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謝られるのは道理に合わない。

「お待ちしておりました、我が姫」

 私兵たちを従えて、男は優雅に腰を折った。

 下げ、再び上げられた瞳の翡翠は真っ直ぐに私に向けられている。

 その顔にはどこにも動揺の欠片など見当たらなくて。全て見抜かれて泳がされていたのだと気づくには十分だった。

 臍をかむ。それ以上に押し寄せてきた恐怖には必死で知らないフリをして、私は一歩、前に出た。

「王妃陛下との会談は、どうしたのかしら」

「妹は体調が優れぬと」

 その言葉が嘘であることは、言われなくても知っている。視界の端でユノーが肩を震わせたのがわかった。

 王妃を、王妃ではなく「妹」と呼んだこと。言葉の含みに眉を寄せて、震える唇を無理やり動かす。

「それで、何故貴方がここにいるのかしら」

 歴代王妃にだけ伝えられる抜け道。まさか、城外にあるという出口を探し当てられていたのだろうか?

 問いかけに、男はおや、とわざとらしく首をかしげる。面白がるように唇が歪んだ。

「この道を知る『王妃』は、なにもひとりきりではないのですよ」

 歴代(・・)王妃に伝えられてきたという、その意味に内心呻く。

 国王の母、王太后は既に亡く、王妃が教えるわけがない以上、彼にこの道を教えた「王妃」が誰かなど、答えは明らかだ。

「……そこまで愚かだったのだと、思いたくはなかったわ」

 先代王妃、私の母親。男を、ゲオルグと、名前で呼んでいた女性。そして――男を思慕していた、ただの女でもあった人。

 王妃の間から城下に繋がる抜け道というのは、裏を返せば城下から(・・・・)王妃の間に(・・・・・)繋がる道(・・・・)ということだ。

 最低限の自覚はあったはずだ。ならば、教えたのはあの時だろう。もう子どもが望めぬと侍医に告げられた後。どうせ子どもができないのなら貞節を守る意味はないと、そう考えたのではないと信じたいけれど、そんな私の考えを見抜くように男は――ゲオルグ・フォン・メデルゼルクは笑う。

「使う機会などないと思っておりましたが、こうして姫をお迎えできたのならば、その愚かさにも感謝せねばなりますまい」

 そして同じ愚かさで、私たちは追い詰められてしまっているのか。

 本当にどうして、親世代の間でのあれこれは、親世代の中だけで済ませておいてくれないのだろう。わかってる、無茶なことを言ってるってことは。私やユノーにとっては自分が生まれる前の話で、良くも悪くも手出しできない事柄ばかりだけれど、当事者たちはその時から今までずっと生きているのだ。子ども側の事情を汲んで知らないフリをしてくれるだなんて、そんな都合良く話が進むはずがない。

 ほとんど初めて、私の中に母親への怒りが沸いた。今までのような悲哀と諦念、憤りが入り混じったごちゃごちゃした感情じゃない。これは紛うことなき、純然たる怒りだ。

 恋しい男から引き離すために、娘を後宮の片隅に追いやって、閉じ込めて。そうして十何年も私の時間を奪っておいて、まだ足りないのかと。どんなに理不尽だと思っても、そのたったひとつの願いのために命まで賭けた相手を無碍にできないからと、そう思って反発することもしなかった私が、やはり間違っていたのだろうか。

 反抗しなかったのは、私自身がゲオルグ・フォン・メデルゼルクに対して関心を持っていなかったせいももちろんある。一度も会ったことがない相手、しかも実の母親の想い人に会いたいと思えるほど悪趣味でも酔狂でもない。筆頭貴族であるからには何もしなくてもいずれ会うことになるだろう相手でもあったし、父親よりは年下とはいえ、降嫁先候補のひとりと考えるにはあまりにも年齢が離れていた。

 でも結局、現王妃が嫁いできてユノーが生まれるまでの数年間、私が公の場にも出ずひたすら引き篭もって過ごしていたのは、それが母親の願いでもあったからだ。

 それで、結果がこの有様である。情けなくて涙も出ない。死者に鞭打つ行為は醜悪ですらあるけれど、ならば死者が生前なした行いすべてに目を瞑れるのかと言えば、当然答えは否である。しかも現状、追い詰められているのはそのせいでもあって。

今なら心置きなく母親を罵れる自信があった。なんてことをしてくれたんだ、と。

 改めて確認するまでもなく、道幅は狭い。メデルゼルクの私兵は十人もいないようだが、それでも単純に考えて、軽くこちらの倍以上の戦力だ。囲まれる心配はないけれど、切り抜けられる可能性も皆無だった。悲しいことに。

「一応聞く。伯父上を足止めできる時間はどれくらいだ?」

「おいおい。そこは、倒せるかどうか聞くところだぜ」

「無理だろう」

「ま、違いない」

 ユノーとキールが実に絶望的な会話を交わしてくれている。

 ちらりと二人の女騎士を見ても、その覚悟してしまった瞳を見れば彼らと同じ意見だということは明白で。エリザだけは変わらぬ笑みを浮かべたまま剣を鞘から抜き放っていた。

「ご下知を、姫様」

「だから待てって。とりあえずここは交渉だろうが」

「交渉とは、対等か有利な相手から持ちかけるからこそ成立するもの。この状況で彼らが応じると?」

「なら、なんであいつらがあそこから動かないんだと思ってんだ」

 言われて、はたと気づく。

 余裕たっぷり、泰然自若と佇んでいる公爵も、その私兵も。確かに私たちが初めて見たところから一歩も動いていない。まるで私たちが自らそちらに向かうのを待ち構えてでもいるかのように。

 私にはただの公爵側の余裕アピールにしか見えてなかったのだけれど、少なくともキールやユノーにとっては別の意味があったらしい。エリザたちもまた、何かに気づいたかのように周囲を探り、なるほど、と頷いた。

「ここはまだ(・・)、後宮の守りの中か」

「まさかこんなところにまで加護が及んでいるとは思わなかった、ってとこだろ。あっちとしても」

「ですが」

 公女様の声に、ユノーが苦い表情で頷く。

「伯父上自身も、その配下にも優秀な魔術師は幾らでもいるはずだ。いつ守りが破られるか……安心していられる状況じゃない」

「なら、引き返すか」

 あまりにも軽い調子でそう尋ねられたので、私は一瞬、それが誰に向けられた言葉なのかわからなかった。

 止んだ会話に、もしかしてと思って視線だけ振り返る。

 ユノーも、公女様も、エリザも、二人の女騎士たちも。皆が皆、何かを待つように私を見ていた。

 視線を向ければ、軽い口調とは裏腹にキールの強い眼差しが向けられる。問いかけは、どうやら私に投げられていたらしい。

 いつもの私だったなら、皆に一斉に見られるというこの状況にうろたえて、碌に何も返せなかっただろう。誤魔化すために瞳を伏せれば上出来な方。最悪、自分の答えは何も言わず、誰かに水を向けてやり過ごそうとしていたに違いない。

 だけどその時、私は母親への怒りを抱えたままで。ついでにその怒りは、全部知っていながら知らぬ振りをして母親からの想いを黙殺し、あまつさえそれを自分の良い様に利用した公爵にも、命令の真意を知りながら恩返しのためだなんて理由で私を閉じ込め続けた女騎士たちにも、ありとあらゆる方面に向けられていた。

 端的に言えば、その時私はあり得ないほど怒っていたのだ。だから、私を責めるような、試すようなその問いかけを、鼻で笑って一蹴してみせた。

「引き返して、それで? 災禍が去るまで引き篭もって怯えていろと? 素敵ね、なんて無駄で生産性のない提案かしら」

「あ、姉上?」

「私ね、ユノー。今、とっても怒っているのよ」

 不思議と、浮かぶのは笑顔だった。にっこり、なんて可愛らしいものじゃないのは鏡を見なくてもわかる。

 薄く歪んだ唇に、微かに細めた瞳。もう変装をしている意味もないと、いい加減鬱陶しくなってきていた帽子も投げ捨てる。

 そして、また一歩。前に進んだ。

「ゲオルグ・フォン・メデルゼルク」

「は」

 名前を呼べば、公爵の瞳が面白そうに輝く。或いは、嬉しそうに? そういえば、この男のことを今初めて名前で呼んだのかもしれない。違うかもしれないけれど。とりあえず私の記憶にはない。

 腕を伸ばしても届かない距離。でも、剣を振るえば当たるかもしれない。そんな近いとも遠いとも言えない距離で相対しても、護衛であるはずの女騎士たちは私を下がらせようとはしなかった。代わりに、すぐ後ろにエリザが立つ。

「そこをお退きなさいな。邪魔よ」

 脳内イメージはフラウルージュだ。彼女のあの自然体の傲慢さはあまりに見事だった。見事過ぎた。まるで生まれながらの王者の風格。見習いたくはないが、一時的に参考にさせてもらうくらいは良いだろう。

 傲岸に顎を逸らすオプション付きでそう言うと、公爵は少し目を見開いて、すぐに獰猛に笑ってみせた。面白い、と。そう言葉に出さずとも思ったのだろう。悪趣味で酔狂なこの男は、いろいろなことを自分の思い通りに運ぶのも好きだけれど、予想外の事態というものも同じくらい好んでいるらしいので。

「さて。我が姫の望みとあれば、たとえどのようなものであっても叶えて差し上げたいところではありますが」

 もったいぶった口ぶりで公爵は言葉を転がす。

 公爵がそうやって無駄に意味深な素振りを見せることはいつものことだ。完全に頭に血が上って、怒りが一周回って逆に冷静になった私は冷ややかな気持ちでそれを受け止める。

「私は、貴方にお願いしているつもりはないのだけれど」

「命令だと? 貴女が、私に?」

 ぴり、と空気に緊張が走ったのがわかった。

 対面する公爵からは、怒りのような感情は伝わってこない。私みたいな小娘相手にここまで大きく出られているのに気分を害した様子もなく、むしろこの状況を心底楽しんですらいるんだろう。

 筆頭貴族たるメデルゼルク公爵に命令(・・)できるのは、時の王か王太子だけ。そういった含みを込めて、公爵は私に問いかけている。貴女が王になるのか? と。

 ぎゃん、と鋼が打ち合う音がしたのは、背後からだった。遅れて風圧に髪が揺れる。

「――なに、してるんだ、キール!」

「っは。んなの、見りゃわかんだろう、が!」

 言って、キールは力任せに剣を振り抜く。

 剣を受け止めていた側であるエリザは咄嗟に受け流して切っ先から逃れた。その際、他の女騎士二人に指示を出して公女様と、ユノーの身柄を確保する。

「やはり、さっさと斬り捨てておくべきでしたか」

「そりゃこっちのセリフだ」

「姫、許可を」

 状況がわからない。

 抜き身の剣を手に向かい合うエリザとキールを前に、束の間、私は茫然とした。してしまった、と言うべきか。

「姉上!」

 公爵と対峙して背中を向ける私に、キールが突然斬りかかってきてエリザがそれを防いだのだと、わかった時にはもう、私は後ろに下がり過ぎていた。――公爵の、近くに。

 死角から伸びてきた腕は簡単に私を捉え、反射的に硬直した体を引き寄せる。

 後宮と王宮の境界が、いったいこの地下道のどこにあったのかはわからない。けれど、その境界線を、私は気づかずに踏み越えてしまっていたようだった。

 守りの外に出てしまった私を、公爵は片腕で捕らえた。傍から見れば抱きしめられているような体勢に、けれど抵抗しようにも公爵の腕の力は強く、互いの体の間に挟まれた両腕はまったく動かせなかった。

 ふ、と耳元で公爵が息を吐く。まるで安堵するかのように、私の頭を自分の肩に押し当てた。

 そして、残った右腕に剣を持ち、ぴたりとその剣先を私の背後に向ける。

 ぞっと背筋に怖気が走って、私は咄嗟にエリザの名前を呼んだ。

 一気に場が騒然とする。私の視界にはちらとも動かない公爵の私兵たちしか映らなくて、背後から聞こえる金属音と、合間に紛れる声に、怒りで押しやられていた恐怖が戻ってくる。

 ユノーの声がする。必死にキールの声を呼んでいるのに、応じる声はない。荒い呼吸を繰り返しているのはエリザだろうか。女騎士二人は、公女様を必死に押しとどめているらしい。その公女様が呼んでいるのは私のこと。

 その時、公爵の私兵のひとりが「閣下」と声を上げた。それを合図に、公爵が動く。

 私を抱えたままだというのに、公爵の動きに鈍重さは全くなかった。

 視界がぶれる。「守り」があるはずの領域に踏み込んで、公爵は一度、右腕の剣を横に凪いだ。

 伝わってきた振動。キールの名を呼ぶユノーの悲鳴のような声。なにか重いものが倒れる音がして、私は唯一自由になる足をじたばたと動かして、叫んだ。

「やめなさい、ゲオルグ!」

 私の言葉に従ったわけでもないだろうに、公爵は一度動きを止めた。そこでようやく、私にも状況を見る余裕が戻ってくる。

 無理やり首をひねって見た先にあったのは、血が流れる利き手を押さえ蹲るエリザと、誰のものかわからない血で上半身を真っ赤に染めうつ伏せに倒れるキールの姿だった。

 その位置から、エリザはともかく、キールの方は公爵の手によるものだとわかり背筋が粟立つ。彼が持つ剣はまだ新しい鮮血で濡れていて、切っ先は真っ直ぐに、キールのよこに膝をつく、ユノーの首に向けられていた。後少しでもどちらかが動けば、きっとその剣は簡単にユノーに埋まってしまうだろう。

 指先がピリピリする。押し当てられた耳からは、公爵の乱れひとつない鼓動しか伝わってこない。この状況で、動揺も興奮もなく、ただただ冷静に、冷酷に微笑むことができる公爵を、改めて怖いと思った。

 得体の知れない化け物を目の前にして、しかも私はいわばその爪先にひっかけられている状態なわけだ。逃れようと無理に暴れれば、私ではなくユノーが傷つく。それがわかっていてなお暴れられるほど度胸はなく、むしろ万が一の可能性を考え過ぎてガチリと固まった私を、一瞬公爵の緑の瞳が一瞥する。

 そして改めてユノーを見下ろした公爵は、さて、と相変わらずの勿体ぶった調子で口を開いた。

「ここに来たのがお前だけだったなら、私も躊躇わずお前を斬っていたところだが」

「サディラ公女の助命を。彼女はまだ幼い。伯父上なら、幾らでも使い道を考えられるでしょう」

「そこに価値を見出すかどうかは、帝国の情勢次第だ」

 ぐ、と公爵が剣を押し出す。

 ユノーに庇われる形で、どうにかしてキールの止血をしようと奮闘していた公女様がユノーを、制止するために私が公爵を呼ぶが、男二人はどちらも何も反応しなかった。

 いや、公爵に限っては、私を抱く腕に力を込めていたけれど。不意のことに肺が一瞬押しつぶされそうになり、強制的に口を噤まされた。

「選ぶといい、玉座か死か。お前に残された道は、所詮その程度のものでしかないのだから」

「……同じことを言う。やはり伯父上と母上は仲が良い兄妹のようだ」

 自分たちとは違って、という含みに、公爵はひょいと片眉を上げる。

「姫までもがこの場にいる意味を、わからぬお前ではないだろう」

「それは」

「お優しいことだ、過ぎるほどに。心を傾けるべきではない者にばかり心を傾け、冷酷になりきれない。我が姫」

 頭に、髪越しに寄せられる唇。相手は公爵なのに、慈しむようなそれに、親が子に向けるような愛情だと錯覚しそうになる。

 私に触れる公爵は、その指先ですら情欲を隠そうとしない。母親はともかく、父親には王という不自由な立場ながら、精一杯の愛情を示されていたことを知っているのに、公爵の見せかけの優しさから親に似た愛情を汲み取ろうとすることは、酷い裏切りだ。わかっている。まして、公爵は私から母親の愛情を根こそぎ奪った元凶でもあるのだ。

 だというのに。私はひたすらに悔しくて唇を噛みしめた。涙は悲しくなくても、感情の昂ぶりで溢れてしまう。こんな男に泣かされるのも、こんな男の前で涙を流すのもどちらもご免だと、私のちっぽけなプライドが叫んでいた。

「僕は、玉座に相応しくない」

 真っ直ぐに。文字通り自分の命を天秤に掛けられてもなおそう答えたユノーに、公爵が瞳を細める。

「ならば、死ね」

「ユノー王子!」

 ぱっと、散った鮮血は、けれどユノーのものではなく。

 一度剣が引かれたその隙に、公爵とユノーの間に飛び込んできた公女様が、ユノーの首を跳ねるはずだった剣を肩に受けて倒れ込む。

 ユノーは茫然と倒れ込んできた公女様を見下ろした。唇が音もなく紡いだのは、私の気のせいでなければ公女様の名前だった。

「そんな……何故……何故、僕なんかを庇ったんですか……」

 親を見失った迷子が、行き交う見知らぬ人々に飲まれて、助けを求めることすらできずに蹲っているような、そんな途方に暮れた声だった。

 震え、落ちそうになる瞼を押し上げて、公女様は懸命にユノーを見上げる。

 頬に伸ばした手をユノーが握り、間近に瞳を覗き込まれると、公女様は笑った。会心の笑みだった。

「お怪我は、ありませんか……王太子、殿下」

 息を呑んだのは、誰だったろう。

 公女様は。まだたった八歳にしかならない少女は、凶刃に倒れてもなお王太子を(・・・・)庇い、その無事を確認して笑ってさえみえた。

 ぐっとユノーが俯く。どうして、と震える唇は強く引き結ばれ、はっとしたように自身の両手を見下ろした。その真っ赤に染まった手を。

 再び顔を上げた時、ユノーは泣きそうな顔をしていた。公爵の剣が喉元に突き付けられていた時にもしなかった、悲痛な表情。腕どころか全身小さく震えていて、それでも真っ直ぐに公爵を見上げている。

 僕は、とユノーが口を開いた。

「王太子になりたいと思ったことなんて、一度もなかった。国王にだって」

「ユノー」

「こんな、情けなくて、臆病で、逃げてばかりで……間違ってばかりで……っ」

 それでも。全て知ってもなお、公女様はユノーを呼ぶのだ。「王太子殿下」と。

 逃げられない、とユノーは泣く。公女様を抱きしめながら。散々自分の嫌なところや駄目なところを晒して、とっくに失望されていて当たり前の相手が、たったひとり、最後まで彼を「王太子」と呼んで、認めていたのだと。言葉ではなく行動で示されてしまったから。

「……すみません、姉上」

 涙でぐしゃぐしゃの顔で、ユノーが私を呼んだ。

 交わった視線の先で、ユノーはぎこちない笑みを浮かべる。情けなくて、みっともなくてどうしようもない、疲れ切った瞳をしているのに、けれど何か吹っ切れたような、そんな笑みだった。

「お返しするわけには、いかなくなりました」

「馬鹿ね」

 私はそんなユノーの顔を見て、――思い切り、顔を顰めてやった。

「返してほしいなんて。私、一度でも貴方に言ったかしら」

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