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5.攻守逆転

 気詰まりな沈黙の後、エレノアはレオンハルトを庭に誘った。

 立派な調度品で整えられた応接間に収まった彼女は、なぜか息苦しそうだった。身なりや物腰だけを見れば完璧な公爵令嬢なのに、そんな自分に飽き飽きしているような印象を覚える。


「天気も良いことですし、外を散策しませんか?」

「構いませんよ。お供しましょう」


 レオンハルトが鷹揚に頷くと、彼女は小さく唇を開き安堵の息をついた。

 玄関ホールに控えていた一人の従者が、ひっそりと影のようにエレノアに付き添う。

 過保護な公爵は一人娘を監視から外すつもりはないらしい。

 

 ランズボトム家のタウンハウスの庭は、それは見事だった。

 トランデシル領にある本屋敷の庭もかなりのものだと思っていたが、それは本職の庭師を数名雇っているからだ。敷地面積の限られるタウンハウスでここまで整えられた庭を持つ家はそう多くない気がする。

 芝は一枚布のように滑らかに刈り揃えられ、休憩用の木製ベンチの近くには大きな薔薇のアーチがいくつも並んでいる。花殻は丁寧に摘まれ、白い小ぶりの花が可憐に咲き誇っていた。

 実を言うと、レオンハルトは薔薇があまり好きではない。香りが強すぎるし、なんといっても棘が最悪だ。この白い薔薇からはそうきつい匂いはしないのが救いだった。

 上着にみっともないかぎ裂きを作るまいと肩に力を入れたレオンハルトを見上げ、エレノアは微笑んだ。


「大丈夫です。この蔓バラに棘はありません」

「そうですか」


 無意識のうちの行動を見逃さないエレノアを忌々しく思いながら、レオンハルトはそっけなく答えた。洞察力にはそれなりの自信があるが、彼女も負けていない。

 再び沈黙が訪れる。アーチを数本潜った先は、石畳の小道だった。足元には丈の短い柔らかそうな草と紫色の小花、その奥には葉の茂った樹木が植えられている。足を止めて見渡せば、さりげないようでいて計算され尽くされた花園が浮かんできた。


「この庭は、貴女が?」

「ええ。下男のような真似をするなと父には叱られていますが、庭いじりが趣味なので」


 パーティというパーティに出席して多くの男との醜聞を撒き散らすならともかく、自宅の庭を美しく整えて叱られるとは。ランズボトム公爵の完璧主義に内心眉をひそめる。

 庭師を雇う手間が省けて良さそうなものだ。エレノアは外では淑女らしく振る舞い、公爵令嬢にふさわしい外面を保っている。それで充分ではないか。


「だから、家を出たいのですか?」


 レオンハルトが率直に問うと、エレノアはわずかの間俊巡した後、小さく首を振った。


「それだけではありませんわ。年がきたからです」

「年が」


 腑に落ちず、彼女の言葉を繰り返す。

 確かに幾分年増かもしれないが、そうは見えない容色を誇るエレノアの口から出ると奇妙に聞こえる。

 エレノアは物分りの悪い間抜けを相手にしているような態度で、慇懃に説明した。


「有り体にいえば、行き遅れだからです。このまま家に留まれば、いい笑い者ですわ。人がどう言おうと構わないと開き直るには、私の肩書きは立派過ぎました」


 国王の元婚約者候補であり、三大公爵家の正統な姫。そんなレッテルがエレノアには一生ついて回る。

 もっと身分の低い貴族子女であれば、独身女性でも尊敬を払われる職業婦人となる道もあったのだが、生まれは変えられない。長年待った挙句、国王に選ばれなかった敗残者。それがエレノアだ。


「では、本当に他の求婚者はいない、と?」


 レオンハルトは念を押してみた。

 熱に浮かされた若造と馬鹿げた恋の鞘当てを繰り広げるのは真っ平だ。

 明るい日の下で改めて見てみれば、エレノアは本当に美しい娘だった。たっぷりとした褐色の髪は絹糸のように煌いている。ほっそりした白い首に一筋の後れ毛が落ちているのがまた色っぽい。豊かな胸を強調する折れそうに細い腰。レオンハルトが接してきた数多の女性の中でも、トップクラスの容姿だ。王妃にふさわしい気品もある。

 先の戦争がなければ、リセアネではなく彼女の前に跪くことになっただろう。

 エレノアは庭に出て初めて、まっすぐ彼の目を見た。眩い陽光の刺激のせいで、黒目がちの瞳はわずかに潤んでいる。

 これまでレオンハルトに群がってきた女達がこんな目を彼に向けたことは一度もなかった。女性からの崇拝と賛美に慣れている彼は、エレノアの瞳に浮かぶ負の色にたじろいだ。かろうじて態度に出さずにはいられたが、落ち着かなくなる。

 侮蔑? それとも怒り?

 とにかく己の質問が彼女の逆鱗を掠めてしまったことは間違いない。

 ――これだから女は面倒なのだ。

 溜息をつきたい気持ちを理性で抑え込み、レオンハルトは辛抱強く返答を待った。


「誓っておりませんわ」


 エレノアは渋々答えた。


「それは好都合だ」


 ただ知りたかったから尋ねただけなのだが、エレノアの打ち沈んだ声色にレオンハルトは早口になった。これ以上彼女の崇拝者について話すのは止めた方が良さそうだ。


「私は貴女を妻にしたい。父君にはすでに許可を頂きました。貴女も賛同して頂けますか?」


 数メートル離れて着いてきていた従者から、変な声がした。素早く振り向くと、護衛役にしては線の細い青年が拳を口に当て何度も咳払いをしている。

 エレノアに視線を戻すと、彼女はあっけに取られた顔でレオンハルトを凝視してきた。


「何か?」


 そんなに変なことを言っただろうか。

 レオンハルトが不機嫌さを滲ませた声で短く問うと、彼女は油の切れたゼンマイ仕掛けのような動きで首を振った。


「い、いいえ。――ただ、あの。非常に事務的な申し込み(プロポーズ)だと驚いてしまって」


 そういうことか。レオンハルトはうっすら笑みを浮かべた。

 エレノアも世の女性のように、分かりやすい愛の言葉とやらを望んでいるのか。言いようのない落胆が胸にじわりと黒い染みを落とす。


「これは失敬。仮にも求婚中の身なのですから、片膝をついて愛を囁くべきでしたね」


 皮肉交じりの返答に、エレノアはどう答えるか。興味を抑えきれず、言わずもがななことを口にしてしまう。レオンハルトが居住まいを正し、礼儀に則って膝を折りかけたところで、彼女は鈴の音のような笑い声を立てた。

 驚愕で全ての動作が止まる。

 エレノアは扇で口元を隠し、ぽかんとしたレオンハルトから視線を逸らした。だが笑いの発作は止まらないようで、小刻みに肩は震えている。


「ご、ごめんなさい。……あの、分かりました」

「は?」

「求婚をお受けしますわ、トランデシル様」


 エレノアは先程までの憂鬱さを拭い去り、いっそ晴れやかな顔つきでレオンハルトの武骨な申し出を受けた。


「……話が早いのは助かるが、なぜ笑ったのか聞いても?」


 主導権は確かにこちらにあった筈だった。レオンハルトには選択肢がある。エレノアにはない。

 どうしても彼女でなくてはならないということも無かった。主であるグレアムが到く褒めていた娘だし、父親は縁戚を望むに相応しい有力者だ。条件が良かったから、一番最初に求婚しただけだ。

 それなのに、何故か彼女に追い込まれたような気分になる。


「率直に申し上げれば――」


 エレノアは微笑んだ。茶目っ気を含んだ明るい笑みは、特に親しい相手にしか向けられないものだった。そんなことは知る由もないレオンハルトだったが、無邪気な表情に毒気を抜かれてしまう。


「取引相手に充分な方だと判断したのです。常々、結婚は契約だと考えておりました。私はお互いにとって平等な取り決めを貴殿に要求します。それでもよろしくて?」


 自分から切り出すつもりだった文言を、まっすぐ喉元に突きつけられる。

 どこまでもたおやかな視線に縫い止められ、レオンハルトは動揺した。

 とっさに返事が出来ず黙ってしまった彼を、エレノアは哀れみの籠った眼差しで包んだ。


「トランデシル様が、妻からの献身的で一途な愛情を望んでいらっしゃるのなら、このお話は白紙に戻した方がいいと思いますわ。どうかゆっくりお考えになって」


 優しく駄目押しし、エレノアは踵を返した。


「お客様がお帰りよ。丁重にお見送りするよう皆に伝えて」


 彼女は背後に控えていた従者に声をかけると、そのまま庭の奥へと消えた。

 毅然と伸ばされた華奢な背中を、レオンハルトは見送ることしか出来なかった。




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