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十日目(三)

 マヅチは私が落ち着くのを待ってから、私と倒木の上に並んで腰かけた。

 まず私は、幼い頃、私が父親にぶたれるようになった経緯を説明することにした。そこから話すべきだと思ったから。でも、自分の中の異質さを進んでマヅチに伝えようとしたことは今までなかった。だから話すのはとても怖かったし、この上もない抵抗があった。

 そんな私に、マヅチは怖がらないでいいと、また心を読んだように優しく慰めてくれた。私の手を握って、私が話すのをそっと促してくれた。彼の優しさに応えるためにも、もう話さないわけにはいかなかった。

 毎晩思い出したくもない過去を思い出しては泣いていたから、記憶の整理はすでに済んでいて、すらすらと伝えることができた。

「それでイサナの両親は離婚したんだな」

「うん」

 リストラもその一因だったとはいえ、私の異質さに端を発する暴力がきっかけで離婚することになったのだから、両親の離婚の原因は私にもある。

「父親がいなくなって、少しは楽になったのか?」

 マヅチは遠慮なく尋ねた。それだけ私のことを深く知ろうとしてくれているのかもしれない。そこは素直に嬉しかった。

 でも、私はうまく答えられなかった。父親がいなくなったことで私の不幸は多少緩和されたのかもしれないが、決して「楽になった」と感じたことはなかったから。

「わからない。マシにはなっていたかもしれないけど、それでも、実の父親だから……」

 あんな扱いを受けても、まだ私は父親を父親だと思っていたのだろうか。

「そうか……」

 マヅチはそれ以上掘り下げようとはしなかった。

 気遣われた沈黙の気がして、私は説明を続けた。

 母親と二人で暮らすようになっても、私の精神は崩れていく一方だった。周りの人が全て自分とは違うのだと思うと、敵に見えて、拒絶したくなって、そしてクラスの子も教師も、母親でさえも、みんな私は無視した。

「なるほど……イサナの学校での様子がおかしくなったのは両親が離婚したって聞いた後だったから、何か関係しているとは思っていたが」

 マヅチは悩ましそうに膝の上で頬杖をついた。

「みんな自分とは違う。自分だけが異質、か……」

 彼はしばらく目を閉じて黙考していた。

「……マヅチ?」

 あまりにも長い間目を閉じているので私が声をかけると、彼は「うーん」と呻いた。

「いや、もうちょっとで具体的に想像できそうだったんだけど、どうしてもこれ以上進まないんだよなぁ」

「うん、いいよ。理解しようとしてくれるだけでも嬉しいから。ありがとう」

 マヅチは銀粉を散らした紺碧の空を感慨深げに見上げた。

「まさかそんなことを考えていたとはなー。当時の俺は、イサナがそこまで悩んでいたなんて全然気付けていなかったよ。ただ、追いかけて声をかけるのに必死でさ」

 そう。私がそうするように、みんなが私を無視する中で、マヅチだけは私に声をかけ続けた。何度振り払っても執拗に追いかけてきて、外で遊ぼうとか校内を回ろうとか、勝手に手を取って歩き出すこともあって、とにかく私に付きまとった。

「ねえ、マヅチ。あの頃、どうしてマヅチは私のこと執拗に追いかけ回してきたの? 正直最初は、こんなに嫌な子だったんだ、って思ったんだけど」

「やっぱり嫌われてたよな、自覚してたよ」

 マヅチは声を立てて笑った。

「でもさ、例えそれまでは家が近くて幼稚園の頃はたまに遊んでいた、ってくらいの仲でも、いきなり人を無視するようになった友達を、他の奴らと同じように無視するなんて俺にはできなかったんだよ。ここであの子を助けなかったら、何だか俺の中の何かがすっごいつまんないものになっちゃう、みたいな気がして」

「ふーん。やっぱりマヅチは、昔からバカがつくほどの正義漢だったんだね」

「バカはやめてくれよ」

 マヅチは笑いながら言った。

「それに、イサナに話しかけていたのは俺だけじゃないだろ? 別に俺がイサナに話しかけに行こうって誘ったわけじゃないぞ」

「うん、だからレンジュもバカなんだよ、きっと」

 私が学校で孤立するようになって少ししてから、レンジュは転校してきた。私のクラスだった。熱帯の島で生まれ育った、半分日本人の血を引く浅黒い男の子で、容姿からも、頭のよさや抜群の運動神経からも、とにかく目立った。彼はすぐに学校中の人気者になった。

 そして学校での私の立場を悟っても、意に介さず自分の好きなように振る舞い、マヅチと共に私に話しかけにきた。

 その影響を受けてか、一時期、他の子も私に話しかけにくることが増えたが、マヅチやレンジュほど無視されても根気よく声をかけ続ける人はいなかった。

 私たち三人の仲が深まったのはこの頃だった。私が学校に通い続けていられたのは、もしかしたら心のどこかで、その日もまた二人から声をかけられることを期待していたからかもしれない。

 でも、私の人生はつくづく災いだらけだった。

 マヅチは私が一部の女子から嫌がらせを受けていたことを知っている。でも、私はそのことについて、あまり二人には話さなかった。

 だから、今が当時感じた自分の気持ちを全て話すべき時だと私は思った。

 私は今までマヅチやレンジュに話していなかったところまで、子細に渡って話した。

「――それでね、私はあの嫌がらせで、自分がみんなとは違うんだってことを改めて痛感したの……自分の異質さは人を怖がらせて、平気で人を傷つけられるような恐ろしい人間に変えちゃうんだってことも」

 まあ、それ以上に自分の心が粉々に砕かれちゃったんだけどね。

 思わず、また涙が出そうになってしまった。

「あいつら、そんなことまでしてたのか……」

 マヅチの言葉は、憤りではなく、悲しみに沈んでいた。彼の優しさは、心のずっと奥の方の核に強く根差しているようだった。

 私は続けた。

「それから、私の頭の中は自分でも自覚できるほど狂っちゃったの。元からおかしかったんだろうけど、それまでとは比べようもないくらいの鬱状態になって、夜は本当に……心が裂けそうだった」

 自然とトーンが落ちた。

 私は疼き始めた胸を押さえた。「思い出すな」と心が喚いている。

「あの日、イサナが死のうとしたのって……」

 私は頷いた。

「うん……頭も心も、限界だったの」


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