SS集「最後の女王」
※IF「もしも王女さまが女王に即位したら」エンドSS集
※王女様のメンタルがほぼ死に
※ラスト、あったかもしれない未来の話
【女王即位】
先王の急死から一年。ようやく喪が明けたシジェス王国は、久方ぶりの慶事に沸いた。
代々の国王が戴冠式を行う大聖堂から現れた玲瓏たる美女――新たな、そして王国史上初の女王の戴冠に、街道を埋める民衆は口々に叫ぶ。
シジェス王国万歳、女王陛下万歳、――メデルゼルク公爵万歳、と。
「その『公爵様』ってえのは、いったい誰だい」
「なんだいアンタ、知らねえのか」
地方出身者らしき男の疑問に、隣席で飲んでいた王都民が割り込む。
大きな木製のジョッギに並々と注がれたエールをぐびりとひと口あおいで、「我らが陛下の旦那だよ、旦那!」と赤ら顔で教えてやった。
「なんでも王様ってのは男か、結婚してる女しかなれねえんだとさ。だから戴冠式にあわせてお二人の結婚式もやったって話だよ」
「しかし、女王陛下ってのはまだ若い娘さんなんだろ? その旦那ってえのも尻の青い若造なんじゃあねえのか」
「あっははは! いやあ、そいつがよお、公爵様と陛下は、親子ほども年が離れてるんだよ」
少しだけ、王都民は声をひそめた。滅多なことは言えねえが、と。
「普通の娘っこだったら、そりゃあ親父と同じくらいの相手と結婚だなんて、嫌がりそうなもんだけどよ。公爵様があんまり陛下にぞっこんなもんで、とうとう陥落しちまったとか、あの手この手で追い詰めたとか」
「ははあ、そりゃあ……憐れなもんだな」
「違いない。だけどなあ。その公爵様の領地から来た奴らは、すこぶる公爵様贔屓なんだよなあ」
「そりゃまたどうして」
「知らねえよお。まあ、いいご領主様なんだろうさ。だったらいい王配様にもなってくれんじゃねえかって、俺たちゃそう期待してるってわけさ」
【その夜】
王国の威信とやらを示すため、これでもかと金銀宝石で飾り立てた王冠は、帰って早々に担当官に放り出した。
咎める視線などどこ吹く風。いつもならちょっとは気にしただろうけど、今日この日に限ってはそんなもの、どうでもいいことである。
王宮の奥深く、厳重に守られた宝物庫から引き出されたのが今日の早朝のこと。新王即位を記念した宮中晩餐会の後とはいえ、丸一日も経たずのご退場だ。そういうものとはわかっていても、滅多に活用しないものにかけられた贅の限りに思わず遠い目にもなる。
「――肩が凝ったわね」
どうしてこう、正装と名のつくものは体の節々を痛ませるのだろうか。
帝国式のそれともまた異なる意匠は、シジェスの民族衣装をこれでもかと豪華にしたものだ。刺繍のアクセントに小粒の輝石、結い上げた髪にも真珠が編みこまれ、見物人たちはさぞ眩しかったに違いない。
先王を弑した反逆者として異母弟が追われ、義母は離宮に幽閉された。後ろ盾を失い、後妻によって後宮に幽閉されていた悲劇の王女として、さぞかし大げさな評判がそこかしこで広まっていることだろう。
ぼんやりと部屋を見渡す。豪奢な部屋だ。でも、派手じゃない。父親の生前、国王の私室に足を踏み入れたことなんてなかったから、以前とどこをどう変えたのかはわからない。
誰もいなくなってしまった、と嘆くべきなんだろう。私が残れば、義弟は次期国王なんていう重圧からは解放される。生きてさえいれば、これからどうとでもなる。生きてさえいれば。
ひとつ、不満があるとすれば。
「陛下。そろそろ」
「ああ……そうね」
気が重い。わがままが許されるなら、このままここで立てこもってふて寝を決め込みたい。わかっている。そんなこと、いまさら許されるはずもない。
重い腰を上げると、侍女がガウンをかけてくれた。これがまた重いんだ。きっと実際の重さよりはるかに重い。急に体重が五倍くらいに増えて、自力じゃ歩けなくなったりしないだろうか。
のそのそ歩いても、歩いている限り目的地には着いてしまう。
開いた扉の先、待ち構えていた男が浮かべた鷹揚な微笑に、私はごっそりと表情が抜け落ちたのを自覚した。
「姫」
背後で扉が閉まる。男──メデルゼルク公爵が、私をやんわりと抱きしめた。
ほう、と肺の底から吐き出したような息をついて、小柄でもない私の体をすっぽりと、思いのほか優しく囲い込んだ公爵は、とてもとても満足げな声音でもう一度、「我が姫」と繰り返した。
「このような日を迎えることができるなど、望外の喜びです」
「そう」
笑顔の多い男だ、と今更思う。私に対してだけ、その種類が違うのだということも、なんとなく理解した。
二代続けて、しかも大罪人を出した血筋を王配に迎えるのは如何なものか、と声を上げた者たちはいつの間にかいなくなり、即位と同時に婚姻までも了承したことになっていた。
血まみれの玉座に私は座る。下手人はほとんど公爵だ。女王の狗と呼ばれ始めているとも聞いた。私に不利益をもたらす者は陰ながら葬られ、王宮の風通しはずいぶんよくなった。人がいなくなった分、公爵がどこかから連れて来た人間たちは誰もがそこそこ以上に優秀だという。代替わりして、先代とは似ても似つかない人間が爵位を継いだ貴族も多い。
なにか抗い難い、大きな流れに巻き込まれてしまったことを自覚する。帝国の帝位争いもじわりと影響を広げ始め、物資の流れも変化しつつあった。
日中サインしたいくつもの書類を故意に思い出していると、いつの間にかガウンが床に落ちていた。
毎日せっせと侍女たちが手入れしてくれている髪を、公爵が乱す。腰に回された腕がぐ、と引き寄せられて、両足が浮いた。
言葉になりきれない音が喉から出て、背中を寝台が受けとめる。天蓋の刺繍は、名前も知らない植物だった。
【青い鳥】※Twitter掲載SS加筆修正後再掲
青い鳥が羽ばたいて消えた。これでとうとう自分以外誰もいなくなってしまったと、私は自嘲の息を吐く。
帝国の帝位争いも今は遠い。豪華なだけの牢獄じみたこの部屋にいると、時折呼吸の仕方も忘れてしまったかのような錯覚を覚える。いや、趣味はいいのだ、本当に。ただ、それを私が受け付け難いというだけで。
今は亡き父王の治世下よりも格段に民の生活は豊かになり、整然と統制された王城内はきっと多くの人間にとって歓迎すべきことなのだろう。
──たとえ玉座にはお綺麗に飾り立てられた傀儡の女王が座り、事実上の統治者が王配たる公爵であったとしても、民の知るところではないのだから。
「ただいま戻りました、我が君」
「入室の許可を求めるフリくらいしてほしいわね」
茜色だった空はいつしか宵闇に沈み、飛んでいった鳥なんてそもそもいなかったかのように星々が瞬く。
我ながら嫌みったらしい返答だったというのに、公爵には堪えた様子もない。当たり前のように入室してきて、当たり前のように私の座る長椅子の隣に腰かけた。そして、年甲斐もなく浮かれた様子を隠しもせず私の手を取り、頬に額に口づけを降らせてくる。
(……内乱を起こしている場合じゃなかったのよ)
言い訳がましい、戯言だ。本当のことだといくら弁明しても、きっと誰も納得なんてしてくれない。
異母弟を死んだことにして国外追放にとどめた代わりに、公爵が要求してきたことはあまりに予想通りで、予想通り過ぎてため息も出なかった。
(そんなに価値のあるものでもないのに、ね)
あまりに大切に、大事なもののように扱われるから、時々大声で叫びだしたくなる。やみくもに当たり散らして、物を壊して、意味もなく暴れて、泣きつかれて眠ってしまいたい。
公爵は私に愛を請わない。溺れるほどの愛を注ぎ示し行動に移しはするけれど、私が拒絶さえしなければ常に上機嫌なのだ。気味の悪い話である。身勝手な男だ。私も似たようなものだけれど。
瞼を閉じる。口づけは位置を下げ、公爵の手は不埒な動きをし始めている。
私が受け入れると決めたことだ。必要なこと。いっそ何もわからないくらい溺れてしまえれば楽なのだろうかと、毎夜願う弱さは、もう捨ててしまうべきだろう。
後悔ならいつでもしている。抗いようのない快楽に落とされる時、公の場に公爵の女として出なければならない時、父を悼む時、どこかにいる異母弟を思いながら空を見上げる時。いつだって。
震える心までも絡め取ろうとするかのように、公爵の指は繊細に動き触れる。その指先から、吐息から、眼差しからさえも優しさすら汲み取ってしまって、私は溺れる者のように無為に手を伸ばした。
だれも掴んでなどくれないと──あるいはその先にも公爵しかいないのかもしれないと、怯えながら。言い表しようのない衝動に駆られて。
上体が倒れる。月は見えない。閉じた瞼を再び開ける度胸すらないのだから、手を伸ばしても空を掴むだけだった。
【最後の女王】
「何を読んでるんだ? ライラ」
「……明日王国史の試験なのにずいぶん余裕デスネ、カミラ」
「ははは。私は頭の出来が違うからな。たかだか三百年もない我が国の歴史くらい、授業を聞いていれば覚えられるのさ」
「ちくしょうこの天才開き直ってやがる」
「それで、そんな難しい顔をしてどこに引っ掛かっていたんだ、我がルームメイト殿は」
「ここ。ほら、名前のない女王様のとこ……」
「ああ。『最後の女王』のことか」
「なにそれ?」
「……ライラ。これは授業内で教授が与太話として教えてくれたことだぞ? 覚えていないとは……」
「かわいそうな子を見る目!? 与太話、ってことは雑談ってことじゃない。そんなとこまでノート取ってないし、覚えてもないよ普通!」
「君の普通は平均よりやや下だからな、覚えておきたまえ」
「正直ってさ、過ぎれば美徳でもなんでもなくなると思うの……」
「さて。『最後の女王』、我が国中興の祖について説明が必要か?」
「お願いします神様ホトケ様カミラ様」
「誰だそのホトケというやつは。まあいい。そうだな、端的に言えば、この国がこの国になる前に『シジェス王国』だった国の、文字通り最後の女王だった女性だな」
「あ、旧シジェスの、って意味で『最後の』なのか。なるほどー」
「我が国は新シジェス、亡命した王族の末裔が興した、かなり新しい国だからな。まあ、真偽は怪しいものだが」
「あ、こら、しー! 当代国王陛下は、その末裔のお孫さんなんでしょ!? 迂闊にそんなこと言ったら、不敬罪でしょっぴかれるよ!
……でも、この女王様、どうして名前がないままなんだろう。普通、どんなに昔の人でも死後はちゃんと諡が与えられるはずだよね?」
「そうだな。……げに恐ろしきは、死後すらも続く愛執か」
「? なあに? なにか言った?」
「ライラは今度も赤点を取りそうだな」
「それを回避するために今勉強してるんですけど!?」