異母弟がわからない。
嫌になるくらいよく晴れた、麗らかな昼下がり。王妃主催のお茶会は、和やかな雰囲気で始まった。
マグダと他の侍女やメイドたちと一緒に選んだドレスは、昼のお茶会らしく襟の詰まったもの。でも、今日は少し日差しがきついかもしれない。つまり暑い。
しれっとした顔を作っておもむろに扇子を取り出す。前世、日本のシンプルな扇子を見慣れていた身としては、バブル時代を彷彿とさせる羽根つき扇子を使うのは少々抵抗があるけれど、この際贅沢は言っていられない。素手を見せるのもはしたないとかで、この陽気に肘上の手袋までしてるんだよ? 汗をかくなと言う方が無理だ。
お茶会に呼ばれているメインゲストは当然ながら公女様だ。それに、第二皇子と第五皇子。そこに急遽増やされた招待客は、ほとんどが王妃と同年代の貴族のご婦人方だ。
視界一面、まさにドレスの森状態。屋内だったら香水の匂いが充満して大変なことになっていただろう。どういうわけか前世よりも嗅覚だけは敏感になってしまっていたので、屋外なのはものすごく助かった。
ちらほらと紛れる男性諸君は、心なしか肩身が狭そうだ。だっ
てそうだろう。ご婦人方のさわさわとしたさざめきに加えて、この場に満ちるのはまだまだ幼い少女たちの甲高い声なのだから。
そう、このお茶会の目的は、公女さまにこの国でのオトモダチを作ってもらうことなのだ。いや、そういうことになった、と言った方が正しいだろう。
本当なら、まずは公女様には将来の婚家となる王家の人々との交流をしてもらう予定だったのに。まあ、今更言っても仕方ない。ぱたぱたと扇子で自分を煽ぎながら、私は少し離れたテーブルにいる公女様の様子を伺った。
流石に彼女と同じ年齢の子たちを集めたら悲惨なことになるのはわかりきっているので――いくら貴族の子どもでも、七歳じゃあまだそこらの子どもと変わらない。公女様は特殊な例外――年齢的には第五皇子くらいの子どもたちが集められている。王宮の、しかも王妃主催のお茶会だ。皆両親にきつく言い聞かせられて来ているのか、表情は硬いし会話もぎこちない。
多分、年長の子でも十二、三歳くらいじゃないかな。大人しそうな子、勝気そうな子、ぼうっとしてる子、おどおどしてる子、ひそひそとふたりで何か囁き合ってる子。合わせて六人。円形のテーブルに固められて、仲人的な役割の貴婦人が三人いるだけ。自然、会話のリードは公女様に握られているみたいだ。
(ひとまず大丈夫そう、かな)
そうしてぐるりと視線を巡らせれば、にこやかな笑顔という仮面をつけたご婦人方が視界に入る。私の瞳は一瞬で死んだ。
王妃主催のお茶会に招待される貴族なんて、王妃派の貴族に決まっている。私にとっては完全アウェイで胃が痛い。テーブルに隠れて見えないことをいいことに、私はさすさすとお腹をさすった。
公女様の隣のテーブルでは、王太子がいつもに増して口数少なく座っている。ぼうっとしていると言うよりは、何か別のことに気を取られて心ここにあらずといった様子だ。同席者たちがどうにか盛り上げようと苦心しているのが、なんとも言えず不憫である。
……さて。現状把握を兼ねた現実逃避はともかく、どうして視界の端っこにひっかかるかなー、ってくらい遠い席に公爵らしき姿が見えるんだろうか。確かに陽気な午後だけど、蜃気楼が見えるほどじゃあないはずなんだけど。
おかしい。王妃主催のお茶会に、公爵が紛れ込めるはずがない。なら正式に招待されて、堂々と参加しているということになる。王妃はあれほど私と公爵の接触を嫌がっていたのに。
王太子の同席者の人たちに同情しておいてアレだけど、私と同じテーブルになった人たちも負けず劣らず不憫である。蜃気楼だと思いたい公爵は、見間違いようもなく私のいるテーブルを眺めている。凝視しているとは思いたくない今日この頃。視線が刺さるとはまさにこのことだろう。巻き込んでしまって非常に申し訳ない。
基本的に、目上の人間に目下の人間から声をかけることはマナー違反である。だからか、扇子で顔を隠して公爵からの視線を無視し続けているだけの私に話しかけてくる人はいない。かと言って一応は王女である私を無視して仲良く懇談、というわけにはいかないのだろう。気まずい沈黙を破るためには、私からなにか話しかけて話題を提供しなければならないというわけだ。コミュ障には辛い現実である。
せめてフラウルージュがこの場にいればと、さっきからちらちらと辺りを見回しているのだけれど、どこを探しても見つからない。ひょっとして、来ていない?
なんということだ。やけくそ気味に、私はお茶のカップを引き寄せてひと口飲んだ。
「良い陽気ですね」
隣で胡散臭いほど爽やかに第二皇子が微笑んでいる。ええい、やめろ。私に話しかけるな。蜃気楼だと思いたい公爵からの視線がざくざくと突き刺さってくるんだから。
そうですねとでも答えておけばいいんだろうか。ちろ、と視線だけで第二皇子ことデュエロ殿下を見ると、貴公子のお手本とでも言えそうな笑顔があった。
そうですね、と一応同意しておいて、私はお腹に力を入れた。気合を入れなきゃ、この皇子様とは会話できない。
「気持ちのよい午後です」
「まさにお茶会日和だ」
「鳥もよく鳴いていますね」
なんだろう、この薄ら寒い会話。居心地悪そうな同席者の人たち、重ね重ね申し訳ない。
私が同席者の人たちを気にしているのに気がついたのか、第二皇子は一度ぐるりと彼女たちを見回した。
そして、僅かに首を傾げる。
まあ、と同席者のひとりが声を上げた。
それが合図だったかのように、彼女たちが一斉に席を立つ。すると、にこ、と微笑みと会釈を残して、静々と離れて他の空いている席に移動してしまったではないか。
ぽかん、と私は扇子の下で呆気にとられて口を開けた。なに、今の。
テーブルに残されたのは、私と第二皇子だけ。最早公爵のいる方向とか視線を向けられないよね怖すぎて。
ついでに、この皇子様と一対一とか不測の事態過ぎて今更冷や汗が滲んで来た。
扇子を握りなおして、ため息をひとつ。そうして改めて向かい合えば、第二皇子はもう無駄に微笑んではいなかった。
「彼女の枷を外してしまったのですね」
公女様の名前のことを言っているのだろう。まさかこの短時間で見抜いたのか。
驚きを押し隠して、私は平然とした表情を作ってと微笑んだ。もちろん、目だけだ。扇子の下では引きつる口元を必死に隠している。
「風切り羽を切ったとて、鳥は空に焦がれるものですわ」
訳するなら、無理に縛りつけようとしても無駄ですよ、と。
隣り合うテーブル同士、会話の内容までは聞こえないよう距離は取られているけれど、どこで誰が効いているかはわからない。直接的な言葉を避けた会話は喋るのにも理解するのにも頭を無駄に使うから苦手だ。
「篭の鳥は、たとえそこから逃れても早々に猛禽に囚われてしまうもの。結局、篭の中で空に焦がれたままでいる方が幸福だとは思えませんか?」
「鳥篭に手を伸ばす猫がいないのならば、或は幸福で在り続けられるのかもしれませんわね」
篭の鳥とか私に対する嫌味ですか皇子様コノヤロウ。
ついついイラッときてしまい、扇子を持つ手に力が入りすぎてなんだか不穏な音が鳴ってしまった。慌てて力を抜いてから、戯言ついでに、と私は思い切って言葉を続ける。
「良い目をお持ちなのですね。すぐにそうとおわかりに?」
「それが、皇族たる証ですから」
まさか答えが返るとは思っていなかった質問に、第二皇子は余裕の表情。
どういうことだと片眉を上げれば、第二皇子はカップを持ち上げて口元を隠した。
「帝国の始祖を?」
「暗黒時代以前の、勇者様だと聞いておりますわ」
果たしてソレが本当に「勇者」と言えるのかは、甚だ疑問だけれども。
邪神の徒である「魔族」を統べる「魔王」を倒した「英雄」、或いは、「聖女」の加護を受けた「勇者」。
言語的な表現は、正直どちらも大差ない。つまり異教徒を討伐して教会と唯一神の威光を嵩に帝国を興した、ってことなんだろう。
得てして、国の始祖というものには嘘か本当かわからない、荒唐無稽なエピソードがつきものである。こんなに凄い人だったんですよと、要は自慢をしたいんだろう。半信半疑、話半分で聞いてもまだお釣りが出るくらい嘘くさいものがほとんどだといのが私の認識だ。
とはいえ、相手はその始祖を未だに英雄視している帝国の皇子様だ。冷めた心情を露骨に出して面倒なことになっても困るので、お行儀よくポーカーフェイスを保っておく。
「始祖の血を色濃く受け継ぐ者、つまり『異能』の持ち主だけが、帝国では皇族と名乗れるのですよ」
お茶の香りを楽しむフリのまま、第二皇子は内緒話でもするかのようにそう囁いた。
「皇族の方々は『魔術士』でしたの?」
「異能」だなんてぼやかしているのは、魔族が操ったという魔術に対して、帝国の国教会が未だにいい顔をしないせいなんだろうか。
そういう推測のもとこぼした疑問は、これまた意外なことに第二皇子からの返答で微妙に否定された。
「呼び名など、些末なことです。神の恩寵、魔術、神術、或いは単に力。いっそ呪術と呼んでも構いません。ただ、我々自身は『異能』と呼んでいる。その程度のことですよ」
いや、最後の「呪術」はまずいんじゃないだろうか。いくらなんでもイメージが良くない。
「中でも『七色に変わる蒼』の瞳を持った者は、並外れた異能の持ち主です。この長い帝国の歴史の中で、ひとりの例外もなく」
それが、第二皇子が「異能」と呼ぶ力が、「神の恩寵」とも呼ばれる所以なんだろう。
人と違う何かを持つ人間は、崇められるか排斥されるかのどちらかの道をたどることが多い。帝国の皇族を名乗る人たちは、彼らの偉大なる始祖のおかげで崇められる方になるわけか。
(そう考えると、帝国の後継者制度は割と切実な問題だったりするのかな)
ひとりの例外もなく、と第二皇子は言った。並外れた異能持ち、それはさぞかし、扱いに困ったことだろう。異能の詳細は知らなくても、そのくらいのことは容易に想像がつく。
なるほどなーとふんふん納得していたのだが、はたと気が付く。――公女様を、名前の呪縛から解放したあの赤毛の男性。彼が用いたのも、「異能」なんだろうかと。
その可能性に思い当たった瞬間、心臓の鼓動が一瞬乱れたのが自分でわかった。
え、えーと待って、ちょっと待って、落ち着け、いや落ち着こう。あの赤毛の男性を呼ぶ前に、フラウルージュは彼のことを何と言っていた? 自分の部下だと言っていたはずだ。それにあの彼に対する彼女のぞんざいな態度。万が一彼が「異能」持ちの皇族で、その力で公女様を解放したのだとしても。たかだか男爵家の人間でしかないフラウルージュが、彼にあんな態度を取れるわけが。
……そういえば、マグダが言っていた。帝国皇太子の生母はヴァイルハイト男爵家の縁者かもしれないって噂があるって。フラウルージュが男爵令嬢だとして、皇太子の生母が例えば、男爵の姉妹だったとしたら、ふたりは従兄妹同士ってことになる。で、皇太子は五歳まで生母の実家で暮らしていた。
(いやいやいやいや。ない。流石にない。ないでしょソレは。その可能性はナシでしょう、常識的に考えて)
まさか帝国の皇太子本人が、この国に入り込んでいるかもしれないなんて。
間抜けなことに、私はそこでようやく第二皇子がやたらと私に絡んでくる理由に気が付いた。皇族が持つ「異能」なんて話を持ち出したことも。
こくりと密かに唾を呑み込む。つまり第二皇子は疑っているのだ。いや、それ以上に確信しているのだ。私と公女様が、帝国の皇太子と直接接触したことを。
皇太子に関して、外見的情報はほぼ持っていない。かろうじて、今いる皇族の中で唯一「七色の蒼の瞳」とやらを持っていることが知られているくらいだ。
必死に記憶の底をさらう。あの赤毛の男性は、果たして何色の瞳をしていたっけ?
焦る私を、第二皇子が冷静に観察しているのがわかっても、とにかく私は必死だった。
思考はぐるぐる空転して、やばい、パニックになりかけているとわかるのに落ち着けない。ぎゅっと扇子を握りしめて、ふと、視界の端に何かが引っかかった。
かち合ったのは公爵の緑の瞳。ヤバイ。理屈も理由もすっ飛ばして、何故だか私はそう直感した。
対公爵の危機察知能力だけは日々鰻登りの私である。こうなったら礼も何も知らんぷりして即座に撤退しようと腰を浮かした。その時だ。がたりと椅子が引かれる音がした。
「――皆、聞いてほしい」
呼びかけたのは、王太子だった。
それぞれのテーブルで交わされていた会話が途絶える。皆何事かとひとり立ち上がった王太子に注目していて、それは隣の第二皇子も例外ではない。
第二皇子が体の向きを変えたことで、図らずも公爵からの視線が遮られた。
すっかりタイミングを逃してしまった私も、他の人たちと同じように王太子の方に体を向ける。
あの異母弟は、あんな大声を出せたのか。私の感想はそんなひどく場違いなものだった。同時にひどく嫌な予感がする。
心ここにあらずな様子は霧散して、王太子は一度ゆっくりと周囲を見回した。途中で二度、恐らくは公爵と私のところで視線が止まったけれど、最終的に彼が見据えたのは母親である王妃のいるテーブルだった。
そこに集まるのは、王妃派の貴族の中でも特に力を持った貴婦人たち。王妃のオトモダチと言われている彼女たちは、王太子の視線につられるように王妃と王太子の間で視線を右往左往させている。果たして王太子のこの行動は、王妃の差し金なのだろうかと尋ねてでもいるかのようだ。
大きく一度、王太子が深呼吸したのがわかった。そして、ゆっくりと口を開く。
「過日、私は陛下から太子の位を戴き、正式にこの国の王太子となった」
なにをいまさら、そんな当たり前のことを。
そう思った私と、追従するように口々に祝いの言葉を述べようとする周囲の人々を制するように、王太子は首を小さく横に振る。
「その位を、私は返上しようと思う」
尻すぼみになった祝辞の言葉が消える直前、王太子ははっきりとそう言った。
ぽかんとした沈黙が落ちたのは数瞬。驚愕に満ちたどよめきが広がり、王妃が扇子で手のひらを打った音で再び静まり返る。
「何を言うのかと思えば。これはいったい何の茶番ですか、ユノー」
王妃の言葉は、愉快な冗談を聞いたとでも言いたげな軽やかな調子だった。
でも、その瞳は笑ってない。真っ直ぐに王太子を貫く視線は、いっそ苛烈なほどの怒りに染まっていた。
「貴方は陛下の唯一の男子。貴方以外に、王太子として相応しい者がこの国にいて?」
問いかけの形を取ってはいても、同意以外の答えを許さない口調。けれど王太子は果敢にも王妃の言葉に否を唱えた。
「確かに、陛下の息子は私ひとりです。ですが、陛下の御子は私だけではありません」
「……何が言いたいのかしら」
すっと王妃は表情から笑みを消した。射抜くような視線は変わらず、浮かべられているのは無表情に近い。
王太子は僅かに気圧されたように体を揺らして、けれど引かなかった。拳を強く握りしめ、懸命に母親を、王妃を見返す。
「母上、いえ、王妃様。私はこの身に余る王太子の位を一度陛下に返上し、本来あるべき方にその地位を明け渡したいのです」
姉上、と王太子は王妃から視線を外して私を向いた。
つられて、その場にいる全ての人間の視線が私に向く。オイマテコッチ見ンナとかふざけてられる場合じゃない。
引きつる頬を隠すべく扇子を唇に当て、近づいてくる王太子を待つ。コッチ来ンナと全力で願っても、当然王太子には伝わらない。
「私が今いる場所は、本来全て貴女のものだった」
腕を伸ばせば届く距離で、王太子は立ち止まった。
椅子に座ったままの私と、そんな私を見下ろす王太子と。
今ほどテレパシーが使えたらと思ったことはない。オイコラヤメロ、それ以上一言だって口に出すなと、目にありったけの念を込めて睨みつけているのに通じた様子はまったくない。
王太子が跪く。扇子を持っていない方の手を取られて、押し戴くように包み込まれた。
「全てお返しします。姉上こそが、この国の正当な王位継承者だ」
「自分が何をしているか、わかっているの?」
「もちろん、身一つで放逐されるのも覚悟の上です」
今度こそ、抑えきれないどよめきが落ちた。
あまりのことに眩暈がする。いっそ振り払ってしまいたいのに、私の手を握る王太子の手が小さく震えていることに気が付いてしまったら、そうする度胸はしゅるしゅると萎んでしまった。
信じられるだろうか。これがほとんど初めての、姉弟間で交わしたまともな会話なのだ。情けなさと混乱で、いっそ泣いてしまいたくなる。
王太子は、ユノーはこんな子だったっけ?
王妃がお茶会の中止を宣言する。最初に気遣わしげな視線を投げて公女様が、次に第二皇子と第五皇子たちが去った後、貴族たちはそのまま話し合いに突入するらしく足早に去って行った。王太子は、王妃の指示で自身の側近たちにほとんど引きずられるようにしてどこかに連れて行かれる。
「貴女は私の部屋に。良いですね?」
その王妃の言葉に、果たして頷く以外の選択肢が私にあっただろうか。デスヨネー。お話しすること、いっぱいありますよネー。
王妃が見張ってくれているのをいいことに、公爵が近づいて来る前に私はさっさか後宮に戻った。公爵の様子? そんなもの恐ろしくて見る勇気はない。
気になるのは、何も言わず何もしなかった第二皇子のこと。王太子がいきなりあんなことを言い出したのは、第二皇子の入れ知恵があるんじゃなかろうか。……私がそう思いたいだけかもしれないけれど。
ああ、胃が痛い。ドレスの上からお腹をさすって、私は重い重いため息を吐いた。