*モノローグ2*
小学校五年生になる頃には、私は周りの全ての人間を無視していた。母も、教師も、クラスの子たちも。みんな拒絶した。私はみんなとは違うから。私だけが、異質なのだから。
学校はすぐに憂鬱な空間となった。授業中の班活動では、少しだけ机を離して非協調的な意を示し、ペアを組まなければならない体育の授業は、全て体調不良を訴えて見学した。いつもと違うそれらの景色にも、私はすぐに慣れた。
みんなが私を避けるようになるのに、そう時間はかからなかった。本当にあっという間だった。私が教室後方のドアの傍にいるのを確認し、表情一つ変えずに踵を返して、教室前方のドアへと向かう男の子もいた。
私は何も楽しく感じなくなった。勉強することも、運動することも、家でゆっくりすることも、どこかへ遊びに行くことも。何もかもが楽しく感じなくなり、全てが億劫になった。
それでも毎日決まってすることがあるとすれば、それは夜、ベッドの中で生きる意味についてひたすら思考を巡らすことくらいだった。
それは望んでもいない宇宙への一人旅であり、広大な平原の中へ無一文でほっぽり出されることであった。何をしろと言われるでもなく、帰る方法もわからない。状況を変えるには自分であちこち動き回って何かを探すしかない。だがそこには、何もない。
私はそれでも探し続けた。寂しさに涙を流しながら。虚しさに嗚咽を漏らしながら。何も見つからない恐怖に絶望しながら。何かに取り憑かれたかのように、盲目的に。
もしかしたら私は、絶望の先に待つ「何か」の、さらなるとてつもない恐怖から逃れたかっただけなのかもしれない。
だが結局、いつの夜も私が探し物を見つけることはなかった。
毎晩キリキリと孔を開けられるような胸の痛みに泣きながら、
「もうこんなこと考えたくない」
「もう苦しみたくない」
「普通に生きたい」
そう願い続け、気付けば朝になっている、その繰り返しだった。
学校では、休み時間が来るたび、私は周りで談笑する声を聞きながら、拒絶の対象である彼らへの雑念で頭がいっぱいになるようになった。
どうしてそんなにつまらない話題で笑っていられるのだろう?
どうしてそんなに意味もないことを楽しめるのだろう?
どうしてそんなに、「生きる意味」なんてどうでもよさそうに過ごせるのだろう?
生きる意味がなければ生きる理由もなくなってしまうのに。生きる理由がなくなってしまえば、生きなくていいのに。
でも、彼らへのそんな雑多な思いも、抱くだけ無駄と知ってすぐに考えることをやめた。
いつしか私の視線は人から転じ、草木や空、小さな昆虫といった、自然の風景にのみ注げられるようになっていた。それらがなぜ妬ましいほどに美しく感じるのか、私にはわからなかった。
ただ、とにかく美しかった。
――あれは、確か昼休みでのことだった。
「あ、ハンカチ落としたよー」
廊下ですれ違いざまに、年下の男の子にそう声をかけられた。
「はい」
私のことを知らない彼は、そう言って生真面目に私にハンカチを手渡すと、すぐに廊下の向こうへ消えていった。
話しかけられただけなのに、なぜだか私は涙が出そうになった。そしてその一方で、蹲りたくなるほどの寂しさを覚えた。
またある時、私は自分が笑うことを忘れたことに気付いた。
鏡の中の自分を見ながら、私は無理やり笑顔を作ってみた。すると、自分の姿なのに自分でないような気がして、まるでおぞましい異形の怪物を前にしているような気分になった。
自然な笑い方を忘れたのだと実感した。そしてそれももう、思い出す必要はないのだと思うと、虚しさがこみ上げた。