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Temps de calme

大通りに敷き詰められた石畳の上をゆったりと馬車が通る。秋の色に染まり始めた街路樹と相まって、額に飾られた絵のようだ。ガラガラと音をたてて進む馬車を子供たちが面白がって追走し始めると、コーチから少女が顔を覗かせた。

キャアキャアと騒ぎながら走る子供たちを優しく見つめている。

やがて馬車は大通りの一角で止まり、コーチから降りてきたのは一人の老婦人と少女。華美ではないものの、老婦人の身なりは一目で上流家庭のそれとわかる。

一方の少女の装いもまたシンプルなものだ。淡い色の長袖のワンピースに長いスカート。足元のブーツは馬車から降りても音を鳴らさない。

御者に何やら言うと脇の道へと入っていく婦人に少女は黙ってついていく。婦人の靴が時おりカサリと落ち葉を踏みながら辿り着いたのは、古びた骨董品店の前だった。

一度店を見上げ、婦人は迷うことなく店の扉を開けた。


「いらっしゃいませ、奥様」


カラン、とドアベルの乾いた音とその声、そしてふわりと良い香りが舞ったのはほぼ同時だった。

若い店主は店の中央で姿勢を正し、きっちりと頭を下げる。


「お久し振りね、お元気そうで何より」

「奥様もお変わりなく。さぁ、どうぞ」


婦人の手を取る瞬間、店主は少女を見て軽い会釈と共に微笑んだ。少女もにこりと微笑んで、奥の部屋へエスコートされる婦人に付き従う。

店の奥にある扉のない区切られた空間、そこに入った婦人は“まぁ!”と感嘆の声を上げた。

大きく取られた窓から暖かな光が差し込む部屋に、丸テーブルが1つ。向かい合わせに椅子が2つ。テーブルには真っ白なクロスが引かれ、ケーキやスコーンの乗った三段トレイにティーポット、美しく揃えられたアフタヌーンティーのセットが整えられていた。


「あなた、本当に不思議な方ね。私が来るといつもこうだもの」

「せっかく奥様が来てくださるのですから、当然ですよ」


ティーポットから注がれる紅茶は華やかな香りで婦人を包み込むようだった。店に入った時に香ったのも同じものだろう。

色もよく、ぬるくもない。まさに最適なタイミングで出された紅茶に婦人が目を細める。


「私が来るって、どうしてわかるの?」

「それは秘密です」


店主はそう言って微笑み、向かいの席へ座った。少女は婦人の斜め後ろに立ち、にこにことその様子を見守っている。

婦人のお喋りはまず旅行の話から始まる。行った場所、そこに住む友人の話、ほんの少し夫の愚痴。相槌を打ち、1つか2つ質問を挟みながら店主はタイミングを待っていた。

今度はいつ行けるかしら。ため息混じりのその言葉で婦人は話を一段落させるのだ。


「今度はいつ行けるかしらねぇ」


ふぅっと溜め息をついてカップに口をつける。カチャリ、とカップが受け皿に置かれた時が最適のタイミングだ。


「ところで奥様、今日はどういったご用件で?」

「なんだと思う?」


悪戯っぽく笑う婦人の後ろ、少女と目が合った。


「何か…お持ちいただけた?」

「買い取って欲しいわけではないから、半分正解ね。あなたに見ていただきたいものがあるの」


そう言って、婦人は両手ほどの大きさの箱を取り出した。そして袋の中身が姿を現すと、少女の表情がパッと明るくなった。落ち着いた微笑みから急に幼くなったように見えるが、無邪気で愛らしい。


「これは…」


それは木製の箱だった。両手の平ほどの大きさで上部が開くようになっている。手袋をはめた店主が箱を持ち上げると、少女は嬉しそうに寄ってきた。

そんな彼女を見ながらゆっくりと蓋を開ける。と、少女が笑顔で唇を動かした。


「 」


だが、そこから流れ出るはずの声は伴わなかった。少女自身、それを忘れていたのだろうか、ハッとした様子で喉を押さえ恥ずかしそうに微笑む。

唯一幸いなことは、決して彼女が悲しそうではないことだろう。

代わりといってはなんだが、店主が悲しそうな表情を浮かべている。


「音が・・・」

「そうなの。私の所に来たときにはもう、ね」


ふぅ、と残念そうにため息をついて婦人は紅茶を口にする。そんな婦人を見る少女はどこか申し訳なさそうだ。

どこかで買い求めたものだとすれば、とんでもないことである。これは、どちらで?と問われた婦人は一度目を伏せて微笑んだ。


「友人の形見なの。長いお付き合いだったけれど、ついこの前亡くなってね」

「それは・・・失礼いたしました」


いいのよ、と優しく微笑んでゆっくりと息を吐く。自然の道理だわ、とかみ締めるように呟いた言葉は部屋の空気にしっとりと溶けていくようだった。


「それでね、中にぜんまいがあるのがわかるかしら?」


湿っぽくなってしまった空気を気にしてか、婦人の声が明るくなった。

そう言われて店主は改めて箱の中身に目を向ける。そこには立体のものから平面に描かれたものまで一つの小さな世界が広がっており、婦人の言う“ぜんまい”らしきものはすぐにはわからない。

細工一つ一つの細やかさ美しさには飽きを感じさせないが、今はじっと見つめている時間もない。これがそうだろうか、しかしむやみに触って壊してしまってはと躊躇していると、細い指が視界に入る。

脇から少女が指さしたのは蝶の細工だった。よく見ればそれは引き抜けるようになっているらしい。


「この、蝶の細工でしょうか?」

「そうそう。よくおわかりね」


店主はそっとそれを引き抜いてみる。あっけなく抜けたそれの根元は、確かに巻きねじの形をしていた。

だがそれは規則性のない場所に小さな窪みがいくつもあり、一目で普通の物ではないとわかった。


「その近くに穴が開いているでしょう?」


婦人の言葉と共に少女の指先が滑る。白い指先が指した箇所には確かに穴が1つ。蝶の巻きねじが差し込まれていた箇所にも、同じくらいの大きさで穴が残されている。

店主はなにやら納得した様子で頷き、蝶を元に戻した。


「もう1つ、ねじが必要なのですね」


正解、と笑って婦人が拍手をする。同じように少女も小さく手を叩いていた。そうしているとまるで親子のようだ。

要するに、2つ無ければいけない巻きねじが1つしかないのだ。婦人の元に来た時にはもう無くなっていたということだろう。


「友人と言ってもね、あの子は外国へ嫁いでしまったからもう何年も会っていなかったの。お手紙だけ」

「そうでしたか」

「私ももう年だから、あの子の声も思い出せなくなってしまってね」


ふぅ、とため息をついた。暗くならないようにしようと微笑んではいるが、やはりどこか寂しそうだ。

婦人の目が外へ向いた。暖かな日差しが差し込み、遠くでは子ども達のはしゃぐ声が聞こえている。どこを見ているというわけではなく、昔を懐かしんでいるのだろう。しばらく黙ったままの彼女を店主も黙って見つめていた。

かけがえのない友人からの手紙はもう2度と届かないのだ。


「それはあの子が子どもの頃から持っていたものだから、どんなものなのか調べようもないし」

「そうですか」

「色々な所へ持っていったのだけれど、複雑な形だから同じ物は2つと無いし、また作ろうと思っても構造が分からないから1度分解しなくちゃいけない。分解しても元に戻す自信が無いです。と言われてしまうのよ」

「そうでしょうね・・・」


職人ではない店主からすれば、どこをどう分解できるのかすらわからない。どう見ても高価な品物を弄繰り回すことができる勇気ある職人など、そうそういるとは思えない。

肩を落とす婦人と店主を見比べながら少女はオロオロしている。何か伝えようと口を動かしてはいるが、読唇術の心得もない店主は申し訳なく微笑むしかない。


「これが直ったら、あの子の声も思い出せるんじゃないかと思って・・・」


独り言のように言ってカップを口に運ぶ。気づけば中身はだいぶん減ってしまっていた。2杯目を注ぐ店主に“ありがとう”と微笑んだその顔は、思い出した寂しさからか来たときより老けたようにも見える。


「もちろんね、無理なのはわかっているのよ。でも、あなたなら何とかできるんじゃないかしら、と思って」


そう言って婦人は店の方へ目を向ける。しん、と静まり返った店内に柱時計の乾いた音だけが染み込んでいく。この柱時計もいつからあるのか分からない。全ての物が眠っているように静まり返っているが、その光景に不気味さは感じない。


「ここは不思議なお店で、あなたは不思議な人だもの」

「お褒めいただきまして光栄です」


婦人がこの店に通うようになって何年経っただろうか。店主は見た目なんら変わらない。店の物も減っているのか増えているのかわからない。他の客が居合わせたこともない。

だが、ここに来れば必ず探し物は見つかるし引き取ってもらったものは新しい持ち主に巡り合えている。

まるでひっそりと時間が止まってしまったようなこの店と店主のことを、婦人は気に入っているのだ。


「それが直ったら、もう何の心残りもないのに」

「奥様、そんな・・・」

「あら、ごめんなさい」


悲しそうな顔をする店主に、婦人はふふっと笑って見せる。でもねぇ、と続けるその声はあまりにも穏やかで、今すぐにでも消えてしまいそうだ。


「順番は守らなくちゃ、ね?これも自然の摂理だもの」


この所、お葬式に出ることが多くなった。と店に来る度に彼女は言う。悲しそうではなく、あの子とはこんな事があったのよ。と店主に語って笑うのだ。1人、また1人と古くからの友人が眠りについていくのを見送りながら彼女は自分の番を静かに待っているのだろう。

ふと少女を見れば、そんな婦人の様子を悲しそうに見つめている。誰からも好かれる婦人のことを少女も慕っているようだ。


「…奥様、もし私がこれを解決できたならお願い事を1つ聞いていただけますか?」

「あら珍しいこと。何かしら?」

「どうか末長く、この店にいらしてください」


あらあら、と婦人が嬉しそうに笑う。若者が、老いていく自分を励ましてくれたと思ったのだろう。


「いいわ。お約束しましょう」

「ありがとうございます」


すんなりと了承されると、店主はさっそく箱を手に取った。


「少し、ここでお待ちいただけますか?」

「えぇえぇ、お茶をいただいてお待ちするわ」


婦人の好みを見事に突いた紅茶やお菓子の選び方に彼女は上機嫌のようだ。もっとも、婦人が不機嫌であるところなど一度も見たことがないのだが。

それでは、と店主は少し頭を下げ婦人に背を向ける。そして、わずかに右ひじを外に向けた。

チラリと少女を見れば、一瞬の間を置いてその表情がパッと明るくなる。店主の胴と腕の間からするりと自分の手を滑り込ませ、腕の上にそっと添える。

きっと少女にとっては初めてのエスコート、とても嬉しそうだ。


「不思議な店、か」


婦人の前から退席した途端、店主がぽつりと呟いた。不思議そうに覗き込んでくる少女に微笑を返す。


「自分でも未だに不思議に思うよ。縁というのは本当に繋がっているんだね」


隣の部屋への数歩をゆっくりと歩く。店主の言いたいことがよくわからないのだろう、少し首を傾げつつも少女は笑顔を絶やさない。

隣室の扉は質素な木の扉で鍵もついていない。古びたノブを捻ると、キィと細い音を立てて内側に開いていく。隣に比べ、一回り小さい窓から差し込む光で部屋の中は明るい。

一瞬眩しそうに目を細めた少女は、その部屋の中に人影を見た。そこは店主の作業場で、簡単な修理や補強ならそこで終わらせてしまうための部屋だ。

扉と同じくらいに質素な木のテーブル、その脇に立つ人影が2人を振り返る。背が高い茶色い髪の少年だ。彼と目が合った途端、少女は何の迷いもなくその胸に飛び込んでいった。

少年もまた戸惑う様子もなく少女を抱きとめる。2人が強く抱きしめあった瞬間、カチッと小さな音がした。

2人は嬉しそうに顔を見合わせ、店主を振り返る。


「「ありがとう」」


同時に開いた唇からは美しい音が流れ出たのだった。



婦人は、隣室から何か音が聞こえたような気がして顔を上げた。無理だと諦めていたはずの音が聞こえた気がしたのだ。思わず境の壁を見るが、もう何も聞こえない。


「お待たせいたしました」


その声に入り口へ顔を向けると、店主が蓋を閉じた状態の箱を持って立っていた。

いいえ、全然。と答える婦人の前にそっと箱を置く。箱と店主の顔を期待と不安が入り混じったような複雑な顔で見ている彼女に優しく微笑んで、そっと蓋を開けて見せる。

箱の脇でしっかりと手を握り合った少女と少年が歌いはじめると、婦人はあぁ神様、と声を上げた。


「あなた、あなたは魔法使いなの?」

「いいえ、ただの人間ですよ」


涙で滲む視界の中、婦人は箱の中を覗き込んだ。蝶のぜんまい、その隣に空いていたはずの穴はもう一羽、見知らぬ蝶で埋まっていた。

箱の中で待っていた蝶と、それよりも少し大きく見える蝶はまるでつがいのようだ。


「一月ほど前でしたでしょうか、船乗りだという男性が異国の物をたくさん持ち込んでくれたのです」


その中にありました。と店主は笑う。

ここは港町だ。色々な国を渡ってきた船乗り達は珍しい物をこの街に持ち込んでは金に変え、次の旅への支度を整える。美しい布や鉱物から何に使うのか分からない物まで、土産話と共に持ってくる品物を店主が断ることはほとんどない。


少年と少女は楽しそうに歌い続ける。婦人はそれを目を閉じて聞いていたが、やがて小さく何度も頷いて微笑んだ。


「そうだわ、この曲・・・あの子がよく歌ってた」


古い友人が婦人の頭の中で歌いだす。思い出せなくなっていたはずのその声はとても若く溌剌として、共に通っていた女学校の香りさえも蘇ってくるような。

じんわりと涙が浮かぶ目頭をハンカチで押さえながら、歳を取ると涙もろくなって嫌ね。と笑って見せると店主も優しく微笑み返した。


「さぁ奥様、約束ですよ。これからもお元気で、この店をご贔屓に」

「あら、そうね。そうだったわね」

「奥様をおもてなしする楽しみを私から奪わないでくださいね」

「まぁ、嬉しいこと」


ふふっと笑ったその表情にはもう寂しさも諦めも浮かんではいない。

ゆっくりゆっくり、少女と少年の歌は速度を落として、やがてひとつ高い音を残して止まった。



帰りの馬車の中、婦人は膝の上に抱いたオルゴールの蓋をそっと開ける。

軽やかなメロディーに微笑を浮かべて、長生きしなくちゃね。と呟いた。


【穏やかな時間】


巻きねじ、ねじ巻き、ネジ、ぜんまい。色々言い方があるようで悩みます。

オルゴールはオルゴール館にある時が一番綺麗だと思う今日この頃です。

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