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十三日目(一)

「ただの風邪なんだから、そんな顔するなって」

 葉っぱを重ねただけの粗末な寝床で胡坐を掻くマヅチの頬は、熱でほんのりと赤く染まっていた。

 そんな顔で「大丈夫だ」と笑みを作られても、こちらの不安は一層募るばかりだった。マヅチはそういうところは察してはくれない。

「じゃあ、行ってくるね。喉が渇いたらそれ飲んでね。トイレは一人で行ける? つらくなったら我慢しないで横に――」

「心配しすぎだ、イサナ」

 マヅチは迷惑だと言わんばかりに言葉を遮った。

「俺はお前の子供じゃないんだ。自分の面倒くらい自分で見れる」

「だけど……」

「だけども何もない。俺のために働きたいならさっさと行け。レンジュを待たせるな。あいつは俺のための薬を探してきてくれるんだろう」

 彼は唐突に咳をした。

「大丈夫……?」

 傍らに置かれたヤシの実を手に取ってひと口飲むと、彼は言った。

「イサナに気を遣われると咳が出るみたいだ」

「そう、なの……?」

 私が彼の咳を誘発しているとなると、もう行かないわけにはいかなかった。

 私は背を向けた。

「じゃあ、すぐ帰ってくるから。待っててね」

「おう。別にわざわざ急ぐ必要はないからな」

 火の向こうで待っていたレンジュに合流し、私たちは拠点を発った。

 二日前から、私とレンジュを居心地の悪い沈黙が取り巻いていた。あんな質問をした彼のことを私は未だに許せていなかったし、レンジュの方も、許されたとは思っていないだろう。だから、私たちはお互いに口を開こうとしない。

 でも、今の私には、ある一つの懐疑的な考えが頭の中で膨らみつつあった。それは、私の中に生まれること自体が私の倫理観の卑しさを表すような考えだったが、一度その疑惑に取り付かれると、心の中で燻り、取り除きたい衝動に駆られた。

「ねえ、レンジュじゃ……ないよね?」

「何が?」

「マヅチの、風邪……」

 前を歩くレンジュが足を止めた。

 私も足を止めて、恐る恐る顔を上げた。

 あれ……

 こんな表情をされるとは思っていなかった。まるで大名が忠臣に裏切られた時のような顔だった。「信じられない」と、顔が心内をありありと語っている。

 私はようやく自分が何を口走ってしまったのか痛感した。

「ご、ごめん。さすがにそんなわけないよね」

「さすがに?」

「あ……」

 ああ、また失言だ。

「ごめんなさい……」

 傷つけたいわけではなかったのに。

 もう、レンジュの顔を見ることができなかった。

「そうか……」

 レンジュは何かを悟ったように呟いた。

「俺があんなことを訊いちゃったから、もう、俺はイサナに『大切』には思ってもらえないんだな」

 身に覚えのあるフレーズだった。

 ――二人なら、大切に思えるから。

 私がマヅチに言った言葉だ。

「違う! そんなことない!」

 あの時の気配は……

「今でもレンジュは大切だよ……」

 だからこそ、あの質問をしたあの夜のレンジュが頭から離れない。

「ねえ、どうしてあの夜、あんなこと訊いたの?」

 やっと尋ねることができた。私が知りたかったのは、きっと最初からそのことだったのだろう。今でも、私はあの夜のレンジュが信じられなかった。

「あーあ」

 レンジュは苛立たしそうにそう嘆息すると、傍の樹木の根元に座り込んだ。

 私の前であからさまに苛立ちを見せる彼の姿は、少しだけ怖かった。でもレンジュの本心を知りたかったから、私は三歩分の距離を空けて、同じように膝を抱えてしゃがんだ。

「俺はイサナが思っているような善人じゃないんだよ。イサナの前では、俺はピエロなんだ。化けの皮を被って必死に善人を演じていた」

「演じる? 何で……」

「イサナのことが好きになったから。イサナのことしか考えられないくらい、好きになったから」

 レンジュの思いを私はこの時初めて知った。でも、私の心に湧いた思いは、ただ疑問のみだった。

「どうして……どうして私なの? 私にいいところなんて一つもないのに」

「マヅチにも同じこと言える?」

「え……?」

「マヅチから同じように告白されたら、俺の知るイサナはきっと別の返答をする。俺も、そっちの返答が欲しかった」

 レンジュの言葉は私の心を直接鈍器で殴っているかのように響いた。

 私の前でレンジュがこんなにも落胆する姿を見るのは初めてだった。落ち込んでいるというより、おそらく悲しみに近いのだろう。そして、そうさせているのは私以外の何物でもない。

 レンジュは、本気で私に恋をしているのだ。

「初めてイサナのことを知った時、俺はイサナに興味が出た。どうして学校で孤立しているのかとか、本人はそのことをどう思っているんだろうとか、最初はそういう種類の興味だった。でも、何でかな……気付いたら、俺はイサナのことが好きになっていた。誰にも渡したくないくらい、好きになっていた」

 ああ、だからレンジュは私にあんな質問をしたんだ。マヅチに私を取られると思って。冗談にならないような質問をしなくてはならないくらい、レンジュは……

「二つ、勘違いしてるよ、レンジュは」

 私はレンジュの方を見ないで言った。きっと彼は、私に今の自分を見られることを望んでいない。

「まず、私にとって二人は、本当の家族みたいな存在だから、あんまり恋とかは考えたことがなかったの。だから、少なくともそう思っている今のうちは、私が二人のどちらかに恋することはないと思う」

「もう一つは……?」

「もう一つは、もし仮に私がマヅチを好きになることがあるとしたら、私がレンジュを好きになることだってあるかもしれない、ってこと」

 見ないと決めていたのに、私は彼がどんな顔をしているのか、確認したくてたまらなくなった。

 レンジュは、私を涙ぐんだ瞳で見つめていた。私が笑みを返すと、彼はさっと顔を隠した。

「まさか、俺がイサナに慰められる日が来るなんてな」

「落ち込んでるのはレンジュらしくないよ」

 レンジュは含み笑いを漏らしながら立ち上がった。

 私も続けて腰を上げる。

「俺からも、一つだけイサナに言っておくことがある」

 そう言って私を振り向いた時には、もういつものレンジュに戻っていた。

「俺がマヅチの風邪を治してやりたいと思う気持ちは誓って本物だ。マヅチは俺にとっても大切な親友だから」

「うん。私も疑っちゃってごめんね……」

 私たちが再び歩き出した時には、もうあの居心地の悪い空気は完全に払拭されていた。

 私にはもう二人しかいないんだから、大切にしないと。

 地面に枝を突き立てられた地点まで来ると、レンジュは一歩別の道へ入って私を振り返った。

「じゃあ、俺はこっちで薬になる植物を探してくるから。イサナはいつも通り薪と果実を集めてきて」

「うん。気をつけてね」

 私がそう言うと、レンジュは歯を見せて笑った。

「俺たちの中で一番危なっかしいのはイサナだよ」

 彼と別れると、私は晴れやかな気持ちで瑞々しい果実を集めることができた。予想外の話をすることにはなったが、結果的に仲直りすることができたのは心から嬉しかった。


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