剣の勇者
シオンにとっては唐突と言ってもいいシェロの変化。それにシオンは戸惑いっぱなしだった。一体、シェロに何があったのかとシオンは思わずにはいられなかった。
「……シェロ、僕は大丈夫だよ。ちょっと散歩に出るだけだから」
「それなら私も付き合うわ。別に構わないでしょう?」
シェロはシオンから目を離したくなかった。シオンの慟哭を目にしてしまった以上、シオンを一人にする訳にはいかないと思い込んでいる。シオンはまだ幼い子供で、守らなくてはならない対象なのだと思っている。そして、その事を知らないシオンには負担が圧し掛かってくる。
何ともならない悪循環だ。片方が心の底から相手の事を思っているだけに、尚の事たちが悪いと言えるだろう。そんな日常を送っていれば、破綻することは目に見えていた。その未来を示すかのように、シオンはある日シェロの目を盗んで教会から出た。
別に目的地があった訳ではない。ただ、今のシェロの下にはいたくなかった。少しでも良いから息を抜く事が出来る時間が欲しかったのだ。そんな思いで森の中に入っていったシオンの耳に音が聞こえてきた。
「なんだろう、この音……? 水の音?」
シオンはその音の聞こえてきた方向に歩を進めた。この行動自体には特に意味はなかった。近くに村があるというのに、態々こんな場所にいるのは何なのだろうか? というただの興味本位だった。この行動がシオンの未来を変えるとは一切思わず、シオンは歩き続けた。
動物に見つかったら大変だ、という理由から草むらに隠れて音の主に視線を向けた。そこにいたのは裸体の女性――――神秘的な雰囲気を醸し出している女性だった。
「……っ!?」
シオンは思わず声を上げかけた。バレると思い、即座に口を押さえた事で何とか事なきを得たが。早くその場を離れようとしたが、その女性に向ける視線を逸らす事が出来なかった。それはもはや一種の魅了の類なのではないかと思わせるほどの女性の肉体の完成度が故だった。
肩まで届くぐらいの長さの銀糸の髪。無駄な脂肪のない引き締まった肉体。カモシカを思わせるスラリとした足。胸こそやや小ぶりではあるものの、それでも肉体の美を損ねるどころか引き立てているような気さえしてくる物だった。
まさしく神秘的という言葉が相応しいほどの美しさ。完成された美を体現した存在を前に、シオンは息をすることも忘れて見惚れていた。そんなシオンの背後から物音がして振り返ると――――一匹のクマがいた。
「…………へ?」
「ガァァァァァッ!」
「うおおおぉぉぉぉわああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「ん?」
あまりにも唐突と言えば唐突の事態に呆気にとられるシオン。目の前にいる獲物に襲い掛かろうとする獣を目にする女性。その形容しがたい状況に、自分の裸体を覗かれていた女性を呆気に取らせていた。
「ガァァァァァァッ!?」
「……え?」
シオンが顔を手で覆った瞬間、クマが悲鳴を上げた。何が起こったのか確認するために手を退けると――――首に大剣を突き刺している女性の姿だった。獣に対して恐れることはなく、ただ淡々と処理して見せた。それは現実的とは言い難い光景だった。
「クマ……クマ鍋で良いかな? 良かったら少年もどう?」
「え、あの……」
「あれ? ご飯食べちゃった後とか?」
「いえ、そういう事ではないんですけど……」
「じゃあ、一緒にご飯でも食べようよ。一人で食べてても味気ないしね」
女性はそのまま手早く服を着て、傍に置いてあった荷物から調理器具を取り出した。クマの死体から肉や内臓などを切り分け、野菜も一緒に切り分けて鍋に放り込んでいた。シオンは近くの岩場に座り、女性の料理ができるのを見ていた。
「あ、今回は見逃したけど覗きはあんまりしないようにね」
「えっ!?」
「まぁ、最初からいたのは知ってたんだけど、注意するのも面倒くさかったからさ。見られたって減るもんじゃないし、別にいいかなと思って放ってたんだ」
「最初から……ですか?」
「うん。少年が森に入り込んだ瞬間からね。なんだったら村の方で少年を探してる女性がいるのも分かるよ」
「シェロ、かな……」
「おや、何か困りごとでもあるのかい? 最近、変な事でもあったとか?」
「まぁ、ちょっと色々な事があって……」
「ふぅん……確か、神崇部隊がこの辺に来たって話を聞いたんだけど、少年は何か知ってる?」
「……え?」
「あいつらってやる事が偶に過激だったりするからねぇ……困ったもんだよ。ん~、これぐらいで良いかな?」
「お姉さんは一体、何者なんですか?」
「まぁ、話しても良いんだけどね。その前にご飯にしようか? お腹が空いては戦はできないって言うしね」
そして、二人はそのままクマ鍋を食べ始めた。食べたことのない物だっただけにどんな味なのかと考えていたが、意外と美味かったとシオンは後に話したという。
「それじゃあ、まずは自己紹介と行こうか。私はレコア。レコア・フォーレン。剣の勇者なんてものをやってるよ」
「……シオン。鏡紫苑」
「シオン君、ね。了解了解。なんか緊張してるみたいだけど、そんなに緊張しなくても大丈夫よ? 私自身は神崇部隊とは欠片も関係ないしね」
「それを信じろって言うんですか?」
「ん~? いんや、別に? ただ信じて話を進めたほうがストレスなくて良いじゃん? って話だよ」
女性――――レコアは特に悪びれるようなこともなくそう言った。神崇部隊がノアを標的にしていた事を知っている上で、シオンとの話し合いに応じている。無論、シオンとノアに関係があるとは思っていないだろうが知り合いではあるだろう程度には思っている。
「まぁ、何があったのかは大体分かるけどね。救世主君の始末を神崇部隊に命じた、っていう話は聞いたからね。その争いに巻き込まれた、ってところかな? あいつら目的のためなら手段を選ばないから。大変だったね」
「大変、だった?」
至極簡単そうにそう告げたレコアに対して、シオンは怒りを隠す事が出来なかった。しかし、レコア自身もその言い方が悪かったとすぐに気づいたのか、両手を上げて謝罪した。
「ごめんごめん。今のはこっちが悪かったよ。でも、言いたくはないけどよくある話でもあるんだよ。神崇部隊の戦いに巻き込まれて命を落とした、なんて話はね。相手が救世主ともなれば尚更ね」
「……? 救世主ってそんなにいるんですか?」
「いんや? 何百年だか何千年だかに一度、って位かな? 出現頻度としては」
「……あなたはどうしてそんな事を知ってるんですか?」
「私は剣の勇者。神様に仕える神使の一人だからね。不老長寿の存在だから、これぐらいは知ってるんだよ」
「神使? いや、その前に……神様に仕える? あの屑神に?」
シオンはレコアの言葉が信じられなかった。まだ少しの時間しか共にいないが、レコアはとても清廉な気質の持ち主だった。とても屑神に仕えているとは思えない人だった。
「ハッハッハッハッハッ! 屑神! 屑神かぁ! 確かにあの神様の特徴を捉えてると言えるね! でもまぁ、あの神様も必要な事はしている訳で、責めすぎるのは酷だよね」
「必要な事? 異世界の人間を無理やり浚ってくることが? 世界を救うために戦おうとしている人を殺そうとすることが? これのどこが正しいって言うんですか!?」
「まぁ、落ち着いて。確かに、あの神様のやり方は無茶苦茶で自分の欲求に素直なところは多分にある。腹の底どころか奥底から真っ黒な神様だからね。やり方が過激であることも、目的のためにはどんな被害も考慮しないから超嫌われてるしね」
「だったら……!」
「でもさ、神様も世界の運営に関してはそれなりに真面目なわけだよ。救世主君のことも、打倒神様なんて考えるから目の敵にされたわけだ。神様がいると九十九害あって一利ありって感じだけど、いないと百害あって一利なしって感じだからね」
「そんなの詭弁じゃないですか! 被害にあっている人たちを見逃していい理由にはならないはずです!」
「確かに、君の意見も間違いじゃない。でもさ、その人物が将来世界に大きな損害を齎す可能性があって、それを芽の内に潰しておくことは悪い事かな? その人物が大量の被害を齎す前にどうにかしておく事は正義じゃないかな?」
「……分かりません。でも、少なくとも、人の身内を誘拐する事が正しい事だなんて僕は思わない!」
「ふむ……それが君の戦う理由なのかな? だったら、君の身内が君と一緒に元の世界に戻れば、君が戦う理由はなくなってしまう訳だ」
「それは……」
否定はできない。シオンが戦う理由はヒマリ妹の奪還と元の世界への帰郷。それさえ叶うなら、屑神と戦う理由はシオンにはない。個人的に屑神が気に入らないという理由こそあれど、本質的に戦う理由はないのだ。
「シオン君、戦う理由は明白な方が良い。いざという時に迷わずに済むからね。正義とか理想とか、人それぞれによって異なる理由で戦うのは美しいけれど壊れる時は一瞬だ。だからこそ、必要なんだよ。絶対にブレない戦う理由がね」
その言葉と視線はとても真摯な気で満ちていた。シオンにとって、レコアはいずれ敵対する存在でしかない。レコア自身もシオンがそういう存在であるという事は理解している。しかし、これは伝えておかなければならないと思っていた。
何故なら、シオンはまだ子供だ。周りの大人が言う言葉に振り回されて戦うにはあまりにも若い、否、幼すぎる。この年頃の少年なら、正義とか理想とかそういう漠然とした物に憧れるものだ。しかし、そんな理由で戦うには敵は強大に過ぎる。
それならばせめて、彼には覚悟を決めさせるべきだ。戦う理由、そして逃げるか戦うのか己の道を決めさせるべきだ。たとえどれだけ若い幼子であろうとも、命の奪い合いの場では関係のない事だ。であればこそ、己の進むべき未来はしっかりと自分で決めさせるべきだ。
「僕は……それでも皆と一緒にいたい。たった一人の意思で大勢の人を犠牲にしていい、だなんて絶対に思えませんから」
「そっか……じゃあ、少し鍛えてあげようか」
「え?」
「いや、今の君はかなり弱っちいし、そのまんま挑んでも死んじゃうのがオチだよ。まぁ、それは村の救世主君たちも変わらないけどね? 良い機会だし、私が鍛えてあげよう」
「で、でも、僕は……」
「まぁまぁ、良いから良いから」
そう言うと、レコアは胸元から一枚の札を取り出して地面に押し当てた。すると、札が虹色に輝き瞬く間にシオンを呑み込んだ。そして、その光の中にレコアが入ろうとした瞬間、レコアは茂みの方に視線を向けた。そこには竪琴を持った男――――オルフェウスが立っていた。
「おや、オルフェウス殿。何か用かな?」
「何か用かと聞かれれば、何もと言いたいところだけど……何故彼を? 君の主が興味を持っていたのは片割れの方であった筈だけど?」
「そんな事? 私は確かにあの神様に仕えてる。でも、あの神様の行動を是とした事はないし、偶には人間の恐ろしさという物を味わってほしいと思ってる。私が望むのはこの世界の繁栄と存続。それを為すのがあの神様かどうかはどうでも良いんだよ」
「だから、彼を鍛えると? 神使長……ともあろう者がそれで良いのかい?」
「別に良いじゃない。有事の際はあの神様の剣となって戦う。それが私とあの神様の契約。それさえ守っていれば、それ以外は何をしたって私の自由だもの。それに――――」
「それに?」
「自分の敵を自分で育てるのって、中々面白いよね?」
レコアはそう言い残すと、光の中に入っていった。光が消えた後、そこにはシオンとレコアの姿はなかった。その光景にため息を吐きながら、オルフェウスは竪琴の弦の一本を引っ張った。
「自分の敵を育てるのが面白い、か……相変わらず、趣味の悪い事だ」
引っ張った弦を離した瞬間、この世のものとは思えない音が響き渡った。その音は全てを魅了し、動物植物問わずに誰もがその音に夢中になった。そして、その音が消える頃にはオルフェウスの姿も消え去っていたという――――
こちらの執筆は あかつきいろ さんが担当しました。
https://mypage.syosetu.com/191226/ 小説家になろうにてファンタジー系の作品を複数執筆しています。
完結済みの作品もありますので、これを機に是非ご覧くださいませ……!