歯切れのいい音を滑らせるその様に、シンゼンは「ほーっ、」と感嘆を上げる。
「こんな感じに、あっしは全身から刃を出せるんですよ」
「元々は高い木の上にある木のみとか、勝手に取ってきてくれないかな~って色々付け加えたのが始まりだったの」
「なるほど、確かにいい研ぎ味だ。」
含みのある言い方だが、内心にある興奮は抑えきれないほど膨れ上がっている。刀を扱うシンゼンから見ても、ウェルコスの出す刃の一つ一つの切れ味は相当なものだ。自分の愛刀と比べてもそう大きな差はないだろう。
「ただね~、あんまりたくさん刃を付けたせいで、重くなっちゃんたんだよね」
「姐さんは何をトチ狂ったか、あっしを振り回そうとしてたんです。自分で回れるんで切る分にはいいんですが、それしか能がないんですよ」
「なんでも切れる便利な子なんだけどね~」
ウェルコスの腕から風が出ているからには、恐らくその推力で体を回すのだろう。ただしウェルコスの細い一本足じゃ安定性に欠ける。振り回すというのはいい案だが……。
「……なるほど、それで「最強の失敗作」か」
かかしの一本足の部分が、そのまま剣としての柄になるのだろう。全身が鉄の塊ならば、確かにリオネスの細腕で振り回すのには不相応だろう。
「ちなみに、何でも切れるってのはどのぐらいだ?」
「う~ん……あの森ぐらいなら、ウェルコス一人で充分かな」
「いやいや、回る勢いが足りなくて無理でやすよ」
リオネスは自信があるようだが、ウェルコス自身は別の意味でそれを否定している。確かに両腕の太い刃なら樹木ぐらいは簡単に切り倒せそうだが、それは刃が通ればの話。
どんなに優秀な道具でも、使い手が使いこなせなければゴミ同然。リオネスではウェルコツを使いこなす事ができない。故に、「最強の失敗作」なのだろう。
「……なるほど、こりゃ想像以上に面白い。ぜひうちにある業物と、打ち合って欲しいものだな」
「ふふん!「刀」の噂は聞いてるけど、ウェルコスの相手じゃないんだから!!」
「そりゃ尚更だな。……んで、そっちのワン公はどうなんだ?」
「ん? ライオネル?」
木こりの「バームラック」、かかしの「ウェルコス」については大体わかった。特にウェルコスについては興味が尽きない。自慢の業物相手にどこまで通用するか、負ける気はないが良い勝負になるだろう。
二体とも優れた武器であり、リオネスを守る相棒でもある。では、そのリオネスが上に乗り、思いっきり木の幹にぶつかっていた犬型の機巧はどうなのか。
さっきは両足が四輪だったはずだが、今は犬の脚に変形している。それに人が乗れるほどの、もっと大型だったはずだ。それがリオネスより一回り小さいぐらいの格好になっている。これは一体どういうことか。
「あぁ……ライオネル? ライオネルは……そうね……」
見るからに一番性能がよさそうだが、当の本人は億劫なのか、シンゼンと一度たりとも目を合わせない。それどころかリオネスやバームラックの陰に隠れてやり過ごそうともしているように見える。
「力持ちの木こりに、全身刃の最終兵器のかかしとありゃあ、あれも相当凄いんだろう?」
「まぁ、うん。ライオネルは、何度も何度も改良を重ねて、いろんな機能を持ってるから。……正直に言うと、本人がその気になればおじさんの国ぐらい、一人でどうにかできちゃうよ」
「……なに?」
シンゼンの眉間に、シワが強く寄った。
「俺よりそのワン公の方が強いってか?」
シンゼンがリオネスに凄むと、バームラックの影に隠れていたライオネルがびくんと、身をすくませて体を隠す。
しかし怯えた様子を見せるライオネルとは対照的に、リオネスは顔色一つ変えなかった。
「ううん、ライオネルは強いとか弱いとか、そういうのじゃないの。あの子が戦う時は、本当に戦わなきゃいけないときか、私の命が危ない時だけ。あの子には私の考えられる全部が詰まってる。それを誰かを殺すためとか、自己満足のために使って欲しくないの」
リオネスの話に、シンゼンは眉間を緩めた。確かに内緒話をしていたり、文句を言い合ったりする姿を「兵器」とは言いづらい。
「ライオネルも、バームラックも、ウェルコスも、みんな私の大事な家族。バームラックは荷物を運ぶため、ウェルコスは農作業を手伝ってもらうため、ライオネルは……ライオネルは、うまく言葉にできない。ライオネルは、私の夢を全部叶えてくれるの。私の夢やロマンを……あの子はみんな、形にしてくれる。そんな感じ」
「……なるほど。そんな大事なもんを、おいそれと見せてくれとは言えねぇなぁ」
シンゼンは思った。リオネスには、誰かのための物づくりをするという信念がある。三体の機巧がなぜ意志を持っているのかも、リオネスを見ていればなんとなくわかる。
家族、そんな存在を、戦場になんて送りたくはない。ましてや一歩間違った使い方をすれば兵器になりかねない三体を、余計に戦場になんて送り出せないだろう。
(こりゃ、ギア・マテリア攻略のために情報が欲しいなんて言えねぇなぁ……)
そこまで欲を出せばよくないことが起きる。シンゼンは結った髪の間を指で掻いて、一つ邪な思惑を捨てた。
「あ! でも、面白いもの見せてあげる!」
ちょっとしんみりとした空気から一変、リオネスは隠れているライオネルを手招きして、シンゼンの前に立たせた。
鼻歌交じりのリオネスが、ちょちょいっとライオネルの背中をいじり、背中の金属板を外してしばらく待つ。するとそこから、じんわりと熱いぐらいの熱気が伝わってくる。
「なんと! ライオネルの背中は、お肉が焼けます!!」
じゃーん、と手をひらひらさせて目を輝かせるリオネスだが、背中を目の細かい金網が熱せられる焼き肉機にされてしまったライオネル含め、一同は沈黙する。
なんとも言えない空気になってしまって動揺するリオネスだったが、ぷふー、と勢いよく吹き出された後に、豪快な笑い声が茶屋に響いた。
「がっはっはっはっは!! そいつはいい!! それなら丁度いいのがある」
きっと肉もまともに手に入らない環境にいたはずなのに、先に肉を焼くための道具を開発しているとは愉快な話である。
人畜無害なリオネスの性格を気に入ったシンゼンは、懐から笹の葉の包みを取り出した。その中にはカッチカチの、白くて硬い板状のものが包まれていた。
「……おじさん、なにこれ?」
「これか? これは「もち」と言うんだ。お前さんがさっきかきこんだ物を潰して、何度もこねたものが固まるとこうなる」
「ほえー。あの水でふやける白い種が?」
「そうだ。あいにく肉は無いので焼けんが、せっかくだ。面白いものをみせてやろう」
シンゼンはそう言うとライオネルの背中に「もち」を乗せ、リオネスやウェルコスがそれをじっと見守る。
しばらくして、真ん中のくぼみから膨れてきた「もち」に驚きの声を上げながら、どこまでも「もち」を伸ばそうとするリオネスの幸せそうな顔に、束の間の和気あいあいとした空気に包まれていた一同だった。