二日目(二)
これまでの散策で島内の何割を踏破しているのかは判然としなかったが、明るい光の差し込む空き地に出たところで、私たちは棒切れのようになっていた足をいったん休めることにした。
空き地には灌木が疎らに生え、中央には一本の巨木が倒れていた。その木が覆っていたと思われる広い天井からは、青空と太陽が覗いていた。雨が降り込んだのか、倒木の周りの土は他よりも湿り気を帯びていた。
「久しぶりのお日様だー」
私は暖かな日光の中で身体を伸ばした。だが熱帯だけあって日差しの勢いは強く、私はすぐに日陰へ引き返した。
「イサナ、こっち」
「食い物あるってよー」
レンジュとマヅチが離れたところから私を呼んでいた。二人の前の高木には、葉の中に無数の紅色の斑点が映じられていた。
美しい木に惹かれて私が駆け寄った時には、もうレンジュが実を採って木から降りてくるところだった。
彼は一本の枝を手に持っていた。そこには十数個の赤い小さな実が生っていた。
「ランブータン。おいしいよ」
そう言うと、レンジュは柔らかい肉質のトゲで覆われた実を私たちに分けてくれた。
皮を剥き、中の白い実を食む。
「わあ、甘い! 五臓六腑に染み渡るぅ……」
「十四の女子中学生が発する言葉とは思えないな」
マヅチがランブータンの実を頬張りながら笑った。
「確かに。五臓六腑に染み渡る、なんて学校の女子は誰も言わないだろうね」
「レンジュまでー」
私たちはしばらくの間、木陰でランブータンの実を食べながら談笑した。心地よい微風に吹かれて、燦々たる日光に目を細め、歯を覗かせて笑う。私たちの間には、まるでピクニックに来たかのような、ゆったりとした時が流れていた。
やっぱり、この三人でいる時が一番落ち着く。
束の間の休憩の後に、私たちは癒しの場を発った。そろそろ太陽が天頂を越え、本格的に食事を取らなければならなかったため、私たちは拠点へ帰ることになった。レンジュの脳内地図によれば、この空き地と拠点はさほど離れていないという。
途中、私は燃えるような美しい花を見つけた。その赤い情熱的な花は私にはない力を内に宿しているような気がして、気が付くとスルスルと歩み寄っていた。
「イサナ。それ毒があるからね」
「あっ、そうなんだ」
レンジュに注意され、触る気はなかったが、少しだけ距離を置いて観察した。
グロリオサと呼ばれるその植物は、私と同じくらいの高さで、葉は先端が蝶の舌のように伸びて他の植物に巻きついていた。六片の花は全て反り返っており、側面の波立つ様と併せて妖艶に腰を揺らす踊り子のようにも見えた。だが、色合いはそれ以上に情熱的だった。黄色い付け根側からすぐに真っ赤に染まるそのコントラストは、この花がただ一心に揺らめく炎を真似て咲き誇っていることを顕示しているとしか思えなかった。
生きるっていうのは、きっとこういうのを言うのだろう。
「イサナ、そろそろ行こうぜ」
マヅチに声をかけられ、私が二人の足を止めていることを思い出した。
「あ、ごめん」
「じゃ、行こう」
マヅチが言わなかったら、レンジュはいつまででも待ってくれちゃいそうだな……
レンジュの脳内地図は正しかったらしく、私たちは少し歩いただけで拠点へと戻ることができた。
帰り着くなりレンジュは、私たちに役割を振った。
私はマヅチとレンジュがそれぞれ食べ物を調達してくる間、私たちが大きな葉を敷いて寝床としていたところに同じ葉をたくさん追加して厚くしたり、薪を集めたりした。
先に帰ってきたのはレンジュだった。上半身は白い肌着のシャツ一枚しか着ておらず、脱いだチェックのシャツは襟の方を結んで袋にし、中にたくさんの果実を詰め込んで握っていた。袋の中は色とりどりで、私が初めて見る果実も何種類かあった。
「マヅチが帰ってきたら一緒に食べよう」
彼はわずかばかりマシになった寝床にくつろぎながら言った。
「そうだね」
だが、マヅチはなかなか帰ってこなかった。レンジュが様子を見に行こうかと言い始めた頃、やっとマヅチは私たちのもとへ姿を見せた。
奇しくもレンジュに引き続き、マヅチまでもが半裸の状態で帰ってきた。濡れそぼったオレンジのTシャツに何かを包んでもっているところまで同じで、こちらは膝から下がびしょびしょに濡れていた。
どうして男はこうすぐに服を脱ぎたがるのだろう。
「おー、もうレンジュ戻ってたのか」
「俺たちはもうずっとマヅチを待ってたんだよ」
「おう。それは悪かったな」
「で、マヅチ、それは?」
私は水の滴る服の包みに目を留めて言った。
「見て驚くなよ」
マヅチは私たちの前に包みを置くと、自分で「ドン!」と効果音を口にしながら開いた。
「魚だ!」
そこには数匹の小魚がいた。ぐったりとし、時折力なく身をよじらせている。
私はいろんな意味で唖然としてしまった。
「おお、よくこんなに捕れたね。俺はてっきり成果なしに終わって、しゅんとして帰ってくると思ってたよ」
「レンジュはマヅチが魚捕ってくるの、知ってたの?」
「まあね」
私があきれ顔をしているのに気付き、マヅチは誇らしげに言った。
「せっかく熱帯の島でサバイバルしてんだ、楽しまなきゃ損だろ?」
「立派な小魚が取れてよかったね」
マヅチの戦利品であるかわいい小魚たちは、レンジュが下準備をし、私が枝を刺して火の傍で串焼きにされた。
レンジュの採ってきた果実とマヅチの捕ってきた一口サイズの焼き魚で、私たちは遅めの昼食を取った。その間ほとんど、私たちはマヅチが長時間かけてやっと数匹の小魚を勝ち取ってきた武勇伝を肴にして談笑していた。
お腹が膨れてくると、自然と眠気が襲ってきて、私たちの口を重く閉ざしていった。最初にうたた寝を始めたのはレンジュだった。その頃には辺りも暗くなり出し、夕刻の訪れが近いことを告げていた。
あの嵐から、もう丸一日が経過した。私たちが遭難している事実は知られているだろうか。私たちは、ちゃんと捜してもらえているのだろうか……
私が一人で考え事をすると、それはいつも不安に繋がった。
「あいつは、俺たちが思っている以上に責任や義務を感じているんだと思う」
不意にマヅチが口を開いた。
レンジュの話だった。
「この島で役立つ知恵をもっているのは自分だけだから、自分が俺やイサナを守らなきゃいけない。そう、考えているんだと思う」
「うん、そうかもしれないね」
「あいつの気を安らげるには、俺たちが健康でいるのが一番だ」
「うん」
「俺も俺たち全員で帰還したい。そのための努力は惜しまないつもりだ」
「うん」
「だから、何も心配するな」
最後のその言葉で、私は悟った。最初から、レンジュの話ではなかった。マヅチは、私を心配して声をかけ、慰めてくれていたのだ。私は、いつもマヅチに守られてばかりだ。泣きそうなくらい、そんな自分が嫌だった。誇らしげに咲くあのグロリオサの花が、羨ましかった。
「俺がお前を守れなかったことなんて今まであったか?」
私は首を振った。
マヅチに救われて生きてきた私には、もうマヅチ無しで生きる道などないだろう。いつマヅチが私の傍から離れてしまってもおかしくはないのに、なぜだかそうなる気はしなかった。私が彼を頼り切ってしまっている証拠なのだろうか。
「なら安心してろ。助けが来るまで、どんなことがあっても俺はイサナを守り続ける」
マヅチが慰めようとしてくれる時、私は泣いてしまうことが多々あった。だが、それが悲しい涙であったことは一度もなかった。
完全に日が暮れると、私たちはそのまま眠りについた。
翌日も、私たちは同じようにこの島の未踏部分を探索して過ごした。次の日も、またその次の日も、私たちは三人で行動を共にし、この島で生活した。だが、依然として救助が来る気配はなかった。