Watcing over you. ・ 後編
「よっし……」
コックピットに座りシェロが小さく息をつく。シャール村のはずれ、滑走路に使えそうな空き地を選定しルノーを引っ張ってきた。操縦席にはシェロ、後部座席にはシオンが座っていた。これよりシェロによる遊覧飛行が始まろうとしている。
「はい、よろしく」
シェロはそう言うとどこからともなく二回屈折した奇妙な鉄棒を取り出すと飛行機の近くに立っていたトウラに放ってよこした。
「ん? よろしくって何を」
「何言ってんの。エナーシャまわしてよ、ほら」
「俺がやんのかよ!?」
トウラが棒を握ったまま叫ぶ。周囲を見渡すが皆いつの間にかトウラから距離を取っていた。
「……」
結局エンジンはトウラの献身によって無事始動した。シェロは軽く礼を言うと優雅にルノーを動かし、完璧な動作で離陸した。ぐんぐんと高度を上げ、頬が気持ちよく風を切った。
「なんだか久しぶりね」
やがて村が一望できそうな高さになり、少し飛んでいるとシェロがおもむろに口を開いた。
「何が?」
そう言いつつもシオンもシェロが何を言わんとしているかは理解していた。何も考えずに空へ上がるのは確かに随分と久しぶりな気がする。思えばこの世界に来て初めにしたことはこれだった。あの時はここにマキナとカルナもいて余裕は無かったが今は飛行に慣れたのもあって風景を楽しむ余裕があった。
「いや、こうやって何も気にせず飛ぶのは久しぶりだなぁって」
「……そうだね」
そう言いつつシオンはシートベルトに身をあずけた。もっとも、体はしっかり座席に固定されているので姿勢は少しも変わらなかったが。ふと、その時足元の黒いベルトが目に入った。確か、ここはもともと散弾銃が仕込まれていた場所だったはずだ。
「よく生きて帰ってこられたよなぁ」
「何が?」
今度はシェロが疑問げな声をもらした。
「僕がこの世界に来てすぐの時。絶対死んだと思ったもん」
「あぁ。マキナと戦った時ね」
今でも鮮明に思い出せる。今の自分の記憶が始まっている場所。転移直後の空戦。まさかこの世界に来てすぐに命の危機に晒されるとは思っていなかったが、結果としてシェロに会えた。そう思うと、なんだか運命的な出来事のように思えてきた。
「……そういえばさ」
「?」
「なんでルノーには乗るところが二つあるの?」
「え? ……あー、うん、そうね……」
シェロの歯切れが悪くなる。シオンは何か聞いてはいけないようなことを聞いてしまったような気がしてあわてて訂正した。
「い、いや、言いたくなかったらいいんだけど……」
「おじいちゃんが、ね」
「おじいさんが?」
シェロが一瞬黙る。なんとなく、シオンの脳裏に微笑んでいるシェロの顔が浮かんだ。
「ルノーはもともと単座機だったの。それをおじいちゃんがルノワールさんから買って乗り回してたみたい。もちろん、冒険にも使ってたみたいで」
「へぇ……そうだったんだ」
「それでね? おじいちゃんったら、私が生まれた時、孫を乗せて飛ぶんだー、なんて言いだしたみたいで。すぐにルノワールさんの所に持っていって複座機に改造してもらったんだって。無茶苦茶な話でしょ? そんな無茶苦茶な改造をこなしちゃうルノワールさんもあれだけど」
「へぇ! そうだったんだ」
シオンは素直に感嘆した。シェロのおじいさんの話はちょくちょく聞いていた。ここまで聞くと随分優しい人だったんだなと思えてくる。
「……ねぇ、シオン」
「ん?」
「……ううん、ごめん。なんでもないや」
「どうしたの? シェロ、さっきからなんだか変だよ?」
「そう?」
「んぅ、まぁいいけど──」
その瞬間、機体が大きく揺れた。
「うわっ!?」
シオンが叫ぶと同時に背後のシェロが悲鳴を上げる。一拍置いてシオンの頬に何かがかかった。とっさに手で拭うとそれはぬめりけがあり、違和感を感じ見てみると右手が赤くなっていた。
「血……!? シェ、シェロ!?」
「つかまって!」
シェロはそれだけ言った。次の瞬間機体が急降下を始める。
「うおっ!?」
「何よアイツ!? どうなってるの!?」
「ど、どうしたんだよシェロ! いったい何が──」
「こういうことだ」
機体後方から声がした。操縦席の方を向いていたシオンが急いで振り返ると、そこには──
「シオン・カガミだな?」
背中から翼を生やした人狼が浮かんでいた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「くそ!」
その頃地上では。地上に残された四人が突然現れた異形に驚き対応に追われていた。
「なんだよあれ! どっから湧いて出てきやがった!」
「とりあえずアザミとフリージアを安全な所へやらなきゃならん。トウラ! 少しこの場まかされてくれるか!?」
「んっだよもぉしゃぁねぇなぁ! すぐ戻って来いよ!」
「おい!」
シュートがアザミとフリージアをつれて村へ戻っていくと、入れ替わるようにノアが息を切らしながら現れた。
「お、おおノア! あんたどこ行って……って血だらけじゃねぇか!」
「そんなことはどうでもいい! それより人狼が来なかったか!? 背中に翼の生えてるやつだ!」
「それなら……」
トウラが空を指差す。空中でルノーに襲い掛かるジェイドの姿を見とめるとノアはやたらと大きな舌打ちをした。
「ちィ……面倒なことに気づきやがって!」
「知ってんのか」
「神の使いだと。神崇部隊とか言ってたな」
「はぁ!? じゃなんだ、敵か!」
「あそこまでやって敵じゃねぇわけねぇだろアホ!」
時間は少しさかのぼる──
「っ!」
一歩力強く踏み込みアッパーが繰り出される。騎士の一撃を悪の人狼は軽くかわすがノアはそのままもう一歩踏み込み、振り上げた右腕を戻す勢いで左フックを放つ。しかしジェイドはそれを左手で受けとめ力いっぱい引いた。勢いに釣られ引っ張られてきたノアの顔面に向けて右腕を振りぬいた。同時に左手を離すとノアはその場で回転し仰向けに地面に叩きつけられる。そのまま右足でふみつけ追撃を狙うも一瞬早くノアが反応し転がってかわした。
「クソが」
口にたまった血を吐き出しノアが小声で悪態をつく。隙の大きい魔法を封じたことで一方的に嬲られることはなくなったがそれでも戦いはジェイド優勢で進んでいるように思えた。
攻められるチャンスを逃すジェイドではない。すぐさま飛び上がり踏みつけにかかるがノアは勢いよく体をのけぞらせ、その勢いで飛び起きると降ってくるジェイドを足で受けた。そのまま力任せに押し返し、ジェイドの着地を失敗させる。
「はぁ……馬鹿みてぇな力しやがって……そもそもお前の目的は何だ、どうして俺を狙う」
「さぁな。だがまぁ俺が神崇部隊のモンだって言やぁだいたいわかんだろ」
「まぁ愚問か」
その言葉を最後に二人が同時に地を蹴った。弓を引き絞るように腕を限界まで振りかぶり射程に入った瞬間に解放し、相手の顔をぶち抜く──
一瞬の差でノアが先に力を解放した。彼の方が相手よりも腕のリーチが勝っていたが故の結果だった。ほんの一瞬先にノアの拳がジェイドの頬を捉える。初めて反撃を食らわせた時のような手ごたえが拳を伝わってきた。
そのまま持てる力を全部使ってジェイドを弾き飛ばした。ジェイドは一転反対方向に勢いよく飛ばされ一際大きな木に勢いよく飛び込み、降り注ぐ木片の下敷きになった。
「はぁ……はぁ、付き合ってられるか」
ノアはそう言うともごもごと小声で詠唱を行い突然濃霧を発生させた。
流石に今こいつと戦い続けるのはまずい。すぐに帰って神崇部隊とやらについて情報を集めるべきか──
「ほう? 逃げる気か」
背後から声がする。
「嘘だろ……」
「狙いはお前自身だから逃げても問題ない……そう思っているな」
「……そうだ。あいにくお前に構ってる暇は無い。それじゃあな」
ここまでやれば逃げきれる可能性はある。ノアはジェイドが吹き飛んで行った方向を一瞥すると素早く飛びのき霧の中に消えようとした──
「じゃあ逃げられねぇようにしてやる」
不気味な一言が聞こえた。ノアがそう認識した瞬間に木片の山が吹き飛びジェイドが現れた。その凄まじい跳躍力──いや、背に翼が生えている?
「んなっ……!?」
さらにまずいことに飛び上がったジェイドの背後、遠くにルノーが見える。まさか、まさかこの人狼は──
「待ってるぜ。まぁあんまし時間はないけどな」
そう言い残しジェイドは空中で方向転換し飛び去って行った。
「くっそ! なんで飛んでんだよ!?」
ジェイドの標的が‘ノアの仲間’に切り替わった。これでは撤退するわけにはいかない。
ノアは舌打ちすると森の出口へ向けて全力で走り出した──そして、今に至る。
「あの人狼……なんで飛んでるんだよ!?」
「さぁな、俺に聞くな。おおかた神さまにもらった新しい力ぁ、とかそんなところだろ」
「狙いはシオンか?」
「いや俺だ。理由はわからんが奴は俺を狙っている。シオンを襲えば俺は逃げられないと踏んだんだろう」
「汚ねぇ手使いやがる……!」
しかしこの状況はジェイドにとって不利な状況のはず。確かにこうすればノアが逃げることはないだろうが代わりにトウラ、シオン、シェロを同時に相手にすることになる。シュートが帰ってくれば更に不利になるはずだ。
「あの高さ、届くか?」
「は?」
「俺を打ち上げろ。滞空は竜の魔素でなんとかなる。だがあそこに行くまで無駄なエネルギーを使いたくない。やってくれるか?」
「い……いや、いくらなんでもむちゃくちゃ……」
「なんだ? できないのか?」
「かッ……上等だこの野郎!」
そう言うなりトウラは腰を少し落とし、手の平を合わせ低い位置に合わせた。
「ほら来いよ!」
「……いいねぇ」
そういうノアは少し下がりにやりと笑うとトウラに向けて猛然と走り出した。
「修行の成果見せてみろ!」
そう叫び、軽く飛び上がると右足をトウラの手の平の上に落としこむ。同時に脚を曲げ力を込めた。
「いっ……けええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
瞬間、トウラが叫び全力で腕を引き上げた。屈めた背も一気に伸ばし、上方向へ向け引き絞った力を解放する。
ドカン、という爆音が響いた。同時に共にノアの姿が消える。ノアの体が空気を裂き、まるで砲弾のように勢いよく打ち上がっていった。勢い余って尻もちをついたトウラはその場で目を白黒させている。
「魔素による身体強化……成果出てるじゃないか」
凄まじい勢いで上昇しながらノアが不敵に笑う。
「……マジかよ、俺散歩してただけだぞ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「右!」
シオンが絶叫する。同時にルノーは左に旋転し、弾丸の如く突っ込んでくるジェイドをかわした。
「シェロ!」
「だっ……いじょうぶ! あいつを見てて!」
「女か」
シェロの耳に声が届くと同時に視界を何かが横切る。一瞬置いて右肩が血を吹いた。
「うああっ!」
「シェロ!」
マキナと違う。空戦のこなし方がかつて戦った相手と根本から違った。シオンの頭を恐怖が支配する。座席を挟んで断続的に聞こえるシェロの悲鳴がそれを加速させた。
考えろ、どうすればいい? どうすればこの状況をなんとかできる? 必死に頭を働かせようとするが恐怖で働きが鈍り考えがまとまらない。
「ジェイドおおぉぉぉぉぉ!」
下方から怒声が響く。ジェイドが声のした方向を向くとその瞬間、下方から大振りの斬撃が飛んできた。
「ッ!」
飛来した物体はすぐに空中で静止し、得物を構え直す。
「……ほう? やっと本気、ってワケか」
そこにいたのは先程までと比べて随分と軽装になった鎧に身を包んだノアだった。純白の鎧はその表面積を減らし、代わりに露出した部分は、竜の鱗で覆われていた。
「もう加減できねぇ。墜ちやがれ!」
竜騎士に姿を変えた白騎士が剣を構え吼える。騎士と狼の戦いは空に戦場を移し、第二ラウンドに突入した。
この物語は ラケットコワスター さんが担当しました!
https://kakuyomu.jp/users/chinishihefuchi カクヨムでは、現代ミリタリー小説『DARKHERO』を公開している他、pixiv や ハーメルンでも活動中。 これを機に是非ご覧ください……!