それぞれの先
酒も料理もふんだんに並べられていた。
庄屋が用意したもので、馳走の他に報酬金も相当上乗せされて出た。
村人たちの好意だという。
受け取れない、と咄嗟に返したけど趙雲たちの分も入っていると言われたので、受け取らない訳にはいかなかった。
関羽が賊を片付けたのは俺たちだ、と受け取るのを辞したけど俺たちと関羽たちで平等に分けて無理に渡した。
「まさか、本当に六人で賊を討伐してしまうとは思いませんでした。いや、あなた方は大変な豪傑だ」
庄屋が上機嫌に言った。
この宿も女将の好意で貸し切りにしてもらってるようで、広めの席には庄屋と俺たち三人、趙雲たち三人の七人に時々娘が料理を運んでくるだけだ。
しかし中にいないだけで、賊を討伐した俺たちを見ようと、夜だというのに宿の外に村人たちががやがやしていた。
「私たちは何もしていない。黒薙殿たちが全てを成した」
「私たち三人で全てを成した訳ではない。関羽殿たちが来ていなかったら、娘たちを無事に帰せたかわからない」
「村の娘たちも全員戻ってきた。今宵ほど嬉しいことはありません。黒薙殿たちも関羽殿たちも、私たちにとっては英雄に他なりません」
英雄など、自分には烏滸がましい。
盃をあおりながら思った。
賊は全て斬った。
もちろん、趙雲たちの助けなしにだ。
あの程度の賊、俺と黒永に黒希がいれば容易い。
その後、奪われていた金品などを全て荷車に運び、村人たちに返した。
かなりの量だったけど、趙雲たちもいたから楽に運べた。
「あなた方が良ければ、この村にずっと居ていただきたいのですが」
「私には思うところがある。それに、旅の中途故」
即答して盃を置く。
外の村人たちも聞こえたようで、露骨にがっかりしている。
趙雲たちにも、そのつもりはないようだ。
「そうですか。最近、賊が蔓延する一方です。あなた方のような武に秀でた方が村にいれば、これほど頼もしいものはないというのに」
賊が増えるのは、今の朝廷が腐敗しているからだ。
黒希が張飛と楽しそうに話しているのを、それとなく眺める。
あの二人の気が合うのが、なんとなく分かる気がする。
まだ若い二人は、流石に酒にあまり手をつけていない。
黒永も嗜む程度に杯を重ねている。
賊は元々は民だ。
民が重税に耐えられなくなって、流民となり、賊となる。
その重税は地方の県尉などから取り立てられる訳だけど、その根本には官位を金で売られるところから始まっている。
高い金で官位を買い、その金を取り戻すために重税を課し、さらに儲けることしか考えない。
今の役人など、ほとんどそういう者しかいない。
元々帝が官位の売買を始めたのだから、朝廷の木はホントに根本から腐っている。
帝も帝だけど、それを許した補佐役が悪い。
補佐がちゃんとしていれば、今の腐敗はなかったかもしれない。
まあ、今の官宦が賄賂を好まない者を次々に解雇するから、回復は無理だと思うけど。
「諦められよ。旅の者とはこういうものだ」
「そうかもしれませんね。今は宴の席です。もう何も申し上げますまい」
その後も宴は続いたけど、みんな酔った風ではない。
俺たちもそうだけど、趙雲たちもあまり飲む気はないのだろう。
夜更けになると、見物していた村人たちもこちらに手を振りながら徐々に去っていった。
みんな笑顔で、悪い気分ではない。
好きなだけ飲み食いするように、と庄屋も言い置いて帰っていった。
この宿で一泊させてくれるという。
急に静かになり、席には六人が残った。
「この度はご助勢いただき、感謝する」
ようやく落ち着いて頭を下げる。
「いえ。私たちは本当になにもしていない。しかし、黒薙殿の機転には驚かされる」
関羽が盃を置く。
ほのかに頬を赤らめているのが妙に色っぽい。
「米の目印のことか。三人で百人を倒そうというのだ。私でも庄屋殿のしたようにする。それを見越しただけのこと」
「それに洞窟を利用した戦い方。その剣技を、最大限に発揮できる状況を作り出していた」
趙雲も白い肌に赤みがさしている。
居合い斬りは、相手の行動範囲が狭いほどいい。
狭いと、相手が避けようがないからだ。
居合い斬りは俺の得意技だ。
抜刀の速さなら誰にも負けない自身がある。
速いということは、それだけ斬れ味も鋭いということだ。
その気になれば、そんじょそこらの剣くらい斬れる。
「そこまでおだてられることではない。して、貴女たちはこれからどうされる?」
話を変え、その間に娘が横に来て酒を注ぐ。
酒はそれなりには強いつもりだ。
あまり度を過ぎるつもりもない。
「翌朝には陳留に出立するつもりだ」
「陳留か。曹操殿の治める郡だな」
関羽との話に、隣の黒永が耳を傾ける。
情報は話の中にもある。
黒永は情報収集においては、優れたものを持っている。
旅の道中、何度かそれに助けられた。
「曹操殿はこの世に珍しい、聡明な太守だ。かの地の民は落ち着いている」
「私も耳にはしている。主に向くかは、見てみなければわからないが」
「趙雲殿は主を探し求めて?」
「うむ。関羽も張飛も同じだ。私の槍を振るうに値する主を探しているのだが、なかなかいないものだな」
「そうか、私と同じか」
「黒薙殿が主を? 黒永殿と黒希殿は?」
関羽が俺の両脇を見る。
黒希は相変わらず張飛と話している。
何を話しているのか。
「私は黒薙様の仰せのままにします。それは黒希も同じです」
盃を置いて言った。
黒永も白い頬が赤い。
「黒薙殿の部下、ということになるのか?」
「そうなるか。浪人の身で、部下もなにもないと思うが」
関羽に返してから盃をあおった。
見たところ関羽たちは旅の同行者、という関係にしか見えない。
ただ、関羽が張飛を見る目は何か違う。
俺が黒希を見るような、そんな感じだ。
「黒薙殿はよい部下をお持ちだ。武勇に秀でているし、何より忠臣だ」
「滅相もありません。私はそれほど強くはありません」
黒永が趙雲に即答する。
「私が剣を教えた。剣もそれなりだが、黒永は様々な学に通じている。いい部下を持ったと、自分でも思っている」
「お世辞にもほどがあります」
酒のせいではないだろう、頬が赤くなるのに黒永は盃を傾ける。
「黒薙様~、ボクは?」
「黒希も、いい部下だと思ってるよ」
「えへへ~」
子供のように嬉しそうに笑う。
酔ってきたのかな。
「私たちは陳留だが、黒薙殿はどちらに?」
「さて、どうしたものかな。決めていなかったが、そろそろ洛陽に戻ろうか」
「戻る?」
趙雲が首を傾げる。
「私の実家は洛陽にある。そこに、残りの部下もいる。たまには帰って、顔を見せてやりたい」
「洛陽に家を構えているというのに、外へ出て見聞を広めているのか?」
「洛陽にいると息が詰まるのだよ、関羽殿。あそこは金の亡者の巣窟だ。それは大商人が多く、活気こそあるが。役人の多くは、地方から集めた民を振り絞った血を使っている。賄賂で罪を逃れたり、官位を売買する。それを見ていると、な」
苦みを酒で喉に流し込む。
「そのせいで賊も横行するというのに」
関羽も苦々しげに料理に手をつける。
「官宦である十常侍が賂(まいない)を好まぬ役人を解雇したり、時には謀殺や牢獄に放り込むなどしているのだ。彼奴等(きゃつら)の住み心地の良いような都は、私にとって泥水に浸かっているようなもの。それで飛び出したようなものだし」
「それにしても、黒薙殿は随分と役人事情にお詳しい」
趙雲の言葉に、黒永の方がぴくりと反応した。
しかし、俺は気にしない。
この三人にだったら言ってもいいだろう。
「それはそうだ。私も元は役人だったのだからな」
「えっ……」
関羽が絶句する。
趙雲も驚いている。
張飛は小難しい話を好まないのか、黒希と話しっきりだ。
黒希も役人に関することを好きではない。
「私は何進の賊曹掾(ぞくそうじょう、将軍下で盗賊のことを司る)だった」
「だった?」
関羽が訊く。
「黒薙様は真面目に仕事をこなしていたのですが──盗賊と繋がっていた役人が賊討伐の際に発覚しました。黒薙様はそれを立件し、役人は賄賂で逃れようとしましたが、それを拒否して捕らえました。官宦とも通じていた役人は、告げ口をして……」
「舎人(とねり、将軍下で雑用係)に降格されられた」
主の失態を口にしたくないのか、言い淀む黒永の代わりに、俺は肩を竦めて躊躇なく言った。
「黒薙様は悪くないよ! ちゃんとお役目も果たしていたのに」
「もう過去のことだ。私は失望して官位を辞して、こうして旅に出た。洛陽では、私は生きていけない」
突然怒り出した黒希の頭を撫でる。
それでも黒希は苦い表情を崩さない。
「しかし、部下がいたのだろう。それなのに収入源を絶つとは」
趙雲の言い様はもっともだった。
「勿体ないかな。私の元には優秀な部下が多くてね。部下たちが他で働いてくれているお陰で、なんとか三人が住めるようにはなっている」
「三人?」
「私は黒永と黒希の他に、三人部下がいる。三人が養えるなら、残りの三人は外に出て見聞の旅に出よう。ということで私たちが洛陽を出たのだ」
「とても複雑な事情をお持ちなのだな。それにしても、黒薙殿のような聡明な御仁を無下に扱う朝廷は、もう駄目だな」
趙雲がどこか遠くの国の話をするように言った。
「時代が合わなかった、と思う他ない。朝廷が駄目だとわかったから、こうして相応しい主を求めて旅している」
「そうか。しかし、黒薙殿ならどんな主でも高く評価するだろうに」
関羽に苦笑する。
黒希が怒ったので、張飛は少し居心地が悪そうだけど、すぐに黒希が気づいて謝っている。
「仕えるなら聡明な方に仕えたい。朝廷の様を見ているのだから、尚更だ」
「早く見つかるとよいな。私たちもそういう方に仕えたい、と黒薙殿の話を聞いて思った」
「身内の見苦しい話を聞かせて悪い、と思う」
「そのようなことを。黒薙殿と話せて、私はよかったと思う」
関羽に趙雲も頷く。
軽く頬を掻きながらそっぽを向いた。
陳留か、と俺は頭の片隅で思い出していた。