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*モノローグ1*

「ねえ、先生。人間ってどうして生きているの?」

 放課後、教室が空になってから私は担任の先生に訊いた。初めて大人にそういう質問をしたのは、確か小学校二年生の時だった。窓から見える銀杏の木が黄色く色づいていたのを覚えている。

 先生はよほど驚いたのか、職員室へ戻りかけていた足を止めて、私を振り返ったまま、空耳でも疑うようにずっと目をパチクリしていた。

「先生?」

「え? あ、ええとね、イサナちゃん」

 彼女は私を諭すように言った。

「私たち人間が生きるのは、たくさん勉強して、将来日本のためにお仕事をするためよ。イサナちゃん、将来の夢はある?」

 私は首を振った。

「イサナちゃんは賢いからいろんな仕事に就ける可能性があるわ。やりたい仕事ができるように、しっかり勉強してね」

 そう言って先生は教室を去った――私から逃げるように。

 結局、私は先生の答えに納得できなかった。だって、外国で活躍しているスポーツ選手もいれば、外国で貧しい子供たちを救っている人もいるのだから。全ての大人が、本当に日本のために仕事をしているとは思えない。



「ねえ、お母さん。人間はどうして生きているの?」

 私は帰るなり母親に尋ねた。

 この疑問は、その頃には常々頭の中にあったのだが、母親は物を尋ねられるといつも曖昧な答えを返して濁そうとするので、訊いても無駄だと思っていた。でも、先生から納得のいく答えを得られなかった時、自分の母親なら似たようなことを考えていたのかもしれないと、ふと気付いた。

「難しいわねえ。でも、どうしてそんなこと知りたいの?」

 やっぱり適当に流そうとしている、そう悟りながらも私は答えた。

「だって、私が生きているから、どうして生きているのかな、って。お母さんは考えたことないの?」

 母親は居間のテーブルの上に頬杖をついた。

「うーん、あるような気もするけど、結局どうでもよくなった気がするわ。まだそんな難しいこと考える必要はないんじゃない?」

「でも、いつまでもわからなかったら、ずっとそのことばかり考えちゃうもん」

 母は溜息交じりに微笑んだ。

「じゃあ、お父さんに訊いてみたら? あなたの好奇心はお父さん譲りかもしれないわ」

 だが、夕方帰宅した父に尋ねてみると、母と同じように、困ったような顔で「父さんにはわからないなあ」と言われた。

「生きているのにどうしてわからないの?」

 私が追い打ちをかけると、父は不機嫌さを隠そうともせずに言った。

「さあ……だいたいそんなこと、考えたところで何が変わるわけでもないんだ。もう考えるのはやめろ」

 その日の就寝後、私は居間の方から父親の怒鳴り声を聞いた。後から知ったことだが、その頃、父は会社をリストラされることが決まっていたようだった。



 私の疑問の答えは、年を経ても依然として見つかる気配はなかった。ここまで長く同じ疑問に執着したのは初めてのことで、私は自分の認める答えが得られるまで、この疑問を胸に抱き続けようと思った。

 翌年もまた翌年も、私は変わりゆく担任の先生や教頭先生、校長先生になぜ人が生きているのかを質問してみた。だがどの答えもバラバラで、共通性がほとんどなかった。だから、それらの答えは全て違うのだと私は結論付けた。周りの大人は誰も答えを知らないのだと。

 小学校四年生のある夜、私は母と共に、父親にぶたれた。季節は冬。その日の空気の冷たさを、私は一生忘れることはできないだろう。

「お前は俺の子じゃない!」

 父は私に向かって何度もそう叫んだ。

 あんな目をされたのは初めてだった。まるで化け物でも見ているような顔だと、顔や腹部を蹴られながら私は思った。

「お前が学校の先生に変なことを訊いて回るから、俺たちのところにまで連絡が来たんだよ!」

 母が制止に入ったが、かえって父の憤激は増幅され、母もまた「お前の遺伝子でこいつがこうなったんだろ!」と怒鳴られて何度も蹴飛ばされる始末だった。

「いいか」

 私を気味悪そうに指差す。

「お前は俺の子じゃない。欠陥品のお前を見ていると、まるで俺にもそれがあるみたいじゃねえか。お前は異質だ、お前だけが異質なんだ。俺はお前とは違う、俺の子供であるはずがない」

 いくらアルコールが回っていたとはいえ、父の言葉は、暴力の肉体的な痛みと相まって深く私の心に染み入った。

 どうして、私は生きているのだろう?



 その冬の日、私は理解した。

 私は他の人とは違う、と。誰だって他の人とは違うとか、そういうことではなく、みんなにあるはずのものが私にはない――それはきっと人になければならないもの。そしてみんなにはないものが私には存在している――きっとそれは人にあってはならないもの。

 その異質さは、自分が生まれもった、決して埋まることのない『欠陥』。

 いっそロボットならよかったのかもしれない。足りないものがあるなら付け足して作り直せばいいし、余分なものがあるなら取り除けばいい。そうすることで、欠落のない設計図通りのロボットが生まれる。

 でも私は、機械のように作り変えることのできない、人間。生まれるのに失敗した以上、私はこの『欠陥』と、これから一緒に生きていかなければならない。

 私は理解した。自分が人間の失敗作であると。

 私は理解した。この疑問は、抱いてはいけなかったのだと。


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