二律背反
時刻は、日も落ちかけた夕刻。
ヒマリ、ハート、シフォン、リリィの4人は、宿屋の一室にいた。
4人が座るのは、部屋にあらかじめ置いてあった、2対の深い紺のソファ。そのソファに2人ずつ、ガラス造りのテーブルを挟んで座る。
ヒマリの右にハート。その向かい側に、シフォン。その彼女から向かって左側にリリィがいた。
ヒマリの世界にもあった、鉄筋コンクリート造りの建物。無機質なモルタルの壁には、何を表しているのか知らない、赤青緑色の原色で塗られた一枚の絵が飾られている。その上には、ブリキ造りの大時計が、秒毎に小さな機械音を立てながら、静かに時を刻んでいる。
「紹介するわ。彼女が以前に話した娘、リリィよ」
そのシフォンの紹介に、リリィが3人に頭を下げる。
「初めまして……、リリィと言います」
そう名乗る彼女は、どこかおどおどとした口調で口を開いた。
「先程は助けていただきありがとうございました」
「いいのよ。困ったときはお互い様よ」
ハートはそう言い、リリィにやさしく微笑んだ。
「私はハート。ハートアイランドの王女……だったものよ」
「はい……何かの写真で伺ったことはあります。……それで、お隣の方は……?」
「私はヒマリ。ハートの付き人よ」
その言葉にリリィは首を傾げた。
「付き人? いつもの妹さんはどうなさったのですか?」
すると、ハートは極まりが悪そうにはにかんだ。
「いえ、すこし諸事情があったのよ」
「そうですか……」
何かを察したのか、それきり、リリィはハートを追求しなかった。
「それで、シフォン様。この二人とはどんな関係で?」
リリィの質問に、シフォンは極まりが悪そうな顔をした。
「いえ。少しお兄様と兄弟げんかをしましてね。この方々とはその時に仲間になったのですよ」
「兄弟喧嘩ですか……」
リリィは飲み込むように、しかし、どこか腑に落ちないように頷いた。
「それで。私になんの用です?」
リリィが首を傾げる。
「あなたの事をこの二人に話したのよ。魔具の浄化ができるって」
シフォンの言葉に、リリィが納得したように頷く。
「お客様でしたか」
「まあ、そんなところね」
「え! お金取るんですか!?」
シフォンの言葉を聞いて焦るヒマリに、ハートが首を傾げる。
「お金? ヒマリ、お金って何ですの?」
その言葉にヒマリは目を見開いた。
「えっ!? お金を知らない?」
すると、シフォンとリリィもなんだそれはと言わんばかりにヒマリを見た。
「もしかして、この世界にはお金が無いの?」
狼狽するヒマリに、ハートが問い詰める。
「ヒマリ、お金とは?」
「う~ん。なんて言ったらいいのかな? 物を買う時に必要なもの? あと、商売をするときに必ず必要なものかな?」
「なるほど。残念ですが、ここにはそのお金はありません。お金が無くとも、商売はできています」
「え、じゃあどうやって商売をしているの?」
ヒマリはそれを聞いて唖然とした。
その質問にハートは最初目を丸くした。
「あなた、そんなことも知らないの?」
「だって私、もともとここの世界の人間じゃないもの」
その言葉に、一同驚いたようにヒマリを見やる。
「あら、あなたフォレスト・クラブの人間じゃなかったの? チェシャと一緒に来たようだから、てっきりそちらの人間かと……」
「私も、てっきりヒマリちゃんはハートアイランドの人間かと」
シフォンも頷く。
「じゃあ、ヒマリはどこから来たのよ?」
ハートの言葉に、ヒマリは回答に困る様子を見せた。
「うーん、なんて言ったらいいのかなぁ。現世? あ、でもここの人たちにしてみれば、ここが現世なのか。異世界っていうのかな? とにかく、こことは違う、もう一つの世界から来たの。そこでは、ここみたいに魔法が使えたり、木や猫が喋ったりすることはないの。なんていうか、“普通”な世界なのよ」
そう言いながら、ヒマリは、この世界の人々にとっては、この世界が“普通”なのだと、思い直した。
「とにかく、私はこの世界の人間ではないの」
その言葉に、ハートが探るような目でヒマリに聞いてきた。
「もしかして、あなた異世界の人間なの?」
その言葉に、ヒマリはハートの過去を思い出す。
そうだ。彼女にとっては、異世界は憎悪の対象でしかない。
愛する人――ジョーカーを殺した、敵として。
ハートの言葉に、ヒマリは返答に困る。
だが、自分の世界で、ジョーカーの悲劇の様な話は聞いた事が無い。
ヒマリは、憶測から首を振った。
「ううん。多分私は、もっと遠い所。ハートも知らない場所から来たんだと思う」
「思う? 自分の事なのに分からないの?」
「うん。どうやって説明したらいいか……」
その時、ヒマリの頭に疑問が浮かんだ。
そうだ。そのジョーカーやこの世界の事は、何となくでしか知らない。
「ねぇ、ハート。ジョーカーってどんな人だったの?」
「そうね。貴方には詳しく話していなかったわね」
そう言うと、ハートはヒマリに向き直った。
「いいこと、ヒマリ?ジョーカーの話は、世界の過去と深く関わっているわ。
まず、私たちがいるこの世界は、メルフェールという世界。この世界はかつて一つの世界として統治されていたわ。ジョーカーという存在によってね」
「そうなんだ……」
「ある日、世界の果てに、ある門が開かれたの。異世界と呼ばれる世界に通じる門がね。
ジョーカーは、この世界の代表として、異世界の要人達と話し合い、和平を結んだの。その象徴として、異世界とこの世界をつなぐ、架け橋が作られたの。和平の象徴としてね」
「ああ、前に一度聞いたことがあるような……」
ヒマリは自分の記憶を探る。
「そう。けど、ある日、ジョーカーは異世界の人間によって殺された。それを発端に戦争が起きたのよ。それにより、橋は壊され、今ではこの世界と異世界は断絶しているのよ。以来、この世界の人間にとって、異世界の存在は、忌み嫌われるものになったのよ」
ハートの説明に、ヒマリは悲愴を露わにした。
「悲しいお話だね」
その言葉にハートも頷く。
「でも、その橋を壊したおかげで、この世界に平和が訪れた。それは間違いなく真実よ」
「人が人を避けるなんて……」
ヒマリは俯きながら言った。
「そんなことで訪れる平和って、本当に平和っていうのかな?」
そのヒマリの言葉に、その場の誰もが、鎮痛を顔に露わにした。
「とにかく、この世界にはそういう過去があるの」
ハートの説明に、ヒマリは改めて、この世界の、それも非常に深い闇を見た気がした。
「でも私は、異世界の人間でも無いの。だって私のいた世界では、そんな話聞いたこともないもの」
「そう。やっぱりヒマリは面白いのね」
「え? どうして?」
「ふふふ、何でもないわ」
頭を傾げるヒマリに、ハートは柔らかに微笑んだ。
「で、さっきの質問の答えよ。この世界では商売をするとき、物、あるいは奉仕や、人と交換しているのですよ」
ヒマリは仰天した。
何だこの世界は。こんなに文明が発展しているのに、商業の基本的な部分が原始時代レベルだ。
そういえば、ダイヤシティにいたとき、人身売買が横行していると聞いたことがある。
なるほど。お金が無いと、この様な非道な世界になるのだろう。
ヒマリ達は、これまで全くお金を使わずにやってきた。この宿も、ハートの面識で入れてもらえたのだ。お金は一銭もかかっていない。
どうりでと言う訳だ。
ヒマリは、改めてお金の偉大さを実感した。
「じゃあ、どうやってリリィちゃんに浄化を行ってもらうの?」
その通りなのだ。
対価となるのはお金ではない。
なら、自分たちは何を対価にすればよいのだろう。
すると、リリィが遠慮気味に口を開いた。
「そ、その対価ですけど」
「うん」
「無償で構いません」
その言葉に、ヒマリとハートは目を丸くした。
「本当?」
問うヒマリに、リリィは頷く。
「はい。シフォン様のお連れ様なら、構いません」
「ありがとうリリィちゃん!」
ヒマリは歓喜し、リリィの手を握った。
「それで。いったい、浄化はできるのかしら?」
ハートがリリィに投げかける。そのハートに、おずおずとリリィは答える。
「え~と、現物の汚染具合によります。浄化する魔具はどちらですか?」
「ヒマリ」
「あっはい! これです」
ハートに促されたヒマリは懐からサファイヤのブローチをテーブルの上に置いた。
以前はコバルトブルーだった宝石は、いつの間にか、深い藍色のようなくすんだ色になっていた。
「なるほど……これは相当汚れてしましましたね。たぶんあと数日使っていれば、完全に効力を失うでしょう」
「浄化できるんですか?」
「はい。問題ありません。確かに汚れてはいますが、これくらいならば、なんとか元に戻せます」
そう言うと、リリィはそのブローチを両手で包むように手に取った。
そして、その両手の中に、息を吹きかけるように、言葉を紡いだ。
「Our Lord.
Dirty, tired of my child
Before reviving my strength.」
リリィがそう唱えると、彼女の両手が淡い青の光を放った。
そして数秒後、発光が収まると、リリィはブローチをヒマリに返した。
「はいどうぞ。もう大丈夫ですよ」
見ると、そのブローチは、先程とは違い、鮮やかなセルリアンブルーの色を取り戻していた。
「すごい! きれいになってる!」
「これで、本来の魔力は戻った筈です」
喜ぶヒマリに、リリィは微笑みで返す。
「ありがとう。リリィちゃん!」
「あああ、いえ……べ、別に大したことでは……ないです。それに、先程助けてくれたお礼の意味も兼ねて、無償でいいです」
二人の謝意に、リリィは顔を赤く染めた。
こちらは 金城暁大 さんが執筆しました。
https://kakuyomu.jp/users/Ai_ren735 しばらく療養していましたが2019年から再び活動を再開するそうです! 今後の活躍にこうご期待……!