侍の胸騒ぎ
同時刻、スペードキングダム南東、獣人族の森及びフェアリスト・ライブラリ国境近く。
木造の、漆で彩られた趣のある家屋の立ち並ぶ街路から、一転して木々の生い茂る薄暗い森の影の下、その息吹が肌に貼りつくような自然の中を、鍔に龍の模様をこしらえた一太刀を携えた侍が、足取りの冴えないこと、歩いていた。
「……動かない、か。相変わらず何を考えてるかわからない連中だ。」
部下二人、自分にはもったいないほどの大層な美人で、頭の切れる大胆不敵な伴侶たちが、珍しく言い争いをしていた。
一人は北に異変あり。すぐさま隊を起こして向かうべし、と。
一人は今こそ好機。下ごしらえは十二分、打って出るべし、と。
彼は領主としてどちらが最善かを考え、そしてどちらも選ばなかった。
悪戯盛りのやんちゃ娘が、目を離した隙に迷子になり果てたからだ。
「ったく、どこ行きやがったあのバカガキ……。」
領主が出した答えは、迷子を見つけるまでは北へ偵察、それ以外は控えるべしだった。攻めよと唱えた女は不満そうではあったが、そこは惚れられた強みにつけこんだ。
と言うのは建前で、もし三人揃って出かけてしまえば、ふいに家へと戻ってきた時に誰も居ないと泣き出すからである。
それだけならばいいのだが、領主がこの森に来たこと、そして北への偵察隊の派遣を優先したのには、そこに不安があったからだ。
「もしかして北に行ってねぇだろうなぁ? ……もしそうだったらちとマズいぞ。ギア・マテリア攻略前にそんなとこでとっ捕まったら手に負えなくなる。メアリーの言っていた「北から降りてきたやつ」ってのも気になるな。スペアニアが崩れりゃ奴らがこっちに流れてくるのは目に見えてる。そうなりゃ今まで積み立てて来たものが全部パァだ。あーあ胃が痛ぇ……」
領主の国は、スペアニアの南と隣接している。もし同じく北にあるギア・マテリア攻略中にスペアニアから敵が雪崩れ込めば、守りの薄い本国は激戦必至だろう。
「もっと言えば、ハートアイランドやダイヤシティから不穏な噂が流れてきやがる。噂で済めばいいが……あぁ、やめだ。これ以上は腹が下る」
ただでさえ、このスペードキングダムの更に北東、ハートアイランドやダイヤシティからよくない噂が流れているのだ。混乱の波が重なり合えば、いくらなんでも防ぎきれる自信はない。
「……やはり獣どもに動きなし、か。ギア・マテリアの連中はこっちに攻めてきてはないな。とするとやはり、北に軍を向けるべきか」
侍は呟きながら腹を決めると、着物の袖から葉巻を取り出し、マッチで火をつけるとそれを口に含み、一服蒸かして空へと吐いた。
すると真後ろに、同じような格好をした、腰に刀を携えた侍が傍に現れる。
「……お呼びでしょうか」
「ラルナに伝えてくれ。メアリーを見送りながらギア・マテリアへの侵攻の準備をしろ。俺が戻り次第進軍する」
「承知」
侍は木陰に身をひそめると、木々のざわめきと共に姿を消した。
「さて、これが吉と出るか凶と出るか……クロムの野郎は何考えてやがるかなっと」
様々な不安を抱えながら、できることなら伴侶たちとイチャイチャするだけの日々がしたいと耽っていた、その時だった。
草木が、ざわざわと不自然に揺れた。
咄嗟に柄に手を当てて構えを取る。腰を落とし、大きく開かれた足は威圧感に溢れている。見るものが弱ければ、それだけで逃げ出してしまう凄味を放ち、侍は音のした方角をじっと睨みつけた。
そしてそれは、酷い悲鳴を響かせながら駆けてきた。
「ぎゃああああああっ!!? ライオネル止まって! 死ぬ! 死ぬからぁ!!」
「無理だよ! 手を! 手をアクセルから離して!!」
「バカ! ポンコツ! 意気地なし! ご主人様の言う事を聞きなさいよ!」
「だからリオネスが! 手をアクセルから離さないから!」
侍が聞き慣れない重厚な音を唸らせ、およそ人のものではない速さで目の前を通り過ぎていくそれは、女の子を背中に乗せて暴走していた。
「手を離したら飛んじゃうでしょ! 私に死ねって言うの!?」
「そう設計したのはリオネスでしょ!? あぁもうダメ! 木が! 木が目の前に!」
「いやああああああああっっ!! 避けてライオネルぅぅぅぅぅぅ!!」
「無理ぃぃぃぃぃっぃぃぃぃ!!」
ドシーン! と、大きな地鳴りがした。
女の子は転げ落ち、ふかふかの土の上に投げ捨てられ目を回しており、およそ獣を模った乗り物は、木の幹を貫通して首から下をぶら下げている。
「だ、だからハンドルを回さないとエンジンがかからないようにした方が良いって言ったのに……」
「あああもう! うるさい! 止まれないライオネルが悪い!」
「だからアクセル掛かってたら止まれないってば……」
どこもかしこもボロボロな二人は、いや一人と一匹は互いを貶し合うような喧嘩をしていて、侍は嵐のような出来事にただ目を丸くするだけだった。
すると、後から二体、これまた鋼鉄できた存在が現れた。一つはがっしりとしているが小柄で、木こりのような風貌だろうか。もう一つは片足飛びで、動きづらそうにふらふらしながら木こりの後をついて行く案山子だ。
「姐さん、油仕事の次は泥仕事ですかい? 本当に汚れ仕事がお好きですねぇ」
案山子が嫌味のようにそう言うと、女の子は機嫌悪そうに頬を膨らませた。
「私が悪いんじゃないのバームラック! ポンコツライオネルが悪いのよ!」
「だってリオネスが手を離さないから……」
「………………どちらもどちら、だ」
またしても言い合いになったそれを、木こりのそれが真っ二つにぶった切った。
「………………無事であることを、喜べ」
「ごめんなさい……」
「……ふん! ウィルコスのくせに偉そうに……」
女の子は悪態をつくが、木こりは特に気にした様子もない。無表情なまま、女の子の方には特に興味も向けず、木の幹に突っ込んだままの鋼鉄の獣を引っ張っている。
一見すれば不思議な一行、だが侍には引っかかる何かがあった。
それを確かめるため、彼は一向に近づき、土に尻をつけたままの少女に手を差し伸べた。
少女は、それをきょとんとして見上げていた。
「……シンゼンだ。話を聞きたい」
シンゼンがそう言うと、少しの間の後に、少女はにんまりと悪い笑顔をしてみせた。
「リオネスって言うの。ご馳走してくれる?」