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Regarde moi

彼は春の気配と共にやって来た。


カラン、と控えめな音と共に顔を覗かせたのは中性的な顔立ちをした少年だった。

クリーム色のくせのある髪、華奢な体。迎えた店主に、あの、と発した声でやっと男性なのだと確信できるほどだ。


「見ても、いいですか?」

「もちろんです。どうぞお入りください」


笑顔の店主に安心したのか少年は中に入り、目についた物から順々に見て回り始めた。決して人で賑わっているとは言えない店だ。彼に見てもらうことで物達も喜んでいるような気がした。


「古いものはお好きですか?」

「はい、とても。こんな所にお店があるなんて知らなくて…」


目立たない店ですからね、と店主は買い取ったばかりの銀食器を手入れしながら答える。その前には大きな姿見。マダム・ディヴリーから買い取ったものだ。

その中から視線を感じて店主が顔を上げると、斜め後ろから少年が店主を見ていた。

鏡越しに目が合い慌てたのか、彼の視線が店の奥へと飛び、その途端、ある一点を見つめたまま動かなくなった。

そこにいたのは、古い木製の椅子に座った深い紺色のワンピースで身を包んだ女性。吸い寄せられるように自分の前に立った少年を見上げ、優しく微笑む。


「美しいでしょう?」

「え?!あ、そ、そうですね」


店主の声で我に返ったのか、彼は顔を赤くして恥ずかしそうに笑った。


「あはは、おかしいですよね。僕は男なのに」

「何を見て心惹かれるか、そこに性別なんて関係ありませんよ」


少年は何故か驚いたような表情を見せた。そのままの顔で、そうでしょうか?と問われた店主は、そうですとも、と笑顔で答える。

すると彼は、ありがとう、と少し照れ臭そうに頬を掻いた。


次の日も、また次の日も彼はやってきた。


「すみません、見に来るだけで…」

「とんでもない。いつでもいらしてください」


彼は彼女に会うためにやってくる。使ってください、と店主が用意した椅子にも遠慮してなかなか座ろうとしなかったが、根負けしたのか今日は座った。

店主の目に映るのは、見つめ会う少年と女性。彼の表情は思い詰めているかのように真剣で、女性の微笑みの穏やかさをいっそう引き立てていた。


「…これ、どんな人が持ってきたのですか?少し大きいですよね」

「背の高い女性ですよ。お綺麗な方でした」


そうですか、と呟いて真剣な顔に戻る。何を考えているのかはわからないが、時折ため息も漏らしている。放っておいては、そのまま消えてしまいそうな儚さがあった。

少し話をしてみた。年齢は18歳。店に立ち寄るのは学校からの帰り道とのこと。少ないが友人もいて、充実した生活を送っているようだ。


「男なのに、なんだか女々しいですよね」

「そんなことありませんよ。そんなにもこの店を気に入っていただけて嬉しいです」


愛想よく笑う店主の顔を少年はじっと見つめる。そういえば、前にもこんなことがあったと自身の頬を拭ってみた。

その動作で自分が見ていたことに気づいたのだろう、顔を赤くして逸らしてしまった。


「何か、ついていますか?」

「いえ、すみません!違うんです、あの・・・」


何か言いたそうにチラチラと店主を見る。これでは追求してくれと言っているようなものだ。

案の定、何か?と優しく問われると、言いにくそうではあるが口を開いた。


「すみません。あの・・・女性なのか、男性なのか、考えていました」


思いもしない答えに店主は目を丸くした。私ですか?と改めて問うと、小さく頷く。

すみません、男らしくなくて・・・、と髪をくしゃりと掴む様は男らしくないどころか、小動物を思わせる。


「どちらだと思いますか?」


え、と少年は店主を見る。自分と同じくらい華奢な体。白い肌に、痛んでいない黒い髪。背丈は店主の方が少し高いだろうか。改めてまじまじと店主を見つめながら、少年は小首を傾げた。


「男、性・・・ですか?」

「あなたがそう思うなら、それで結構です」

「え、正解は?」

「隣の花屋にいるお嬢さんと、時々来て下さるお巡りさんは、私を女性だと思っています。常連のマダムは男性。売れっ子の女性は・・・どちらでもいいと言っていました」


皆さんの思うように思ってくださって結構ですよ、と店主は笑う。


「私は自分の性別を重要視したことがないもので。でも、あなたは違うようだ」

「え?」

「ご自分が男性であることに、とてもこだわっていらっしゃるように思います」


“男らしさ”という言葉を少年の口から何度か聞いた。彼自身も気づいたのか、せっかく落ち着き始めていた顔色が、またカッと赤くなってしまった。


「すみせん、なんか・・・口癖、みたいで」

「こちらこそ、お気を悪くされていたら申し訳ございません」

「いえ、全然。…それじゃあ、僕はどちらに見えますか?」


って男だって言っちゃいましたね、と彼は笑う。だが店主は笑わなかった。


「もし今、あなたが“実は女性です”と言っても、私は納得しますよ」

「…それは、女性に見えるということですか?」

「私にとって、あなたは、ただあなたであるということです」


疑問符漂う表情で自分を見つめている彼に、なんといいますか、と言葉を探しながら店主は微笑んだ。


「私にとっては、あなたが示してくださるあなたが全てですから」

「僕が示す、僕?」

「私はそれを疑いません。ですから、理想のあなたを示してくださったら、私にとってはそれがあなたなのです。男性でも女性でも、年齢だって思いのままですよ」


思いのまま、そう呟いて少年は口を閉ざした。何を思いながら自分を見つめるのか、悩める青少年を前に女性は穏やかに微笑むだけだった。


その日は小雨が降っていた。もうすぐ店の入口、というところで少年の足が止まった。

いつも自分が開ける店の扉は開いていて、店主と知らない女性が話している。いや、知っている。知り合いではないだけだ。

赤い傘の下で笑う彼女。街の者ならきっと誰もが知っている、彼女は“夜の女王”。

やがて彼女は店主に小さく手を振り、少年とは反対方向へ去っていった。その後姿をぼんやり見つめていた彼を、あ、という声が現実に引き戻す。


「こんにちは」

「あ、こんにちは!」


小走りで駆け寄れば、店主はいつもどおりの笑顔で迎えてくれる。店に入る直前で道の先を見れば、あの後姿はすっかり小さくなっていた。


「・・・今の、イザベラさんですよね」

「おや、ご存知ですか」


後姿はどんどん小さくなっていく。それを見つめる少年の表情はどこか名残惜しそうだ。


「できれば、秘密にしてください。彼女はここに息抜きをしに来ているのだそうで」

「息抜き?」

「えぇ。ですから、彼女の“お客様”にはあまり知られたくないのです」

「・・・大丈夫です。絶対、言いません」


赤い傘は角を曲がり、ついに見えなくなってしまった。


「・・・綺麗な人ですよね」

「彼女のような女性がお好みですか?」


え?!と声を裏返らせて彼は店主を振り返った。からかうような笑顔に首まで真っ赤になる。


「いや!た、ただ綺麗な人だと思って!」


その時、少年の肩にポツリ、雨が落ちてきた。それを合図にしてザァ、という音と共に石畳が濡れていく。おや、本降りになってきましたね、と空を見上げた店主は彼を中へ引き入れ、そっと扉を閉めた。


どうぞ、店主が湯気の立つカップを少年に差し出した。いつものように女性との見つめあいを始めていた彼は2、3度カップと店主を見比べそれを受け取る。

ありがとうございます、と微笑む彼の隣に今日は店主も腰を下ろすようだ。適当に引いてきた椅子に座ると、少年と同じように女性を見つめる。

外は相変わらずザァザァと騒がしく、店の前を通る者はいない。


「明日、卒業するんです」


雨に消されてもおかしくないような呟きだったが、店主は、おめでとうございます、とすぐに返した。

ありがとう、と少年は照れくさそうに笑う。


「ルメジャンという街を知っていますか?」

「染物職人の街ですね」

「そうです。卒業したら、そこで見習いとして働くことになっているんです」


染物が盛んなその街は、ここから列車を乗り継ぎ3日かかる。それはつまり、店主と少年の別れを意味しているのだ。


「それは・・・また随分と遠い」

「そうですね。両親にも言われました」


そこで、2人の目が女性へ向かった。相変わらず優しく微笑んでいる彼女。店主と少年の別れとは、それと同時に彼と彼女の別れにもなるのだ。

あの、ご存知だと思いますが、と言い難そうに切り出した少年の横顔は真剣を通り越して苦しそうに見える。


「僕は・・・これが欲しいとずっと思っています」

「えぇ」

「でも、買ってしまったら、もう後には退けなくなるってわかっているんです。それが怖くて」


意味がわからないですよね、すみません、と少年はくしゃりと髪を掴む。大丈夫ですよ、と答えた店主の微笑みは、女性のそれと変わらないほど優しい。


「これはあなたの人生ですから、あなたの苦悩を取り除いて差し上げることは私にはできません」


少年が泣きそうな顔で店主を見た。荒野を彷徨う子羊に、けれど、と言葉を続ける。


「これを手に入れることによって、あなたが一時でも幸せであるのなら・・・私はそれを応援したい」


無責任ですね、すみません、今度は店主が謝る番だ。幸せ、そう呟いて少年は顔を女性の方へ戻す。

優しい微笑を見つめる顔はだんだんと真剣になり、一度目を閉じて開いた時には彼の言うところの“男らしい”表情になっていた。


「買います。やっぱり、後悔したくないから」



雨が上がったのは翌々日のことだった。昼夜問わず続いていた雨音が嘘のように、空には雲ひとつない。

店主は店の扉を開け、石畳に散らかった木の葉にうんざりしながらも気持ちよさそうに天を仰ぐ。

と、人の気配を感じて顔を花屋の方へ向けると、まだ閉店状態の店先、その人は店主の方を向いて立っていた。

紺色のワンピースにつばの広い帽子、見慣れない雰囲気の少女だ。口を真一文字に結び、まっすぐに自分を見るその顔をしばし見つめ、店主は、あっと声を上げた。

その瞬間、少女の表情は花が咲いたように綻んで店主の胸に飛び込んできた。


「誰も!気づかなかったんです!ケールとヤン、それにカロル先生ともすれ違ったのに、誰も僕だって気づかなかった!」


よろめきながらも受け止めた店主に、少女の姿をした少年は満面の笑みを向ける。

薄く化粧をして少女の装いをした彼を、一目見ただけで男性だとわかる目の肥えた者はどれくらい存在するだろう。


「でもあなたは気づいてくれた!おかしいですよね、気づかれなくて嬉しかったのに、あなたが気づいてくれたことはそれ以上に嬉しかった!」


店主は驚く素振りも見せず、ただ興奮気味になっている少年を微笑ましく見つめる。だがふと、花が不安そうにしぼんだ。


「気持ち悪くないですか?」

「気持ち悪いと思っているように見えますか?」


少年の頬に店主の指先が触れた。


「とても可愛らしいですよ」


花はまた嬉しそうに綻んで、更に少し赤い色が差している。


「その靴も、よくお似合いですね」

「ありがとう。やっぱり買ってよかった!」


少年の足元に目を落とせば、ワンピースと同じ色のショートブーツ。この店で手に入れた、少年の人生を動かした物だ。


「僕、このままルメジャンに行くんです」

「そうですか、寂しくなりますね」

「両親には・・・まだ、この僕のことを話せていません。きっと、この先もたくさん問題が起きると思います」


えへへ、と不安を隠すように笑い、でも、と誇らしげに店主を見る。その表情にあの小動物のようなか弱さは無い。


「でも、今はとても幸せなんです!ずっとなりたかった僕で、生きていけると思うと、嬉しいんです!」


見てください!と少年はくるりと回って見せる。


「これが、僕です!」


少女になりたかった少年は、どのくらいの間一人で悩んでいたのだろうか。悩みであふれそうだった心中を今は、想像できないほどの幸福感が満たしている。


「一つ、ご提案を」

「はい、なんですか?」

「“僕”ではなく、“私”の方が良いかもしれませんね」


その提案に少女は目を輝かせ、そうですね!と頷いた。


「ありがとう。私、必ずまたここに来ます」

「えぇ、お待ちしておりますよ」


さようなら、大きく手を振って少女は石畳の上を駆けていった。カツンカツン、ブーツの音は遠ざかっていくのを聞きながら店主は空を見上げる。

果てのない青空。彼女が新天地に着くまでは、このまま晴れていて欲しいと願わずにはいられなかった。


【私を見て】

サブサブタイトル【初恋】

ヒール高めの靴を穿くと、ちょっと美人になった気がしませんか?私だけですか

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