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4.駆け引き開始

 夜会の翌朝。

 ランズボトム家が所有しているタウンハウスは静まり返っていた。

 日をまたいで帰宅した主人らを寝かせておく為、使用人たちも大きな音を立てないよう配慮している。

 先月までエレノアは、この時間には起き出して王立研究所へと向かっていた。朝一番で記録を取りたい項目は沢山あったからだ。

 染み付いた習性はなかなか抜けないようで、今日も淑女らしからぬ早起きをしてしまう。

 メイドを呼ぶ為の呼び鈴に手を伸ばしかけ、エレノアは思い直した。修道女になれば自分で自分の世話をしなくてはならない。今から慣れておく必要があるだろう。幸い、エレノアは不器用な方ではなかった。少し練習すれば、着替えも髪の手入れも洗濯も一人で出来るようになるはずだ。

 後ろボタンのずらりと並んだ上品なドレスを押しやり、着やすく簡素なディドレスを選ぶ。村娘のようだ、と父には不評な一着だった。エレノアの本来の好みには合っている。『公爵令嬢らしく』振舞わなくてはいけない理由は、もうどこにもない。

 

 睡眠不足のせいで頭が重い。エレノアは鏡台の前で長い髪を編み込みながら、ぼんやり昨夜の出来事を反芻した。

 王城で開かれた夜会は今までのパーティと違い、そこまで最低ではなかった。

 リセアネ王妃に胸の内を明かすことが出来たし、彼女が連れ出してくれたお陰でそう長い間壁に張り付かずに済んだ。しかも昨夜は、ダンスの申し込みがあったのだ。いつもは弟と最初のダンスを踊って終わりなのに。

 更に驚くべきことに申し込んできた相手は、若い令嬢方に圧倒的な人気を誇る王国の盾・トランデシル伯爵だった。


「一曲お相手願えますか」


 甘みを帯びた低すぎない声が降ってきた時、エレノアは信じられず、すぐに言葉を返すことが出来なかった。

 彼がダルシーザから戻ってきた件は小耳に挟んでいる。花嫁を探す為の帰国だと噂されていた。主であるグレアム王に合わせ長らく独身を貫いてきた氷の猛将殿も、ついに妻を娶るのだと。

 所詮、噂は噂なのだろうか。

 戸惑いながら、伯爵の黒い瞳を見上げる。

 彼は辛抱強くエレノアの返事を待っていた。


「……私でよろしければ」

「もちろん、貴女がいいのです」


 レオンハルトが薄く微笑むと、遠巻きにこちらを窺っていたご婦人方の間から溜息が漏れた。落胆の色を帯びた周囲の反応に、エレノアはますます困惑した。


「では、お手を」


 ファインツゲルトとの小競り合いを抑える為、王国軍を率いて国境に滞在することが多かったトランデシル伯爵は滅多に社交界へ顔を出さなかった。エレノアも、王の婚約者候補時代に幾度か顔を合わせたくらいだ。ダンスを踊れるかどうかも知らない。足を踏まれないよう気をつけなくては。

 面倒なことになった。エレノアは億劫な気持ちを押し隠し、彼の硬い腕に手をかけた。すらりとした細身の体躯が決して見た目通りでないことを、エレノアは指先から感じ取った。

 レオンハルトは整った顔だちの美丈夫だ。長めの前髪を二つわけにし、耳から後ろは短く整えている。さらり、と流れるこげ茶色の髪越しに見える横顔は、ひどく魅力的だった。三十を大きく越えているとはとても思えない若々しい美貌に、エレノアは毒づきたくなった。

 適齢期の長い男性が羨ましい。

 レオンハルトは振る舞いもダンスも、文句のつけようがないほど完璧だった。そのこともエレノアを惨めにさせた。

 精一杯の矜持をかき集め、舞い上がってはいないが楽しそうに見える絶妙な表情をこしらえる。

 レオンハルトは無礼の域を超えない程度の熱心さで、エレノアを見つめた。彼女が18の小娘だったならば、ころりと恋に落ちていただろう。しかしエレノアは、27になっていた。残念なことに、様々な思惑を嗅ぎ分けられるようになっている。彼は紳士として、エレノアに恥をかかせないよう振舞っているのだ。

 

 一曲終わったので丁寧に礼を述べ、エレノアはその場を離れようとした。

 ところがレオンハルトは、その後もずっと彼女に付き添った。

 女嫌いで有名な伯爵が、行き遅れの公爵令嬢をエスコートしている。参加者たちは唖然としていた。

 さりげなく飲み物を取ってきたり、椅子のある場所へ誘導したり。初めは警戒していたエレノアも、押し付けがましさのない乾いた気遣いに好感を抱いた。

 陛下の信が厚い彼のことだ。それとなく王に頼まれたのかもしれない。

 王立研究所を離れると伝えた時、グレアム王は申し訳なさそうな顔をしていた。納得できる理由を見つけ、肩の力を抜く。


「ご親切に感謝します」


 隙を見て、小声で伝える。レオンハルトはわずかに眉をあげ、それから「いいえ」と短く答えた。

 社交界にありがちな大げさな賛美を口にしない彼を、エレノアは友人として受け入れることにした。

 流石に見過ごせなくなったのだろう。エレノアの母が近づいてきても、彼は引かなかった。

 母を交えた三人で、当たり障りのない話を広げていく。意外なことに、レオンハルトはなかなかの聞き上手だった。率直な語り口だが、話も面白い。

 彼が立ち去った後、母は「寂しくなるわ」とエレノアの手を握った。

 意味深な台詞の意味を考えているうちにお開きの時間がやってくる。こんなに短いと感じたパーティは、本当に久しぶりだった。

 王城を引き上げる際、父は母を弟に任せ、エレノアと共に馬車へ乗り込んだ。

 今度は何を言われるのだろう。身構えた彼女に向かい、父は何度も唇を湿らせた後、「まあ、悪くはない」と苦々しげに吐き捨てた。

 

 

 昨夜の両親の態度の謎が解けたのは、その日の午後のことだった。

 レオンハルト・トランデシル伯爵が花束を手に、ランズボトム邸までやってきたのだ。


「今、お父様とお話されているわ。じきに貴女も呼ばれるでしょう」


 母はエレノアに告げ、それから眉をひそめた。


「流石にその格好のままは良くないわね。急いで着替えて、エレノア」


 細い指で一つにまとめただけの髪に触れ、公爵夫人はてきぱきとメイドに指示をだし始める。

 最新の流行を取り入れたとっておきのドレスを身にまとい、髪を結い直されたエレノアは、浮き立つメイド達に見送られながら応接間へと向かった。

 流石のエレノアもここまでくれば、レオンハルトの訪問は自分への求婚の為だと分かる。

 だけど、なぜ私?

 父とレオンハルトはあまり良い関係とは言えなかった。今は違うのだろうか。

 政略的な目的があるには違いない。だが、それが何か分からない。

 ダルシーザの復興が成った暁には、レオンハルトは侯爵位を与えられるだろうというのが世間の見方だ。今更、家柄に箔をつける必要はない。わざわざ売れ残りに目をつけずとも、彼はもっと若く愛らしい令嬢を選べる立場にいる。

 内心首を捻りながらエレノアは扉をノックした。


「座りなさい」


 父は渋い顔でエレノアを迎え入れ、レオンハルトに2人きりで会う許可を与えた、と話した。

 エレノアは黙って頷く。すでに結婚を承諾したと言われずに済み、ホッと胸をなでおろした。

 家長の決定は絶対だ。エレノアが父の言いつけに背くことは出来ないし、背こうと思ったこともない。


「分かっていると思うが、娘を泣かせるな。約束を違えた時は、報復に出る。絶対にだ」

「心得ています」


 レオンハルトに物騒な脅し文句を浴びせ、父は部屋を出て行った。

 廊下へ消えていく彼の背中は、珍しく丸まっている。少しだけ開いたままにされた扉を見つめていたエレノアは、衣擦れの音を拾い我に返った。

 向かい側に座っていたはずのレオンハルトが、いつの間にか隣へ移ってきている。

 彼の眼差しは、奇妙な苛立ちを含んでいた。

 これが求婚相手へ向ける瞳だろうか。

 エレノアは確信した。レオンハルトはエレノアを見初めたわけではない。


「……率直にお話しても?」

「はい。なんでしょう」

「私を選んだ理由を教えて下さい」

「それはもちろん――」

「『貴女の美しさに惹かれて』などとは仰らないでね」


 エレノアが先手を打つと、レオンハルトは皮肉げに唇の端を持ち上げ、微笑みを形作った。端正な顔立ちが酷薄さを帯びる。


「これでも精一杯努力したのだが、やはり無理でしたか。ご両親譲りの慧眼をお持ちのようだ」


 昨夜の親切な態度はかりそめのものだ、と直接言われたも同然の返事だ。

 エレノアは半ば投げやりな気持ちで口を開いた。この話が消えても、こちらは痛くも痒くもない。修道女生活が現実味を帯びるだけだ。


「昨夜のあれは、陛下に頼まれたのだと思っておりました」

「ああ、だから礼を。……いいえ、特には。ただ、貴女が困っていたようだったから」


 揶揄するような口調に、カッと頬が熱くなる。

 エレノアは顎をそらし、挑むようにレオンハルトを見つめ返した。長く続くかと思われた睨み合いは、ふい、とレオンハルトが目を逸らしたことで終わった。

 形の良い眉が苛立たしげに寄せられる。

 困惑を滲ませたレオンハルトの表情は、エレノアに不思議な充足感を抱かせた。




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