お国事情はどこも複雑らしい。
慌ただしく行きかう人の間を、縫うように歩く。
仮にもこの国の王子と王女がお通りなのだぞと、呆れようにも彼らの表情に余裕はなく。誰も彼もが唇を引き結び表情を険しくしているのを見れば、少しばかりこちらに気づくのが遅れてしまうことも多めに見ざるを得ないだろう。
王妃に指定された部屋は後宮の外にあったから、正直途中で公爵とエンカウントするんじゃないかとビクついていたのだけれどそんなこともなく。それに安堵するよりも何とも言えない違和感を覚えることに何とも言えない気持ちになる。
(べ、別に会いたいわけじゃないんだからね! ……とか何とか言ってみたりして)
もちろん会うだけで背筋がぞわぞわ粟立つ相手に積極的に会いたいわけがない。だけど相手が相手だから、姿が見えなければ見えないで余計な不安が増大するのだ。会わなくていいことには安堵するのに、どこで何をしているのかわからないということで不安になるとはこれ如何に。
そんな無駄なことを考えていたからだろうか。動き難いドレス姿で可能な限り早足で歩いていると、なんと公爵ではなく帝国の皇子様方とエンカウントしてしまった。
「デュエロ殿下、イズミル殿下」
呼びかけに振り向いた皇子様方。一瞬垣間見えた瞳にあった焦燥を、次の瞬間には綺麗に隠して微笑むのだから流石である。
ここでの遭遇は予想外だったんだろうに、目が会った第二皇子は「会えて良かった」と言ってみせた。
「お忙しそうですが、何か遭られましたか」
「それが、急に帝都に戻らなければならなくなってしまって」
「まあ」
白々しさはお互い承知の上だ。なので、「どうしていきなり帝都に帰らなければならなくなったのか」なんてことは口にしない。
平静を装う第二皇子の隣で、第五皇子はひと目でわかるくらい顔色が悪い。目元も少し赤いようだ。ひょっとして、処刑されたという第四皇子とは親しかったのかもしれない。
痛ましく思いながら、でも表情には出さないように気を付ける。「本当に突然ですのね」と困惑をたくさん詰め込んで返せば、第二皇子も「おかげでこの慌ただしさです」と肩を竦めてみせる。
「短い滞在でしたが、得るものもありました」
ユノー殿、と第二皇子が異母弟を呼ぶ。
私の後ろに立つユノーの表情は見えないけれど、泰然とした様子を崩さない第二皇子と背後で揺れた気配を思えば、気圧されてしまっているのは明らかだ。
「貴方と知己を得たことも、貴方が思っていたよりも姉想いであったことは、その中でも一番の収穫だったと思います」
「……道中、お気をつけて」
「ええ。後は頼んだぞ、イズミル」
視線をむけられ、第五皇子はこくりと無言で頷いた。
どうやら第二皇子だけで先に帝都に戻り、第五皇子はその後を追うらしい。表向き滞在している手勢だけでも、それなりの人数がいたはずだ。流石に即日で全体が取って返すわけにはいかないらしい。
挨拶もそこそこに、颯爽と身を翻して第二皇子が去って行く。突然の来訪といい、まさに嵐のような皇子だった。
その背を見るともなしに見送っていると、硬い声で第五皇子に話しかけられた。
「サディラ公女との面会を望みます。失礼ですが、立ち会っていただけませんか」
「……公女様の居室が後宮の一角であることをご承知の上での申し出でしょうか」
「無礼は重々承知ですが、明日にでも戻らねばなりません。その前に、ひと目だけでも」
真剣に私を見上げる瞳には、以前までのような地に足のつかない焦燥も熱もない。どうやら、第五皇子は意外と非常事態には却って冷静になるタイプだったようだ。
後宮の裁量は全て王妃に任されている。たまたま王の子どもとして生まれただけの王女である私が、頼まれたからと言ってホイホイ他所の人間を入れられるわけがない。
どうしたものかと考えていると、意外にもユノーが「良いのではないでしょうか」と言った。
「私と、姉上。二人が同席していることと、私たちから離れないことが条件にはなりますが」
「構わない。すまない、無理を言った」
「いえ。気持ちはわかりますから」
そのユノーの言葉に、第五皇子はぐっと歯を食いしばったようだった。
わかりやす過ぎるくらいわかり易く敵意を向けてきた相手にも、ユノーは何の屈託も抱いていないようだった。それどころか共感して、気遣ってさえいる。
意外な思いを抱いたのは私だけではないようで、第五皇子のユノーを見る瞳は明らかに変化していた。
いつまでもここにいるわけにはいかない。第五皇子を先導するように再び歩き出せば、何も言わずともユノーも第五皇子も後に続いた。
今度は誰ともかち合うことはなく、後宮の入り口にユノーの側近たちを置き去りに先を急ぐ。
ところが、辿り着いた公女様の部屋に入って、真っ先に目に入ったのが公女様じゃなくフラウルージュだったって、いったいどういうことだろうか。
「その様子では、もう知っているか」
一瞥を寄越し唇を歪めるフラウルージュに、後ろでユノーと第五皇子が揃って動揺しているのがわかる。
それもそうだろう。滞在中の一時的な部屋とはいえ、ここは確かに公女様の部屋なのだ。そこで、部屋の主よりも主らしい堂々とした態度で茶をしばいている見知らぬ人間がいれば、そりゃあ戸惑いも動揺もするだろう。
ここはもう後宮の中。継嗣であるユノーはともかく、彼の側近たちは途中の廊下に置いてきた。私の傍にはマグダがいるが、ユノーにとっては孤立無援の状態だ。気合を入れろと背中を叩いて、私は呼吸を整えるべく息を吸い、吐く。
「大慌て、だな」
に、とフラウルージュがそんな言葉を吐く。
私がそれに何か言い返す前に、揺れる声で尋ねたのは第五皇子だった。
「そんな、貴女がここにいるということは……従兄上の処刑を手引きしたのは」
泣きそうな声だと思った。喘ぎ喘ぎ、なんとか嗚咽をこらえているかのような口調は、激しい動揺を隠せていない。
ちらりと窺った先では、第五皇子は青いを通り越して真っ白な顔をしていた。見開いた瞳は零れ落ちそうなほど大きく綺麗だが、フラウルージュは一瞥すらしなかった。
「急使を私たちに寄越したのは貴女ですか」
「そうすればここに来るだろうと思ったからな」
不自然な間を打ち消すために口を挟めば、私の質問にはさらりと答えた。視界の端で第五皇子の拳がぎゅっと握りしめられる。
座るようにとフラウルージュが顎で長椅子を示す。……本当にここの部屋の主っぽいなあ、この態度の大きさ。まさかの自国の皇子もガン無視だし。本当にただの男爵令嬢なんだよね?
(皇太子特使って時点でただのご令嬢じゃないか)
上座にいる公女様に視線で問えば、苦笑と頷きが返される。
一人掛けの椅子に私が座ると、空いているのは公女様の隣だけになる。身分的にもユノーも第五皇子も上座に座るべきだからそうしたのだが、ユノーはぎこちなく公女様に同席の許可をもらっているし、応じた公女様の表情も硬い。まあ、対して親しくもないし親しくなる機会も潰されたんだから、こうなるよね。
でもここで気を遣って私が二人のどちらかと位置を替わってしまえばいつまで経ってもこのままだ。ここは心を鬼にして鈍感になるべきだろう。
第五皇子はと言えば、まだ動揺を抑えきれていないらしい。それでもなんとか足を動かして、公女様を挟んでユノーと反対側に腰を下ろした。
座ってドレスを整えて。よし、と気合を入れて顔を上げれば、フラウルージュと彼女の眼鏡越しに視線が交わる。
一瞬よぎった違和感。でも、すぐに理由がわかった。彼女は今日、髪を結っていないのだ。
うねる髪はこてをあてているわけではなく、どうやら癖毛らしい。冷淡さすら感じる整った顔立ちが、髪を下ろしているだけでどこか色っぽくなっている。
「デュエロ殿下は先ほど帝都に向かって発たれました」
「そのようだな。ひとまず目標達成、といったところか」
「貴女は」
他人事のような口調に、勢い込んで尋ねようとして、気づいた。だから言い換える。
「第四皇子の処刑は、貴女にも予想外だったのですか」
「想定の範囲内ではあった。よりによってこの時期に帝都を離れた馬鹿がいたからな。誰かが動くとは思っていたよ」
馬鹿、という言葉に第五皇子がパッと顔を上げる。
想定の範囲内。フラウルージュはそう言うけれど、でもそれはけして確信していたわけでも、望んでいたわけでもないのだ。それは、彼女の瞳が苦い感情を微かに滲ませていることからもわかる。
「デュエロという抑えがいないから、第四皇子が暴走した。どうやら、皇妃を追い落とそうとしたらしい」
第五皇子の否定はない。
切れるほど強く唇を噛みしめる第五皇子を、公女様が心配そうに窺っている。その隣にいるユノーも、どうやら同じ気持ちらしい。揃って似たような表情を浮かべて、情けなく下がった眉が少しおかしかった。
和んでいる場合じゃない。帝国国内の権力図を記憶から引っ張りだそうとしていると、第五皇子が「貴女が」とフラウルージュを責めるような声を出した。
「貴女が、エルメル従兄上を唆したのではないのですか」
「不愉快な冗談だな、イズミル」
アレがそんな男か。そう言うフラウルージュは本気で嫌そうに眉を寄せている。
だけど、第五皇子も引かない。いっそ敵意すら込めて、まっすぐに彼女を見返した。
「従兄上は、貴女に想いを寄せていました。帝位争いから引いたのも、貴女とともにある未来のためなのだと、教えてもらいました」
まさかのラブロマンスの気配。でも、それをフラウルージュはバッサリ切り捨てた。
「行動の理由が如何であれ、エルメルが皇妃を追い落とそうとして返り討ちに遭ったことに変わりはない。おかげで無駄になるはずだった諸々を有効活用することになった上、晴れて帝位争いが本格始動するハメになったわけだが」
一度言葉を切って、フラウルージュは第五皇子に問いかける。
「覚えておけ。仮にも己の行動ひとつで大局が動いてしまう自覚があるなら、惚れた腫れたの私情で動くのは愚の極みだと」
ぐっと第五皇子は言葉に詰まった。彼女の言葉が、話題の第四皇子のことだけじゃなく、自分自身にも向けられたのだという自覚はあったらしい。
この国を帝国に再び引き込もうとしていた第二皇子はともかく、第五皇子がユノーと公女様の縁談を壊そうとしたのは多分に私情からだから、反論もできないんだろう。
そんな、と第五皇子がうわ言のように言い、耐え切れず口元を隠した。
第四皇子と、皇妃のつぶし合い。建前上は母子関係にある二人が、と考えれば背筋が寒くなる。伯母が甥を殺したのだ。いくらそれがこの世界、この時代では珍しくもないこととはいえ、気分の良い話ではない。
(一歩間違えれば、私と王妃もそうなっていてもおかしくなかった)
他人事とは思えない。それだけにいっそう第五皇子が憐れで、こんな状況でも動揺を見せないフラウルージュが空恐ろしい。第五皇子の話ぶりじゃあ、処刑されたという第四皇子と、一定の交流があったみたいなのに。
思い出すのは、生母の訃報を受け取った後の国王の姿だ。あの人はどこまでも王らしくあろうとする人だったから、妻を失った夫として嘆くのではなく、王妃を殺された国王として然るべき指示を然るべき臣下に淡々と出していった。
その背中をぼんやりと眺めることしかできなかった幼い頃の私と、明らかに動揺して取り乱す寸前の第五皇子をこれまたぼんやりと見つめることしかできない今の私と。あまりにも成長がなさ過ぎて、我ながら嫌になる。
「皇妃は今更、皇子ひとり消すことを躊躇する人間じゃない。始まるぞ、イズミル。死ぬほどくだらない、帝位を賭けた椅子取り遊戯が」
ごくりと、唾を呑んだのは誰だったのだろう。
誰もがわかっていて、けれど明言するのを避けていたことを、フラウルージュはあっさりと言ってのけた。
臣籍降下することがほぼ確実視されていたとはいえ、継承権を持った皇子が権力闘争に敗北し処刑された。ギリギリの均衡、暗黙の了解で保たれていた平穏が、崩されたのだ。
かつてと比べ、勢力を弱めた帝国では、帝位争いの余波もまた小さいものかもしれない。だが、有名無実化したとはいえ、表向き帝国は大陸西方のほとんどを未だ支配下に置いている。ならば、この機に乗じて帝国に成り代わろうとする国がいないとも言い切れない。
帝国の帝位争いは、帝国内だけの問題ではないのだ。皇太子、第二皇子、皇妃、第三皇子、それぞれの勢力の背後に、それぞれの国がつくだろう。傀儡皇帝を立てて、後は自国の王族と結婚させるか、もしくは禅譲させてもいい。そうした後は、皇帝位という免罪符を高々と掲げて、侵略戦争の始まりだ。
(なら、この国は?)
帝国で帝位争いが起きている時に、次期王がどうこうと、揉めている暇なんてあるわけがない。
第五皇子が立ち上がる。顔色は悪いままだし、瞳は迷いに揺れていたけれど、何かを覚悟したかのように強くフラウルージュを見返している。
「帰ります。兄上を追わなければ、一刻も早く」
「ひとりでか? 道中、他勢力に襲撃されてデュエロに対する人質にされた後、アレに切り捨てられて命を落とすのが関の山だな」
「それでも、戻らなければ。|貴女に殺されたことにされる前に《・・・・・・・・・・・・・・・》」
思い詰めた第五皇子の様子に、公女様が堪らず声をかけようとして、やんわりとユノーに制されている。
多分、第五皇子に必要なのは好きな相手からの同情でも、優しさでもなくて。
私はそっとフラウルージュに視線を向けた。
とんとん、とこめかみを人差し指で叩きながら、彼女は第五皇子を見極めようとしているように見えた。その覚悟を。
「シジェスの王女」
「なんでしょう」
「確か、約束は帝国の手勢を全て引き揚げさせることだったな」
ユノーがパッと私を向く。そんなことをしていたのかと。
彼にとっては見ず知らずの相手だ。驚くのも無理はないが、今は構っている暇はない。
「デュエロは帰った。これでイズミルを連れて帰れば、帝国の人間が余計な横槍を入れたことへの、幾らかの償いになるだろうか」
その言葉に、驚いた様子で第五皇子が目を見開く。
私は――私は、なんだか少し、笑ってしまった。
「十分とは言えませんが」
「そうか。なら、少し色をつけて忠告だ。足下の火種は、何も帝国に限った話じゃない。ついでに、わかっているとは思うがメデルゼルクに気を付けろ。アレはいろいろと規格外だ」
一応、これでも公爵には気を付けているつもりなのだけれど。警戒し過ぎて損はないぞなんて、わかってるのでそんな改めて言わないでほしい。
「ひで、いえ、あの」
「明日の早朝、日の出とともに発つ。デュエロはお前に誰を残した? 話が通じるヤツだと助かるんだがな」
立ち上がったフラウルージュは、ひとり言なのか第五皇子に話しかけているのかよくわからないことを言いながら扉に向かう。
戸惑いに目を白黒させる第五皇子を、顔だけ振り返って流し目をひとつ。どうした、と今度ははっきりと第五皇子に向けて言葉を放った。
「帰るんだろう、帝都に。それとも置いて行かれたいか」
「い、いえ!」
「なら早く来い。邪魔したな、サディラの。それに、シジェスの姉弟も」
最後に、すっかり話から置いて行かれているユノーと公女様にそれだけ言って部屋を出ていくフラウルージュを、第五皇子が慌てて追う。
扉を閉める直前、公女様に向けられた眼差しは寂しげで、ある種の諦念を伴っていたけれど。それでも第五皇子は立ち止まることも、公女様に何か言い残すこともしなかった。
この会話を最後に、彼らは翌日、宣言通り日の出とともに王宮を後にした。一通の封筒だけを残して。
だけど、私たちはそれどころじゃなかった。
翌朝、目覚めた私に告げられたのは、国王の訃報と、王妃による後宮の封鎖、そして公爵が手勢を引き連れて王宮を制圧したという、謀反の報せだったのだ。