たまには真面目にお仕事もする。
お茶会の席は離宮にある薔薇園に用意した。
公女様にとってはこの国に来て最初の社交場。歓迎の夜会を夜に控えているから、前哨戦のようなものだろうか。昨日国王陛下に謁見した時の襟の詰まった型のドレスじゃなくて、年齢相応の可愛らしい淡い色のドレスがよく似合っている。まだ幼いからだろうか。挨拶をした公女様の声は細く、緊張に強張る肩は痛々しいくらい。
大丈夫だよー、いじめないよー、怖くないよーと精一杯の気持ちを込めて微笑んでみる。希望としては安心できる柔らかい微笑になっていればいいんだけれど、精々気の抜けただらしない笑顔ってところだろう。救いは威圧感なんてもの端から持っちゃいないってところだろうか。
控えていたメイドが公女様のために椅子を引く。その際、腰かける動作がまさに「ちょこん」といった風情だったことに見ていたメイド達どころか女騎士達すら内心身悶えているのがよくわかった。動作が可愛いってこの美少女最強じゃないだろうか。
「サディラから持って来た砂糖菓子です。どうぞ食べてみてください」
「まあ、ありがとうございます」
これはもしや金平糖! ……もどき!
かつて見たとげとげはついていないけれど、白に水色、紫がかった朱色をしたころころの丸いフォルムはまさしく金平糖だ。「『星砂』と呼ばれているんです」という公女様の説明に、なるほど、と深く頷く。
この世界、砂糖はまだ高価なものだ。それも白ければ白いほど高くなるので、この「星砂」のような真っ白の砂糖菓子はとてつもなく高価なわけだ。そのことは、周りにいるメイド達の反応を見てもわかる。
勧められるままに一粒、口に運ぶ。ころりと口の中で転がして、少しするとくしゃりと潰れた。僅かにざらつくこの舌触り。これはますます金平糖っぽい。
「見た目も十分可愛らしいですが、この食感も面白いですね。飴とはまた違った……」
「お口に合ったでしょうか」
「ええ、とても美味しいです」
もうひとつ食べても? と尋ねると、どうぞどうぞとむしろ勧められる。その際、キラリと公女様の瞳が光ったのにはひとまず気づかなかったことにしておく。
でもこれ、本当に美味しい。これでも一応一国の王女様なんてやっている身分の私でさえ、そうそう口にしたことのない上等な砂糖を使っているみたい。お菓子といえば蜂蜜の甘味っていうのが常識のこの宮廷だ。これなら、新し物好きの貴婦人方にも十分売りだせるだろう。
公女様がうずうずと何か聞きたそうにしている。ここでさらに焦らしたら後で乳姉妹のマグダにこってり絞られるだろう。彼女はロリコ……もとい、小さくて可愛いもの好きだから。
「これは是非、他の方々にも紹介して差し上げたいですね」
「本当ですか!」
ぱあっと表情を明るくする公女様。その素直な反応に思わずくすりと笑ってしまう。
姫様、と公女様の後ろにいたお付きの侍女さんが彼女を窘める。はっとして居住まいを正し誤魔化すように咳払いをした後、公女様はキリッとした表情を取り繕った。
ぶっほ、と公女様の後ろで誰かが噴き出す。うん、とりあえず笑ったのはこの国の人間じゃなくて公女様のお付きの方だね。まさかの身内の暴挙に耳の先まで真っ赤にした公女様がぎろりと自分の背後を睨む。サッと顔を反らしたお付きの多さに、こちら側もなんだか生温い視線になってしまった。
この一連のやり取りはいわばお約束のようなものだ。公女様、引いてはサディラ側は彼女の訪問を機にサディラの物をこの国に広めたい。こちらはわざわざサディラに足を運ぶことなくサディラの情報を幾らか仕入れることができる。イーブンな取引になるかどうかは交渉次第。一見優雅に見えるお茶会も、立派な外交の場なのだ。こればかりは、公女様が八歳だからといって誰も容赦してくれない。
だから、歓迎の夜会という公式の場の前に私のお茶会という私的な場で前哨戦。多分、国王陛下の言った「お世話」の中にはこういうことも含まれていたんだろう。今回は高価な砂糖菓子だったけど、もちろんそれだけじゃない。公女の訪問というのは良くも悪くも注目を集める。いわば公女様は歩くサディラの広告塔なのだ。
公女様の出した砂糖菓子を私が受け取って、「他の人への紹介」を提案した。口約束でも、これはこの砂糖菓子をこの国に広める上で私が後ろ盾になった、ということと同義になる。王室御用達ならぬ、王女様御用達というわけだ。
さて、今度は私の番である。番と書いてターンと読んでもらっても構わない。目配せだけでささっと頼んでおいたものを持ってきてくれるマグダは本当に有能だ。
マグダが捧げ持ってきた銀の盆とそこに並ぶお菓子を見て、大きな公女様の瞳がさらに丸くなった。
「これは、もしかして噂の『ちよこ』ですか!?」
「その通りです」
あらら。噂になってたのね。
「ちよこ」とはもちろんチョコレートのことである。どうしてこんな異世界にチョコレートなんてものがあるのかと思った人、あなたの疑問は非常に正しい。
でも、想像してみてほしい。私は前世、それなりに普通に生きていた人間なので、当然チョコレートだって何度も食べていた。その辺にあるコンビニのスイーツだって侮れないもんです。市販品の一粒五円のチョコレートから超高級品一粒云千円のものまで、ありとあらゆるチョコレートが溢れていたのだ。それが一転、いきなりチョコレートが食べられなくなったらどうだろう。私には軽く絶望できるレベルの衝撃だった。
幸いだったのはいわゆるホットチョコレートなるものはなんとか存在していたことだろうか。もちろん漢方レベルの苦さでしたが何か。完全なる健康食品として医局にひっそりと鎮座なさっておりましたとも、原料であるお豆さんが。
思わずその豆を抱えて喜びの舞を踊ってしまった私は悪くない。そこから聞くも涙、語るも涙な試行錯誤の日々が始まっちゃったりするんだけれど、協力してくれた職人さんと違い、明確にゴール地点が見えていた私は幾分かその辛さが軽減されていた気がする。
大変だったのは如何にこの豆を細かくすり潰すかという一点。カカオバターと分離させるところまではなんとか出来ても、口どけがじゃりじゃりじゃあよろしくない。そのためにはひたすら豆をするべし、するべし! 目標は粉雪だと言った時に菓子職人さん達が闘志に燃え、そのすりつぶすための道具を作ってくれていた大工さん達が若干涙目になったのもいい思い出だ。無理言ってすみません。
でも、その甲斐はあった。ひと口食べてうっとりと表情を緩ませる公女様に、そうだろうそうだろうと何度も頷く。サディラ本国にも贈りたいとの申し出も笑顔で快諾。お買い上げありがとうございまーす!
そこからは和やかな会話が続いた。お互い、このお茶会における最大の目的が無事終了したからだろう。
そんな中、ぽつりと。会話の切れ間にこぼれた公女様のひとり言に、私はギシリと動きを止めた。
曰く、「王太子殿下はどのような方なのでしょうか」と。
「父である大公もその家臣も、『自らの目で見極めよ』と仰るばかりで、私に何も教えてくれなかったのです」
「まあ」
いや、本当に「まあ」ですよ、サディラ大公様方。
こうして会話するのはまだ合計で半日もないけれど、公女様が八歳という年齢の割に聡明で真面目な方だというのはよくわかる。わかっているのに、どうして「我が国の王太子は甘やかされて育ったまさにぼんくらを絵に描いたようなお子様ですの」なんて正直なことを言えるだろうか。
密かにマグダと目配せをする。どうする、言っちゃう? やめておいた方がよろしいかと。でもどうせ後々わかることだよ? 姫様には慈悲の心がないのですか! いやそんなこと言ったって。
しかし、どうしてこうして公女様は賢くて、無言の私に色々察してしまったらしい。やはり、と呟いて視線をカップを持つ手元に落とした。
「不躾な質問をしてしまい申し訳ありません。どうかお許しくださいませ」
「いえ、そのようなことは」
それを言うなら謝るのはこちらの方である。それこそありとあらゆる意味で。
今回の縁談の話だって、サディラ側じゃなくてこの国の方が強引に話をまとめたようなものだ。その背景にあるのはぼんくら王太子の後ろ盾の強化とか、まあそんなところだろう。国内貴族を迎えるより、それなりに力のある他国から妃を迎えた方が箔もつく。それに外戚にあたる公爵家と敵対する勢力に口を挟む隙も与えない。彼の一族の権勢は増すばかりだ、不味いことに。
公爵陣営の誤算は公女様の幼さくらいか。流石に八歳じゃあ子どもを産んでもらうこともできないし、もしそんなことをすればサディラ側も黙っていないだろう。たとえこのまま婚姻したとしても、公女様が成人を迎えるまでは白い結婚でいることがこの縁談の条件の一つだしね。それまで王太子が他の女性とうっかり子どもでも作らないよう見張るのが今後の課題、ってとこかな。
そういう諸々の事情も含めて複雑な表情になる私に、公女様はふっと大人びた表情を浮かべた。罪悪感を抱える私を見透かして、それを許容してしまうように。そして私に、突然人払いを頼んできた。
不思議に思いながらも、なんとなくここが分かれ目のような気もした私は快くその頼みを受け入れた。残ったのは私と公女様。それにお互いの乳姉妹達。周りをぐるりと取り囲んでいたメイドや女騎士達がいなくなったことで風通しが良くなり、公女様のドレスのリボンがふわりと揺れる。つられるように公女様は視線を上げ、真っ直ぐに私を見た。
暫しの沈黙。後、「こういう言い方をすると殿下方には申し訳ないのですが」と公女様は言う。
「私、元々あまりお相手には期待していませんので、たとえ王太子殿下がどのような方であろうと、失望したりはしないつもりですの」
絶句、である。
最早取り繕う余裕も消え失せ、思いきり勢い良くマグダを振り返る。ところがもちろん、彼女に公女様の真意がわかるはずもない。一瞬で衝撃から立ち直ったマグダは、もう少し事情を聞けと言わんばかりの視線を寄越してきた。私に否やがあろうはずもない。
「それはこの縁談が政略結婚だからでしょうか」
「もちろんそれもありますけれど、それだけではないのです」
この先を言っても良いのだろうかと逡巡するような間が一度。公女様の後ろにいた彼女の乳姉妹だという侍女が励ますように肩に手を置いて、そうしてようやく、彼女はこのお茶会における個人的な本題を切りだした。
「私、ストライクゾーンは三十代後半から六十手前までの渋みのあるダンディな男性ですの」
再び絶句。果たしてこれは本当に八歳児から聞く言葉なんだろうか。公爵を前にした時とは違う意味で、猛烈に現実逃避がしたくなってきた。
「つまり、今年ようやく十五歳になったばかりの王太子殿下では若すぎる、と」
「その通りですわ」
なんということだ。あまりにも予想の斜め上過ぎる事態に、眩暈を通り越していっそ頭痛がしてきた。
こめかみを揉む。とにかく落ち着け、私。
えーと、公女様は渋好みのオジ専で、歳回りが近くてもボンクラ、もとい王太子はそもそも対象外。で、昨日の様子を見る限り当のぼんくら本人も公女様は幼すぎて対象外ってことだろうか。え、何この「詰み」状態の縁談。最初は他人行儀でも互いに歩み寄って――みたいな政略結婚にありがちな歩み寄りのステップの第一歩目すら見当たらないよ?
と、そこで私ははたと思いついた。待て、公女様の好みは「三十代後半から六十手前」だと?
私の脳裏にポンと該当人物が浮かんだのとほぼ同時、公女様は無邪気に更なる爆弾を落としてくださった。
「昨日の謁見は少し緊張してしまいました。陛下も筆頭公爵も、どちらもとても素敵な方でしたもの」
筆頭公爵っていうのは、ほら、アレだ。まさに悪役! な公爵さんのことだ。貴族位の最上位公爵の中でもトップの地位だから、筆頭公爵。宰相のいないこの国では実質上のナンバーツーを示す称号でもある。
「だから、王女殿下が少し羨ましいのです。あんな素敵な方から、他国にも聞こえるほど情熱的に求愛されているなんて、なんて素敵なのかしら」
ほう、と頬を両手で包んで夢見る瞳な公女様には悪いが、その感想、全然全く、一ミクロンも同意できかねます。