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*モノローグ3*

 小学校高学年のある時期、私は同学年の一部の女子から嫌がらせを受けていた。レンジュが転校してきてしばらく経った頃で、私はすでにマヅチやレンジュと一緒にいることが多かった。嫌がらせの理由も、そこにあった。

 私の学年では、二人はクラスの垣根を越えて男女双方から人気があった。女子からの人気というのは当然恋心というものも含まれていて、私が一部の女子たちから嫉妬されるのは必然だったのかもしれない。彼女たちの鬱憤は、まるで鏡のように反射し、元きた道を辿って私に発散させられた。

 最初は筆記用具を捨てられたり、机の中にチョークの粉を入れられたりといった、陰からの質の悪いイタズラに近いものだった。私はすぐに気付いたが、イタズラの内容云々よりも、自分が他人から悪意の対象になり得るのだという事実が、私の胸に鋭い刃を突き立てた。自分の異質さを――決して埋まらない私の永遠の欠陥を、改めて眼前に示し出されているようだったから。その時私は、またあの胸にキリキリと孔を開けられるような痛みに涙したことを、今でも覚えている。

 でも、女子たちの悪意は「陰湿なイタズラ」程度では終わらなかった。やがて彼女たちは姿を見せて、私に直接接触するようになった。異端者を軽蔑するような目で私を睨み、人に対するものとは思えない言葉の数々を浴びせ、マヅチやレンジュに近付かないという約束を一方的に取りつけることもあった。

 一番酷かったのは、放課後、彼女たちが私をトイレに呼びつけた時だった。

「もう二人に近付くなって言ったじゃない。何で今日も一緒にいたのよ!」

 そう言って彼女たちは、私を奥の壁際へと突き飛ばした。

 私は二人を避けていたのに。勝手に私を追いかけてきて話しかけにくるのは二人なのに。でも、口には出さなかった。きっと余計に怒りを買うだけだから。

 彼女たちは、清掃用の濡れたブラシを振り、私に水をかけた。すぐににおいで気付いた。私にかかった水は、便器の中の水だと。

 一気に血の気が引いていき、まるで拷問用の家畜にでもされた気分になった。汚水をかけられるという私の許容範囲を遥かに越えた屈辱は、私のプライドも何もかもを一瞬にして打ち砕き、その破片でただ悲愴的な諦めの思いのみを私の心に築き上げた。

 抵抗する気力など湧かなかった。

 今まで気には留めなかった、たまにニュースで報道されるイジメの被害者は、きっとこんな気持ちだったのだろう。

 汚水で濡らしたブラシを私に振りながら、彼女たちは言った。

「だいたい何であんたみたいなコミュ障がマヅチくんたちと一緒にいるのよ」

「誰とも話さないくせにあの二人とは普通に話しちゃって。マジでキモいんだけど」

「かっこいい男子となら話せるんだね。ウザいから早く学校やめてくれない? っていうか、死んでくれた方が嬉しいんだけど」

 敵を見るような視線が、私に注がれていた。

 私は悟った。

 この人たちはきっと、私のことが怖いんだろう。わからなくて、理解できなくて、異様で怖いから、醜く見えて、そして、二度と目に入らないように排除しようとする。

 でも、ちょっとだけ不公平だ。私だってあなたたちのことが怖いけど、目に入らないように無視して避けてはいたけど、こんな風に排除したいなんてこれっぽっちも思っていなかったのに。

 私を邪魔だと思っているのは、この世界なのかな……

 この世は常に、環境に適応できない弱い者から切り捨てられていく。生きるということは、力をもった者にのみ与えられる特権のようなものなのかもしれない。

 そして際限なく社会性ばかりが発達していく人類にとって、力とはきっと周りと合わせる能力のことに違いない。だから周囲に溶け込めなかった異質な私は、社会から除け者にされる。

 ふと、私は外界の静けさに気付き、意識の蓋を外して顔を上げた。トイレの中には、すでに私だけだった。

 汚水に濡れた私の身体からはトイレ特有の悪臭がしていた。

 私は立ち上がり、ハンカチで水を拭いた。汚れたハンカチはそのままゴミ箱に捨てた。

 今頃になって、涙が出てきた。

 ようやく解放された、と私は思った。でも、すぐに思い直した。

 きっと私は、すでにこの世から切り捨てられているのだ。

 ――今、心の底から死にたいと願っている時点で。



 その日を境に、私の頭の中は自分でも異様だとわかるほどにガラリと変わった。日中も常に憂鬱が付きまとったが、特に残酷だったのは夜だった。不思議なことに、夜は私の脳内を狂おしいばかりの負の感情で満たした。

 夜、眠気を覚えて電気を消すと、私は必ず自分の異質さを嘆くことから始めた。この世から切り捨てられる原因になった私の異質さが、醜くて醜くて、八つ裂きにしたいと思った。

 自分をここまで嫌いになったのは、生まれて初めてのことだった。

 私はこの世界をもっと普通に生きてみたかった。友達は少なくてもいい、お金だって少なくていい、恋だって実らなくてもいい。ただ、みんなと他愛もないお話をして、みんなと同じように笑って、普通に過ごせたらそれでよかった。



 でも、もうそれも叶わなくなっちゃった……もう、私は普通にはなれないんだよね……



 このことを身に染みて実感する時、私は必ず胸の奥で走る痛みに、声にならない呻き声を上げた。布団の中で身体を丸めた私の脊髄を縦に貫くような、抗いようのない痛み。悲しみや孤独、絶望の詰まった、精神的であって物理的でもある痛み。その痛みは、ジンジンと脈打つように私の神経を侵していった。

 私は父親が私に暴力を振るった時の、化け物でも見るような目を思い出した。女子たちが私に暴言を吐いた時の、心底不気味なものを見るような視線を思い出した。あんな目は、断じて人を見るようなものではない。あんなものを向けられた私は、一体何なのだろう?



 きっと私は、人間だとすら思われてないんだよね……だから……あんな目ができるんだよね……?



 悲しくて、寂しくて、胸の奥の神経の痛みに膝を抱えて堪えながら、私は泣き続けた。目頭は熱くなるのに涙はとうに枯れていて、私の頬を伝うこれは、声にならない悲痛の叫びだろうか。

 誰も、異質すぎる私のことを理解できなかった、理解しようともしてくれなかった。私の胸には、ぽっかりと孤独の孔が開いている。この苦しみも誰にも理解されないんだと思うと、ますます孤独感が溢れ出し、私の心の孔をどす黒い海水で満たしていく。

 夜が訪れ、ひとたび負の感情が去来し始めると、私はもう、自力でその負のスパイラルを抜け出すことができなくなった。頭の中には私を苦しめる感情だけが順番待ちでもしているように次から次へと押し寄せる。私はその波にもまれて、暗い海底へと沈んでいく。どうにかこの苦しみから逃れたくてもがいて、余計に自分を苦しめても、もがき続ける。心の中に思い描いた、決して届くことのない幸せに手を伸ばして――

 愚かな私に、幸せなど訪れるのだろうか? この世界に見捨てられた私にはもう普通に生きる道などないのに、この世界で生き続ける意味はあるのだろうか?

 私は、生き続ける限り、私を苦しめ続ける。

 私の生きるこの世界は、絶望に満ちている。



 ねえ……こんな世界で、生きる必要ないよね?



 私が自殺願望を抱くようになるのに、大した数の夜は要らなかった。

 夜は、私にだけ残酷だ。


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