2話
雪乃が眠ってから、2、30分程経った頃。ようやく柚結里が戻ってきた。急いで来たようで、髪が少し乱れている。流石、急いだと言っても息は切れてないんだな。この学校は校門から校舎にたどり着くのに少し時間がかかる。だから送ってもらったにしても、走ればそれなりに体力の消耗はあるはずだ。
「雪乃は!?」
「ソファで寝てる」
「お姫様は待ちくたびれて浮気してるみたいだぞ〜?」
後ろで本から顔を上げた姉さんがからかうように言った。はっとした柚結里がソファに駆け寄る。もちろん姉さんが言った浮気の相手とは、くまのぬいぐるみのうみちゃんだ。それを確認してホッと安堵した様子の彼女は、雪乃の腕の中からうみちゃんを引き抜いてテーブルに置いた。……お前今、一瞬うみちゃんを床に叩きつけようとしてただろ。
「ん……」
腕が空になったことに気付いたらしい雪乃が無意識なのか彷徨わせた手を、柚結里が握った。それからはいつもの光景。膝枕でさっきまでとは変わっていくらか和らいだ表情を穏やかに眺め、優しく髪を撫でる柚結里だ。しかし、本当に雪乃の前では表情が豊かになるよな。いつもはクールで感情をあまり出さないのに。
「で、恋人の雪乃に事情も言わずどこに行ってたんだ? 相当寂しがってたぞ。ホットミルクもほとんど飲まなかったからな」
「そうですか。……見合いです。親にどうしてもって言われたので、仕方なく会うだけあって来ました」
それは確かに雪乃には言いづらいかもな。
いわゆるお嬢様学校と呼ばれるここには、大手企業を担っているという両親を持つ生徒も多い。見合いなんてよくある話だ。だが、柚結里の誕生日は確か11月。今はまだ15歳のはずだ。お相手さんは善は急げ、って考えてるのか。
自社のための見合いと言えど、もちろん大抵は本人たちの意思を尊重される。彼女もそうだ。両親からは話だけでも聞いてやってくれと言われたらしい。お願いされてしまえば無下にすることも出来ず、参加することにしたらしい。両家が揃う場所となったのは学校から遠くない高級レストラン。少し話をしてからディナーを共にする予定だったらしいが当然柚結里にその気はない。両親もそれを承知していた。失礼にはなるだろうが、答えは最初から出ているのだし必要以上にそこに留まることもないだろう。
「……と、思ってたんですが。向こうがすごくしつこくて。両親もそれに押されたんだろうなと」
相手の方は22歳の真面目な紳士、東堂尋。初めて会ったにも関わらず彼は柚結里を気に入ったらしく、なかなか離してくれなかったらしい。雪乃のことで彼女が頭いっぱいになっていたので、だんだんイライラが募るのは当然である。まさか親の顔に泥を塗るような事も出来ずしばらくは話に付き合っていたのだが、ついに堪忍袋の尾が切れた。
「でも、母が助けてくれました」
突然失礼と断って端末を取り出した彼女の母が、
『申し訳ございません、東堂さん。少し社の方でトラブルがあったようです。失礼は承知しております。夫とともに様子を見に行きたいのですが……』
社長同士であるが故に、会社のトラブルのその重さを重々分かっている相手方は致し方ないと折れた。もちろんトラブルの件は完璧な嘘。そうしてやっと、ここに来る事が出来たと。
実は柚結里、母親には雪乃の事を話しているんだとか。それもこの学院の卒業生である母親なら分かってくれると思っての事で、実際話すと「雪乃ちゃんね。あなた、あの子にだけ明らかに態度が違うもの」と納得されただけでなく相手まで当てられたそうだ。東堂家と別れた後、父親の方は本当に会社へ戻った。母親はというと柚結里の為に車を出してくれた。
「説教されました」
「説教?」
あまりに似合わない言葉だな。
「感情が態度に表れすぎだって。社会に出たらどうやっていくつもりなんだって」
彼女の母曰く、店に着いたその時から帰りたいオーラを漂わせていたと。どうせ雪乃ちゃん以外はどうでもいいんでしょうね、と苦笑されたらしい。
「んん……」
おとなしく眠っていた雪乃が、もぞもぞ動いて落ち着かない様子。
「雪乃?」
「ゆゆぅ〜……」
「あらあら」
柚結里のお腹の辺りに抱きつくと、やっと落ち着いたのかまた静かになった。
「雪乃の奴は、俺たちから見ても目が離せんな」
ふと姉さんが口を開く。全く同意だな。危なっかしくてハラハラするというか、純粋に彼女の行動が面白くて、というのもあるかもしれない。とにかく目が離せないのだ。まあ、放課後の生徒会室にいる間にほぼ限られてはいるのだが。
「可愛いでしょ?」
「……恋人バカ」
「まあ、今に始まったことじゃないがな」
しかし柚結里も変わったな。ここでは随分寛いでる。生徒会に入ったばかりの頃……つい2週間ほど前の話だ。警戒心バリバリだったのが今じゃこれだもんな。用が済んでもすぐには帰ろうとしなくなった。雪乃を寝かせる余裕が出来るほどここが安全だと思えるようになったのか。教室なんかじゃいろんなところから視線浴びてるだろうし。当の本人はおそらく気付いてない。でも柚結里が良しとするわけがないからな。関係者以外立ち入り禁止なこの空間なら安心出来ると思う。これまでの数週間であたしたちへの警戒心も解けて、今に至ってる……んじゃ、ないだろうか。まあなんにせよ、慣れてくれてることは喜ばしい。2人が入ってくれたことで生徒会自体の雰囲気も和やかになった。感謝しないとな。
「そろそろ帰らないか?」
気付くと外は少し暗くなってきている。そろそろ帰るべきだろう。少なくとも雪乃たちはな。危ないし。
……あたしまで雪乃に甘くなってきてる気がする。って、気がするだけじゃないな、うん。
「じゃあ私は迎えを呼んで来ます」
「おう」
「姉さん今日は勉強して帰るの?」
「いや、直接帰るよ。久しぶりに一緒に帰るか」
「うん」
ソファに雪乃の体を預けてから部屋を出ていく柚結里を見送って、帰る準備を始める。と言っても洗い物や植物への水やりはしたし、あとは本をなおして戸締まりするだけだけど。
準備を終えて雪乃の様子を見にソファに近づく。彼女の頭を撫でていると柚結里が戻ってくる。
姉さんとあたしが2人分のカバンを持って廊下へ出た。後からお嬢様抱っこで雪乃を抱えた柚結里が出る。これはもうお決まりだった。毎日こんな風にして終わるのだ。リオンがいる時は、彼女が最後に鍵を閉める。校門を出るまでは全員揃った状態。
「じゃあ、私たちはここで。カバンありがとうございました」
「おう! お疲れ」
「お疲れさん」
「お疲れ様です」
これで、1日学校は終了だ。
安定しつつあるこの光景。
今は姉さんに感謝してる。もちろん2人が入るまでの生徒会が嫌だったわけじゃない。3人で営む生徒会も楽しくて落ち着けた。でも、仕事をして、時々お菓子をつまみつつお茶を飲む。それだけじゃなくて、会話が増えて雰囲気が柔らかくなって、彼女たちだけでなくあたしたちにとっても更に居心地のいい場所になっていく。
2人を入れてくれて良かったと思う。きっとみんなそう思ってる。
続けばいいな。
あぁ、でもあたしは考えなきゃ。
リオンの機嫌が何故だかどんどん悪くなっていく。悪くなる一方だ。聞いても教えてくれないし、少しは察しろと怒られるし。一体何が言いたいんだろうか。やっぱりあいつは不思議だ。
「俺たちも行くぞ」
「あ、うん」
なおす=片付けるって……分かりますかね? そう言えば方言だったような気もしてるのですが……。




