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しょんぼり。はるかはとにかくしょんぼりしていた。
「ああ?てめえどこチューだ」
「ハアン!?ネズミかてめぇはぁ!?」
「うわあ乱闘だあ!」
「受験当日だぞ!何考えてんだ!?」
「やっぱあそこ入るのバカばっーーー」
教えられた通りがんばって受験会場までやってきたはるかは、時間になってじぶんの順番になるまで隅っこのパイプ椅子にちょこんと座っていた。
ーーーやーん。
はるかは暴れ回る受験生(?)の喧騒などまったく気にもならず、今この場にいない愛しい彼の姿を思い浮かべていた。
ーーーはつやあ。さみしー。
支倉の屋敷内でずうっと彼と二人きりで過ごしていたはるかにとって、支倉のいない空間がこんなにつまらないものなのか、とがっかりした。
ぷう。と一息つきながらふわふわの白い毛玉のついた時計を見る。まだ時間に余裕がある。ついでにフスフスと時計の匂いを嗅いだ。時計は支倉がもたせてくれたものだ。人間になったはるかには、未だに犬の感覚の残滓が残っていた。支倉が触れた場所に特に鼻をくっつけ、より強く彼の匂いを感じようと大きく吸い込んだ。時間とともに消えゆく支倉の匂い。
あのほわほわで、ぽかぽかの、らぶらぶな気持ちでおっぱいがきゅーてなる匂い。
はるかは身体に染み付いた大好きな感覚を思い起こし、なんだかしやわせな気もちになってうふふーと一人で笑った。
ーーーな、何で、あんな美少女があそこをーーー
自らの受験票を握りしめ、柏杉広部は遠目ではるかの姿に見入っていた。微妙にキラキラしたネーミングでもあるようなないような。イマイチはっきりしないイマイチ冴えない容姿の中肉中背な男は、頭脳にだけは恵まれていて、幾つかの滑り止めの合格通知を既に受け終わった余裕の身の上であった。それがなぜここに居るのか。
公立色々高校。まだ新しく出来たばかりの、ひどく投げやりな名前のそれは本当に存在するのだ。その名の通り、一般人からヤンキーまで、本当に色々な人種が存在するのだ。校長の方針としてどんな生徒も一度入れたら最後まで面倒を見るとの男気。最近ではオカマに走ったとか妙な噂が蔓延っているが、それはまあ後で。そんな懐の大きな学校は男子校、であった。過去形である理由じゃ、本年度から共学へと改めたからである。つまり、女子生徒の募集も始めたのだ。
愚策である。色々高校の方針は聞こえはいいが、取り込んだ害悪による事件沙汰の数々は男子でさえ行く気の失せる悪評ぶりである。不良どもをのさばらせた結果、僅かに残っていた普通の生徒たちが退学中退に追いやられていると聞いた。これはオカマ説より信ぴょう性がある。現にこうして受験当日に心象を悪くするどころじゃない暴力行為を引き起こしているのだから。これも噂だが、自分の名前が漢字でしっかり書けてさえいればご立派上等、合格花丸なのだという。そんなバカみたいな話があるか。憤慨する広部。不良どもとは縁遠いであろう彼がなぜここに居るのか。
長高。シンプルな二文字で略された正式名私立長末幸高校は、有名大学合格者を輩出するトップクラスの進学校である。しかしそんな天地差ほどもある偏差値に開きのある2校の名が連なり上がったのはどうしてかというと。
最も忌まわしき紛れもない事実は、色々高校と長高の校長同士が往年の大親友だからである。
色々高校は生徒たちの尻拭い。長高は優秀な生徒の育成で忙しく、中々会える機会がない。そこで受験のタイミングを合わせることで、近しくなった彼らは生徒そっちのけで遊びに出かけられるのだ。色々高校は噂のテスト内容から。長高はその知名度から募集もかけずにその類の人種が勝手に集まってくるのだ。
そんな広部もエリートブランドに引き寄せられた一人であり、かつここが大本命の受験先であった。広部は堅実に、エリート校を受け将来へ役立てるように、地道に努力を重ねここまでやってきたのだ。筆記だけなら確実に合格できる自信があった。残るは最終面接のみ。突出したアピールポイントが薄い分、広部にとっては不利ではあったが、対策は決して怠らず、面接練習の積み重ねによってどんな問いかけにも答えられるようになっていた。あとは自分の番を待つだけなのだ。
「てめえおるぅうあ!」
「んんだオラ、XXXのXXXでXXXヤローがあ!」
くそ、何でこの僕がこんな奴らと同じ空間にいなけりゃならんのだ。
口汚く罵る応酬を各所で繰り返すは色々高校受験志望者である。いや、そうとしか思えない。高校受験で暴れ始めるバカが他にいるものか。
広部は不良どもを心底見下していた。こんな、世を害する者共はさっさとくたばれとも思っていた。広部は冴えない容姿に加え、全体的に貧相な体つきで、ヤンキーなどに絡まれれば、カツアゲパシリの格好の的なのである。実際広部には苦い経験があった。そのため不届きもの全般を憎らしく思っていたのだ。
広部はこの受験会場を最後に、二度と色々高校と関わり合いになることはないだろうと思った。人生計画は行き届いている。
これから長高へ受かって、勉学に励み、あと女の子と青春するんだ、と。
長高は女子のレベルも高い。後半の欲望が大きな原動力になっているということは彼だけの秘密である。
「では、次の方ーーー番号ーーー」
アナウンスが広部の受験番号を読み上げた。いざ立ち上がり面接に臨む。はずが。
かわい、い。
いつ現れたのか。
色々高校の受験希望者共がちらほら喧嘩し始めている最中。広部を含め、長高受験希望者達は遠巻きで縮こまりながら彼奴等の迷惑ぶりに顔をしかめていた。
彼女はいた。色々高校の受験会場に。
真っ白だった。長く量のある髪の毛もパチパチ瞬く睫毛も、どこの中学のものなのかリボンもスカートもソックスも靴下も、手に持つ鞄さえも白で統一されていた。
ーーー天使だ。
広部は雷で打たれたような恋とはまさにこのことか、と衝撃に打ち震えた。
ーーーえ?
そんな彼女の座る席。
何故。
そこは色々高校の受験会場じゃないか。
まさか、共学の女子希望者とでもいうのか。
そんな。あんな子があんな奴らの群れの中に。
「柏杉さん。柏杉広部さん、いらっしゃいませんか」
アナウンスが名指しで該当人物を呼び募る。何度か名を繰り返すも、一向に名乗り出る気配はなく、アナウンスは諦め仕方なく次の方、と飛ばし読み始めた。
色々高校は本当に色々フリーダムである。途中参加だって全然OKだ。手ぶらで来たっておいでませ。
だからこそ、有名高の受験票を破り捨て、さんざんこき下ろしていた悪名高校への受験に臨む広部だって、色々高校は受け入れるのだ。
「ーーー真白はるかさん、どうぞお入りください」
はるかには苗字がない。元犬であるので当たり前だが、諸々の場合に必要なので、見たまま支倉が名付けてやった。苗字を支倉で揃えても良かったが、近い未来、違う苗字を自分の苗字にする彼個人のしょうもない楽しみのためにあえて名付けていた。
「はいっ!」
ましろ、ましろ、ましろのはるか。
受験対策に過去問を解くでもなく、はるかが待っている間に反芻していたのは自分の苗字だった。
支倉には名前もつけてもらった。そして苗字。支倉からもらったものは大切に大切に、忘れないように覚えるのだ。
元気よくお返事しながら、はるかはちょっと緊張しながら面接室の扉を開けた。
「しつれいします!」
支倉に教えられた通りに入室したはるかの目の前には、気怠そうに椅子に深くもたれる中年がいた。
「はあい、どーぞ」
あくび交じりに試験官に促され、支倉との練習の時とは随分様子が違うことに内心首を傾げながらも、はるかはまた元気よくしつれいします!と声をあげ、対面するように置かれたパイプ椅子に腰掛けた。
「おっきな声で元気だね〜合格!」
「えっ?」
面接官は席に着いたばかりのはるかを指差すと、前触れなく合格通知を言い渡した。
色々高校はこの度共学に改まった。男子校を貫いていた当校の方針が変わったのは何故なのか。
単純になんとなくである。なんとなく女子いたらいいなーと思いつき、その思いのまま共学へと踏み切ったのである。
まあぶっちゃけノリだったので、年々悪い評判ばかり聞く男どもが集う場所に、好き好んでやって来る女子が来るとは思いもよらなかったのだ。
だが、来た。
どう考えてもこんな所に来るはずないような女子だった。いや、女子というより随分幼げな、女の子といった方が正しいだろうか。まあそれはそうとして、その上にすごく可愛らしい、そんな子が来るとはまあ、驚きである。そんなわけで即決である。
この子が最後の受験者であった。唯一無二の女子生徒の誕生である。
「ほんとにごーかく?」
はるかは思わず砕けた口調で聞き返してしまい、いけない!と手で口を覆った。せんせにはちゃんとですますつけないとダメってはつやに言われたんだった!とはるかは自分のうっかりを反省した。
「そーそ。ごーかく。今日からうちの学校の子になるんだよ」
面接官ははるかの失態など意にも介さないといった風で、同じようにくだけた調子で再度合格である事実を告げた。
「やったあ!ごーかく!」
きゃあ!とついに面接官の前ではしゃいでしまったが、面接官はやはりはるかを咎めなかった。
「おめでとー。じゃ、早速だけど、今日からここがおうちになるから、案内してあげるね」
どっこいしょ、と腰を持ち上げた面接官は、はしゃぐはるかにそう言った。
「改めて、色々高校校長の男坂道尾です。よろしくどーぞ」
男のひとがいっぱい!
ついてきてー、とだるそうに顎をしゃくる男坂の後を素直についていくはるか。
異例の合格通知を言い渡したため、本来の入学よりも早くはるかは校内を歩き回ることができる。
部活動や大学受験に備え自習する在校生がまだ校内にはちらほらと残っていた。
まるで時間が止まったかのように、はるかを見た生徒達は身体を硬直させ食い入るように彼女の姿を凝視した。
ーーーえ、女?
ーーーなんで女の子?
ーーー女子!やべえ女子がいる!!
生徒達は突如現れた紅一点に驚愕する。それぞれ感想を心中で漏らしながら、共通して思った。
ーーーすげえかわいい!
はるかは見るもの全てが珍しくて、くるくると忙しそうにあっちを向いたりこっちを向いたり。よそ見しすぎて男坂の背が遠のいてしまうのを慌てて追いかけるのを繰り返した。
「こーちょせんせい、どこにいくんですか?」
とてて、と小走りで男坂に追いつきながらはるかは質問した。先ほどから男坂は一向に歩みを止めない。いくつもの部屋や横道を通り過ぎてばかりいる。今歩いているのは色々高校の校舎の特徴のひとつ、長い長い廊下の一本道である。教室の半分ほどもある広い幅と、どこまでも続きかねない(実際は非常口まである)長距離から、イロコーシルクロードとも呼ばれ親しまれている。そんなシルクロードはあみだくじのように枝分かれする細い通路がある。そこから各教室、体育館、学生寮などへ繋がっているのだ。
はるかが面接を受けた場である予備の空き教室はちょうどこの廊下の端にあたる。そこから反対側の非常口までは逃げる人のマークが見えないほど距離があり、教室を五つ六つ飛ばしてようやく有名な緑のロゴが確認できるのだ。はるかは目が良いので、二つ三つからでも見ることができるが、五つ六つどころか十も超えても、男坂は歩き続けている。
知らないおじさんについていっちゃだめだぞ、と支倉には言い含められていたが、そこまでおじさんというほど年老いて見えないし、校長先生と言っていたし、悪いひとには思えなかったので、はるかはちょっと疲れてきても我慢してついていった。
「お、ここよここ」
急に男坂は立ち止まると、身を翻し方向転換した。先ほどよそ見して小走りで追いかけた直後のことで、いきなりぶつかりそうになったはるかは手をばたつかせてなんとか接触事故を回避した。
直角に身体を向けた男坂の目の前には、教室でも通路でもなく、何も書かれていない紙が一枚白い画鋲で留めてあった掲示板のある壁であった。
「はるかちゃん、ここめくってごらん」
「?」
男坂がその白い髪を指し示したので、言われるがままめくってみる。
「なあに?」
「その赤いところ、ぽちっとしてごらん」
「ぽち!」
めくった先には、壁に埋め込まれ突起が目立たぬようになっていた赤いボタンのようなものがあった。言われた通り押してみるが、なんら変化は見られない。
「??」
「ほい」
「はわ!?」
その後ろからにゅっと男坂の腕が伸び、ボタンごと掌で壁を押した。
ぱたん!
忍者屋敷のからくり扉のように、壁の一区画は反転し、はるかもろとも壁奥へ追いやられていった。
色々高校には校舎にも仕掛けが色々ある。以外と器用な男坂が手がけたその仕掛けは全てひとつの場所へと繋がっていた。
色々高校は近年稀に見る不良の巣窟として有名である。
が、あくまでそれはオモテ向きの話。
そもそもが不良の溜まり場とエリート輩出高が受験会場を隣り合わせるなどありえないのだ。校長同士の懇意だけで成り立つわけはない。当然、お互いの利害を一致させることが目的である。
オモテ向きーーー一般受験の各校は、ごく普通に受験を行い、合否の結果に応じて晴れて一生徒となるわけだが。
「ひろーい!それにとってもきれい!」
色々高校は治安の悪さから、校舎そのものも清潔とはいえない。あちこち落書きやチリゴミが蔓延している。はるかも通りながらばっちい!と気分を良くしない場面も多々あった。
からくり扉の先にあったのは、まるで別世界が広がっていた。
整えられた庭木や花々が道を作り、その先にはお城かと見紛う立派な校舎がそびえ建っていた。
ウラーーーというか色々高校が本腰を入れているここは、長高の合格をはるかのように一声で言い渡された、かつ裕福な家庭であり、一芸に秀でた、出来杉くんたちが集結している学び舎である。
所謂選ばれた彼らが何故不良校の中にあるのか。それは彼らの血筋が大きな理由である。
裕福な、といってもただの成金の子ではない。政治、経済に多大な影響力のある要人の子である。
そんな選ばれし彼らが群衆の中に一人いればどうなるか。
注目の的であることは勿論、妬み、嫉み悪感情を向けられる対象に選ばれるのが必至である。未来を担う重要な芽をつまらぬ奴らに手折られるなどあってはならないのだ。優秀な者は一つに集め、守り、育てる。それがウラの目的であった。が、それを行うための場所がない。どこかに良いところはないか、と秘密裏に探りを入れていた。
下等市民に知られず、安全に育成できるいい隠れ蓑はないかと。
色々高校が早々に不良の巣窟と化したのは、ひとえに男坂の怠慢である。
往年の親友の長高校長、女定メルは男坂がこのままでは経営破綻してしまうのではないかと心配した。
幼少期からちゃらんぽらんな性格が治るのは無理。メルはなんとか不良校でも有効活用できて、男坂が美味しい思いができるような上手いことがないか模索した。男坂もメルも独り。男坂のためにお膳立てしてやる理由。メルが男坂に惚れているからというわかりやすい理由の元、自身の高校運営の片手間に探していたのが運良く、そのエリート集結高校の場所探しの噂までたどり着いたのである。
すぐさま色々高校を斡旋する。不良高の悪評が一般人を寄せ付けないのが功を奏し、二つ返事で契約はまかり通った。
財界人の手を持って急速に作られた校舎は地下深くに作られた。何かあっては困るため、色々高校へ繋がる非常口も作った。それを任されたのは男坂であり、ただヘラヘラ受け入れる傀儡ではいけないと、少ない男坂の長所を活かした結果忍者屋敷の出来上がりである。これはこれで面白い、と子供達に好評だったため、男坂の要人たちからの評価はうなぎのぼりともうけものだった。
男坂は何事も面白ければそれでいい、ただ自分の気分次第であるという唯我独尊ぶりであったが、この案は面白い、と乗り気であり、メルの努力も報われる形となった。メル自身の気持ちに関してはまだまだ遠いままであったが。
メルがギブアンドギブ、男坂がテイクアンドテイクの関係は長いこと続いているが、利害関係も何も、惚れた相手に満足してもらえれば利であり、惚れられた相手も面白そうじゃんと楽しみができたので、やはりギブアンドテイクかもしれない。
はるかはそんなウラの場所に連れてこられたわけだが、要人の子供でもなく、元々ピレネーマウンテンドッグなので人間ですらない。
それが何故案内されたかというと。
「こーちょせんせ、ここはなあに?」
「ここはねー、学校だよー」
「?さっきのところじゃないの?」
「はるかちゃんがお勉強するところはさっきのところだよー。もうちょっと先までまた歩くよー」
「どこにゆくの?」
「はるかちゃんがお勉強するのに必要なおうちだよー」
色々高校も全寮制、このウラ校舎もそうである。オモテの生徒は離れにある学生寮へ。しかしこれは希望制に改定された。厄介払いしたい両親が寮へ隔離しようとした結果、寮にも不良の多くが暮らすようになってしまい、身の危険を一般生徒が訴えたからである。
さすがに女の子のはるかにそこへ移るとは言い難い。しかし志望動機には寮を希望すると書いてあった。合格させたなら、要望は叶えてやりたい。そこでウラ校舎の寮を思い至ったのだ。
エリート集結といっても、まだまだ募集中とのことで、校舎も量も多めに作られていて、空き部屋も実はかなり余分にある。ウラ生徒たちはそれを良いことに、空いた部屋を自分のプライベート空間の一つとして利用したり、共用ルームとしてシェアしたり好き勝手利用している。はるかが一部屋貰っても十分な部屋数なのだ。
しかし女の子だから、という最もな理由よりも、男坂には別の企みがあってはるかを連れてきていた。
「あいつの嫌がらせにちょうどいーわ」
「何かゆった?」
「ううん、なんでも。さー、もうちょっと歩こうか?」