Bad End:悲劇の王女
!!注意!!
*本編16話で、「もしもメデルゼルク公爵が間に合わなかったら」のIF展開
*タイトル通りバッドエンド、死ネタ含むので、苦手な方はご注意を
*ある意味公爵ひとり勝ち
見上げた空は、本当にもう、嫌になるくらい綺麗に澄んだ青空だった。
どちらが示し合せたというわけでもないが、敵味方双方が陣を構えたのはどちらもアスガルド平原だった。
流石、古戦場として名高いだけのことはある。近隣のどの街からも適度に離れ、互いの補給線が交わらない絶妙な位置にある平原だ。言ってしまえば、いかにも戦場向きということだけれど。
草いきれがすごい。地面から立ち上る熱気に、首筋を汗が伝い落ちるのがわかった。
「ユノーは、無事サディラに着いたみたいね」
「そのようで」
ひとり言に応えてくれた老将、ガル公爵の表情は硬い。
名目ばかりの総大将である私と違って、実質的な指揮を預かる身だからだろう。王都を抜け出して合流して以来、ずっと眉間の皺を絶やさないガル公爵に、隠すことなく苦笑する。
打倒、逆賊メデルゼルクを掲げてかき集めた兵の数は千にも満たない。対して、ガル公爵に王女《私》誘拐の嫌疑をかけたメデルゼルクの呼びかけに応じたのは述べ千と少し。中身をもう少し詳しく見てみれば、親帝国派と反帝国派に綺麗に分かれていることだろう。
兵力差は歴然。数の上では大差なく思えても、百以上の人数差を楽観視できるほど、私もガル公爵もお気楽な人間じゃなかった。残念なことに。
軍議とは名ばかりの見栄の張り合いの間中、私は正しくお飾りだった。
そもそも兵法において、実際に兵力をぶつけ合うことそれ自体が下策である。勝敗は関係ない。如何に実戦を回避するかが、兵法の真価が問われる問題なのだ。
だというのに、欲の皮が突っ張った面々は血気盛んに最初から戦事の戦略ばかり。この兵力差をひっくり返す上策を、だなんて、戦素人の私ですら鼻で笑ってしまいたくなる世迷言ばかり。
机上の空論、会議は踊る。どうしてこんなに落ち着かないのかは、もちろん彼らが功を競い、同時に功を焦っているからだ。
現状、私たちは――便宜上「我が軍」、と呼ぶけど――王女である私を、王亡き後の女王として立てることで意見が一致している。メデルゼルク公爵打倒の大義名分でもあるから、ここに今更反抗してくる人もいないだろう。
問題は、そう。自分たちが立てるお飾りの女王の、王配を誰にするか。女王の後ろで、実質的にこの国を支配する地位を、ここにいるほとんどの人間が狙っているのだ。
今回の内乱を収めたら。もしくは、この内乱で功を上げれば。それは実にわかりやすい理由になるんだろう。女王の王配に推すための。
当事者であるはずの私の意見など当てにするどころかそもそも形式的にすら求められていない軍議を終えて、天幕を出れば地平線に見える敵影。護衛のように後ろに続いたガル公爵と並んで、ぼんやりと眺める。
からりと晴れた空が夏らしく地上に陽光を惜しみなく降り注ぎ、生温い風が頬を撫でる。
王妃は自害し、ユノーはサディラに公女を連れて亡命した。
いつもと同じ。私ひとり立ち止まっていても、結局そのまま置き去りにして事態は動くのだ。内乱へとなだれ込むこの大きな流れの中で、私ができたことなんてどれだけあっただろう。
鎖帷子は重かった。思えば引きこもり生活も十年と少し。平均的な貴族令嬢よりも貧弱な筋肉は、王都脱出後からの僅かな期間で鍛えあげるには限界がある。
腰に佩いた剣に触れて、まめが潰れて硬くなった手に思わず息を吐いた。
「貴方も貧乏くじばかりね、ガル公爵。最初は母、次は私。厄介者ばかり押し付けられて」
旗頭は私。戦力にはまったく数えられてられていなくても、格好だけでも大将らしく、鎖帷子に甲冑の脚部と肩鎧だけをつけた軽装備で本陣を構えている。
護身にも心もとない拙い剣を披露するくらいなら、どこぞの乙女よろしく旗持ちでもしていたいところだけど、仮にも総大将にそんなことさせられないんだそうだ。
どうにか鞘から抜く時に手間取らなくなった程度のお粗末剣士を前に、ガル公爵はゆるりと首を横に振った。
「至らぬ己自身を責めたことこそあれ、お二方のことを厄介者などと考えたことはございませぬ」
「忠義者ね」
「武辺者ゆえ、それしか知らぬのです」
憤りも、悔いも、義憤も、憎悪も。
何ひとつ表に出すことなく、凪いだ瞳で見下ろされて。私は今度こそため息を吐いた。
「生き難そうだわ、とっても」
「殿下も」
言って、ガル公爵は微かに口角を上げた。
近づく戦の気配と、戦場にいるという非日常にどこか浮ついて不確かで曖昧な熱に浮かされる本陣で。多分私とガル公爵のふたりだけが、この先にあることをわかっていた。
銅鑼の音が鳴り響く。何百という騎馬が蹄を鳴らし、恐怖をかき消すような鬨の声が上がった。
……これは、ほら貝の音? ああ、違う。戦場用のラッパか。
陣が動く。地平の向こうに対面する敵軍もまた、呼応するように移動し始めた。
戦が、始まる。
双方の軍がまともな陣の形を取っていたのは、両軍が衝突するまでのことだった。
始めに左翼の将が討たれ、指揮系統が混乱した隙をつかれてこちらの軍は呆気なく陣形が瓦解する。
私の護衛だと嘯いて本陣で暢気に構えていた連中も、近づく敵方の喧噪に俄かに慌ただしく動き出す。
そこからは、烏合の衆の統率などあってないようなものだった。
断末魔は怒号に消され、悲鳴は苦悶に変わり間もなく途絶える。
殺し合いの混乱が本陣に届く前に、敵味方双方で退却の銅鑼が鳴った。
気づけばもう、空は薄暮。同士討ちを防ぐため、視界が効かなくなる時間の戦闘は禁じられている。他でもない、帝国法によって。
この帝国法というのがまた厄介で、帝国の旧支配権においては最高法規のような位置づけをされている。多国間協定のようなものだ。
だが、破ればそれこそ他国の付け入る隙となる。それは相手方もわかっているのだろう。
優勢だったにも関わらず引き揚げて行く敵方に、こちらは三々五々、かろうじて虚勢を張れる程度の形相で生き残った者たちが戻ってくる。
私のいる本陣には、次々と帰軍と残存兵力が報告されてきて、ガル公爵に随行する副官がそれを書き留めて行く。
再度開かれた軍議では、いなくなった顔ぶれもあった。
そもそもこの軍は、各地を治める貴族たちをそれぞれ将とする中隊が寄せ集まったようなもので、私という旗頭の下に集ってはいるけれど、自分の将が戦死した後も戦闘を続ける意思を持つ兵は少なかった。
脱走兵は、その後盗賊に身を落としやすい。それ以上に、このまま近隣の村に統率者もなく略奪に出向かれては厄介だ。
将がいなくなった軍には代理を立てさせ、もしくは他の将の指揮下に配置し直す。それだけのことが、何やら色々と調整が必要で無駄に時間がかかる。
昼過ぎに陣を展開して、夕刻に引き上げる。
将の数が半分に減ったのは、繰り返して三日目のことだった。
「戦始末は、いったい誰がするのかしらね」
「終えられますか」
「今の数なら、あの子にもどうにかなるでしょう」
立ち上がると、ガル公爵とその手勢もそれに倣った。
兵の消耗が激しい。当然だ。交戦時間は半日にも満たないとはいえ、連日の連戦。明確な終わりはなく、こちらの将たちには停戦という考えがない。
馬に乗れば視界も広がる。一面緑だったはずの大地は無残に踏み荒らされ、赤茶けた土が目立つようになっていた。
折れた旗、打ち捨てられた死体。ざわりと揺れた風に混じる、饐えた臭気。
「お供いたします」
「もう、義理は十分果たしてもらったのに」
困ってしまう、これ以上は。
眉を下げて祖父と呼ぶべき人を見ると、彼はいっそ、穏やかと呼べる表情で目を細めていた。
知っておりますか、と。変わらず低く落ち着いた声で言う。
「子が親より先に死ぬるのは、最大の親不孝です。まして、孫が老いぼれより先に、など」
「なるほど。もってのほかね」
「ええ。罰当たりですな」
なんだ。この人でも、冗談なんて言ったりするんだ。
見れば、ガル公爵に従う面々も年嵩の者しかいなかった。それ以外は、全て息子――私から見れば義理の伯父だ――に預けてしまったのだと。
馬の腹を蹴る。何はともあれ、この乗馬だけは上達したものだ。人間、必要に迫られると強い。
「何を――ガル公爵、王女殿下!」
「怖気づかれたか!」
逃げるのか、と浮足立つ将に聞かれる。土に汚れた顔を見下ろし、私は意識して空辣に嗤った。
「盤面をひっくり返してくるわ」
せいぜい首を洗って待っていてね、と。
タチの悪い冗談を投げつけて、私はそのままもう、振り返らずに馬を走らせた。
退却途中の兵たちが、逆走する私たちを見て何事かと足を止め、跳ね飛ばされるのは御免だとすぐに道を空ける。
走りながら、剣を抜く。鞘は途中で落としてしまった。取りに戻る時間はないし、そのつもりもない。
退却の銅鑼は、さっきからずっと鳴り続けている。日没だ。赤く染まった陽を左手に、累々と並ぶ屍を踏み越えて行く。
敵陣の奥が揺れた。兵の波が割れて、あちらからも騎馬が駆けて来る。
制止の声はどちらからもかかった。でも、私たちは馬の足を緩めたりしなかった。もちろん、あちらも。
騎馬同士がぶつかり合う。驚いた騎馬が幾頭か後ろ立ちになり、落馬した者もいた。
私もすれ違いざま、頭上から振り下ろされた剣に兜ごと叩き潰されそうになって、寸でのところで力を受け流す。相手はそれでバランスを崩したのか、落馬してそのままうごかなくなった。
「っ馬鹿力……!」
形状が歪み、視界を塞ぐようになってしまった兜を、苛立ち混じりに投げ捨てる。
運よくそれが敵方の騎馬の足を捉え、どうと倒れた一頭にひっかかり他にも数頭道連れに地に伏せた。
一度手綱を引いて、ぐるりと馬首をめぐらせる。
結わえていた紐が切れ、兜も投げ捨てたことで長い髪が背に流れ、兵の間に動揺が広がるのが見て取れた。
「王女殿下……!?」
応えて、一頭の騎兵が躍り出る。
一合交えたのはガル公爵が先だった。
「まずは儂からだ、若造!!」
「相変わらず無粋な方だ、ガル将軍……!」
ぎゃん、鉄同士が打ち合う。
比喩ではなく本当に火花が散り、互いに好戦的な獣じみた笑みを浮かべた次の瞬間、息つく間もない打ち合いが始まった。
両軍、実質上の総大将同士の一騎打ちを、退却途中だった兵たちは固唾をのんで見守っていた。
でも、打ち合いは長くは続かない。途中から明らかにガル公爵の息が上がって来たのだ。
一打。鎧の隙間を縫い、メデルゼルク公爵の剣がガル公爵を貫く。私は強く馬の腹を蹴った。
崩れ落ちるガル公爵を止めの一閃が追う前に、どうにか騎馬をふたりの間に滑り込ませることができた。
「っ、姫」
「最後は私、よ!」
メデルゼルク公爵の剣を、まともに受けて無事でいられるわけもなく。
下ろす剣の先に私が滑り込んできたのに気づいて、咄嗟に力を弱めたんだろう。盾で受けた衝撃は腕が痺れるくらいに重かったけれど、押し負けてそのまま落馬する、なんて醜態は晒さずに済んだ。
付け焼刃の剣程度で、メデルゼルク公爵に勝てるなんて勘違いしてるわけじゃない。相手だってそれはわかってるだろう。
チャンスは一度きり。慄く心に気づかないふりをして、剣を受けたままの盾をぐっと左側に引く。そして、右手に持つ剣を横に薙いだ。
動きを見越していたんだろう。避けるためにメデルゼルク公爵が一度退く。追って、私は落馬覚悟でメデルゼルク公爵に突っ込んだ。
一瞬、間近で視線が交わる。鮮やかな翡翠の瞳。僅かに見開かれて、次の瞬間。ふっ、と色が緩む。
どん、という衝撃は、腕からだけじゃなく、全身を襲った。
ぱた、と雫が一滴、地面に落ちる。
ぱた、ぱた、と、連続で零れた緋色を視界の端に捉え、ため息を吐こうとして、うまく呼吸できずにせき込んだ。
吐息が触れるほど近くにメデルゼルク公爵の顔があって、まるで本当に、心底愛おしくてたまらないものを手に入れたかのように微笑むから、私はなんだか全部馬鹿馬鹿しくなってしまった。
ああ、手に腕に伝うこの緋色は、私と公爵、いったいどちらのものなんだろうか。
防ごうと思えば防げたはずだ。避けることも、それこそ、私の剣先が届く前に、斬り捨ててしまうことだって。
それでも公爵は動かなかった。避けなかった。その代わりとでも言うように、彼の剣もまた、私の体を貫いた。
僅かに心臓を外れたことを咎めるように、公爵が身を寄せてくる。私の剣に身を貫かれたまま、重傷を、さらに致命傷に近づけようとするかのように。
「我が姫――私の、運命」
「ぞっとしないこと、言わないでちょうだい」
大きすぎる痛みは熱さに。それも通り越してしまえばもう、なにも感じない。
剣を持たない公爵の手が私の頬を包む。私がもう、腕を上げることすらできないと知っているのか、手甲に包まれた指が、恋人にするようにゆるゆると唇をなぞった。
総大将同士の一騎打ち。最初から、こうするつもりだった。私もガル公爵も、勝てるだなんて思ってなかったから。
旗頭を失ったこちら側は、足並みが揃わずすぐに瓦解するだろう。あちら側も似たようなものだ。そうすればもう、この王国の王位に対して正当な権利を持つ人間はただひとり。サディラ公国に亡命した、ユノーしかいなくなる。
『こんな国、いっそ滅びてしまえばいいのに』
かつて、喪服の王妃がこぼした言葉。その通りになるか否かは、ユノーとこの王国の人間が決めるだろう。なんのしがらみもない子どもたちが。
ずる、と体が馬から落ちかける。すると、死にかけとは思えない力でメデルゼルク公爵に体ごと引きずり抱えられた。
(そんなことしたら、もっと深く刺さってしまうのに)
なんて馬鹿な男だろう。それでも、私を腕に抱いたことに嬉しそうに瞳を細めるのだから。
ああそうだ、認めよう。古い血族の人間に定められた「運命」とやらが本当にあるのなら、私にとってそれは多分、他でもない、メデルゼルク公爵だったのだろうと。
好きではなかった。むしろ嫌っていた。けれど良くも悪くも、私の人生を左右し、無視できない影響を与えたのは、紛れもなくこの男なのだ。
落馬の衝撃はない。律儀に私を抱え込んだ男が、一緒に馬から落ちて庇ったのだ。
おかしな話。笑ってしまう。互いに互いの体に刃を突き立てて、男の方が心底幸せそうに笑っているだなんて。
「我が姫の、望みのままに」
もう、目が開かない。
先に逝くなと、ガル公爵は言った。政略で迎えた養子であっても、彼が私の母を本当の娘のように慈しんでいたことを知っている。あの人の親不孝を、悲しんでくれたことも。
だからせめて、私くらいは、ガル公爵よりも後に逝きたい。
頬になにかが触れる。胴体に空いた穴の激痛は感じないのに、変なの。
眠りに落ちる寸前のような、意識が体の下側にごそっと落ちて行く、浮遊感にも似た感覚。背筋が寒い。下半身を濡らすのが汗なのかどちらかの血なのかすら、もうわからなかった。
「……空が、青いわ」
王宮《あの部屋》から見た空も、青かっただろうか。思い出せない。マグダは泣くだろうか。
記憶の中でいつか見上げた空は、本当にもう、嫌になるくらい綺麗に澄んだ青空だった。
帝国の帝位争いの折り、その余波を受けて滅んだ国のひとつに、シジェス王国の名が挙げられる。
奸臣による国王の謀殺、王太子の他国への亡命と、王女を旗頭に建てた内乱。混乱を極めた王国内に、亡命した王太子を総大将にしたてたサディラ公国軍が踏み込んだのは、逆臣と王女が共に戦場で散った、僅か数日後のことだった。
公国の助力によって乱を収めた王太子は、帝国への恭順を表明。シジェスは「王国」の称号を改め、再び「シジェス辺境伯領」として帝国傘下に戻ることになる。
王国時代を懐古し、詩人は歌う。王国の逆臣、メデルゼルクを討ち、父母の仇を取った、悲劇の王女の物語を。
「運命」と殉じた、愚かな男の物語を。