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二日目(一)

 翌日、すっかり日の昇った頃、三人の中で最初に目覚めたのは私だった。マヅチとレンジュは小さくなった火の反対側で、瑞々しい大きな葉を敷いて眠っていた。

 キャンプなどの野営経験のない私は、心身の疲労に比してあまり眠ることができなかった。耳元での虫の羽音や、遠くから聞こえる何かの鳴き声、葉の揺れる音、そういった雑音が何に阻まれることもなく、絶えずクリアに聞こえていた。体勢が悪かったのか、立ち上がると踵やくるぶしに痛みがあった。身体の節々にも疲れが残っていた。

 普段自分がどれほど快適な環境で生活していたのか、惨めなくらいに思い知らされた気分だった。

 私は近くに落ちていた低木の細い枝を折ってきて焚火にくべた。昨日のうちに、私たちはレンジュからこの周辺で取れる薪にしていい木を教えてもらっていた。中には枝に猛毒の樹液を含んでいるものもあるのだという。

「ん……おはよう、イサナ」

 大きくなってきた火の前で温まっていると、レンジュがむくりと身体を起こした。

 伸びをする彼に、私は気になっていたことを訊いた。

「ねえ、レンジュ。トイレってどうすればいいの?」

「あー、そうだね。三人それぞれ、ここからそう遠くないところに場所を決めておこうか。お尻を拭く時はきれいな葉っぱになるかな」

 レンジュは申し訳なさそうに笑った。

 マヅチを起こし、私たちは拠点となる焚火からほど近いところにそれぞれトイレとする場所を定めた。

「なあ、レンジュ。喉がカラカラなんだけど」

 再び三人が集まると、未だ寝ぼけ眼のマヅチが言った。

「私も。でも、水なんか飲めるところあるかな」

「大丈夫だよ。水分を摂る方法ならある」

 確固たる態度でレンジュは明言した。

 彼に導かれて着いた場所は、この島に来て最初に目を覚ました、水中の岩壁に穿孔のある例の水辺だった。

「ここの水って海水じゃないの? 飲んでも大丈夫なの?」

 水分を摂るために海水を飲んではならないのは、私でも知っていた。

「そう。あの孔は俺たちが海から流された時に通った孔だから、これは海水。飲んじゃだめだよ。飲むのはあっち」

 そう言ってレンジュが指を差したのは、二十メートルあたりの高所にたくさんの実を成すヤシの木だった。

「おお! 俺一度飲んでみたかったんだよな、ヤシの実ジュース」

 マヅチの言葉に、私もヤシの実の汁がどんな味なのか、少しだけ興味が湧いた。

 二十メートルもある高木なので、必然的に取りにいってもらう役割はレンジュに任せることとなった。彼は太い幹を足で挟み、コアラのようにスルスルと登っていった。てっぺんまで登ると、実を一つもぎ取り、また器用に下り始めた。

 私たちはレンジュの手慣れた所作に感嘆するばかりだった。

 はい、と言ってレンジュは私に三十センチほどあるヤシの実を渡してくれた。中身が汁ばかりだからか、大きさの割に重さは大したことはなかった。

「でも、これ、どうやって中身を飲むの?」

 私は興味津々なマヅチに実を渡してから尋ねた。

 すると、レンジュはマヅチから実を受け取り、岩の絶壁に思い切り叩きつけた。何度か繰り返して強引に分厚い外皮を剥ぎ取ると、角張った石を見つけてその場に座り込んだ。そして外皮の中から現れた殻を石でまた勢いよく叩き始めた。

「何だか職人みたいだね」

 私はマヅチと傍らから眺めながら囁いた。

「というか、原始的だよな。ま、こんなところじゃ何もないから仕方ないけどさ」

 殻に孔の開く音がしたところで、レンジュは立ち上がった。

「はい、孔から飲めるよ」

 私はレンジュから実を受け取り、孔に口をつけて実を傾けた。

「んー……」

 口内に広がる味は思った以上にあっさりとしていて、正直あまりおいしくはなかった。しかし、喉を潤すという目的は十分に果たせた。

 私は実をマヅチに渡した。ヤシの実ジュースを飲んだ彼は、やはり渋面を作った。

 レンジュがほくそ笑みながら実を受け取った。

「天然のジュースなんてこんなもんだよ」

 彼はヤシの実ジュースを飲み干すと、孔に手を入れ、力任せに殻を割った。殻の内側には白い固形物が付着しており、これも食べられるのだとレンジュは説明した。

 甘みは薄く、ナタデココのような食感だった。

 私たちはヤシの実を余すことなく味わうと、火を焚いた拠点へ戻った。そして焚火が消えないよう太い枝を何本か追加してから、島の探索を始めた。

 周囲を取り囲んでいるという岩の絶壁のためか、昼なお薄暗い密林の木々の間には、そこが人跡未踏の島であることを物語るように定まった道など存在しなかった。時折根や土によるでこぼこがあったが、押し並べて平坦な地と無秩序に林立する樹木が方向感覚を狂わせ、レンジュとマヅチに挟まれて歩く間、私は目印となるものを探すのに必死だった。

「随分広いんだな。もう結構歩いてるが、未だに岩の壁に当たらないぞ」

 私の半歩後ろを歩くマヅチは先頭のレンジュに言った。

「確かに広いよ。でも、ほら、あそこ見て」

 レンジュは苔むした倒木の上に立って前方を指差していた。

 木々の向こうに、黒い威圧的な壁が覗いていた。

「本当に岩の壁に取り囲まれてるのか」

「もしくは、もともとこの島が巨大な岩でできていて、ここにだけ大きな深い穴が開いているのかもしれない。どちらにせよ、島からの脱出も、島の周囲の状況を確認することもできない以上、俺たちはただここで生き延び続けるしか道はないよ」

 私たちは壁から離れるように進路を変え、さらに歩みを進めた。

 退屈に苦しみ出したマヅチからの要望で、途中からレンジュは時々私たちに植物の解説をしてくれた。

「あの茂みに見えるオレンジ色の花がオオゴチョウ」

 彼は前方右手で華やかな花を咲かせる灌木を指差した。細やかに並んだレース状の葉が特徴的で、樹皮は鋭いトゲで覆われていた。秋に実る茶色の平たい莢には、かつて異国の女奴隷たちが中絶のために使用した毒性のある種子が入っているのだという。

 また、レンジュが激しい命令口調で近づかないよう注意した植物があった。彼は遠目にその平べったい濃緑の葉を見つけるなり大袈裟なほど迂回し、私たちには彼が口を開くより先にその危険性が伝わったほどだった。

「あれはギンピーギンピーかもしれない。葉の表面にある毛に猛毒がある。毛は空気中に舞うこともあるっていうから、死にたくなければ近づかない方がいい。俺も父さんから聞いただけだけど、仮に死にたくなってもあれは選ばない方がいいと思うよ」

「おい、レンジュ」

 不謹慎だと言わんばかりにマヅチが諫める。

「それくらい危険だってこと」

 私は改めてこの島が嫌いになった。いや、最も嫌なのは、孤独と恐怖ばかりが蔓延るこの異国の閉ざされた地で、いつ来るか知れない助けを待って生き延び続けなければならないということだった。

 不安、なのかな、私……

 と、耳元で声がした。

「……こんなところに来れば誰でも不安になる。イサナは俺が守るから安心しろ」

 心の声が漏れていたことに気付いて、私は熱くなった顔をマヅチからそむけた。

 マヅチはたまに、聞いているこっちが恥ずかしくなるようなことを平然と言うから困る。

 レンジュを先頭に実に多様な植生が育まれる密林を探索し続ける中、私は中でも特に奇怪な姿の植物に思わず足を止めた。

「これ、何だろ……」

 それは蔓の先端に、赤黒い斑模様をもった瓶のように膨らんだ袋を垂らしていた。袋の口の上には、傘のように葉が一枚ついている。

「食虫植物ってやつじゃないか?」

 隣でマヅチも奇妙な植物を見つめていた。

「ほら、この袋の中に液体があるだろ? この中に落ちた虫を溶かして養分にするんだよ」

「ふーん。植物が虫を食べるんだ」

「マヅチは物知りだね」

 気付くとレンジュが私たちの後ろに立っていた。

「まあな。こう見えても、小さい頃は図鑑とか読み漁ってたんだぜ」

 マヅチは誇るように言った。

 小さい頃の彼がインドア派だったというのは初耳だった。

「マヅチの言う通り、これはウツボカズラっていう食虫植物だよ。中の液体は消化液で、上にある葉は雨が入って消化液を薄めるのを防ぐ蓋の役割をしている。この派手な色で虫を引き寄せて、つるつるした水差しの上を歩く虫を中に落とすんだ。溶けかけの虫が入っているかもしれないから、中は見ない方がいいよ」

 好奇心からマヅチが袋の中を覗いたが、すぐに顔を離した。眉を寄せ、心底から顔をしかめているように見えた。

「見ない方がいいって言ったじゃん」

 私は含み笑いを隠せなかった。


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