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15.新生活の始まり

 馬車から降りた宗主夫妻を待ち構えていたのは、予想以上に大人数の出迎えだった。

 補佐官数名は分かる。帰城後すぐに、留守中の報告を兼ねた会議を行うと予告したのはレオンハルトだ。だが、あの若い娘の集団はなんだ。

 頭の中ですばやく結婚契約書をめくり、エレノア付きのメイドが派遣される手筈だったことを思い出す。

 

 ……十二名、か。

 

 ざっと見回し、レオンハルトは絶句した。

 リセアネ王妃が母国から伴ってきた侍女より、数が多い。いくら何でも多すぎるのではないか。

 メイド達は慎ましやかな態度で補佐官の後ろに控えている。

 エレノアを見遣ると、嬉しそうに頬を緩ませ、メイド達に向かって小さく手をあげたところだった。


 ……まあ、いい。

 

 大切に囲って育ててきた一人娘を、二年前までは敵城だった場所へ送り込むことになるのだ。味方をつけてやりたいというのは、当然の親心だろう。

 レオンハルトは思い直し、メイド長の挨拶を鷹揚に受け入れた。メイド長とはいっても、年の頃は二十代半ばに見える。随分若い娘ばかりを寄越したものだ。

 その若い娘達が猛禽のように鋭い爪を隠しているとは、思ってもみないレオンハルトだった。


「私はこれから仕事に戻る。諸侯への正式な披露は、また後日改めて行うつもりだ。これからここで暮らしてもらうことになるが、城は陛下からの預かりものであり、私たちが好きに出来る場所ではないと弁えて欲しい。働いている者たちの邪魔をしない範囲でなら、好きなところを見て回ってくれて構わない。私は執務室か、面談室にいることが多い。何か質問は?」


 レオンハルトはエレノアを見下ろし、淡々と説明した。

 夫のそっけない物言いに慣れてしまったエレノアは、穏やかな表情のまま聞いている。

 心穏やかでいられなかったのは、メイド達とグレタだ。

 新妻を前にしても以前と変わらず乾いた態度のレオンハルトに、ファインツゲルト側の人々は揃って安堵している。露骨に表情に出さないだけで「なぁんだ」と思っていることは明白だった。この分では「やはり政略結婚か」「宗主様が好んで娶った妻ではない」などと囁かれるのは目に見えている。

 

「特に立ち入ってはならない場所などはありませんの?」


 エレノアは夫を見上げ、尋ねた。

 好奇心の赴くまま見回った挙句、ゲルト民の気分を害するのは本意ではない。

 国中が戦場になったと聞いている。この城でも多くのゲルト兵士が命を散らした。それが戦だと言われればそれまでだが、生き残った人々には消えない傷跡が残っている筈だ。エレノアはグレアム王の掲げた方針を強く支持している一人だった。


「そうだな……」


 レオンハルトは思案した後、モンテサント夫人を振り返った。


「何かあるか?」


 自分が指名されたことに一瞬たじろいだ夫人は、エレノアに向かって深々と頭をさげ、思い切ったように口を開いた。


「――恐れながら」


 頭を下げたまま、それでもはっきりと声を張る。


「パトリシア皇女殿下がお使いになられていた部屋と、西の塔には立ち入らないで欲しいと思います。私どもにとって、特別な場所なのです」


 エレノアの背後に控えていたグレタは、ぎりと拳を握り締めた。

 戦に負けた時点で、ファインツゲルト王家は滅んだはずだ。生き残りの皇女は、ただの女になった。皇位を剥奪された亡国の姫を、未だ主と仰ぐというのか。彼らの主はフェンドル国王グレアム陛下であるべきだし、敬意を払うべき相手はレオンハルトと彼の正妻、つまりエレノアだ。

 そのエレノアに、使用人の分際で立ち入りを禁止する?

 メイド達も控えめな笑みを崩さないまま、一気に殺気立った。


「――だそうだ。案じずとも、城には沢山の部屋がある。見て回って、気に入ったところを自室にすればいい。貴女のメイドに聞いてみるのもいいかもしれない。良い場所をすでに見つけていそうだしな」

「では、そうさせて頂きます。……モンテサント夫人とおっしゃったかしら?」


 エレノア一人が気を悪くした風もなく、使用人頭に優しく微笑みかけた。


「大切な思い出の場所を教えて下さってありがとう。これからお世話になります。ダルシーザのことも、城のことも、色々教えて下さると嬉しいわ。出来れば城の皆さんと仲良くなりたいの」

「も、もったいないお言葉!」


 モンテサント夫人は、混乱に陥りながら更に頭をさげた。

 ファインツゲルトの王侯は、身分差に厳しかった。

 モンテサント夫人はかろうじて子爵未亡人という立場で守られていたが、平民出身の使用人たちは畜生以下の扱いを受けるのが普通だった。王侯のペットである猫や犬の方が、まだ丁重に扱われていた。

 レオンハルトは虐待に慣れた使用人達を、至って平等に扱った。怠惰な者には厳しいが、自分の仕事を全うする者をその身分だけで見下げることは決してない。二年という歳月をかけ、それを彼らはようやく飲み込んだところだった。

 エレノアは、戦勝国の大貴族の娘。

 モンテサント夫人の常識でいえば、直接口を聞くことも許されない天上人だ。先程はレオンハルトに促されたから直上を許されただけだと理解していた。ええい、ままよ。半ば捨て鉢になって正直な要望を伝えた彼女は、後ほどエレノアから罰せられると覚悟していた。


「出過ぎた口をどうかお許し下さい」


 その場に膝をついてしまいそうな夫人を見て、エレノアは仰天した。

 慌てて駆け寄り、夫人の手を取る。

 モンテサント夫人はますます困惑し、泣きそうになった。感情を持たない木偶のように扱われることには慣れている。だが、今まで使用人である自分をこんな風に労わってくれたのは、パトリシア皇女ただ一人だった。


「どうしましょう。私、何か酷いことを言ってしまった?」


 エレノアは夫人の手を取って立たせ、眩いほどにまっすぐな瞳で彼女を覗き込んだ。


「いや、大丈夫だ。あらかじめ説明しておくべきだった。貴女は何も悪くない」


 レオンハルトは苦笑しながら歩み寄り、エレノアの肩をぽん、とひとつ叩いた。


 メイド達は内心呆れ返った。グレタは言うまでもない。大切な主が子犬のようにあしらわれるのを目撃したのは、これが初めてではないからだ。

 エレノア側の人間が苛立ちを募らせたのに対し、補佐官や警備の兵士はあっけに取られた。

 

 宗主が女性に向かって、親しみ深く、砕けた態度を取った!

 彼らが一斉に空を見上げたのも無理はない。だが嵐が起こる気配はなく、空には白い雲がぽっかり浮かんでいるだけだ。

 レオンハルトはその立場と容姿のせいで、非常にモテる。

 反皇帝派だった貴族は戦後も領地を没収されることなく統治を任されているのだが、その諸侯の娘の多くは、レオンハルトに憧れを抱いていた。令嬢達は、なんだかんだと理由をつけては宗主と関わりを持とうとした。ところがレオンハルトの対応は至って冷ややかで、表情を動かすことすらなかった。宗主の『女嫌い』は、ダルシーザでも有名になっている。


「……なんだ?」


 あまりにじろじろ見られるものだから、レオンハルトは眉根を寄せ、周囲を見渡した。

 エレノアを除く全員が、一斉に視線を逸らす。


「まあ、いい。今晩、ゆっくり話そう」


 レオンハルトはエレノアに言い残すと、補佐官らを促し先に城の中へ入っていった。

 残されたエレノアは明るい表情でメイド達に向き直ったが、すぐに真顔になった。


「どうしたの? 皆。怖い顔して」

「……奥様」


 歯を食い縛った隙間から声を押し出し、メイド長はエレノアの前に進み出て膝を折った。


「心中お察しいたします。我らの忠誠はエレノア様のもの。どうか何なりとお申し付け下さい」


 険しい表情のメイド達とグレタを順番に眺め、エレノアはきりりと目つきを厳しくした。

 グレタは期待に満ちた目で、エレノアの言葉を待った。

 とりあえず、あの使用人頭から消せばいいのか?


「まずは着替えて、城と庭を見て回りたいわ。荷物から、種と苗を取り出したいの。植え替えは早いほうがいいものね。温室はあった? ないのなら、作って貰えるようお願いしなくては。自生している植物の採取もしたいし、土の改良作業にも取り掛かりたいし……課題が山積みで、何から手をつけていいか分からないわ!」


 メイド達とグレタはくうを見つめ、どうにか意識をつなぎ止めた。


「……奥様は、夫人の侮辱を許すと仰るのですか?」


 メイドの一人がたまらず声をあげる。

 エレノアは目を細め、メイドの正気を疑うかのような眼差しを投げかけた。


「あれを侮辱と思うの? 敗戦国民には、思い出に縋ることすら、許さないと?」


 一気に低められた声にメイド達は竦み上がった。

 ティアの人となりを知らなければ、エレノアも気分を悪くしたかもしれない。短い期間だったが、エレノアはパトリシア皇女と親交があった。過酷な不遇を耐え抜き、最後まで皇女としての責務に真摯だった友人を思い出し、胸が暖かくなる。ティアは今も変わらず、ダルシーザを案じているに違いない。

 落ち着いたら、手紙を書こう。彼女はきっと喜んでくれる。


 厳しい表情を一転させ、エレノアは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 飴と鞭の使い分けは、妃教育で学んだことの一つだ。


「貴女たちが私を気遣ってくれていること、本当に心強く思ってる。ここまでついて来てくれて、どんなに嬉しいか」

 

 ありがとう、と礼を述べ、エレノアは続けた。


「私の望みは変わっていない。これまで通り、静かに研究を続けたい。権勢争いに割く時間があるのなら、早く民を満足させる麦を作りたい。助けてくれる? 我侭な私を許してくれる?」

「もちろんです!」


 メイド達は瞳を潤ませながら、しっかと頷いた。

 レオンハルトのあんまりな態度への不満は、別のところで晴らそうと密かに決意しながら。


「貴女たちの肩身が狭くならない程度には、私も宗主夫人として頑張るつもりよ。だから心配しないで。――グレタも。ね?」

「御意」


 グレタは胸に拳をあて、腰を折った。

 主人が許すというのなら、流すしかない。

 だがエレノアを直接害そうとするならば、返り討ちは許容範囲内だ。


「では、早速部屋へ移動しましょう。どの部屋がお勧めなの?」


 エレノアの弾んだ声を合図に、皆が一斉に動き出す。

 城での生活は始まった。

 エレノアはふと立ち止まり、目の上に手をあて、逆光に浮かぶ城壁を辿った。

 今日からここが自分の家になる。

 レオンハルトと共に、ダルシーザ復興に尽くしていくのだ。

 修道院で庭いじりをする未来も悪くなかったが、こっちの方がもっとやりがいがありそう。

 エレノアは微笑み、凛と頭をあげた。

 



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