深淵と刃
その橋は、橋というよりむしろ巨大なアート作品だった。
下に落ちればそれで終わり。黒色の深淵が広大にあるばかりで、底は無い。
深淵は、所々に霧のような白い煙が立ち上がっている。上空に浮かぶ雲は近くにあった。血のように赤い太陽の光が、まだら模様に差し込む、途方もない不気味な世界だった。
ヒューマニーとメルフェールを結ぶ唯一のこの橋は、物質で組み立てられた世界ではなかった。それはある特殊な事象、手順を踏んだ時に初めて現れる神々の領域。
ダビデの鍵。聖獣。神殿。この三つのキーワードに最も近い人物たちがシオンらの一行だった。
それは暗に「神殺し」という彼らの本質的な目的を達成するための手順の一つでしかないのも一行にとっては周知の事実である。
橋は、在る。
一行がこの地へ到達するのを待っている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一行は、心身共に非常に衰弱した状態でシャール村に戻って来た訳であるが、特にシオンの状態は良く無かった。シオンの眠りは深かったのだ。
アザミやフリージアが見守る中で彼は三日三晩、眠り続けた。息をしているのは確認できたが、お腹を空かせていないか、怖い夢を見ていないかがシェロにとって、ただならぬ心配の種であった。
シェロは一日のほとんどをシオンの隣で過ごした。彼女が神経質になっているのはシュートやトウラ、さらにはノアも容易に察しがつく程である。
四日目の明け方には、シュートはノアに呼び出された。
彼はノアに連れられて十分ほど歩いた時、地面に数メートル四方の魔方陣が描かれている事に気が付いた。魔方陣は燦燦と発色している。
それは禍々しくあり、艶やかでもあった。
魔方陣の中心には、非常に細やかな、数字や記号の羅列があって、中心には棒状の鉄片が突き刺さっている。シュートは、その鉄片には鋼が混ぜ込まれている事に気が付く。
これは刀の原型だ。
「……刀? いや、それに加えて膨大な量の魔素が含まれている。――ノア、これはお前が描いたのか?」
「最も。あのような苦戦を強いられた後では、この程度では不足かもしれないが、今後の戦闘に備えて、俺からの細やかなプレゼントだ。受け取れ」
魔方陣は、より色濃く光を発して、辺りの土や木くずが舞い上がった。
木々が騒めいた。
鳥たちが、一斉に飛び立つ。
そのとき、シュートは魔方陣の中心の鉄片が強烈な光を発しているのを見た。
それは魔法というより、理科の実験の化学反応のようだった。
ほどなくして、それは完成した。
切っ先は黒く、柄は深い緑色をしている。片側に刃がついた日本刀のような構造だ。力強くもあり、かつ透明感もあった。
「ちょっとやそっとの事では折れない。体調が万全のとき、俺が鍛えた。ケイキ・ガクトワが下げているヤツとも張り合える」
それからノアはふと笑みを浮かべた。
「いつまでも丸腰では、話にならんだろう」
確かにノアの言う通りだと思った。
シュートはそれを手に取ってまじまじと眺めた。いい出来だ。と彼は思う。
「ノア……お前、平気か? こんな代物……ちょっとやそっとで工作できるようなモンじゃねぇよ」
「むろん俺もちょっとやそっとで作れる簡単な物など制作したつもりは無いが……どうだ、気に入ったか?」
「……いいのか?」
「お前の相棒だよ」
そう言うとノアは、クルリとシュートに背中を向けて、教会へ足を進めた。
シュートも同じく、異端の輝きを放つ刀を手に持ち、ノアの後について行く。
「コイツは、硬いだけだが、収めておくといい」
何かに気が付いたようにして、ノアは自分の腰から、刀につける鞘を取り出した。
「焦ったよ。ノア。刀には、収める鞘が必要なことを忘れているんじゃないかと」
「鍛えてあるのは刀だけだ。鞘で戦う事まではできないから、お前の心配も間違いではないさ」
二人が教会に戻ってからも、一同の重たい空気はそのままだった。
シェロが、いつまでもベッドに突っ伏して、ふさぎ込んでいる。シオンに対する罪悪感をまだ拭えないようだ。それを助長するかのように、シオンはまだ眠りに着いていた。
「だいじょうぶ? お腹すいてない?」
フリージアが問いかける。
シオンは寝息をたてたままだ。シェロは悲しい目でフリージアを見つめたまま、返事はしなかった。
どうしてこのように、シェロがシオンの目の前で、悲しい表情をしているのかという事はフリージアには分からなかった。そうして、自分の胸が張り裂けそうなくらいの不安を感じている訳も、理解できなかった。
重たい雰囲気が、一同を圧迫しているのが、分かる。
その緊張感は、教会全体をつつみ込むほど深刻なモノだった。
今現在に置いて、ジュリエット並の相手と対等に渡り合える戦力は、シュート、トウラ、ノアの三人だけで、彼らも、この状況がマズイという事には重々承知であった。
シオンが目を覚ましたのは、五日目の夕方であった。
その日は、晴れていて、静かな夜だった。
星が燦燦と輝いていて、柔らかい空気だった。
でも、そんな静けさの中に、不気味さが混ざっていて、まるでどこまでも澄んだ透明な水の中に、たった一滴だけ垂らされた黒い絵の具が、雨雲のように広がるみたいな空気だった。
その不安は、決して間違えでは無かった。
「……シェロ、僕は怖い夢を見ていたんだ」
遠くを見つめて、茫然とするシオンの表情を見て、シェロはシオンの事をギュっと抱きしめた。
「……ごめんね……私…………ごめんなさい。アナタの事なんにも分かっていなかった。何て謝ればいいのかしら」
「……えっ。シェロ……べつに、そんな気に止むことじゃないと思うけどな」
シオンは困惑の表情を浮かべた。その表情にシェロは少し驚いた。
「そんなことない! 私は、あなたに出会ってから、あなたの心情も理解しないで……ずっと無理をさせ続けていた……」
うつむくシェロに、シオンはどう声を掛ければいいかわからなかった。
こちらの執筆は、星野リゲル さんが担当しました。
http://mypage.syosetu.com/mypage/novellist/userid/419081/ 小説家になろうにて、異世界や現代を舞台とした多数の作品を発表しています。これを機に是非ご覧くださいませ……!