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真夜中の訪問者はイコールで不審者だったハズ。

 変な時間にベッドに入ってしまったからだろうか。木陰のベンチで読書する女性の置物と呼ぶべきか、装飾部分が大きすぎる置時計と呼ぶべきかわからない小さな文字盤を見て――この世界の技術では、どうしても仕掛け部分が大きくなってしまうのだ。結果として、仕掛けをどういう風に誤魔化すか、といった置時計が主流になっている――今が丑三つ時であることを知る。つまりお化けが出る時間だ。

 続き間には不寝番の侍女がいるのだろうけれど、怖いくらい静まり返った暗い室内では、それはあんまり助けにならない。無駄に広くて、部屋の四隅は真っ暗なのだ。なんというホラー仕様。むしろベッドとその周りくらいしか見通せない。

 毎朝こんな風に目覚めたいものだと、そう思うくらい頭はハッキリと冴えていた。夜明けまであと数時間もある。だからもう一度眠っておきたいのだけれど、眠気はいっこうに訪れなかった。

 天蓋の緞帳を開けてしまったことを、私は今更後悔していた。同じ部屋にいられると落ち着かないという理由で、不寝番の侍女を続き間に追い払ってしまったことも。

 ベランダに繋がるカーテンの隙間からは、微かな星明かりが覗いている。

 五分ほどぐだぐだと悩んでから、私はえいやっ、と掛布団を蹴り飛ばした。

 夜着の上にショールを羽織り、音をたてないよう慎重にベランダに出る。

 ベランダの床は大理石で出来ていて、夜気でしっとりと濡れ、ひんやりとしていた。裸足で出てきたのは失敗だったかもしれない。ぺたぺたという足音は、ちょっと間抜けだ。

 月は雲に隠れている。遠く眼下にある篝火が小さく不安定な光を闇に投げていて、風に微かに灰が香った。

 明日は晴れるだろうか。見上げた空には雲がふた筋伸びていた。

 昼間とは違い、流石にベランダに出たくらいで公爵が姿を現すことはない。多分、単純に公爵の手勢がギリギリ入れるところからでは、こちら側まで見通せないからなんだと思う。

 この世界に来てから、私は夜が好きになった。かつての世界よりもずっと闇が深く、良いものも悪いものもみんな一緒くたに覆い隠してしまうから。

「……外に出たい、なあ」

 昼間でも、この離宮からじゃ王都を囲む外壁どころか、王宮の外すらも見えない。

 引きこもり上等、無職ニートもドンと来い状態の私でも、ほんのちょっぴり、もっと広い世界を見てみたいと思うことくらいある。他でもない、自分の目で。

 時々、本当に時々、無性に叫びだしたくなる時がある。

 お腹の底の底の方に溜まっている鬱憤は、表に出しちゃいけないものだってちゃんとわかってる。私だってもう子どもじゃない。でも大人にもなりきれないから、私の意思じゃどうにもならないことで振り回されて身動きが取れない現状が、堪らなくもどかしい。

 ため息を吐く。ああ、なんて不健康な思考なんだ。なんの生産性もない。自分のどうしようもなさを再確認して落ち込むだけなんて、私はひょっとして精神的マゾなんだろうか。

 ふと、違和感を覚えた。

 じっと眼下の暗闇を見る。篝火の周りに蛾らしき虫が群がっているみたいだ。火の粉と呼ぶには大きすぎる煌めきが、薪の束から逃れて落ちた。

 ざわりと中庭の木々が揺れる。ひと際大きく風が動いて、風に攫われて髪が暴れた。

 さっきまで眠っていたから下ろしたままにしていたのが祟り、ただでさえ狭い視界はほとんどゼロ。私はたまらず目を閉じて髪を押さえた。

 いきなりの強風に鳥たちも驚いたのだろう。ギャアギャアと鳴く声が数秒響く。

 その鳴き声に怯みでもしたかのように、風が突然ピタリと止んだ。途端、ばさりと落ちた髪のせいで私は某井戸から這い出る女性仕様に。

 ただでさえ夜、しかも見晴らしの良いベランダで、視界不良はちょっと怖い。うっかり足を滑らせてなんて死因はごめんだ。私はいそいそと手櫛で髪を整え始めた、

 本当はもう部屋に戻った方が良いのはわかっていたけれど、あの部屋は息が詰まる。もう少しだけ、外でこうしていたかった。

 けれど、ある程度髪を整えて視線を上げた時。そこにはさっきまでなかったはずの人影が忽然と現れていた。

 ひゅっと息を呑む。驚きで自分の目が真ん丸に開いているだろうことは見なくてもわかった。

「それが貴女の望みか? シジェスの王女」

 その人は、星明かりを背にしてベランダの手すりに腰かけていた。

 いったいいつの間に、どうやってこんなところまで。動揺する私の頭の中で、今日の夜番の女騎士たちの顔が次々浮かぶ。――彼女たちの内の誰かが、手引きしたんだろうか。

 風は成り行きを見守るように息をひそめている。静寂は耳に迫るようで、ただ淡然と、その人は硝子越しにわたしを見ていた。

 眼鏡だ。場違いだとは重々承知で、私は彼女の顔を凝視する。

 逆光で、しかも今は真夜中だ。声の高さ、柔らかさと、シルエットが円やかな曲線を描いていることからその人が女性だということは疑いようもないけれど、細かな造作や衣装までは判然としない。それはつまり、相手の身分がわからないということだ。

 たかが服装でと、この世界で生まれる前の私ならそう思っただろう。かつての世界で、衣装は選ぶことができるものだった。女性であれ男性であれ、制限が皆無だったとは言わないけれど、好きな服を選んで楽しむことができた。それが自己表現の一環だとも思われていたから、服装は相手の趣味嗜好を図る手がかりにこそなれ、その他のこと、例えば相手がどこの地方出身で身分はどれくらいで、などという情報を推し量ることは困難だった。

 ところが、この世界は違う。そもそも選べるほど豊富に種類も数もないというのがまず一点。ついで、この世界では生まれ持った性別や社会的地位、職業によって明確に身に纏うべき衣装が定められていることがあげられる。

 例えば農民であるならば、祭りや結婚、葬式の日以外は粗末な灰色の服を着ている。染色された布は、そうでないものよりも高価だから、そんな余計なものにお金を使うよりも、少しでも多くの蓄えを作るべきだと法律で定められているのだ。厳しい冬の季節を乗り切り、春にまた種まきができるように。

 商人ならば商人ギルドごとに所属を示す意匠が目立つところに縫い取りされていることが多いし、傭兵ならば武器を携帯している。女性のワンピースやそれに合わせるエプロンだって、それぞれの共同体で布を一括購入するのが普通だから、同じ色の組み合わせになってしまう。そうして、使っている布の質で相手の経済状況を図るのだ。

「第二皇子殿下に同行されていた女騎士の方、でしょうか」

 女性の服装はスカートが一般的。ズボンを穿いている女性なんて、乗馬も嗜む高位貴族の女性か、貴人警護の女騎士か。私が知る限り、それくらいしかいないはずだ。

 この国では女騎士といえばほぼイコールで私の親衛隊。今は亡き先代王妃が、王家に輿入れする際自分が指揮していた小隊をまるごと自分の護衛として親衛隊に任じたのが、そのまま娘の私の親衛隊となっている。

 いくらなんでも日々私のことを主に公爵の魔の手から守ってくれている人たちの顔を名前くらい頭に入っている。でも私は目の前の女性を「ひょっとしたらあの人かも」レベルの心当たりすらない。それに、僅かに残る帝国訛り。男の貴人に女騎士を護衛につけるなんて話聞いたこともないが、他の可能性は思いつかなかった。

 ところが、彼女は「第二?」と怪訝そうに問い返すだけ。……あれ、もしかしてこれ、自信満々に正体言い当てたっぽいことしたのに、まさかの大暴投? なにそれ恥ずかしい。埋まりたい。

 気まずさに黙り込んでしまった私に、ようやく意味が通じたのか、その人はああと呟いて肩をすくめてみせた。細かな表情はわからないけれど、向けられる視線の鋭さは幾分和らいだ気がする。

「そうか、他国では第二皇子と呼ばれているんだったな。いいや、違うぞ、王女様。私は確かに帝国から来たが、彼らとは別行動だ。当然、目的も違う」

「別行動?」

 私はじっと彼女を見つめ返した。

 帝国が一枚岩ではないことなんて、今更過ぎて誰も話題に出さない事実だ。皇帝派と、皇妃派と、第二皇子派と、その他にも大小様々に。実の母子である皇妃と第二皇子の派閥が分けられているのは、実家の勢力を増したい皇妃の行き過ぎた身内贔屓を、第二皇子が度々諌めているから。惚れた弱みか何かは知らないけれど、皇帝は最愛の皇妃の言葉にはあまり強く出られないらしいのだ。

 正直な話、ただでさえ国力が衰退して「王の中の王」を意味する「皇帝位」だとか、「大陸を統治するもの」を意味する「帝国」だとかいう名前も失笑の的にしかならなくなっているのに、いったい何を呑気に身内で争っているのかと第三者である私なんかは思うわけだ。言わないけどね。そんなこと言ったら、ブーメランでこの王国にもダメージが返ってきちゃうから。

 帝国内の勢力で、第二皇子とは別組織。マグダが集めて教えてくれた情報をなんとか引っ張り出しながら、私は必死に考える。

 皇帝派ならば、こんな深夜にこそこそ忍び込む必要はない。皇妃派だったとしてもだ。それこそ第二皇子のように、表から堂々と、親書でも密書でも引っ提げて乗り込んでくればいい。

 そういった、ある意味「王道」の手段が取れなくて、今この時、この国に人を遣るということは、十中八九第二皇子とは目的を異にしていて、しかも対外的に表立ったことはできない派閥ということになる。それでいて、仮にも一国の後宮にここまですんなり忍び込めるくらいには力を持っている。

 それならきっと、答えはひとつだ。

「もしかして――皇太子殿下の」

「身の証立てが必要なら、皇太子の印璽が押された書状でも見るか」

 言って、彼女は実に無造作に巻かれた紙をひとつ、ポンと私に投げて寄越した。

 慌てて受け取って、視線で許可を取ってから紙を広げる。

 ドキドキと心臓がうるさい。話し言葉はともかく、書き言葉は大陸共通で良かったと今この時ほど感じたことはない。難しい文法事項や無駄にややこしい修辞法は忘れたけれど、流石に所持者の身分を示す旅券も兼ねた書状を読むだけならなんとかなる。持ち主と保証人双方の名前と肩書き、最悪それだけ読めればいいんだから。

「光に透かすと七色に変わる蒼のインク……これが使えるのは、時の皇帝と皇太子だけだと」

「印璽の形は見抜けなくとも、こちらの方なら確実だろう?」

 確かに。確かに、「やばいこれ確認しようにも私帝国皇太子の印璽なんて見たこと一度もないんだけど」とは思ってたけど。地味に冷や汗かいてましたけども。

 なんという親切と配慮。やっぱり人間、こういう細かな配慮を忘れちゃいけないよね。

 角ばって硬質な印象を受ける筆致を追うと、保証人の肩書きにはしっかりと帝国皇太子の文字がある。名前の方は達筆過ぎて解読不可。どうして皆、サインというと最早文字とすら判別し難いものを書くんだろう。複製対策とはいえ、芸術的過ぎて私には付いていけそうにない。

 目の前の女性が手すりから身を離し、ベランダの大理石にしっかりと両足をつける。

 その時、雲間から月が覗いた。

「そこにも書いてあるが、改めて自己紹介を。私の名前はフラウルージュ・レクス・ヴァイルハイト。帝国貴族ヴァイルハイト男爵代理だ」

 え、フルネーム名乗っちゃうの? しかも初対面で堂々と? いくら女同士とはいえ、それはかなりの自殺行為なんじゃないだろうか。

 渡された紙にもしっかりと、「フラウルージュ・レクス・ヴァイルハイト」と書かれている。なんとも力強い筆致だ。目の前の女性にはピッタリ……って、そういう問題じゃない。

 名前を知られることは、魂の端を掴まれるも同然。幼い頃、そう教わった。だから婚約や婚姻の際に名乗るのは、私の魂を貴方の御許に捧げますよ、っていう意思表示のため。昔は政略結婚した相手に夜寝所で寝首をかかれる、なんてことも珍しくなかったというから、そういうことの防止と、以後は伴侶に魂が帰属するから、悪意ある他人に名前を知られても影響を受けなくなるんだそうだ。

 理不尽極まりないけれど、強引に名前を奪われれば最悪相手の奴隷状態にもなり得るのだと、本当にあった怖い話を淡々と語る講師に恐怖したことは未だに忘れられない。そのくらい、古い血筋に生まれた女性にとって、名前を知られるというのは脅威なことなのだ。

 なにも各国王家ばかりが古い血筋なわけじゃない。新興貴族と言われる人たちは置いといて、それ以外の貴族の中にも、ちらほら古い血筋はいるのだ。そして、帝国はこの大陸最古の国。帝国貴族のほとんど全てが古い血筋と言っても過言ではないはずで。

 なのにどうして、彼女は初対面の私に名前を名乗ったんだろう?

 うろたえる私に、彼女は、フラウルージュは愉快そうに喉を鳴らした。

「名を知られることは本当はさしたる問題ではないのだよ、シジェスの王女。十分な力を持ち、扱いを学んだ者にとっては、名に縛られるということはない」

「……そう、なのですか?」

 正直眉唾ものだ、と思ったのが顔に出たんだろう。また一歩、彼女がこちらに近寄る。

「名に縛られるのは、自身の力を正しく制御できていないからだ。放置されている主導権を、相手に明け渡すことになる。男に生まれれば務めとして学ばされるが、女ならば力の有無すら無視される。せめてもの自衛にと、遥か昔から母から娘へと伝えられた方法が、いつの間にか中身をなくして真実めかして語られる。よくある話だ」

「では、その『力』とは何なのですか」

「魔力、と。少なくとも、教会の連中はそう呼ぶな」

 彼女の髪は、黒に近い褐色だった。

 月の淡い光の下でそう見えるんだから、実際はもう少し明るい髪色なんだろう。露わになった相貌は思わずハッとするほど綺麗なのに、どこか硬質で冷たい雰囲気を纏っている。声音が伝える感情の豊かさとは対照的に、浮かぶ表情はほとんど無かった。

 これで彼女の瞳が虚ろだったり濁っていたりしたならば、私は幽霊が出たと信じて疑わなかっただろう。どう表現すれば一番適切かはわからないけれど、はっきりとその人を見た瞬間、私が抱いたのは怖れ、のような感情だった。

 高いところから落ちた時のような、胃の腑がきゅっと縮こまるあの感覚。不整脈かと疑うほど大きく乱れた鼓動は、今もまだ耳元で煩く鳴き続けている。

 でも、おかしい。私はこの人にまだ何もされていない。……あ、いや、こんな真夜中にベランダに侵入されている時点で、即刻女騎士さん達を呼んで拘束してもらうべきだっていうのはわかってる。そういう常識的なというか、法に引っかかっちゃう的な意味ではなくて。 

 駄目だ、考えたらドツボに嵌る。今はそんなことよりも、もっと気になる言葉があったじゃないか。そう、「魔力」と。

「まさか、貴女は魔術が使えるのですか」

「だから私はここにいる」

 に、とフラウルージュは口角を上げる。お、おおう、なんという悪役っぽい不敵な笑み。女王様もびっくりだ。

 でも、そうか。他国の王宮に忍び込む人材として、どうして彼女みたいな女性が単身、って思ってたけど、魔術士ならばそれも納得。魔法王国と言われるマハルじゃあるまいし、この国の魔術的防御は正直、ないよりはマシ、っていう程度らしいし。

 それというのも魔術士になれる素養を持った子供の出生率の低さが――って、それも今は関係なくて!

「ああ、だがシジェスの王女は少し勝手が違うな。貴女よりもあのメデルゼルク公爵の方が遙かに魔術的素養が高い。名の欠片、それこそ愛称だけでもあの男にとっては十分だろう」

 それ、なんていう終了のお知らせ? やめて、これ以上私を絶望させないで。

 しかし相変わらずの公爵のスペックの高さにもう涙すら浮かばない。悪役ってのはチートじゃなきゃヒーローの活躍が映えないとか、そんなことを考えた過去が私にもありました。全力で土下座するから小悪党レベルの悪役と交換してくれないかな、本気で。

「そこまでこちらの事情をご存じですか……」

「有名な話だからな、いろいろと」

 いろいろ、の部分にたっぷり込められた含みはできれば聞かなかったことにしたい。有名って、それは私が引きこもりになった原因としてだよね? 情熱的な求婚者とそれを拒む冷徹な王女、なんて誤変換されてたら泣くぞ、声を上げて力の限り泣きわめくぞ。

 思えば竹取物語のかぐや姫や歌劇で有名なトゥーランドット姫も、実際はこんな状況だったんじゃないかなあ、って……好きじゃない相手からの求愛攻勢とか、正直恐怖でしかないよね? 一回断ったらそれで諦めろよ、せめて三回までだろ、って思うよね? ね?

 暗雲を背負う私を、フラウルージュは「まあそう落ち込むな」と実に軽く受け流してくれた。言っておくけど、八割方貴女が上げて落としたせいなんですが。

「その辺りも諸々含めて、貴女とは利害の一致を図れるのではないかと思ってな。こうして忍び込んできたわけだ」

「利害の一致?」

「出たいのだろう? 外に。ならば出ればいい。王宮の外でも、国の外でも。望むのならばその先まで」

 私は絶句してフラウルージュを見つめた。

 今、この人は。この女性は、何て言った?

 彼女は笑っていなかった。かと言って深刻そうな表情でもない。さも当たり前のように、今日の月は満月だとでも、そんな考えなくてもわかることを言ったかのように平然としている。

 それが逆に彼女の本気を示しているようで、知らず、唾を呑み込んだ。

「そんなことが、許されるわけが」

「誰に?」

 フラウルージュの瞳は揺るがない。真っ直ぐに、私の心の奥底を見透かしてしまう。

「貴女を王宮の片隅に閉じ込めているもの――外に出られるわけがないと思わせているのは『誰』だ? シジェスの王女」

「それ、は」

 それは。

 暴れる心臓を押さえるように両手を胸に当てて、目を伏せる。

 それはきっと、この王宮では、いいや、この国では当たり前の質問で。私がここに引きこもっている理由が「誰」にあるかなんて、今更改めて聞く人なんてひとりもいない。

 これもよそ者の気安さなんだろうか。ちらりと視線だけで彼女を見て、それは違うとすぐに否定した。

 彼女は知っている。理屈じゃない、直感のような部分がそう悟る。

 すると、すとんと、気が楽になった。

 有体に言えば諦めたのだ。この女性の前ではどんな言い訳も建前もすぐに見抜かれてしまう。そうわかってしまったから。

「……皆、私にそれを敢えて問う人はいませんでした。今まで、ただの一度も」

「迂闊なことだな。貴女がこんなところに引きこもるようになったのは、|メデルゼルク公爵に見初められるより以前のことから《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》だろうに」

「そのことも、皆忘れてしまっているんですよ」

 苦笑する。この国の誰もが確かに知っていたはずなのにもう忘れてしまったことを、よりにもよって他国の人間に今更指摘されるという、その事実に。

 いつからだろう。外から来る誰かから私を守ってくれているはずの女騎士たちが、私を外に出さないためにいるようになったのは。

 いつからだろう。自由に走り回れていた中庭を、窓辺に座って眺めるだけになったのは。

 きっと乳姉妹であるマグダだって気づいてない。だってその変化は、あまりにも自然に思えるようにもたらされたものだった。

「正直な話、こちらの目的を果たすために一番面倒がない方法は、そうだな……何か適当な理由でシジェスの王太子を廃して現王妃派の勢力を削ぎ、王女を中継ぎの女王として立て、その王配にメデルゼルク公爵をあてがうことで公爵に恩を売る方が楽なんだが」

 え。

 あの、どうしてこう、シリアスなりかけの時に爆弾をぶち込んでくるんでしょうか、この女性は。しかもその一番面倒がない方法って私にとって考え得る限り最悪の未来じゃないですかやだー。やだー……。

「だがまあ、貴女の事情を知って私にわざわざ注進してきたお節介がいてな。知らぬ内ならまだしも、知ってしまえば無視もできまい。だからこうして、望みを聞きに来たんだ」

 私の望み。

 なるほどだから、彼女は最初にあんなことを聞いてきたんだろう。それが貴女の望みか、などと。

「利害の一致と、仰いましたね」

「ああ、言ったな」

「では、私の望みと利害が一致するかもしれない皇太子殿下の望みとは、一体何なのでしょうか」

 私の問いに、得たり、とばかりにフラウルージュは瞳を細めた。

「今回に関しては、デュエロの思惑を阻止すること。ただそれだけに過ぎないよ」

「どのような手段ででしょう。場合によっては、私の望みと相反するのでは」

「どうとでも。ただ、シジェスが今以上に帝国に近づくことさえなければいい」

「……例えば、次期皇帝に誰が即位しようと、何も口出ししようと思わない程度に?」

「理解が早くて助かる」

 その条件なら、簡単なことではもちろんないけれど、そこまで難しいわけでもない。私は密かに息を吐いた。

 この国にも、政治的な派閥は幾つかある。帝国に直接統治されていた時代を懐かしむ派閥もそのひとつだ。

 彼らはそもそもこの国が「王国」を名乗ること自体に反意を抱き、今も頻繁に帝国の人間と接触していると噂されている。今でも表向きは帝国に臣従するという形を取っている王国としては、表だって彼らを糾弾するわけにもいかない。でも本音は、この国の王制を揺るがしかねないとして、かなり問題視しているのだ。

 問題視している筆頭はもちろん国王陛下その人。それに、息子の即位を願う王妃やその実家である公爵家だ。

 懸念しているのは第二皇子がその一部派閥と結束することだろう。彼らの思惑はほぼ完全に一致しているように見える。婚姻という手段で穏便に名実ともに帝国領に戻れるならば、あの派閥は何だってするだろうから。かつてのように。

「どうだろう。利害の一致は得られるだろうか」

 そう問いながら、彼女はほとんど疑っていない様子だった。

 もう一度、ひとつひとつの事柄を整理して、うん、と私は頷いた。

「今この場で、はっきりとしたお答えはできません。時間をいただけませんか。できればゆっくり考えて、その上で決めたいのです」

「急な話であることはこちらも重々わかっているが、実はあまり時間がない。第二皇子は拙速を尊ぶ。アレがやると決めて、実際ここまで乗り込んで来ているんだ。可能な限り早く返答がほしい」

 うぐ。確かにその通りだ。

 こちらにとっては寝耳に水の訪問でも、第二皇子にとっては周到に計画した上で乗りこんで来たんだろうことは想像に難くない。あの手のタイプは、目的のためには手段も労力も厭わない男だ。

「それならば、明日の夕暮れまで」

「それくらいの時間はなければ、流石に不憫か。了解した。ではその時にまた訪ねて来るとしよう」

 言って、彼女は飄々踵を返す。そちらにはベランダの手すりしかないのに。

 どうするのかと見守っていると、なんと手すりに足をかけて上ってしまったではないか。

 流石にそれにはぎょっとして、慌てて彼女を呼び止める。

「待って、今侍女に話を通すから、こちらから――」

「ではな、シジェスの王女。夜は冷える。不寝番の侍女に見咎められる前に、寝台に戻ることをお勧めしておこう」

 とん、と彼女が手すりを蹴る。

 ベランダを離れた彼女の体は夜闇に踊り、重力に従って下方へと落ち見えなくなる。

 急いで手すりまで駆け寄って下を覗きこんだけれど、そこには篝火の揺らぐ光と真っ暗闇が広がるだけ。想像したようなスプラッタ死体はどこにもない。

 突然現れて、忽然と姿を消してしまった女性、フラウルージュ。

 狐につままれたような微妙な気分で、私はのろのろと自室に戻った。窓の鍵を施錠するのも忘れない。

 そしてばふりと寝台に寝ころび、天井を見上げた。

「……夢? まさか、あんなリアルな」

 それに、夢であってほしくない自分を、私はもう否定できない。

 瞼を下ろし、掛け布を被る。とりあえず一度寝て起きて、それでもまだ覚えていたら、それからまた考えればいいだろう。

 全ては、それから。

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