これで「詰み」とは認めたくない。
王城の至る所で、喪に服していることを示す黒旗が掲げられた。
公式では、国王は病による急死と発表されている。崩御を伝える鐘は絶えることなく鳴り続け、空が朝焼けに染まる前に起こされた私は、乏しい現実感に途方に暮れるしかない。
前日どんなことがあったとしても、私を起こしに来るのはいつもマグダだった。でも、国王が亡くなったと血の気が失せた顔で私を起こした侍女はマグダではなかった。だから私は聞いたのだ。マグダはどこ、と。
侍女たちに与えられている部屋にはいなかったらしい。どうやら夜中に王宮の方に行っていたらしく、マグダが戻って来る前に王妃が後宮を封鎖してしまったため、戻って来ることができていないのではないかと、他の侍女やメイドたちは困惑した様子でそう言った。
夜中に、王宮。その言葉を聞いて「何をしに?」なんてとぼけられるほど純心じゃない私は、そういうことかと素直に納得するしかなかった。
「……こんなに物々しくする必要はあるのかしら」
侍女やメイドたちだけじゃなく、後宮内警備を担う女騎士たちまでもが集まった室内は、いつもの倍以上の人口密度を誇っている。私ひとりだけのための部屋にしてはいつも広すぎると思っていたのに、今は少し手狭に見えるのだから、調子が狂うなんてものじゃない。
思わずこぼしたひとり言に、応じたのは女騎士のひとりだった。
「騎士たるもの、皆主命を果たそうとしているだけですよ」
王女様におかれましては、少々息苦しいかもしれませんがと。
申し訳なさそうにする女騎士に、私は鷹揚で曖昧な笑みを返すに留めた。
ここにはたくさん人がいるのに、マグダがいないという、ただそれだけのことで心細さが消えないのだから、私も大概我儘なんだろう。
部屋の内外合わせて、女騎士は二十人前後。こんなにいたのかと驚くべきか、離宮ひとつを交代で警備するには少ないだろうと不安に思うべきなのかはわからない。
でも、貴族の子女しかなれない騎士になっている女性がこれだけいるというのは、この世界、この時代では特筆すべきことだろう。今は亡き実母の功績のひとつ。確か、私の母が女騎士として登用された第一世代だったはずだ。
今現役で役職にある女騎士たちは、だから大体実母と同期かその後輩。その縁で、私の周りには自然と女騎士ばかりが警護に付くようになった。まあ、基本的に後宮内引きこもりだからっていうのもあるんだけれど。
手慰みにかちゃかちゃ扇子をいじりながら、さてどうするかと視線をテーブルに落とした。
王妃からはすぐに現状を説明する書状が届いた。そこには国王の侍従が王の遺体を発見したこと、死因は今のところ睡眠薬の過剰摂取だと考えられていること。そして、遺体を検分している最中にメデルゼルク公爵が手勢を引き連れて現れ、王宮は現在、実質的に彼の手の内にあることが記されていた。
後宮が封鎖された今、王妃は今もまだ外部との唯一の窓口で王宮側との折衝に追われているから、彼女が不在の間、後宮の采配は一時的に私に委譲されている。
とはいえ、彼女が不在の間、私がやったことと言えば、後宮で働く人員全てに召集をかけて現状を説明し、希望者は秘密裡に後宮から脱出させることくらいだ。王妃付きの人間を除いて、この部屋周辺にいるのが、実質今後宮内に残っている人間全員ということになる。
一日中鳴り続いていた鐘の音は、いつの間にか止んでいた。日はとうに沈んでいる。窓から見える王宮も、ぽつぽつと灯りが見えるだけで、どうやら主な業務は終えているらしい。なら、きっと王妃もそろそろ後宮に戻って来るはずだ。
後幾らもしない内に王妃付きの侍女が呼びに来るだろう。それまでに、王妃に聞きたいことをまとめておかなければ。
正直、圧倒的に情報が足りない。少なくない数の侍女とメイドがメデルゼルク公爵とつながっていることがわかっている現状で、マグダ以外の人間からもたらされた情報は信憑性がまったくないのだ。王妃がくれた紙一枚じゃあ、いったい何がどうなっているのか、詳しいことは何もわからなかったから。
こういう時、如何に私がマグダにおんぶに抱っこでここまで来たかがよくわかる。持ちつ持たれつなんて口が裂けても言えない。一方的に寄りかかってばかりで、返せる当てがないなんて最悪だ。不健全極まりない。
ふと、もしかしたらこれでよかったのかもしれないと思った。幸か不幸か、後宮が封鎖された今、マグダは私から引き離されてしまった。夜、王宮に忍んで行く相手がいるのなら、これを機に将来性のない王女なんて見限ってしまって、自分の幸せを求めても良いのではないだろうか。例えば、好き合った人と一緒になるとか、そんな未来を。
王宮仕えなんかしていると、忙しくて碌に自分の時間なんて作れない。その僅かな時間をどうにかやり繰りして、結婚相手を探しになんて割り切って出仕して来ている子たちは相手を見つけ二、三年で寿退社ならぬ寿退職していくのだ。
でも不思議なことに、それ以上長く勤めていると一気に未婚率と晩婚率が跳ね上がる。どうやら勤続年数が一定以上になると配置換えが行われているらしいのだけど、噂によると給金が上がる代わりに拘束時間が長く、おまけに異性と出会う確率が格段に低い仕事に回されてしまうのだそうだ。まあ、数年足らずでやめるとわかっている人間と、ある程度長く勤務するだろう人間で、振り分ける仕事が異なってくるのはなんとなくわかる。
それで言うと、マグダはかなり古参の部類に入る。年齢はともかく、勤続年数は多分私付きの侍女の中でも一番なんじゃないだろうか。
妹のような、姉のような人。だからこそ、そろそろ潮時なのかもしれない。
気分転換にと侍女のひとりが淹れてくれたハーブティーが、だんだんと湯気を薄めて冷めていってしまう。ぼんやりとそれを眺めつつ、気にかかったのはベッド脇にある机の引き出しに入れたままの母の日記のことだった。
革表紙に、金属製の鍵。使い込まれて柔らかくなった革の質感だけを思い出すように努力する。その中身に今更向き合う勇気はない。もうとっくに、終わってしまった話なのだから。
実際、ひどいとばっちりだとも思うのだ。母と公爵の関係なんて、娘の私には関係ないと、たまになりふり構わず駄々をこねてしまいたくなる。親世代のことは、親世代で勝手に揉めて悩んで決着まで済ませておいてほしいところだ、正直な話。
或いは、その終わり方が悪かったから、今このときまで終わりきれていないのだろうか。王妃も、国王――父も。
王妃の侍女が呼びに来た。廊下を歩く私の後ろには、侍女にメイド、女騎士たちまでもがぞろぞろと付いて来て、ちょっとした行列みたいになっている。
迎えた王妃は私の後ろの人数に片眉を上げて、素っ気なく一言。「皆外に出てちょうだい」。後宮の主の言葉だ。誰も逆らえるわけもなく、私はようやく身軽になって勧められるまま長椅子に座る。
集まった面々――私、ユノー、公女様――を見て、王妃はすっと姿勢を正した。そして、頭を下げる。公女様に向かって。
「図らずもサディラの公女をこのような事態に巻き込んでしまったこと、まずは謝罪しますわ。私もこのシジェスも、サディラ公には申し訳ないことをしました」
「あ、頭を上げてください!」
突然のことに、公女様は目を白黒させて王妃に駆け寄った。
「そんな、私のことなど今はどうでも良いではありませんか。大公には私からきちんと説明いたします。ですからどうか、妃殿下、頭をお上げください」
「謝罪を、受け入れていただけますか」
「もちろんです! ですから、どうか」
もうほとんど泣きそうな声と表情で縋る公女様に、ゆっくりと王妃が顔を上げる。
年を取った、と、その横顔に思う。昨日今日で、一気に老け込んでしまったように見えた。
ひとつ息を吐いて、王妃は公女様に謝意を示した。本当なら、この国の御家騒動に巻き込まれただけに過ぎない公女様にはいくら謝罪したって足りないのだと、王妃はもちろん、私も、多分ユノーだってわかっている。
ユノーは片腕を白い布で吊るしていた。どうしたのかと視線を向けると、右のこめかみにも青痣があるのに気が付いた。
改めてユノーを見てみると、着ている服もどことなくよれているし、髪も乱れと跳ねが目立つ。非常時だからと言えばそうなのだけれど、それでは怪我をしている理由には到底ならない。
「メデルゼルク公爵は、玉座に興味がないのではなかったのですか」
本当に言いたいことを飲み込んで、努めて落ち着こうとしているとわかる震える声でユノーが尋ねる。王妃は目を伏せて「状況が変わったのよ」と返した。
「少なくとも、兄はそう判断した。安心してちょうだい。王宮を制圧したのは、あくまでも『国王亡き後、不忠者がおかしな真似をしでかさないように』らしいわ」
「安心して」と言いながら、そう言う王妃自身、その白々しい言い分をこれっぽちも信じてないんだろう。そうでなければ、後宮の封鎖命令を今もまだ撤回しない理由にはならない。
「おかしな真似、ね。例えば、昨夜遅くに僕のところに押しかけて来た連中のようにですか?」
「襲われたの?」
「ご覧の通り」
皮肉げにユノーが口端を上げる。その隣で、公女様が「私を庇ってくださったせいなのです」と呟いた。
まさか、夜一緒にいたの? そんな場合じゃないと思いながらも目を見開くと、公女様は慌てて「昨夜のことではなく、今日の日中のことですわ」と訂正した。
「朝の散歩が日課で、王女殿下からの使者が部屋に来る前に庭園に出てしまっていたのです。その時に」
「まさかサディラ公女まで狙うなんて」
苦虫を噛み潰したような表情で言うユノーに、それは違うと私は首を振った。
「貴方の方はともかく、公女様の方は別件でしょう。こちらの騎士が、何人か既に他国の人間を捕らえているから」
言い方は悪いが、メデルゼルク公爵にとって公女様の生死なんてきっとどうでも良いことだから。配慮する気がない代わり、積極的に害そうとする意味もない。
他国の間者、公爵の私兵、内通者。獅子身中の虫を数え上げればキリがない。つくづく王妃の後宮封鎖という判断の正しさを思い知る。封鎖中、後宮を出入りできるのは基本的に後宮の主たる王妃と、彼女が許可した人間だけだ。
そうは言っても、どこかからこっそり忍び込めるんじゃないかなんて、考えたりもするのだけれど。でも、後宮に施されているのは魔術的な仕掛けだ。詳しい仕組みはわからないけど、遠い昔に掛けられた古い術式だから、おいそれと解除できるものじゃない。深く考えても仕方がない。私に魔術的素養は皆無なのだ。
王妃から委譲された権限は、後宮から出ていくことに限定されていた。だからこの閉鎖された空間に新しく外から入り込む人間はいない。でもそれはつまり、女騎士たちが次々と捕らえている「不穏な動きをする人間」たちは全て、とっくにこの後宮に入り込んでいたということになる。こんな事態になる前から。
捕らえた人間を見張っておくにも人が足りないから、ある程度尋問した後は外にぽいぽい放り出しているのだけれど、後宮の外とは言っても、そこはまだ王宮内。今は公爵が支配する領域だ。その後彼女らがどうなったかなんて、正直あまり考えたくない。
「ユノー。本当に、王位を継ぐ気はないの?」
「はい」
ユノーの返事に迷いはない。王妃は深く息を吐いた。
「この期に及んで、兄が貴方に警告だけで済ませたのは、選択を迫っているのよ」
「選択?」
「死か、玉座か」
ユノーが失笑した。
「父上が亡くなれば、すぐに次代の心配ですか? 流石はご立派な王妃様だ」
「ユノー」
嫌味を言いたくなる気持ちもわかる。この状況で、冷静を保てと言うほうが無理だ。だけど、それを今王妃に言うのはただの八つ当たりだろう。
咎めるために名前を呼べば、不服そうながらも一応口を噤んだ。
すると、今度は王妃が私を呼ぶ。
「王都に、ガル公爵が向かっていると連絡があったわ」
「領地の騒乱はどうしたのです」
「『国家の大事を見誤るほど、耄碌した覚えはない』のだそうよ。……きっと、遅くても五日後には」
この国は、私の祖父の代に行った幾つかの侵略戦争のせいでそれなりに広範な国土を誇っている。
母が国王に嫁ぐために養子に入ったガル公爵家は、確かその新たに支配下において土地の平定にずっとかかずらっていて、それこそ年に一度、年始の挨拶のために公爵の代理が国王に謁見することしかできないほど多忙な日々を送っていたはずだ。
改めて、国王の突然の崩御とはそれだけの大事なのだと背筋が寒くなる。
睡眠薬の過剰摂取? 国王は、いったいいつから睡眠薬を使うようになっていたのだろう。常用していたのじゃなく、昨夜だけ特別に服用したのだというのなら、こんなに怪しいことはない。でも常用していたのなら、どうして昨夜だけその量を間違えたのだろうか。
「兄も、私も。この国を帝国に渡すつもりがないことは同じ。だけどユノー、貴方は考えられる限り最悪のタイミングで、継承権を放棄する意思を示してしまった」
王妃はユノーに考え直すよう求めた。公爵は――公爵も、そのために王宮を制圧したということ?
疑問が顔に出ていたのだろう。王妃は「手段を選ばない、という意味でなら、兄の方がよほどその言葉に忠実だわ」と続ける。
「どうして帝国の皇子の言葉などに耳を貸してしまったの、ユノー。彼らは、あくまでも帝国の利益になることにしか関心がないというのに」
「……確かに、デュエロ殿下と話ができたことは、僕にとって重要でした。けれど、僕が彼に唆されたから王位を放棄しようとしていると思われるのは心外です」
「それの何が違うというの」
「全然違う。母上、僕は今まで、一度だって王になりたいなどと思ったことはなかった」
「王とは望んでなるものではないわ。そう生まれた者が、王なのよ」
「母上が王妃になるために生まれたように? そのためならば、他の人間を利用しても構わないと? そういう傲慢な考えが、姉上から母親を奪ったのだと、何故わからないのですか」
「ユノー」
何を言おうとしているのか。眉を寄せる王妃を、ユノーは強く睨みつけた。
「王妃になるのだと言われて育てられたから、他の人間が王妃になるのが許せなかったのでしょう? おまけに姉上が生まれてしまった。だから姉上の母を、先の王妃を、殺めたのだろう。貴女は、ただ自分が王妃になるためだけに!」
「やめなさい、ユノー!」
「ですが、姉上!」
私を振り返ったユノーの瞳。そこにあるのは、深い深い絶望と、大きな罪の意識だった。
息子からの糾弾に、王妃は凍り付いている。きつく握りしめられた拳を見ていられなくて、私は覚悟を決めることにした。
「母の死に、貴方が罪悪感なんて抱く必要はないの」
「だけど、僕の母と伯父がやったことです」
「違うのよ、ユノー。違うの」
日記帳を思い出す。革の表紙、金属の鍵。青黒いインクはところどころ乱れ、終わりに近づけば近づくほどそれは顕著だった。
「先の王妃の死は、誰のせいでもないわ。……だって彼女は、自ら望んで凶刃にその命を晒したんだもの」
「え?」
「――貴女、まさか」
「終わったことです、王妃殿下。そうでしょう?」
知っていたの、と王妃は咄嗟に両手で口元を覆った。
ユノーが信じられないという瞳で私を見ている。静かに傍観に徹している公女様が気遣う視線を向けてくれているのがわかり、巻き込んでしまって申し訳ないとまた思った。
考えることがあるのだ。乳母は、母の側近だった女はどうして、母の日記を私に手渡したのだろうかと。そこには全てが記されていた。生前の彼女の思惑も、自ら死を選んだ理由も。でもだからこそわからない。母の望みを忠実に叶えようと思うのならば、私に母の日記なんて見せるべきではなかったのに。
そんなことより、今は終わった話を蒸し返している場合じゃない。公爵が選択を迫っているというのなら、ユノーに問わねばならないのだ。何度でも。本当に王位を継ぐつもりはないのかと。
一応は国王の臣下ということになっている公爵が、後継者の覚悟を問う。それが建前はどうであれ、事実上許されてしまうということ。
もしかしたら、私が思っていたよりも、もっとずっと、この王国はとうに公爵の手に落ちていたのかもしれない。
「あくまでもユノー殿下が王位を拒むなら、公爵はこのまま簒奪者になるつもりでしょうか」
「そうでしょうね」
おずおずと尋ねた公女様に、まだぎこちなくではあるけれど王妃が頷く。
「ガル公爵を始めとする古参の臣下の反発は、王女を娶ればどうとでも抑えられる。兄にとっては、どちらが手段で目的か、わかったものではないけれど」
「なら、私が死ねば」
「その後この国がどれだけ荒れるかわかっていて、それでも死を選べるような貴女ではないでしょう?」
問いかけには、困り果てたように眉を下げることしかできない。
私はこの国にとって、本当にどうしようもなく面倒で厄介な王女でしかないけれど、それでも最低限、王族としての責任感くらいはあるつもりだ。もし本当にユノーが殺されたとして――公爵からの求婚を、跳ねのけられるほど自分勝手には生きられない。
どこもかしこも「詰み」状態、改めて見ても相当ひどい状況だけれど、意図して残された道はある。ユノーが、王になることだ。
そのために私の祖父、ガル公爵の協力が必要だというのなら、説得役くらい私が引き受けよう。そのくらいの覚悟もなく、ただ異母弟に玉座を押し付けるつもりはない。
「僕は……」
ユノーは、じっと両手を見つめた。
そして、首を横に振る。
「それでも僕は、王となるわけにはいかない」
「どうして! 死んで、――殺されてしまうのですよ!」
公女様の言葉は、ほとんど悲鳴のようだった。
縋りつくように伸ばされた手を、ユノーはやんわりと外す。力ない笑みがその顔に浮かんでいた。
「こんな僕にも、プライドはあるんです。……自分の命を惜しんで、無責任な選択はしたくない」
「それの何がいけないのですか。命を惜しんで、それのなにが」
「僕は、初めに間違えたから」
そっと、ユノーが瞳を伏せる。公女様からも、この部屋にいる誰からも視線をそらして、懺悔するように淡々と。
「僕はずっと怖かった。姉上には言ったけれど、『王』に付随する権力も義務も、どちらも背負える覚悟なんてない。だから逃げた。『王』になるための勉強から」
自嘲するように息を吐いて、ユノーは顔を上げる。
言葉を失っている公女様を、ひどく眩しいものでも見るかのように見つめて。
「どうして教師たちから逃げるのかと聞かれて、咄嗟に僕は『つまらないから』だなんて虚勢を張った。結果、何の罪もない教師たちがどんどん王宮から排除されていって、残ったのは僕におべっかを使って取り入ろうとする連中だけ。愚かだったと、今ならわかるよ。僕はどうしようもなく間違えてしまったんだって」
王太子の鶴の一声で、解雇された私の元教師たち。その言葉の真意に、公女様と同じく、私もユノーにかける言葉を失くしてしまった。
「一度の過ちだと、楽観視なんてできなかった。だって僕はその後も何度だって間違いを繰り返してしまった。僕は王になる気がないんじゃない。僕は王になるべきじゃないんだ」
「王」という立場に真摯に向き合い、結果恐怖して逃げ出したユノーと、始めから向き合うことをせずただ流されていた自分と。情けないのは同じで、傍から見ればユノーの方が愚かだと評されても、私だけはそう言う権利はないのだと、今ようやく気が付いた。
なにがぼんくら王子だ。私はなにもわかっていなかった。異母弟は私なんかよりよっぽど誠実に王という、その役割に向き合ってきたのだ。
肘置きに肘をつけ、額を手で押さえて、王妃はゆっくりとため息を吐いた。そして、おもむろに立ち上がって、部屋の隅に寄る。
壁に描かれた唐草文様を手でなぞっていたかと思うと、ある一点で手を止める。
「その意思は、変わらないのね」
ユノーが頷く。王妃は諦めたように笑い、文様をなぞっていた手に力を込めた。
カチリとどこかで音がする。ぜんまい仕掛けが動くような、ガチャガチャという音を立てて、王妃が立つすぐ傍の床の一部が少しずつ横にスライドしていく。
現れたのはぽっかりと口を開けた地下に続く石造りの階段。王妃を見ると、「城下に通じる地下道への入り口よ」と説明される。
「この隠し通路は、歴代王妃にしか教えられないものよ。王にならないというのなら、これを使ってこの国から去りなさい」
「王妃殿下、ですが、それでは」
「そうね。死を偽装するにしても遺体はないし、出奔したと言えば追手がかかる。兄はもちろん、諸侯たちだって納得しないでしょうね。でもいいのよ」
再びこちらを向いた王妃は、何かを諦めたような、覚悟してしまったような瞳をしていた。
「私は確かに、貴方を王にするために育ててきたけれど――自分の息子を、苦しめたいわけでも、まして死なせたいわけでもないのだから」
だから、どこへなりと行っておしまいなさいな、と。
そう言って、王妃はただの母親の顔で微笑んだ。




