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16.ほどけていく心

 レオンハルトは一人、城壁沿いにはりめぐらされている外廊を渡っていた。

 プロイス地方を任せている警備隊長との面談を終え、執務室へと戻るところだ。


 本来ならば、領地での犯罪取締は領主の管轄なのだが、プロイス地方の領主はファインツゲルトの貴族だった。敗戦国の領主が、駐屯しているフェンドルの兵士や本国から移住してきたフェンドル人達が起こす揉め事を捌ききるのは難しい。グレアム王の掲げる方針はあくまで理想。実際は「負けた国の人間をどう扱おうが自由」と考える不逞の輩も少なくなかった。

 レオンハルトは、フェンドル人の横暴と苦境に耐えかねたゲルト人の犯罪を抑止しようと、各地に監察警備隊を派遣した。癒着を防ぐ為、彼らには半年ごとの任地の移動を命じてある。任期が終わった暁には、こうしてレオンハルトと面談し、詳しい領地の情報を知らせる義務も課してある。

 ファインツゲルト皇国は戦後、属州ダルシーザと名称を変え、八つの地区に分割された。そのうち、首都から遠い四つの地区をファンツゲルトの貴族が、残りの四つの地区をフェンドルの貴族が治めているのだが、今の所どの地区にも目立った問題はない。

 このまま行けば、想定したより少ない犠牲で厳冬を乗り切ることが出来そうだ。


 目下の懸案事項から解放されたレオンハルトは、遠回りをして次の仕事へ向かうことにした。

 この辺りか。

 見当をつけて足を止め、石造りの頑丈な高欄から外を眺めてみる。

 見下ろした先には、ちんまりとした畑があった。生垣が張り巡らされていた一角を、エレノアが開拓したのだ。天気が良い日の昼間は、冬でも比較的暖かい。今日は外で活動するはずだ。

 

 エレノアが城にやってきてから三ヶ月。彼女はすっかり城の人々に受け入れられている。

 取っ付きにくい美人顔のエレノアを警戒していた使用人達は、じきに彼女の気さくで大らかな性格に気づいた。モンテサント夫人はその筆頭で、「奥様」「奥様」と夢中になって世話を焼いている。

 いつもふんわり笑ってはいるが、いざとなれば容赦ない決断を下すことも出来る女だと知っているのはレオンハルトとメイド達、そしてグレタくらいだろうか。


 自分だけが知っている要素が少ないことに、レオンハルトは物足りなさを感じるようになった。

 これは別に可笑しなことではない。

 彼は果敢に自己弁護を試みた。自分はエレノアの夫なのだから、彼女の一番の理解者でありたいと願うのは、当たり前だ。どの家でもきっとそうに違いない。

 

 レオンハルトの予想通り、妻は畑の真ん中でせっせと土を掘り起こしていた。彼が贈った作業用の短いワンピースとズボンを身につけたエレノアは、大きな麦わら帽子を被っている。そのせいで表情がよく見えない。

 共に作業している庭師たちが手を止め、一斉に笑ったところをみると、エレノアが何か冗談を口にしたのだろう。

 『私の話はつまらないそうです』そう言って悲しげに肩を落としたエレノアを思い出す。心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われ、レオンハルトは短く息を吐いた。

 もうそんな風には思っていないだろうか。誰もがエレノアと話したがることに、気づいているだろうか。

 エレノアが立ち上がり、腰を伸ばす。すかさずグレタが近づき、腰の水筒を渡した。

 エレノアは帽子を脱いで背中側へ落とし、後れ毛を撫で上げた。外では艶めいた仕草を慎むよう、助言した方がいいかもしれない。

 太陽の日差しが彼女の頭に天使の輪を作る。水筒から直接水を飲み、口元を拭ったエレノアの視線が、ふとこちらに向けられた。

 とっさにレオンハルトはしゃがみこんだ。

 ……危なかった。

 距離があるとはいえ、目が合えばここにいることがバレてしまう。

 バレたからといってどうということはないが、わざわざ妻を見に来たと思われるのは癪だ。

 レオンハルトは腰を落としたままじりじり高欄から離れると、何事もなかったような顔で再び歩き始めた。


 エレノアを盗み見て満足したレオンハルトが執務室で来年度の復興計画を練っているところへ、モンテサント夫人がやってきた。ティーワゴンを押しながら部屋へ入ってきた夫人の姿に、皆手を止める。午後の休憩の時間だ。

 

「今日はエレノア様のお菓子はなしですかぁ」


 ティーワゴンの上に並んだ茶器を見て、若い事務官が残念そうな声をあげる。

 モンテサント夫人は熟れた手つきでお茶を入れ、皆に配りながら「そう毎日お作りになられるわけがないでしょう」と呆れたように言った。


「奥様はお忙しいんですからね。研究の合間を縫って、善意で作って下さってるんですよ? 当たり前みたいに思わないで下さいまし」

「当然なんて思ってないですけど、あれ、美味しいから……」

「ナッツが入ってたり、ドライフルーツが入ってたりするんだよな。そんなに甘くないのもいいし、何より手作りっていうのがさ」


 口々にエレノアの差し入れを褒める部下たちを見て、レオンハルトはむず痒くなった。

 妻を自慢したいような、お前らが言うなと咎めたいような。


「素直に喜べばいいじゃないですか」


 斜め前に座っているダニエル・クリストフがボソリと呟く。視線を向けたが、彼は嘘知らぬ顔でカップに口をつけ始めた。

 レオンハルトは仕方なく、自分の分の茶を飲むことにした。

 エレノアが淹れてくれる紅茶はもっと美味しい。だが、彼女は決して執務室に足を運ぼうとしないのだ。

 『私が直接出向けば、お忙しいレオンハルト様を煩わせることにならないかしら?』エレノアがメイド達に意見を求めたことや、『差し入れだけに止められた方がいいかもしれませんね』と彼女たちがアドバイスしたことを、レオンハルトは知らない。

 レオンハルトが毎晩欠かさず主人の寝室を訪れ、朝まで過ごすことを知っているメイド達は、小さな嫌がらせを行うことで彼への鬱憤を晴らした。エレノアに対する表立った態度は、ちっとも改善されていないからだ。人前ではそっけない物言いのままのレオンハルトは、メイド達を変わらず苛立たせている。


「そういえば、聞きたいことがあったんだ」


 レオンハルトは不意に思い出し、モンテサント夫人に問いかけた。


「ローレスの花を詰めた小袋を枕の下に置くのには、何か意味があるのか?」


 エレノアを抱いた後、彼女はいつも枕の下から手縫いのサシェを取り出し、ぎゅっと胸に押し当てる。

 ローレスの花は芳香が強いので、レオンハルトの好みではない。情事の後の匂い消しのつもりなのかと問えば、真っ赤になって違うと言う。では何をしているのかと聞いても、決して口を割ろうとしない。

 まじないの類だろうと推測し、グレタにも聞いてみたが、鋭い目つきで睨まれ「私の口から申し上げることは出来ません」と慇懃に断られてしまった。

 フェンドルの風習ならば、モンテサント夫人は知らないだろうが、聞いてみて損はない。

 ところがモンテサント夫人は途端に瞳を輝かせ、両手を打ち合わせた。


「まあ、まあ。伯爵様はご存知ないのですか?」

「知らないから聞いている」


 無表情のまま答えたレオンハルトに怯むことなく、夫人は嬉しそうに破顔したまま続けた。


「懐妊を願うおまじないです。ローレスは繁殖力の強い花なので、それを枕の下に入れておくと子宝に恵まれるというジンクスがあるのです。摘んで乾かして袋に詰めるまで、全部の作業を一人でやる決まりなんですよ。面倒なので最近では作る人が減ってるそうですけど、奥様は作られたのですね」

「……そうか」


 聞かなければ良かった。レオンハルトは猛烈に後悔した。

 いや、知れたこと自体は良かった。ただ執務室で尋ねるべきではなかった。


「うわ~、今、ものすごく強烈なノロケを聞かされたんですけど!」

「宗主、勘弁して下さいよ~」


 補佐官と事務官たちが一斉に冷やかし始める。

 こんな光景も、エレノアが城に来るまでは一度も見られなかったものだ。エレノアの影響で、城の雰囲気は和やかなものに変わった。

 モンテサント夫人はにこにこ微笑みながら、大騒ぎの執務室を静かに辞した。


「うるさい! 休憩は終わりだ、仕事に戻れ!」


 扉を閉める直前、レオンハルトの怖い声が飛んでくる。

 宗主の女嫌いは治っていないが、妻限定で非常な照れ屋になることを、今では城中の人間が知っていた。


 その夜、レオンハルトはいつもにまして優しくエレノアを抱いた。

 ぐったりと臥せった彼女に寝巻きを着せ、枕の下からサシェを取り出し、手に持たせてやる。


「子宝祈願の守りらしいな」


 レオンハルトが笑みを含んだ声で言うと、エレノアは「笑わないで下さい」と顔を歪めた。

 過剰な反応に驚き、レオンハルトはまじまじと彼女を見つめた。


「笑ったわけじゃない。貴女がまじないに頼るのが、意外なだけだ」


 エレノアは研究者だ。努力を重ね、成果を掴むことに誇りを持っている。

 それを知っているレオンハルトは、思わず言い返していた。

 エレノアはしばらく息を潜めていたが、話を終わらせないと眠れないと悟ったらしく、重い口を開いた。


「子は授かりものですから。努力でどうにかなるものではないでしょう?」

「まあ、そうだな。こればかりはどうしようもない」


 結婚したばかりだというのに、気が早いものだ。

 エレノアの思い詰めた表情を見ているうちに、何とも言えない気持ちになってくる。

 レオンハルトの愛撫に応えるのは、子が欲しいからだったのか。

 興ざめな気分になり、薄く息を吐く。


「――子を授からなければ、レオンハルト様は他の女性のところへ行ってしまわれるから」


 エレノアはサシェを握り締めたまま、ぽつりと零した。

 それから慌てて「もちろん、反対は致しません。契約は守ります」と付け加え、背中を向けてしまう。華奢な背中は、拒絶と羞恥を貼り付けていた。

 

 今すぐ寝台を飛び降り、過去の自分のもとへ行き、斬り捨ててしまいたい。

 レオンハルトの胸を、凶暴なまでの愛しさが食い荒らす。

 違う。これは、違う。

 エレノアに感じるこの思いは、憐れみだ。

 レオンハルトはエレノアの背中を抱き込み、きつく抱きしめた。

 エレノアの白い指が回した手に添えられる。

 触れ合ったところからじわじわ侵食されていきそうで怖いのに、どうしても離すことが出来ない。

 

 過剰な愛は穏やかな家族関係を壊す毒だと、レオンハルトは知っている。

 だが、女なんて皆同じだと迷いなく信じていられた日々は、すでに手の届かない遠くへと去っていた。




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