罠・後編
日没。トウラがシェロの様子を見に部屋へやって来る。ベッドにいるシェロはもちろん、近くの椅子に座ったままベッドに突っ伏しているシオンも深い眠りについていた。トウラはシオンに布団をかけてやるとそっと部屋を出て、それからノアの部屋に戻った。
「トウラ、ふたりはどうだった?」
ノアの部屋にいたシュートに聞かれたトウラはドアを閉めながら答えた。
「ふたりとも眠っていた。だいぶ疲れていたようだ」
「シュート、トウラ」
奥のソファに腰掛けていたノアがふたりを呼ぶ。
「ひとつ、俺に協力してほしいことがある」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
翌日、朝早くシェロは目が覚める。
「シオン……シオン……起きて……」
シェロがシオンを起こす。まだ外は薄暗い。
「うーん、早いねシェロ」
「シオン……起きた?……」
「うん、起きた」
シオンは窓の近くに行き外を見る。
「まだ、暗いね。シェロ、具合はどう?」
「うん……もう大丈夫……。これから……行こう……」
シオンは、シェロの様子に不安を覚えながら答える。
「うん、ちょっと早すぎると思うけどシェロが言うなら行こう」
シェロとシオンは、まだ薄暗い中、教会を出た。空にはまだ星が浮かんでいる。ふたつの月は、ひとつが西の空に半月、もうひとつはちょうど真上にあり満月に近い。そんな月に見送られながら、シェロとシオンは森の中へ入っていく。
森に入ると一層暗くなる。シオンはシェロに着いて行く。シェロは迷うことなく歩いて行く。
しばらく歩くとふと水の音が聞こえてきた。この辺りは、昨日シオンがレコアから修行を受けたすぐ近くだ。やがてシェロの足が大きな銀杏の木の前で止まる。その木には大きな穴が空いている。
ふと後ろに人の気配を感じる。
「シェロさん……待ってました……。シオンさん……はじめまして……イワンです」
「シェロ、イワンちゃんて、この子が昨日言っていた女の子?」
シオンが聞くとシェロは頷きながら答える。
「うん……そう……」
イワンはふたりに近づくと、ふたりの間を通って銀杏の木の大きな穴に入って行く。
「こっち……です……」
シオンは驚いているが、シェロがイワンに続いて入って行くのでシオンもシェロについて行く。驚いたことに穴の先はすぐ階段になっていた。螺旋状に降りた先ではドアが開いている。イワンとシェロはためらいなくドアの先へ。シオンも続いて入ると、後ろでドアの閉まる音がした。
「久しぶりだねぇ。シオン」
ドアが閉まった瞬間聞こえた、ねっとりした女の声。妖艶にきらめく黒蝶らを従え、扇子をはためかせながら見下すような視線を送るあいつは――。
「ジュリエット……!」
「たしか、改信――あっ、坊やは“深海”って呼んでたかしらねぇ――あいつを地獄の底に叩き落として以来かしら?」
ジュリエットが高らかに笑う。
「どうして深海さんを殺したんだ!」
「だってしょうがないじゃない。私が嘘を吐かれていたんだから、自業自得でしょ」
「そんな勝手な理由で深海さんを殺したのか!」
「勝手にされたのはこっちよ! だから教えてやったってわけ。私達に逆らうとどうなるのかをね!」
「……お前だけは、絶対に許さない――ッ!?」
シオンがジュリエットに突進しようとしたところ、後ろから背の高い男に囚われ両手を掴まれてしまう。
「ボク、威勢はいいけど状況をよく見なよ。シェロもこっちの味方なんだ。ボクもノアなんて見切りをつけてこっちへおいで」
「そ、そんなの嘘に決まってる!」
シオンは勇んで男に踵蹴りを入れようとするが空振り。そのまま男に倒されて身動きがとれなくなる。
「ちょっとケイキ。シオンも仲間になるんだから、そんなに乱暴に扱ったらダメよ」
「誰が仲間になんかなるか! シェロだってそうだ!」
吠えたシオンが視線を向ける先で立つシェロを塞ぐように突然イワンが姿を現す。
「コイツ……うるさい……」
「……まさか、イワンもジュリエットの仲間なの?」
「あっははははっ! そいつはコロブチカだよ! イワンなんて名前を信じていたのかい!」
ジュリエットの甲高い笑い声がシオンの思考を掻き乱す。
イワン――コロブチカが、ジュリエット達と同じ救済の使徒のメンバー? そんなやつとシェロが仲良くしていたということは……まさかシェロは本当に……?
「ねぇシェロ……嘘でしょ?」
「…………」
「嘘だって言ってよ! シェロ!」
「無理無理。いくら頑張っても無駄だよ。バルキリアはもうこちらについたんだから」
「そんなことない! 違うでしょシェロっ!!」
コロブチカの後ろで立つシェロに向かってシオンは何度も名前を呼んだ。しかしそれでもシェロは依然黙ったままだ。この光景を憐れ見るケイキは不敵な笑みを浮かべている。
……シェロが救済の使徒のメンバーになるなんて到底考えられない。だってシェロはずっと一緒に戦ってくれた仲間だ。これはきっと、自分達を仲違いさせようとジュリエット達が仕組んだ罠。でもどうすればいい? ケイキの拘束を解かない限りシェロを助けられない。けどケイキの全体重を振り解けるような力は今のシオンにない。
手が浮かばないシオンを追い詰めるかのようにケイキがシオンの髪を引っ張り上げる。目に映ったのはコロブチカ。彼女の目が妖しく光るとシオンの意識が遠くなってゆく。
「……よし、かかったね」
「手のかかる坊やだこと」
シオンがぐったりと頭を垂れたところでケイキとジュリエットは力を抜くように息を吐いた。一方、コロブチカはシオンを見つめたまま気を緩めようとしない。不思議に思ったジュリエットがコロブチカに話しかける。
「わざわざ見張る必要なんてある? もう獲物は逃げないわよ」
「ダメ……コイツ……術が効いてねェ……」
「なんですって?」
ジュリエットがシオンに近付く。意識を失っているはずのシオンから、か細いながらも言葉が紡がれていた。
「バルキリアといいこの坊やといい! どうしてこうも面倒なんですの!?」
「大丈夫さ、こうやって押さえつけていれば――ッ?」
一瞬顔をしかめたケイキがシオンから飛び退くと刀を抜いた。ケイキがいなくなったシオンの身体が光りだす。
「危うくあの光で大やけどするところだったよ」
「だからってどうしてシオンから離れるのよ!」
「喋ってる暇はねェぞ」
「そんなの分かっ――?!」
ジュリエットが臨戦体勢になるよりも早くシオンの腕が彼女の身体を貫いた! 痛みで顔を歪めたジュリエットはその場で崩れ落ちると見えたが、身体がみるみる形を変え、姿は黒光る皮が毒々しい大蛇へ。
「調子のんじゃないわよ小僧ッッ!」
言葉と共に尾が飛び出す! 瞬く間にシオンへ絡みつき、首から爪の先まで思い切り絞め上げてゆく。
喜悦めいた笑い声のジュリエット。思考もままならず万事休すのシオン。
その光景を虚ろに見やるは、シェロ。そのシェロの胸元がキラリと光ると突如黒い影が飛び出した!
その影に向けてケイキが刀を振るが当たらない。コロブチカが蹴りを入れようとジャンプするが当たらない。黒い影は真っ直ぐジュリエットに向かっていく。
「 ギャーーーッ! 」
「っ! ……ここは一体?」
黒い影が大きく一声したことでシェロの目に光が戻る。その目が一番に捉えたのは――。
「シオン! 気をしっかり持って!」
「シ……シェ、ロ……!」
「あれは八咫烏――ジュリエット避けろ!」
一方ケイキはジュリエットに向かって叫ぶ。八咫烏はジュリエットめがけて飛んでいくが軽くかわされる。だが八咫烏はこれに臆さない。勢いそのままにジュリエットの頭上を越えていく。
「ココダ! イケ!!」
叫んだ八咫烏の脚からジュリエットに向けて三つの塊が飛び出す! ジュリエットを剣が斬り裂き、光が突き抜け、顔面にパンチが入る! 蛇の尾から離されたシオンはトウラが掴む。
ケイキには光で目をくらませたノアが腹にパンチ。コロブチカにはシュートが鋭い蹴り。八咫烏がシェロを乗せてトウラの元に行くと、ノア、シュートもトウラのところに集まり瞬時に、消えた。
「チキショウ逃げやがったっ!」
コロブチカが虚空に向けて吐き捨てる。
「大丈夫かジュリエット!」
変身が解けて仰向けに倒れたジュリエットにケイキが駆け寄る。ケイキが身体を起こそうと手を差し出す間もなくジュリエットはガバリと起き上がる。
「ノォアァァァァァアッ!! また邪魔するのかァァァァァァァアっ!」
先の大蛇よりも恐ろしい形相で吠えたジュリエット。恨みをふんだんに込めた一声は、薄暗いこの一帯にむなしくこだました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
シオン、シェロを取り戻した一行は、教会のノアの部屋に集まっている。シオンは意識が戻るがひどい熱だ。隣についたシェロがシオンの額に手を置く。
「ごめんなさい。私のせいで、またひどい目に遭わせちゃった……」
「大丈夫だよ。謝らないで。……でもシェロ、なんでジュリエットなんかと……一緒に居たの?」
シェロは返答に困っていると八咫烏が口を挟んできた。
「ヨウ、シオン、ワシガシェロニイッタ」
「あっ、カラスさん。なんで?」
「それは、俺が説明しよう」
ここでノアが話しだす。
「はじめにシェロがコロブチカに会った時、奴が催眠術をかけてきた。シェロの気が遠のくところを――首から掛けていた深海和尚の形見の鏡で見ていたらしい――間一髪で、八咫烏がシェロを術から守ったんだ」
「そっか……すごいね、カラスさん」
「エッヘン! スゴイダロ!」
シオンに褒められた八咫烏は部屋中を飛び回る。
「それから八咫烏は、シェロに相手の術にかかれと命じた。返り討ちにするために……そうだろう?」
八咫烏はソウダと一言。シオンの上にそっと下りた。
「シオン。ミンナ。ワシモ、オンナジキモチダ。……ワシダッテ、オショウ、ダイジダッタゾ」
皆を見回す八咫烏。八咫烏の言葉に皆が頷く。
「そういうわけで俺たちは、八咫烏から話を聞き作戦を立てて待っていたんだが、予想より早い展開だった為、お前とシェロの奪還だけに変更した。まぁ、こうして無事に戻って来れたのは和尚のお陰だな」
「そうね……これを託してくれた深海和尚に感謝しなくっちゃ」
シェロは胸元の鏡にそっと触れた。
「僕はみんなに感謝しなくちゃ……ありがとう、みんな。ありがとう、深海、さん……」
シオンは全員に見守られながら、再び深い眠りについた。
こちらの執筆は K35 さん、編集は かーや・ぱっせ さんが担当しました。
https://kakuyomu.jp/users/K53 K53さんは『タケルの書』という和風ファンタジーを連載中。
https://kakuyomu/jp/users/passeven7 かーやさんは異世界転移ファンタジー『イセカイサイクロン』を連載中。どちらの作品も今回を機にお読みいただけると嬉しいです……!