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知らないフリには自信がある。

 人払いをして、二人きり。正面に座る王妃は頭痛をこらえるようにこめかみに手を当てている。

 流石の彼女も頭を抱える事態なのだと、大いなる同情と共感をこめた眼差しを送る。いやだって、さっきの王太子の発言はそのくらいあり得ないこと……だったはずなんだけど。

 王太子の位を返上する。それはつまり、王位継承権放棄とほぼ同じ意味を持っているのだ。今までずっと、それこそ王太子――いや、この呼び方は紛らわしいか。異母弟、ユノーが生まれた時からずっと、王妃は息子を国王にするために手を尽くしてきた。公女様との婚姻も、彼女が打った手の内のひとつだ。

 だと言うのに。奇しくも私と王妃のため息が重なった。交わした視線だけで、多分お互いの心情は如実に伝わったことだろう。

 ほつれた後れ毛を手で払い、王妃はこの部屋、彼女の私室にやって来てから初めて口を開いた。

「一応、あの場にいた者たちには全員緘口令を敷いておいたわ。これで幾らか時間稼ぎになれば良いけれど」

「公爵が、あそこにいましたからね」

 よりによって、という含みが伝わったんだろう。王妃が苦い顔で同意する。

 メデルゼルク公爵は王妃の兄のはずだが、既に彼女の味方とは言えない。王妃派とされる貴族たちも、果たしてどのくらい公爵の息がかかっているだろうか。

 多分、ユノーが王太子位を返上したいと宣言したことはすぐに広まってしまうだろう。少なくとも国王には誰かお節介を焼きに走っているに違いない。今頃私たちと同じように頭を抱えているだろう国王のことを思うと、なんだか無駄な連帯感を覚えてしまう。

「わかっていると思うけれど」

「私に王位は荷が重すぎますよ」

 そもそも、まともに教育されちゃいないのにどうやって女王になれと言うのだろうか。

 ユノーは知らないのだろうか。異母姉である私が、王族どころか貴族と名乗るのもおこがましいくらい放ったらかしにされて、完全自学自習でこの年齢にまで来てしまっていることを。

 もしも実母が生きていたなら、もっと私も違っていたのかもしれない。弟王子でも生まれていて、如何にもな王女様になって。もしくは、ユノーが言っていたように、今の彼と同じ立場にいたんだろうか。王太子として。

 女なのに「王太子」と呼ぶのはちょっと違和感があるけれど、これはこの世界での慣例のようなものだ。「青少年」と言ったら、暗黙の了解で女子も含むのと似たような感覚なんだろう。後は、将軍とか騎士とかと同じ。特別その人が女性であるということを強調したい時だけ、頭に「女」とつけて呼ぶ。

 だからもし、私が未来の女王として認められてしまったら、私も王太子と呼ばれるわけだ。間違っても未来の女王になんてなりたくないので、ふざけて誰かに「王太子」呼びされても全力で無視しようと思う。

「昨日、密かに第二皇子があの子に接触していたようだと聞いたわ」

「では、やはりデュエロ殿下が、何か」

「厄介なことね、本当に」

 公女様と皇子二人だけを招いたお茶会の時には、ユノーはさっさといなくなってしまったから接触どころかまともに会話もしていないはずだ。

 昨日、という言葉に思い出したのはフラウルージュのこと。てっきり王妃のお茶会にも来るものだと思っていたのに、結局どこにも見当たらなかった。

(やっぱり怪しいのは、どう考えても第二皇子、か)

 後は、公爵?

 疑念が表情に出ていたんだろう。苦い顔はそのままに、王妃が「兄の可能性はないわね」とバッサリ切り捨ててくださった。

「妹の私にも、昔から何を考えているのかよくわからなかった人だけれど。でも、あの兄がもし王位を欲したのなら、あの子に王太子位を返上させるなんて、そんな生ぬるいやり方をするはずがないわ」

 そもそも、と王妃は何かを思い出すような眼差しで続けた。

「あの人は王位どころか爵位にすら関心がなかったくらいだもの。爵位を継いだのも、先代王妃が」

「母が?」

 はた、と王妃は唐突に我に返ったようだった。

 自分が今どこに誰といるのかわからなくなったような、そんな無防備で途方に暮れた表情がよぎる。でもそれは一瞬で、すうっと表情が抜け落ちた。

「つまらないことを言ったわ。忘れてちょうだい」

 能面のような顔。これ以上の追究を拒むように、唇は固く結ばれている。

 大丈夫なのに、と私はぼんやり思う。きっと今、私に対してものすごく気まずい思いをしているだろう王妃に、言ってしまいたくなる。実の母親と公爵がどういう関係だったのか、私はとっくに知っているのだと。もうずっと前から。

 母の日記を私に手渡したのは乳母だった。マグダの母親、私の母の側近ともいえる人。

 母親の死の直後には、ただただその内容にショックを受けるばかりで、まともに何かを考えることもできなかった。でも、成人してから、私は時々考えることがある。

 乳母は、彼女は何を思って母の日記を私に見せたのだろうかと。

「公爵は、動くでしょうか」

「動かないはずがないわ。いいえ、もしかしたら、もうずっと――」

「王妃様」

 ああそうか、と私はその時になってようやく気付いた。

 怒りだとか焦りだとか、それを上回る疲労感だとか。そういうものばかり表に出しているからわからなかったけれど、王妃は今、冷静に思考できないほど動揺しているのか。

 考えてみれば当たり前のことなのかもしれない。彼女にとって、さっきの王太子の発言はほとんど彼女への裏切りに等しかったんだろうから。

 うまくいかないものだなあと思う。私もユノーも、きっと二人とも、自分の母親が望んだようにはなれないのだ。

 前世、親の望むように生きてそのまま大人になってしまった子供たちのことをアダルトチルドレンと呼んだことがあった。親離れも子離れもできない、精神的に未熟で年齢だけ重ねた子ども。海の向こうの大国では、元大統領が「自分はアダルトチルドレンである」と発言して話題になっていたっけ。

 同じ王国に、同じ国王の子どもとして生まれた私たちは、ひょっとしてどこか似ているのかもしれない。今までそんなこと考えたこともなかったけれど。

「第二皇子と、公爵と。うまくお互いでつぶし合いになってくれないでしょうか」

「まさか。あの皇子じゃ、兄の相手は役者不足よ。利用されて終わりだわ」

「なら」

 なら、今回のことも。

 王太子があんなことを言い出したのが、本当に第二皇子の働きかけによるものだったとして。そのこと自体は公爵の思惑の下にはなくても、どうとでも利用してしまうのではないだろうか。かつてのように。

 沈鬱な沈黙が部屋に横たわる。王妃はなにか考え込んでいるようで、指先が何度も椅子の手すりを叩いていた。

 私は握りっぱなしだった扇子をようやく離して、膝の上に置いてじっと眺めた。

 この扇子をもらったのは、確か成人の時の祝いだった。送り主は私の外祖父にあたる、もうひとつの公爵家当主。母の死によって情勢が不安定になってしまった領地から離れることができなくなり、王都にある王宮からはすっかり足が遠のいてしまった人。母は王妃になるためにその公爵家の養女となった人だから血の繋がりこそないけれど、誕生日の祝いだけはずっと、欠かさず贈られて来る。

 本当なら、その祖父がもうひとりの公爵としてメデルゼルク公爵を諌めたり抑え込むべきなんだろう。元々は三家あった公爵家の内、残り一家はとうの昔に断絶してしまっているのだから。

 王家とふたつの公爵家。この王国はもうずっと、この三家が互いに互いを牽制し合ってバランスを取ることでうまくやってきた。けれどそれは、他二家を抑え込んでしまえば、残りの一家にいくらでも専横を許してしまうということでもある。今のように。

「そういえば、王妃様がフラウルージュの滞在許可を出したのですよね」

「ああ、彼女ね」

「第二皇子のことは心配しなくてもどうにかすると、彼女が言っていたのですが」

 本当だろうかと、正直半信半疑ではあるけれど。だってさっきのお茶会にもいなかったし。

(何か、あったのかな)

 お茶会に参加できないような、不測の事態が。出来ることなら、それが王太子のあの問題発言じゃないと良いんだけれど。

 王妃の表情は晴れない。考え事の途中だったようだから無理もないけれど、言葉を選ぶように、喋りながら考え続けているように、やけにゆっくりと「確かに」と言葉を紡いだ。

「彼女なら、最悪多少強引にでも帝国の皇子たちを連れ帰ることもできるかもしれないわ。でも、信用し過ぎるのはどうかしら」

「何か、彼女に不審なところが?」

 個人的には、不審なところがあり過ぎて返って信じてみてもいいかもしれないと思えてきているんだけれど。

問いかけに、王妃は首を横に振った。

「彼女自身がどうこうと言うわけではないの。でもやはり、彼女は帝国の人間だものね」

 この話はここまでにしましょう。そう言って、王妃は鈴を鳴らして侍女を呼び戻した。

 結局、わざわざ呼び出されはしたけれど、私がしたことと言えば王妃の愚痴を聞いただけみたいなものだ。恐らく王妃が一番聞きたかったんだろう王位に就く気の有無は、さっさと確認してしまったことだし。

「公女様は、この婚姻に前向きなようですよ」

 侍女が来てしまう前にと思って、私はそう王妃に言った。

 立ち上がりかけていた王妃は動きを止めて、そう、と感情の伺えない声音で呟く。そうなの、ともう一度。僅かに瞑目した後、小さく息を吐いていた。

 これで少しは安心してもらえただろうか。じっと見上げていると、微かな苦笑が返ってくる。

「あの子が、ユノーが貴女と話がしたいそうよ。付き合ってあげてちょうだい」

「良いのですか?」

 必要以上に、彼女の子どもと関わらないように。

 それは王妃が孕んだ時に交わした、今までずっと互いに守って来た古い約束のはずだった。誰でもない、お互いのためにそれが最善なのだと、そう考えて。

「説得役には、それこそ私では力不足だと思いますよ」

 王妃が何を考えているのかわからなくて、私は冗談めかしてそう言ってみた。

 するとどうだろう。背を向けたまま、王妃は「それで良いのよ」と静かに返す。

「力不足と言うのなら、私こそそうだもの」

 そしてどこか、迷子のような声音で彼女は「あの子は」続けた。

「私を、母親だなんて思っていないもの」


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