涼州の小悪魔
風に砂塵が舞っている。
景色は青い空と砂の二面のみだ。
周りはみんな、埃よけの黒い布をまとって頭にも深くかぶっている。
砂漠だった。
西涼は砂漠地帯である。
騎馬に優れた土地で、馬一族が統治している。
「砂漠か。考えてなかったけど、ここの生活に慣れるのか心配だね」
姉さんが肩を寄せてくるのをひらりと避ける。
姉さんはことあるごとに俺にくっつこうとしてくる。
「むっ。雛斗はもっとお姉さんと触れ合うべきだ」
「いつも引っ付いてくるくせに」
「いちゃいちゃしたいからな。それに、そんなことを考えられるのも今のうちだぞ」
ふん、と鼻を鳴らした。
陽の上がっているうちに街にたどり着きたかった。
夜は、砂漠は寒い。
俺たちは涼州にやってきていた。
呂布と会って、数日後のことだ。
呂布とは少し話したけど、変わった娘だった。
とても無口で、動物が好きで、そして最強だ。
言葉数は少なかったけど、嫌いではなかった。
「朝廷が本当に変わらない限りは、この乱れた世が改善されることはないでしょうね。むしろ、荒れに荒れるでしょう」
黒永が頭にかぶった布をつまんで押さえる。
姉さんの言葉の意をわかっているのだろう。
もちろん、俺もわかっているつもりだ。
「はぁ。そんなに俺を乱世に巻き込みたいの? 黒永」
「そんなことは。しかし、これからもっと乱れて乱世に入っていくと、おのずと黒薙様と白薙様が世にとって必要になると思います」
「今でさえ必要になっているとボクは思いますよ」
黒永に続いて黒慰も首に巻いた布に、もそもそと言う。
俺は無視して、太陽に振り向いた。
太陽の向きによって、方角を見失わないようにしなければならない。
木は少ない。
草原こそ多少あるが、木を切って年輪を見て調べることはできない。
今は午前の太陽を背中に受けている。
間違いなく、西へ向かっている。
「馬超は元気でいるかな」
「雛斗。無視してやるな」
「これは俺だけで考えるって言った。だから、何を言われても俺だけで決める」
姉さんの方を見ずに、前へ顔を向ける。
風の音に混じって数人のため息が聴こえたけど、やっぱり無視した。
司馬徽の屋敷を訪ねてからというもの、龐統以外のみんなから露骨にこういうことを言われるようになった。
ため息をつきたいのはこっちだけど、即決しない俺も俺だから何も言わなかった。
それから程なくして城に着いた。
西涼の城だ。
旅の武芸者を名乗り、街に入る。
昼前には着いていた。
「数日、ここに滞在しようか。多少は生活のあり方がわかると思うし。馬超と顔を合わせておきたいし」
先に宿を探し、黒希に馬の世話を任せて残りの黒永、黒慰、黒破、姉さんと話し合った。
ここで騎馬について話を聞けば、幽州で学んだ馬術に何か加えられるかもしれない。
「どうする? また、私が留守を預かろうか」
「一緒に行こうよ」
部屋の窓を開けて宿の前の通りを見回す。
道行く警邏中だろう兵士は、どこか粗野な印象を受けた。
中原や河北などに比べれば厳しい環境だろう、涼州兵が荒っぽくなるのも仕方ないことなのかもしれない。
武一辺倒な感じもする。
「誘ってくれるのか? お姉さん、嬉しいぞ」
「“また”って催促したくせに」
後ろから抱きつこうとする姉さんをひらりと避ける。
この前も散歩の時、姉さんに留守を任せたから俺も一緒に街を歩きたい、とは思っていた。
口には出さないけど。
言ったらからかわれるに決まっている。
「黒破も来るよね。馬超と会いたいって言ってたし」
「あ、うん」
素直に返事をしてきた。
けど、なんかいつもと違う。
なんのせいか、なんとなくわかっていた。
「じゃあ、黒永と黒慰で留守を頼むよ。黒希が馬の世話を終わらせたら誰か二人で情報収集をお願いね。龐統も留守を頼めるかな」
「は、はい。大丈夫です」
「では、主人に出掛けることを話しておこう」
龐統の返事に続けて、姉さんが笑みを浮かべて言った。
なにか、わかったような言い様だ。
姉さんはこうやって俺の心を読む。
この世で俺を一番に理解してくれるのは、唯一の肉親である姉さんかもしれない。
「一応、黒希にも話しておきますか。後で拗ねるかもしれませんし」
「わ、私、馬の世話とか見てみたいです」
「ボクはちょっと厠に……」
黒永と龐統、黒慰はわかっていないようだけど、部屋には俺と黒破の二人きりになった。
「黒破。そんなに落ち込まないでよ」
「えっ」
窓をぽーっと眺めていた黒破がこちらを見てくる。
黒破の結いた金髪が揺れた。
「呂布は強かった。あんなすごい殺気を放てるんだから」
また驚いて、黒破はたじろいだ。
「そんなに強くないけど、俺だって冷や汗かいたよ」
「黒薙様は強いよっ。私は黒薙様と白薙様以外に強い人を見たことない」
「世は広いよ。これから会う馬超だって、たぶん、俺より強い」
「そんなこと……」
「黒破。己の見ている範囲なんて、所詮、人の生きている間に見られる世の、ほんのちょっとに過ぎない。世の中には、俺より強い人は何百、何千といると思う」
この前は震えていたその肩に触れた。
四人の中で、姉さんよりも怪力だというのに、華奢な身体だ。
「呂布という無双の者を知った。俺と黒破は、それに勝てないかもしれないけど、黒破はそれでも俺の前に立って守ろうとしてくれた。ホントなら、俺が前に出るべきだったと思う」
「だっダメ! そんなこと私がさせない!」
「そう。黒破はさせてくれなかったよ。ありがと、俺なんかを守ってくれて」
肩からそのまま背中に回して、胸に抱き寄せた。
一瞬震えたけど、徐々に肩から力が抜けた。
「私は、黒薙様に救われたから」
「俺のことを思うなら、いつもの黒破でいて。黒破は、己の正しいと思うことをして。黒破は、強い」
「そんな、私なんて」
「わかってるじゃん」
黒破の頬に手を添えて、黒破が見上げてくる。
「自分はまだまだ。それを自覚するだけで、人は強くなれる。自分の限界、世の広さを知るだけで。黒破は、強くなれるよ。そして、俺を守ってくれたらいい。だから、落ち込んでる暇はないよ」
笑みを浮かべると、黒破の頬が赤くなった。
「……もう、ますます惚れちゃうよ」
満面の笑みを浮かべた。
うん、いつもの黒破に戻った。
「さて、行く仕度しちゃおうか」
───────────────────────
「では、馬超殿はどちらに?」
「馬超様なら、また旅に出掛けてしまいましたよ」
「すれ違いでしたか」
後ろで黒破が露骨にため息をついた。
それを姉さんが肘で突いている。
いつもは茶目っ気がある姉さんも、他人を交えたらきりりとしたお姉さんになる。
公私がしっかり分けられる、仕事上手な上司になれると思う。
昼を食べてから宮城に着き、門の兵士に旅路に知り合ったと話して馬超を訪ねた。
だけど、どうやら馬超は旅に出てしまったらしい。
「致し方ありませんね。また今度、機会があらばお訪ねします。馬超殿によろしくお伝え願えますか?」
「ねえ。どうしたの?」
不意に番兵の後ろから明るい声が聞こえた。
「これは馬岱様。この者が馬超様に会いに来られたのですが」
番兵が振り返ると、そこには少女がいた。
くせが少しある薄い栗色の毛を後頭部に尻尾のように結いた、目のぱっちりした活発な感じがする少女だ。
黒希と歳は変わらないくらいかな。
馬岱といえば、馬超が捕らえられて時に話し合った時に聞いた名だ。
「お姉様に?」
番兵を押しのけて俺の前に出てくる。
背が低く、俺の胸くらいしかない。
「うわっ。かっこいい……じゃなくて。あんた、何者?」
開口一番がよくわからないことを言った。
とはいえ、馬超に似ていて親族を思わせたので笑みを浮かべておく。
馬超も、一応馬騰の娘で正式な官位をちゃんと持っているのだと思うから、たぶん親族もなんらかの職に就いていて浪人の俺より身分は上だ。
「旅の武芸者です。馬超殿とは旅路で会いました」
「もしかして、黒薙さん?」
「いかにも、黒薙ですが。馬超殿から聞きましたか?」
「あっ、う、うん! ……お姉様がどぎまぎするのも仕方ないかも」
涼州に戻った馬超は、俺のことを話してくれたらしい。
「あっ。こんなところで立ってないで、中に入ってよ」
「え。いや、しかし」
「だいじょうぶ! お姉様が認めて悪い奴はいないよ」




