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22.嘘つき伯爵、我を失う

 仕事に戻ると言って立ち上がったレオンハルトは、何度もエレノアを振り返りながら部屋を出て行った。

 当の本人は沈んだ表情でティーカップを両手に持ったまま、夫の物言いたげな視線に気づくことはない。

 レオンハルトが補佐官らと共に部屋から消えたのを見計らい、クロードは近衛騎士筆頭であるフィン・パッシモだけを残し、人払いした。

 エレノアのメイド達も恭しく膝を折って退出していく。


「ああ、君は残っていいよ。従者殿」


 クロードはグレタを呼び止め、「こちらにおいで」とテーブルに招いた。グレタは目に見えてたじろぎ、「いえ、私は殿下方と同じ席につけるような身分ではございません」と固辞した。

 戸惑っているのはエレノアも同じだったが、せっかくの申し出を無下にするのも不躾だろう。「大丈夫よ、いらっしゃい」とグレタを呼び寄せ、隣に座らせる。

 フィンは洗練された手つきで、テーブルを囲んだ面々にお茶のお代わりを給仕し始めた。

 かちんこちんに固まったグレタが遅れて気づき、「わ、私が!」と立ち上がるのを、フィンはウィンク一つで黙らせる。


「レディに奉仕できるのは騎士の誉です。どうか私から奪わないで下さい、美しい人」


 グレタはポカンと開きそうになる口を、必死で閉じた。初対面で性別を見抜かれたことは一度もない。レディ扱いはもちろんだ。不安で足元がぐらつく。エレノアもあっけに取られた。


「あの、これはどういう――」

「妹に懇願……というか命令されてね。エレノア嬢が宗主殿に虐げられていないか見てくるよう、仰せつかったんだ。幸せに見えないようなら、貴女を連れて戻って来いとも言っていたよ。次の旦那様選びを今にも始めそうな勢いだったな。エレノア嬢の近況は、あちらに筒抜けのようだよ」


 クロードはリセアネへの愛情を滲ませながら、茶目っ気たっぷりに説明した。

 エレノアは素早くグレタを見遣ったが、グレタも同じくらいの早さで視線を逸らす。

 実際にグレタやメイド達から報告を受け取っているのはランズボトム公爵なのだが、親馬鹿を間違った方向にこじらせている彼は、そのいちいちを王妃陛下に言いつけていた。エレノアを幸せにしたいという目的の元、仮の協定を結んだ二人は頻繁に会談を設け、グレアムを呆れさせている。


「だけど、苦戦しているのは宗主殿の方みたいだね。どう思う? フィン」

「完全にそうですね」


 席に戻ったフィンは、確信に満ちた声で請け負った。


「あの健気な視線には、嫌というほど見覚えがありますよ。昔のエドワルドそっくりだ」

「同じことを言おうと思っていた」


 何が可笑しいのか、クロードとフィンは顔を見合わせクスクス笑い始める。

 ティアは夫の腕を軽く叩き、「勝手に話を進めてしまわないで。エレノア達が困っているわ」と注意した。


「ごめんよ、ティア。つい、昔を思い出してしまって。エレノア嬢は、百戦錬磨の美貌の貴公子がようやく出会えた本命ってところかな。結婚まで持ち込んだ奥方相手に手も足も出ないなんて、可愛いじゃないか」

「か、かわいい、ですか? レオンハルト様が?」


 誰のことを話しているのか分からなくなったエレノアは、思わず声をあげていた。

 クロードは笑みを浮かべながら、小首を傾げる。


「もちろん、宗主殿の話だよ。でも肝心の奥方に伝わっていないのなら、喜劇にはならないね」

「どうするつもりですか? 殿下。下手に手をだしてこじらせるのは、良くないですよ。私たちは明後日にはここを経つんですからね」

「そうだね。でも何の成果もなくフェンドルに戻ったら、王妃様に殺されてしまいそうだ」


 クロードは形の良い顎に手を当て、しばらく思案した後、ぽん、と手を打った。


「やはり強攻策で行こう。あの手のタイプは、よほどのことがないと動かないよ。みっともない真似をするくらいなら、後でどれだけ泣いても構わないと思っていそうだ」

「無駄に矜持が高いんですよね……」


 しみじみ頷いたフィンは、何が起こっているか分からないでいるエレノアとグレタに、クロードと共に立てた計画を切り出した。一部始終を聞いたエレノアは、信じられない思いで首を振る。


「そんなことをしても、レオンハルト様は何とも思わないわ。むしろ、喜ぶと思います」


 そう言って、切なげにティアを見つめる。魅力溢れるパトリシアに、自分が勝てるとはとても思えない。

 エレノアの視線を受け止めたティアは立ち上がり、テーブルを回ってエレノアの隣へと移動した。それから悄然と俯く友人の腕を勇気づけるように何度か軽く叩く。


「臆病になる気持ちは、痛いほど分かるわ。エレノアは、心から宗主様をお慕いしているのね」

「……政略結婚も同然でしたのに。お恥ずかしい話です」

「恥ずかしくなんてない。きっかけはどうあれ、人生の伴侶を愛せるのは幸せなことよ」


 ティアはざらついた声で懸命にエレノアを鼓舞した。


「宗主様もエレノアを大切に想っていらっしゃるわ。自信を持って。貴女は素晴らしい女性よ。間違いない。そうよね?」


 ティアは、隣で不服そうな顔をしているグレタに同意を求めた。

 グレタは勢いよく「もちろんです」と答え、心の中で「宗主様が素晴らしい男性であるかどうかは甚だ疑問だけど」と付け加える。そんなグレタの心中を覗いたように、ティアは微笑んだ。


「宗主様も素晴らしい方よ。立派で高潔で、そして少し不器用なだけだわ」

「少しだといいですよね」


 フィンがすかさず口を挟む。彼のテンポの良さに釣られ、グレタまで大きく頷いたものだから、残りの三人は思わず噴き出した。

 一気に場の雰囲気が和やかになる。それから彼らは、和気藹々と『計画』について打ち合わせをした。


「従者殿にも頑張って貰わなきゃいけない。頼んだよ」


 クロードの言葉に、グレタは「お任せ下さい」と声を弾ませる。お高くとまった宗主様に膝をつかせる絶好の機会だ。大切な主を攫っていくからには、相応の誠意を見せて貰いたい。

 部屋を辞する頃には、エレノアの心はすっかり明るく晴れていた。

 よくよく思い返してみれば、レオンハルトはいつもエレノアに親切だった。触れる手は情熱的で、彼女を飽きずに求めてくれている。彼が無防備な笑みを見せるのは、エレノアに対してだけだ。

 もしかしたら、彼も同じように想ってくれているのかもしれない。ティアへの想いは昇華し、今はエレノアを愛そうと努力してくれているのかもしれない。

 「きっとそうだ」とフィンもクロードも、ティアも太鼓判を押してくれた。

 後は、この目で確かめるだけだ。

 どうか、そうでありますように。

 ほんの少しでいい。自分を特別に想ってくれていますように。

 祈るような気持ちで、エレノアはグレタを伴い、執務室へと向かった。



「……今、なんと?」


 絶対零度の冷ややかさを纏わせ、レオンハルトは妻に問い返した。

 初めて執務室へ来てくれたと喜んだのも束の間、彼の期待は大きく裏切られた。レオンハルトを気遣って来てくれたのかと思いきや、クロードからの言付けを届けにきただけだという。


「パトリシア様は、城の中でくつろがれたいそうです。城は安全ですけれど、暇を見てパトリシア様のお相手をして欲しいと」


 エレノアは辛抱強く同じ台詞を繰り返した。

 

「そこは分かった。だが、何故貴女が殿下方のお相手をしなくてはならない」

「頼まれたからですわ。街歩きをされたいそうなのです。平民の格好をして、酒場や食堂へ足を運んでみたいと仰せでした。そのほうが、民の暮らしぶりがよく分かるからと。町娘の格好をして、案内して欲しいと頼まれました。大勢の護衛を伴わずにハージェスを歩くのは、初めてです」


 明らかにエレノアの声は弾んでいる。

 妻はクロード王子の美貌に誑かされているに違いない。

 レオンハルトはぎりぎりと拳を握り締め、「許可できない」と怒りを押し殺した声で告げた。


「あら、どうしてですの?」


 エレノアはいつになく食い下がってくる。

 レオンハルトは言葉に詰まり、ただただ妻を見つめた。

 どうして、だと? 

 エレノアを彼らに預けたくないからに決まっている。

 恥ずかしげもなく美辞麗句を口にするのはサリアーデの気質なのかもしれないが、エレノアを嬉しがらせるのは即刻止めてもらいたい。


「どうしてもだ。貴女に何かあったらどうする?」


 かろうじて思いついた言いがかりは、グレタによってあっさり却下された。


「心配はいりません。クロード殿下方の腕前は確かですし、()()()は私が命に代えてもお守りします」


 それはレオンハルトこそがエレノアに言いたい台詞だった。しかも未婚であるかのような敬称で呼ぶとは、どういうことだ。レオンハルトはグレタをきつく睨みつけた。

 補佐官達はダニエル・クリストフを除いて、すでに全員退避している。執務室に残っているのは、四人だけだ。好奇心から残ってしまったが、ダニエルは早くも後悔しかけていた。

 宗主! しっかりして、宗主! どう見ても罠ですよ! 心の中で応援してみるが、全く気づいては貰えない。声に出す勇気はどこにも無かった。


「彼女は私の妻だ。私が守る。それと、『奥方様』だ」

「これは失礼致しました。ですが、宗主様はパトリシア様を気遣って差し上げなくては。――奥方様、参りましょうか。昔の夢がこれで叶いますね」

「そ、そうね。楽しみだわ」


 エレノアはぎこちなく相槌を打つと、真っ赤な顔で部屋を出ていこうとする。

 彼女は何故はにかんでいる?

 昔の夢とはなんだ。

 レオンハルトは機敏に立ち上がり、数歩でエレノアに追いつくと、彼女の右腕を掴んだ。そのまま強く引き寄せ、胸の中に抱き込んでしまう。レオンハルトの突然の抱擁に、エレノアは息を飲んだ。


「昔の夢とはなんだ」


 今にも獰猛な唸り声をあげそうな宗主に、グレタは平然と答えた。


「私の口からは申せません。奥方様の個人的な秘密ですので」


 レオンハルトは端正な顔を歪め、エレノアの両肩を掴み直して顔を覗き込んだ。

 エレノアは、夫の切羽詰まった表情を初めて見た。レオンハルトの黒い瞳は物騒に煌いている。こんな時だというのに、彼の長い睫毛と切れ長の瞳の美しさは、エレノアをうっとりさせた。

 何よりレオンハルトはエレノアに強い関心を示している。


「昔の夢とは? エレノア。答えてくれ」 


 すでに言いたくなくなっていたが、まだ計画のうちのほんの序盤だ。ここでくじけてしまっては、レオンハルトの心が誰にあるのかを知ることは出来ない。

 エレノアは良心の呵責を押し殺し、決められた台詞を口にした。


「……金髪碧眼の王子様が、いつかこの家から私を救い出してくれないかと、そんな馬鹿げた夢を持っていたことがあるのです。王子様と共に遠い国へ逃げられたらと」

「――どこにも行かせない」


 レオンハルトはすっかり逆上していた。

 もはや自分が何を口走っているかも分からない。


「貴女を娶ったのは、私だ。王子でもないし、髪も目の色も好みには合わなかったようだが、私が貴女の夫だ」

「え、ええ。ですから、ただの夢ですわ。しかもほんの子供の頃の。グレタがからかっただけです」


 懸命に言い訳するエレノアをひょいと抱き上げると、レオンハルトはそのまま執務室の椅子に戻った。妻を横抱きに抱えた格好で、机の上の書類を手に取る。

 そして、驚愕で動けないでいるエレノアに、据わった目で微笑みかけた。


「貴女には別の仕事を与える。私と一緒に報告書を読もう。そうしよう」


 完全に暴走している。

 グレタは遠い目になった。

 これでは、計画を実行出来ない。


「エレノア様を殿下方がお待ちです。案内をつけないのは、不敬ではありませんか?」

「ダニエルを行かせる。町娘の格好をさせたいのなら、彼にさせればいい」

「嫌ですよ!」


 ダニエルは悲鳴を上げ、今度こそ部屋から逃げ出した。




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