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3.渡りに船

 大広間の喧騒から逃れたはいいが、まだ夜会は始まったばかり。どこか落ち着ける場所はないかと彷徨い、レオンハルトはようやく静かな居間にたどり着いた。幸い先客はいない。

 使用人たちが夜会の準備室として使ったのかもしれない。予備のテーブルや椅子。ソファーや燭台などが整然と並べられている。

 ここなら当分、誰にも邪魔されず休めるだろう。

 部屋の隅に押しやられた長椅子に目をとめたレオンハルトは、乱暴な手つきで上着を脱ぎ捨て長身を投げ出した。仰向けになり、骨ばった両手で目を覆う。

 まさかこんなことになるとは。

 レオンハルトは己の女性受けする容姿と肩書きを甘く見積もり過ぎていた。

 

 ――()()トランデシル伯爵が、結婚相手を探している。

 

 息子の空返事に気づいたのか、父は根回しを怠らなかった。

 レオンハルトは顔を出すパーティ全てにおいて、年頃の娘を持つ母親たちの猛攻を受けることになった。彼の任地はあまり問題視されていないようだ。

 これまで災厄を免れていたのは、ひとえにレオンハルトが独身主義を貫いていたからに過ぎない。解禁となった今、優良物件として狙われるのも無理のない話なのだが、女嫌いの彼にとっては大いなる誤算だった。

 レオンハルトの予定ではこうだった。

 まず、リストにあげた令嬢達を観察する。気性のさっぱりしていそうな娘を選び、後見人に接触する。許可を貰って当人へ求婚する。いたって単純で合理的な道筋を辿り、妻を娶ってすぐダルシーザへと戻る。

 それがどうしてこうなった。

 

 強い酒でも飲みたい気分だが、再び会場に戻るのは絶対に御免だ。グラスと酒瓶を拝借してくるんだった。レオンハルトは後悔しながら、深々とため息をついた。

 ぎりぎりまで仕事を詰め込んでいた為、ダルシーザからの移動は強行軍だった。身体的な疲労に加え、精神的にもすっかり参っている。居間の内鍵を掛けることを失念したまま、レオンハルトは長椅子に身を沈めた。

 知らぬ間に微睡んでいたらしい。気づいた時には遅かった。

 

 居間に人の気配がする。

 レオンハルトは息をひそめ、肘掛の外に投げ出した足をそうっと絨毯へ下ろした。じりじりと横向きになり、長椅子の中へ身を隠す。

 普通に立ち上がり出ていくという選択肢は、なぜか浮かばなかった。

 寝ぼけていたのか、目論見通りにいかず無様に逃げ隠れている自分が恥ずかしいのか。前者ということにしておきたい。

 こうなったら、出来るだけ早く相手が立ち去ってくれることを願うばかりだ。


「勝手に入ってしまっていいのでしょうか」


 柔らかな女性の声を拾い、レオンハルトはおや、と眉をあげた。

 この声の持ち主なら知っている。アシュトン・ランズボトム宰相閣下のひとり娘。かつてグレアムの妃候補だったエレノア嬢だ。

 彼女は、幼少時から未来の正妃となるべく教育されてきた。グレアムが同盟国から妃を迎え入れると発表した時、エレノア嬢は取り乱すのではないかとレオンハルトは危惧した。

 蓋を開けてみれば、それは全くの杞憂だった。式当日、エレノア嬢は堂々と背筋を伸ばし、穏やかな微笑みを添えて国の慶事を祝ったのだ。

 個人的な感情を表に出さない彼女の自制心に、感心した覚えがある。

 一時期この城にも礼儀見習いとしてあがっていた筈だ。非常に聡明だとグレアムがいたく褒めていた。確か、植物学の研究をしているのではなかったか。

 彼女は何の用でこんな場所へ来たのだろう? 会話の相手は?

 

 珍しく興味をそそられ、レオンハルトは聞き耳を立てた。


「平気よ。夜会が終わるまで使用人たちもここには近づかないわ。ちゃんと調べてあるの」


 エレノア嬢の相手は王妃陛下だ。

 盛大な溜息が喉元までせり上がってくる。

 リセアネは類まれなる美貌の持ち主で、黙っていれば確かに天使のような美姫だった。だが、彼女が黙っていることは滅多にない。男嫌いを公言して憚らない烈婦でもある。

 王妃にだけは見つかりたくない。何を言われるか分かったものじゃない。

 レオンハルトは、ますます出られなくなった。


「まずは食べましょうよ! 話はそれから。ね?」


 さっさと出て行って欲しい。そんなレオンハルトの切実な願いはフォークと食器の擦れる音に押しつぶされた。

 女というのは何故こんなに食べるのが遅いんだ。

 戦地でそんな食べ方をしてみろ。すぐに置いていかれるぞ。

 野営地にぽつんと2人置き去りにされる彼女らを想像し、溜飲を下げる。いっそ再び眠ってしまいたかったが、鈴を転がすような談笑を完全に無視することは出来なかった。

 ようやく食事を終え、2人は本題とやらに入った。

 

「修道女に? 本気なの、エレノア」

「ええ。ですが父は絶対に許さないと」

「……でしょうね。貴女はランズボトム公の秘蔵っ子ですもの」

「そんなわけありません。少しでも大切に思っているのなら、嫌がっている娘を無理やり連れてきたりしないわ」


 エレノア嬢は結婚を諦め、教会へ献身するつもりらしい。

 夜会で見かけた彼女の姿を思い出し、あまりの意外さにレオンハルトは目を丸くした。

 今夜のエレノア嬢は、豊かな褐色の髪を艶やかに結い上げ、前髪はまっすぐ下ろしていた。優美な印象を与える眉、長い睫毛と相まって濡れたように潤んでみえる黒目がちな瞳。上品なデザインのドレスは女らしい曲線を見事に引き立てて、参加者の溜息を誘っていた。

 あれほどの美女で、しかも賢いと評判の公爵令嬢。

 確かに若くはないが、貰い手に困っているのは意外だ。とっくに売れているものだと、レオンハルトは真っ先にリストから外したのだから。


 エレノア嬢は本気で悩んでいるようだ。

 静かな声に滲む絶望に、息苦しくなってくる。

 喉元のタイに人差し指をかけ、そろそろと緩めた。シャツの第一ボタンを外し、レオンハルトは密かに息を吐いた。

 普段のレオンハルトならば、自分には関係ないとあっさり心から締め出していただろう。

 なぜ今、それができないのか。

 同情? まさか。

 この程度の不幸など世間には掃いて捨てるほど落ちている。レオンハルトはそれをよく知っていた。


「よく考えてよ、エレノア。修道女になってしまえば、一切の世俗を捨てなきゃいけないのよ。家族も友人も。許されるのは、手紙のやり取りとわずかな時間の面会だけ。土いじりはできるかもしれないけど、よほどの信仰心がなくっちゃ無理よ。神様以外の誰にも愛されず、一生を箱庭で過ごす覚悟はあって?」


 王妃がエレノア嬢に問いかける。

 今度こそ、泣くのではないか。

 レオンハルトの胸に湧き上がったのは、期待にも似た奇妙な高揚感だった。

 以前は衆目があった。今は王妃しかいない。今度こそ、エレノア嬢は本性をあらわすのではないか。

 母の呪詛じみた泣き声が耳の奥で蘇る。

 『私だけじゃない。女なら誰だって、心から愛されたいと願うものよ!』

 たった一人の息子と向き合おうともせず、己の不幸だけを嘆いていた。あれが『女』の本性だ。

 彼の見た目に引き寄せられ、蛾のようにたかってきた女性たちも似たようなものだった。

 ああして欲しい、こうして欲しい。望むばかりで与えようとしない。狭い視野で捉えたものしか評価しない。なんてくだらない――


「覚悟ならとうに。得られない愛情を期待して何になるでしょう。まったく非生産的ですわ」


 リセ様にはお手紙を書きます。きっと書きます。

 エレノア嬢は優しく続けた。

 覚悟を決めたまっすぐな声色に、レオンハルトの頑なな心臓はきゅう、と締め付けられた。

 今のは、なんだ。

 不可解な反応に首をひねり、彼はとっさにみぞおちを押さえた。この辺が痛むような気がする。


「非生産的ですって? まるでレオンハルトみたいなことを言うのね。まあ、でもエレノアの言うことも分からないではないわ」


 ランズボトム公が許すはずないと思うけど、実際そうなったら寂しくなるわ、本当に。

 王妃はしんみりと返し、沈黙が落ちる。やがて彼女たちは部屋から出て行った。

 

 王妃の台詞はレオンハルトに一つの道を提示した。

 煩わしい現況と、花嫁探しを一気に解決する名案だ。

 エレノア嬢に申し込もう。まずは、ランズボトム公に面会を求めなければ。

 あれこれ算段しているうちに、みぞおちに感じた不快な痛みは消えた。

 レオンハルトは来た時とは打って変わった軽やかな身のこなしで立ち上がり、上着を手に取った。


 


 

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