女三人寄っても姦しいとは限らなかったりする。
今朝は水仙が届けられていた。
最早いちいちコメントするのも面倒くさい。毎日毎日ご苦労なことだなと半目になりつつ、今日も今日とて優美な筆致のメッセージカードを流し見る。
それらを届けに来たメイドを、マグダなんかは親の敵のように睨み付けている。彼女はアレで結構血の気が多いのだ。私は苦笑するしかない。どうどう、落ち着いて、マグダ。その子を睨んでもどうにもならないよと。
こうして毎度公爵からの贈り物を、三人くらいのメイドがローテーションで届けに来る。どうして彼女たちが主たる私ではなく公爵の指示に従うのかというと、彼女たちの実家が公爵の庇護なしでは立ち行かないくらい落ちぶれかかっているせいだ。私付きのメイドをしている娘がいるからという理由で実家が公爵から一定の援助を受けているのなら、彼の命令に背くわけにもいかないんだろう。まさか実家を見捨てて私だけに仕えろだなんて、自分の行く末すらも儘ならない私に言えるわけがない。
テーブルに戻したメッセージカードを、白い繊手が取り上げる。そうして文面を見て、器用に片眉をひょいと上げた。
「噂に違わぬ熱愛ぶりだな、これは」
よくもまあ、こんな歯が浮きそうなセリフを臆面もなく、と。
艶やかな唇が皮肉げに歪むのに、私は反論する言葉を持たない。大体同意見だからだ。
昨夜突然押しかけてきた不審者は、朝食が終わったタイミングで堂々と表から訪ねて来た。肩書きは帝国皇太子特使。後宮を出歩く許可は、なんと王妃からもぎ取って来たらしい。その足で私を訪ねて来たのだと言うと、早速作戦会議も兼ねた現状把握に巻き込まれたのだ。
「真っ先にどうにかすべきなのは、やはり公女の名前の件か」
「そう思います。今はまだ私のところで止めていますが、第二皇子方が故意にその情報を漏らしてしまえば」
「少なくとも、公女とこの国の王太子の縁談の話は立ち消えになるな」
そうすると、王太子の後ろ盾が一気に心もとなくなる。
ふむ、とフラウルージュは顎に指を添えた。
「第五皇子は確か、魔術の素養には乏しかったはずだ。ただ公女の名前を知っているというだけであれば……或いは、どうにかできるか」
「本当ですか」
「もちろん、王女にも協力してもうわねばならんが」
「私でできることならば」
私の答えに頷いて、フラウルージュはドアの前に控えていたマグダに視線を投げた。
「公女を呼んで来てくれ。なるべく誰にも知られずに。できるか?」
「……姫様」
「お願い、マグダ」
マグダは、黙って頭を下げて部屋を出て行った。
ひとつ、息を吐く。正面でフラウルージュがくつくつと喉を鳴らしているのがわかったけれど、咎める気力もない。
いきなり現れて、私と会う約束をしたと言うフラウルージュに対し、マグダは最初から警戒心でいっぱいだった。プロ意識が高いからなるべく押し隠してはいたけれど、でもそういう身構えている雰囲気っていうのは長年の付き合いの私にはすぐにわかるもので。この国の王女である私に対して敬語を使う様子もなく、この国の貴族ならば不遜過ぎるほどの態度で振る舞う彼女に、着々とマグダの不機嫌が増していくのが見なくてもわかった。
ついでに言うなら、目の前の彼女も気づいていたんだろう。それでも敢えて態度を変えない辺り、本気で傲岸不遜なのかそれだけの理由があるのかは判断に悩むところだ。もしかしたら、帝国皇太子特使という肩書きがあるから、おいそれと誰かに阿るような言動を取れないだけかもしれないけれど。
この部屋に来て、話があるからと人払いしたのは私ではなくフラウルージュ。マグダだけは主の命令ではないからという理由で残ったけれど、他の侍女やメイドたちは彼女の言葉に従っていた。そして、それを疑問に思ってもいないようだった。
不思議な女性だ。私は今更ながら、しげしげと女性を見やる。
昼の光の下で見ても、彼女の容貌は羨ましくなるくらい綺麗だった。ただ、浮かべる表情のせいかどうしても冷たく酷薄そうに見えるのが残念なところだろうか。この世界ではまだ珍しい眼鏡ですら、眼差しの強さは緩和できていない。こうして向かい合って座っていると、どうしても柔らかさや優しさよりも、厳しさや苛烈さといったものが強く印象に残る。
例えば完全アウェイでしかないこの場所で、メイドたちを下がらせてしまったように。彼女が命じて、それに他者が従うことが、当たり前であるかのような。そんな表現し難い雰囲気を持つ女性だと思った。
後頭部で緩く纏めただけの、暗褐色の髪が揺れる。茶や褐色の髪はこの世界では有り触れた色彩だ。それが持ち主の特異性とそぐわないような、だからこそこれ以上なく相応しい色であるような。
「どうやって、公女様の問題を解決するのですか?」
「部下を呼ぶ。王女、後宮に男が立ち入ることになるが、知らぬ振りをしてくれるな」
「それは、誰にも見咎められないように忍び込めるのならば構いませんが」
客人の彼女が男を後宮に引き込んだとでも噂になれば大事になる。いくらそれが彼女の部下で帝国の人間だったとしても、この国の法に則って裁けという声は必ず出るだろう。そうなれば、帝国が黙っているはずもない。一気に外交問題にまで発展してしまう。
だけどそれは、裏を返せばバレなければどうとでもなるということだ。昨夜いつの間にか彼女がこの部屋のベランダに忍び込んでいたように、何か手段があるのならば強硬に反対する理由もない。
ノックの音が響いた。マグダが公女様を連れて来たのだという。随分と早い到着だが、ドアをくぐった公女様の顔を見て納得した。
目の下には幼い顔には似合わない濃い隈がはっきりと残っている。昨夜は眠れなかったのだろう。責任感が強そうだなという印象に、間違いはなかったらしい。昨日第五皇子が落とした爆弾は、一生懸命務めを果たそうとしていた公女様にとって心労の種にしかならなかったようだ。
「お呼びと、聞いて」
「お呼び立てして申し訳ありません。なるべく早い内に公女様と話さねばと気が急いてしまって。さあ、どうぞお座りくださいな。マグダ、公女様にハーブティーを」
頷いて、マグダは扉横にある簡易調理場に消える。
公女様は私以外に見知らぬ人間がいることに戸惑っていたようだったが、特別公女様を気に掛ける様子もないフラウルージュに腹をくくったらしい。
固い動きで進み、ソファに腰かけた公女様の前にマグダがタイミングを計ってティーカップを置く。
膝で拳を握ったまま、じっと俯く公女様。対するフラウルージュはカップに口をつけて優雅にハーブティーを楽しんでいる。
沈黙が重い。ここは私が口を開くべきなのか、フラウルージュを公女様に紹介すべきかと悩んでいると、先に公女様が重い口を開いてしまった。
「……貴女がここにいるとは、予想していませんでした」
「ほう。珍しいな。私を知っているのか」
ゆっくり、公女様は顔を上げる。
公女様は、この国に来てからずっと、相手の目をきちんと見て話す子だった。だけど今は、まるでフラウルージュと目を合わせることを恐れているかのように目を伏せている。
いいや、きっと本当に怖いのだろう。小さく震えているのを隠すように、膝の上で両手を重ね合わせたのが目に入った。
「私を、消されるおつもりですか」
「何故?」
「私は、貴女の道を阻む者です」
とうとう、公女様が顔を上げきった。
覚悟を決めたように、伏せていた目を真っ直ぐにフラウルージュに向けている。
彼女たちのやり取りの意味がわからなくて、私は助けを求めるようにマグダを見た。けれど、そのマグダも成り行きを注視している。同じ部屋にいるのに、まるで蚊帳の外に置かれている気分だ。
(……フラウルージュは、ただの帝国貴族の娘ではないの?)
ああ、こんなことなら、貴族名鑑をもうちょっと真面目に暗記しておくんだった。
地名が貴族の姓として用いられることが多いから、彼女が名乗ったヴァイルハイト男爵領というのが確かに帝国領内にあることはわかっても、具体的にその男爵家が帝国内でどんな位置づけにあるのかとか、そういった事情はさっぱりだ。王太子特使という肩書きで、かろうじて複数ある帝国の派閥の内、珍しい皇太子派の貴族なんだなとわかるだけ。
異母弟誕生後一気に家庭教師が引き上げた弊害がこんなところにも。あの地獄のようなスパルタ教育の日々は間違ってももう一度とは思えないけれど、こうしてサディラの公女様を見ていると、身につまされるものがある。あの子はまだ幼いのに、って。
ふっとフラウルージュは緩めた。なるほど、とひとり言のように呟く。
「第五皇子が執心していると聞いて、いったいどんな公女かと思っていたが。案外アレよりも頭が回るらしい」
いいことだ、とうんうん頷いてるけど、いいんだろうか。一応仮にも自国の皇子様をアレ呼ばわりの上、婉曲的に貶してしまって。
微妙な表情を浮かべていると、似たような表情になっている公女様に気が付いた。彼女の感覚からしても、フラウルージュの言動には困惑させられるらしい。よかった、私の感覚は正常だった。
彼女の言いようはどこもかしこも失礼にも程があるんだけど、堂々と自信満々に言い切られるせいか突っ込みを入れる余地がない。妙な説得力があるというか、雰囲気に飲まれてしまうのだ。
「だが、そうであるならばなおさら疑問が残る。なあ、サディラの末娘よ。お前は何故、第五皇子などに名前を明け渡したりなどした」
「殿下は!」
フラウルージュの物言いに、耐え切れないといった風情で公女様が噛みついた。
強い敵意を込めた眼差し。いけないと思って静止するより前に、堰を切ったように公女様の言葉が続く。
「イズミル殿下は、膝を折ってくださいました。目を合わせてくださった。城の隅で、この世のありとあらゆるものを呪い、目を背け続けていた私の手を引いて、外に連れ出してくださった。否応ない現実を突きつけ、覚悟をつけさせてくれた。望む感情を返すどころか、抱くことすらできなかったけれど、それでも! 今ここに私が、こうして『私』として在れるのは、他ならぬイズミル殿下のおかげです!」
だから、と公女様は言う。だから私の前で、彼を貶めるような言葉は口にしないでほしいと。
拳を握り肩で息をする公女様に、私はかけるべき言葉が見つからなかった。
でも、フラウルージュは違った。あろうことか、彼女は鼻で笑って公女様の言葉を一蹴したのだ。
「かつての恩に目をくらませ、現在の相手の愚行から目を逸らせと? だからデュエロなどに付け込まれるのだ、サディラの末娘」
「っ、それは……!」
「救われた、か。第五皇子とお前が初めて会ったのはいつだ? 救われたのだという時期は」
一度、公女様はゆっくりと息を吸った。
「初めてお会いしたのは、もの心つく以前です。……救われたのは、三年前、私が五歳になる前で」
「デュエロが各地を視察して回った時に同行していた」
「――どうして、それを」
「わからないか?」
今度、ゆっくりと息を吸ったのはフラウルージュだった。
「皇帝が皇太子を指名したのも、ちょうど三年前だ」
一音一音、聞き違えることがないように、はっきりと発音された言葉。……それがどれだけ公女様を傷つけるのかを思えば、私には決して口にすることができなかっただろう。
それが意味することは明白だった。次期皇帝となるための足掛かり、サディラ公の後ろ盾はまたとないものだろう。第五皇子は第二皇子と同じ、皇妃を生母とする皇子だ。自然、第五皇子は第二皇子か王妃、どちらかの派閥に属していると考えられている。
婚姻による派閥への取り込み。第五皇子がそこまで意識していたかどうかはわからないし、多分あの公女様への必死のアプローチっぷりからすると知らされていなかったんだろうとは思うけど、だからといってそれを利用しようとする人間がいないわけじゃない。仕組まれていたと、第五皇子の行動が誘導されたものであったという証拠もない。
でも、あまりにもタイミングが良すぎる。
すとん、と公女様の顔から表情が抜けた。
立ち上がって身を乗り出し、テーブルに手をついていた体が、脱力することによって椅子の上に戻る。
「……デュエロ、殿下は」
ぽつりと、公女様が小さく呟く。
「いつもずっと先を見つめていて、本当にすごい方なのだと」
くしゃりと、公女様は顔を歪めた。
泣いてしまうのだろうかと、私は思った。
第五皇子に救われたと公女様が思っていて、それが他の誰かの思惑の下にあったと、敢えて伝える必要があったんだろうか。
フラウルージュを見る私の目は、きっと非難がましいものになっている。その自覚もあった。だって傍から見たらこれ、七歳児を苛めるいい大人の図だよ? フラウルージュの年齢はよくわからないけど、多分私と同じくらいだろうに。
「イズミル本人はそこまで考えていなかっただろうな。アレは偽り事が苦手だ」
ため息交じりにフラウルージュはそんなフォローを付け加えた。遅すぎると思うよ、それ。
公女様は泣かなかった。切れるほどに唇を噛みしめていたけれど、それでもゆっくりと息を吸い、吐いた後には懸命に動揺を抑え込もうとしていた。
「……取り乱して、申し訳ありません」
「気にしていないさ。私も、シジェスの王女も」
「もちろんです」
だって、まだ七歳なのだ。くどいようだけれど。
前世の国の普通のこどもだったら、もっと泣いたり笑ったり忙しくて当たり前の年齢。それが政略結婚だの外交の旗頭だのに引っ張り出されて、完璧にこなせないからと責めるような鬼畜ではないつもりだ。
むしろ非難されて然るべきはそんな子どもにも容赦ない言葉を向けたフラウルージュだろうと、私は思うわけだけど。裏を返せば、彼女は公女様をそれだけのことができなければならない立場にいると考えているんだろう。良くも悪くも、公女様を七歳だからと区別しないのだ。
対等に扱うと言えば聞こえはいい。でもそれはやっぱりいくらなんでも厳しすぎると思ってしまう私は、きっと甘ちゃんなんだろう。つくづく、異母弟が生まれて次期女王なんて未来が潰れてくれて良かったと思う。
深く深く、公女様は息を吐いた。
それはまだどこか震えていたけれど、もう一度顔を上げた時にはもう瞳は強い光を宿していた。
「私は貴女を、何とお呼びすれば良いのでしょう」
「フラウでいい。シジェスの王女も」
「では、フラウ様と」
公女様はフラウルージュを呼び捨てにしなかった。
そのことにますます彼女に対する謎が深まったわけだけど、藪を突いて蛇を出す気しかしないのでお口にチャックだ。話の腰を折ってもいけないしね。
「フラウ様から見て、今のイズミル殿下は愚行を犯しているように映るのですか」
「恋は盲目という言葉は免罪符にはなりはしないよ、サディラの末娘」
それには全面的に同意します。向ける対象は第五皇子じゃなくて例の公爵だけどね!
もしお前が第五皇子との婚姻を望むのならばそれはそれで構わないのだと、フラウルージュは平坦な声で言う。
「お前自身の望みであるなら、私にも王女にも、それを否定する権利はない。そうだろう? シジェスの」
「公女様」
私はそっと、公女様の手を取った。
叱られるのがわかっていて、狼狽える瞳が向けられる。私は意識して彼女を安心させようと微笑んだ。
「貴女がどのような言葉をかけられてこの国へと出立したのか、私にはわかりません。サディラ公の思惑も、恥ずかしながら父である陛下の考えも。ですが、責務ある血筋に生まれそれを果たそうと努力することと、そのために己の意思を殺すことは、同義であってはならないのだと私は思います」
例えば私の両親が、義務感だけで結ばれたように。
不要なことだとは口が裂けても言えないけれど、そういう風に感情を無視した行動は、必ずどこかに歪みが生じる。それも当事者だけじゃなく、周囲の人たちも大勢巻き込んで。
両親の場合は母親の暗殺という形でひとまずの収束を見たけれど、歪みの影響は今もまだ色濃く残っている。その象徴が私だと名指しされれば、私は否定する材料を持たないだろう。
父親には彼を愛する幼馴染がいた。母親には密かに想う相手がいた。当事者も周囲の人間も、関わる人たちそれぞれが心を押し殺して迎えた結末がああいう風にしかならなかったのなら、いったい彼らは、何のために。
「公女様は、イズミル殿下を慕っておいでですか?」
「兄のように、という意味ならば」
「では、将来の伴侶として」
「……そんな人、いない」
公女様が俯いてしまう。
一瞬覗いた途方に暮れた表情は、きっと今まで必死に隠してきた彼女の本音だ。
まだ七歳。いきなり婚約者だの伴侶だのと言われて、実感を持てという方が無理だろう。大人になった自分すら、ひょっとすると想像すらできないでいるのかもしれない。
誰かが良いというのがないから、親の決めたことに従っていたのかもしれない。でも、拒否せず受け入れてしまった時点で公女様自身の意思だと見なされてしまうのが私たちの生きる社会だ。まだ幼い頃に行われる騙し討ち。それがあまりにも卑怯ではないかと私は思う。
私はフラウルージュを見た。それだけで、彼女は私の意思を汲み取ってしまう。
「ならばやはり、名前をどうにか取り戻さねばな」
「え?」
「今いないなら、いつか来る日に迷いなくその相手を選べるように。まずは自由になるべきだろう?」
に、とフラウルージュは唇に笑みを刻む。
呆気にとられてぽかんとしていた公女様は、フラウルージュの言いたいことがわかったのだろう。じわじわと頬を赤くさせていく。
「そんな……そんなこと、可能なのですか?」
「要は、名前による支配を受けないようにすれば良いのだろう。それならば魔術の領域になる。お誂え向きに私の部下に胡散臭いが腕だけは確かな魔法使いがいてな。アイツに見てもらえば支配の程度もわかるだろう。まあ、私が見たところ」
ざっと公女様の全身に視線を巡らせた後、フラウルージュは「第五皇子に魔術の素養は皆無だな」と評価を下した。……支配、弱かったんですね。
「フラウ、様は、魔術士なのですか?」
見た、という言い回しが気になってそう尋ねると、フラウルージュは首を横に振った。
「修練はした。体内魔力の移動はできるが、魔術の術式との相性が悪くてな。術らしい術は何もできん」
魔力はあっても使い道がないというわけか。体内魔力保有量が低くてそもそも魔力の感知すら教えられなかった私にしてみれば十分すごい気がするんだけどなあ。
体内魔力、と繰り返した公女様に、真似はするなよとフラウルージュが苦言を呈する。彼女の見立てでは、公女様も私も、体内魔力保有量はかなり低いらしい。
「魔力は言ってみれば生命力の亜種のようなものだ。生気、活力と言ってもいい。その余剰分が魔力という形で行使できる、が……大抵の人間は余剰分ができるほど生命力にあふれてなどいないからな。無理に行使しようとすれば、文字通り命を縮めるぞ」
「随分お詳しいのですね」
確か、帝国は魔術に対して厳しい政策を取っていたはずだけど。帝国貴族のはずのフラウルージュは、いったいどこでそんな知識を得たのだろうか。
気を付けていても、声音に不審感が滲んでしまったらしい。フラウルージュは肩を竦めただけで答えなかったが、和らぎかけていた公女様の表情に緊張が戻ってしまった。
「条件は何か、お聞かせ願えますか」
「うん?」
「貴女が私と王女殿下に、ただの親切心から協力するつもりになったと信じるには、私は貴女について知り過ぎております」
硬い表情と声で、公女様はまるで挑むようにフラウルージュに問いかける。
それはとても七歳の少女がするような表情ではなくて、私は場違いなのはわかっていてもなんだか痛々しいものを見る気持ちになってしまった。
精一杯背を伸ばして、虚勢を張る幼い少女。胸が痛むのは、その姿に既視感を覚えるからだろうか。
「利害の一致と、王女には言ったんだがな」
視線を向けられたので、肯定するために頷きを返す。
もちろんそれだけで公女様が納得するとは思っていないから、私は頭を必死で働かせながら重い口を開いた。
「皇太子殿下は、デュエロ殿下たちを一刻も早く帝国に戻したいのだそうです。そして、私たちはこれ以上帝国に口出しをされては敵わない。彼女には、殿下方がこの国から退出していただくまで手を組むことで合意したのです」
「何のために?」
「帝国にこれ以上の力は不要だろう?」
揶揄するようなフラウルージュの言葉に、公女様は失笑した。
「それを貴女が言うのですか?」
「私だから言える、とは思わないとは思わないか」
会話が途切れる。
その隙にフラウルージュはお茶で喉を潤して、公女様はじっと手元に視線を落としていた。
気まずさにもぞりとお尻の位置を直して、こほんとわざとらしい咳をひとつ。
「いろいろと難しいことも言いましたが、そう肩肘張って意気込まずとも良いのですよ、公女様」
「王女殿下」
ゆらゆらと戸惑いにか焦燥にか揺れる公女様の瞳を見返して、にこりと微笑む。
「元々、帝国の皇子方がいらっしゃったのは、突然のことでしたでしょう? こう言っては何ですが、彼らがこの国に来なければ、全て丸く収まっていたのです。公女様も、そのように思い悩むようなこともなく」
八つ当たりだと、言ってくれても構わない。でも、サディラ公国との間でお互いに納得し合っていたところを、引っ掻き回してくれたのは他ならぬ帝国の皇子達なのだ。
おかげで、せっかく公女様が祖国でしてきただろう覚悟も水の泡。私だって、色んな意味で覚悟を決めて何年ぶりかで表舞台に出たのに、予定も思惑もみーんなパアだ。
もちろん、皇子たち、とりわけ第二皇子にも何らかの思惑があってこの国に来たんだってことはわかる。でもだからと言って、この国と公国の思惑を潰しにかかっていることを許せるわけじゃない。
「皇子方には帝国にお帰りいただきましょう。そうしてもう一度、きちんと初めからやり直しませんか」
目指す先が違って、そのための手段が異なるのなら。両立しない願いを持つなら、後はもう、立ち向かうしかないだろう。それがどれだけ無謀なことでも、何もせず諦めてしまえるほど、私は悟りを開いちゃいないのだ。
フラウルージュの、引いては帝国皇太子の思惑がどういうものかは、正直よくわからない。わからないけど、彼女はこの国に来た厄介者を丁重に帝国に引き取ってくれると言う。そして、それ以上はこの国と公国とのやり取りにはタッチする気はないのだとも。全面的に信じるには不審なところのおおい彼女だけど、下手に帝国の人間に手出しできない私たちには渡りに船の話だった。
彼女の王宮における身分保証を王妃自ら買って出たのも、きっと同じような理由だろう。要は余計な口出しはしてくれるなと、まあそういうことだ。
公女様は一度きゅっと唇を引き結んで、やがて諦めたように息を吐いた。
フラウルージュに向きなおった公女様は、すっと背筋を伸ばした。
「私たちの協力関係は、あくまでも皇子方がこの国から帝国に戻るまでと、そう約束していただけますか」
「それ以上に手を組みたい時は、また顔を見せるさ」
「それを聞いて、安心しました」
ふわりと、公女様がこの部屋に入ってきて初めて笑みを見せる。
紛れもない了承の証に、フラウルージュも口角を上げる。私もほっと息を吐いた。
「ひとまず、公女のそれをどうにかしよう。王女、私の部下をここに呼んでも?」
「構いません。……もちろん、先ほどもお願いしたように」
「ああ、それは大丈夫だ。――おい、聞いていただろう」
フラウルージュが、部屋の隅に向かって声を投げる。
え、と瞬いたのも一瞬。何をしているのかと疑問に思うより先に、するりと、まるで影から抜け出てきたかのように現れたのは赤髪の男性だった。
いったいいつの間に、と驚くべきところなんだろうが、それよりもまず、彼の奇抜な服装に私と公女様はぎょっと目を見開いた。
燃えるような赤毛、という表現そのままに真っ赤な髪を半分だけ後ろで括って、前髪だけが橙色に近い赤。あれは染めているんだろうか? 向かって顔の左上半分だけを覆う仮面は陶器のようにつるりとした白磁色。その仮面にかからないよう、左側半分の前髪だけを逆立てている。
これだけ見てもなかなか目を引くのだけれど、服装も同じように奇抜で突飛だった。
白いシャツに合わせるのは、赤と黒のひし形を交互に連ねたような柄のベスト。幅広のズボンはふくらはぎの下の方で包帯のような布できゅっと絞ってあり、腰帯にはじゃらじゃらと何に使うのかわからない鎖や革製のポーチもどきが幾つもくっついている。靴に至っては、物語に登場する魔女や魔法使いのようにつま先がくるりと丸まっていた。
全体を総合すると、ピエロのようなその男性。前世で見れば、サーカスの興業を抜け出して来たんですかと聞いているところだ。もしくはただのコスプレか。せめて上にジャケットでも羽織っていればまだマシだったのかもしれない。この世界の感覚では、シャツとベストだけで家の外には出ないものだし。
とにかく派手な青年だった。髪の色然り、服の配色然り。赤黒白と、曖昧な色が存在しない配色は目に大変優しくない。不審者丸出し、隠れるどころか全力で目立とうとしている格好である。
そこまで考えて、私は背筋が寒くなった。ここまで派手な青年が部屋に入り込んでいたのに、彼が自らの存在を示すまで、微塵もそのことに気づけなかったことに、気が付いてしまったのだ。
「コイツがその、『どうにかできるかもしれない部下』だ」
フラウルージュの言葉に、赤毛の青年はくるりと瞳を回してみせる。
そのまま一礼して、おどけたように片目を瞑ったのはいいが、動作がいちいち道化めいていて、私も公女様も困惑して助けを求めるようにフラウルージュを見た。
見られたフラウルージュはと言えば、そんな私たちの反応を予想していたとでも言うように、苦笑めいた表情を浮かべている。
「この通り、見た目からして頭のおかしな男だが、まあ腕だけは確かだ。マルイール、どうだ?」
最後の言葉は、しげしげと公女様を眺めていた赤毛の男に向けて。
フラウルージュに声をかけられた男は、何かを思案するような数瞬の沈黙の後、にんまりと笑って右手の親指と人差し指で丸を作ってみせた。
おどけた動作に、控えているマグダの視線がさらに険しくなる。どうどう、と視線だけで宥めているが、実際かなり冷や汗ものだ。頼むから、この状況で短気だけは起こさないでほしい。
視線で許可を取ってから、赤毛の男は指先に僅かな光を宿らせて、ちょいちょいと公女様の額に何かを書いた。
間近な光に公女様が目を細めている間に、滲むようにその光が消えていく。
完全に光が見えなくなるまでそれをじっと見つめていると、不意に赤毛の男と視線が交わる。
かち合ったのは緑の瞳。ぞくりと肌が粟立って、わけのわからない戦慄に身を震わせると、まるでそれを笑うように男の瞳が細まる。
「マルイール」
フラウルージュの呼びかけに、男はひょいと肩を竦めてみせる。
そこでようやく視線が外れ、私は気づかない内に詰めていた息をそっと吐きだした。
何が起こったのかわからない。そんな表情を浮かべる公女様に、フラウルージュが「ひとまず簡易に守護の術をかけさせてもらった」と説明する。
「後でコイツにもっときちんとした守護のお守りでも作らせて届けさせる。が、今のところはそれで何とかなる。そうだな、マルイール」
もちろん、とでも言うかのように赤毛の男が大仰に頷いて、そうしてまた、影に溶け込むように姿を消した。
呆気に取られるなんてものじゃない。しばらく呆然と、何を言うべきかわからず沈黙していた私と公女様は、やがて図らずもそろってため息を吐いてしまった。
「何というか、あっという間の出来事過ぎて、私には何が何だか……」
「……もしかして、帝国には今のようなことができる者が珍しくないのでしょうか」
だとすれば、第二皇子たちに対する警戒が今以上に跳ね上がるのだけれど。ついでにフラウルージュの不審者っぷりは既に天元突破していることは言うまでもない。
今は一応、協力者だと明言してくれているけれど、間違っても敵に回したくない人だ。このフラウルージュという人は。ついでに、彼女の更に後ろに控えるだろう帝国の皇太子って人も。
疲労たっぷりに呟く私と公女様に、フラウルージュはひょいと片眉を上げてみせる。
「まさか。あんなおかしなヤツはひとりで十分だ。……まあ、私の護衛をしている騎士も大概どうしようもないヤツだが」
後半はぼそりと、愚痴を吐くような小声で。だけどこの距離だ。聞こえなかったなんてことはなく、ばっちりしっかり聞こえてしまった。
その後幾つか情報を共有して、フラウルージュと公女様は帰って行った。次に会うのは、王妃が主催するお茶会の時になるだろう。
マグダと二人きりになった室内で、私は諸々の疲労を吐き出すように、深く深くため息を吐いた。
「帝国のヴァイルハイト男爵家、フラウルージュか……」
調べはついたのかと、私はマグダを見上げる。彼女は厳しい表情を崩さずに、「帝国の貴族名鑑には、女子の名前は載りませんからね」とため息混じりに言う。
「だからこそ、身軽に動けるっていう利点もあるよね。……帝国皇太子の隠し玉ってところかな」
「今の段階では、何とも。ですが、王妃が滞在を許可したというのが気にかかります」
「そーうなんだよねえ……」
やっぱり、王妃は私たちが掴んでいない情報を把握していて、その上でフラウルージュが「害になる存在ではない」と判断したと考えるのが無難だろうか。もしくは、これまた帝国の皇太子なんていう面倒くさい相手からの横槍だったものだから、拒むに拒めなかったとか?
彼女が絶対の味方だと、信頼してしまうのはあまりに危うい。だけど、疑う理由は山ほどあるのに、拒絶するには情報が圧倒的に足りないのだ。
ひとまずあの厄介な帝国の皇子様達にはお引き取り願うとして、その後は? 本当に、彼女はそれだけでこの国から手を引いてくれるんだろうか。わざわざ帝国からやって来たというのに?
考えることが多すぎて嫌になる。如何に、今までこの離宮に引き籠って怠惰に過ごしてきたかが知れようというものだ。
頭を悩ませる私に、マグダが「不確かな情報ですが」と歯切れ悪く言った。
「皇太子の生母は、皇帝の元側近の許嫁だっということは、ご存じでしょうか」
「あー……うん、それね」
有名な話だ。もちろん、気分が悪くなる方向に。
火遊びで手を付けるには、自分の側近の許嫁とかって綱渡りもいいところだと思うんだけれど。それともそのスリルが楽しかったりしたのかな、当時の皇帝には。それで当時一番の腹心に見限られてりゃ世話ないけどさ。
しかも、手を付けて孕ませておいて、当初は認知すらしなかったというまさにクズ男の所業。だと言うのに、数年後その女性が亡くなって子どもだけ遺された時にはしれっと皇宮に引き取っていたりもする。そりゃあ、許嫁を寝取られた形になった元側近も、二重三重に皇帝を許せなくなろうってもんだ。
「その皇太子の生母について、伏せられている情報の方が多いのですが、ヴァイルハイト男爵縁者であったという噂が」
「それ、本当?」
「あくまで噂の域を出ず、公式には何も報じられてはいませんが」
でも、貴族社会での噂というのは、これがなかなか侮れないものでもある。
もちろん荒唐無稽な噂もたくさんあるし、真実めかした大嘘だっていっぱいある。だけど、昔から言うではないか。火のない所に煙は立たぬ、って。
もし皇太子がヴァイルハイト男爵家の血を引くのなら、その男爵家の人間が皇太子の手足となって動くことはごく当たり前のことになる。そうなると、フラウルージュは皇太子直属の配下とかよりも、もっとずっと皇太子自身に近しい存在なのかもしれない。
まあもっとも、それもあくまで、彼女が本当にヴァイルハイト男爵家の人間ならば、の話だけれど。
考え過ぎて頭が痛い。こめかみをぐりぐりと揉んで、私は思考を切り替えることにした。
「やっぱり、情報が圧倒的に足りないか。とりあえず、目先のことを考えよっか。マグダ、王妃主催のお茶会、どのドレスにするか決めたいから、他の侍女たちも呼んでくれる? せっかくだから、皆で相談して決めたいの」
「……確かに、息抜きは必要でしょうね」
ふ、とマグダが小さく笑う。出来の悪い妹を眺めるような生暖かい視線に、私はへにゃりと眉を下げた。